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cherish
遅刻の電話、キャンセルのメール
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ロッカールーム兼店舗内事務所である控え室から出て、その数倍の広さを有する隣の倉庫に入って明かりをつける。一斉にではなくぽつぽつと点灯する無骨な蛍光灯の明かりの下で、夜間作業を終えて休憩している機械や道具をぐるりと見回して、洗い忘れのパッドやモップがないかとチェックする。
夜間スタッフは昼間に自分の職場で仕事を済ませてから小遣い稼ぎに来ている青壮年の連中ばかりだから基本的にきちんとしている。ただ、自我が強くこうと勝手に解釈して他のスタッフの意見を聞かないことも多いから、一旦衝突すると実に気まずいことになってしまうのだ。たまに片付けを忘れて放置しているのをシニアスタッフばかりの早朝組に見つかればここぞとばかりに突っ込まれるから事前に防ごうとついついチェックしてしまうのだった。
「おはようございます」
「市村くん、おはよう」
自走式の洗浄機に水と洗剤を入れていると、早朝スタッフたちの元気の良い声がドアを開ける音と共に雪崩れ込んでくる。
定年後の暇潰しと小遣い稼ぎを主としたメンバーだから殆どがマイペース。自分たちの孫ポジション扱いである祐次の背中や肩をバシバシと叩いては自分のシフトに必要な道具を揃えて行く。
「市村くん、予報では曇りだけど雨が降りそうな空模様だよ。傘袋出しとく?」
立ち上げの時からいる女性がハキハキと声を掛けた。七十も近い人だけれど毎朝きっちりと化粧までして五時過ぎにはやって来る頼りになるスタッフだ。慣れているからこうして先回りして提言してもくれる。
「あ、お願いします。他にも風除室担当の人に伝えて頂けると」
「わかってるわよ。全く、またそんな疲れた顔で。どうせまた家に帰ってないんでしょ」
眉間に皺を寄せてから、女性は他のスタッフにも声を掛けていく。
「ここはいいから隣でお茶でも飲んでなさい
よ」
「何かあったらピッチに掛けるから」
他のスタッフにも顔を顰められ、半分以上追い立てられるようにして祐次は元の部屋へと戻った。
続々と出勤してきたスタッフと挨拶を交わし、今度はテーブルではなく電話機の置いてある事務机の椅子に腰掛けてから、昨晩買った飲みかけのペットボトルを手に取った。誰かの土産らしき饅頭がテーブルの上に置いてあり、その状態のものは「ご自由にどうぞ」と暗黙の了解なので遠慮せずに一つ手に取った。
黒糖の効いた餡子の甘味がじんわりと口の中に広がり、もうずっと固形物を受け付けていなかった胃の中に落ちていく感覚に苦い笑みが浮かぶ。五時半。人気の無くなった室内で一人、そっと目を閉じた。
窓が無いから人がいる間は蛍光灯が点けっぱなしで落ち着かないが仕方ない。
微かに空気を攪拌する換気扇の音を聞きながら、どんな服で出掛けようかとぼんやりと考えた。
コール音で覚醒する。いつの間にかうとうとしていたらしい。頬杖を突いていたのと反対の手で受話器を上げて左耳に当てながら右手でボールペンを持った。寝ぼけていても条件反射だ。
「おはようございます、市村です」
『おはよう、市村くん。』
所長の青木だった。ついと視線を動かして自分の腕時計を見ると八時が来ようとしている。八時半出勤の青木からの連絡となれば嫌な予感しかしない。
『悪いんだけど、午後からの出勤にするよ。孫が熱を出してねえ。病院に連れて行って、嫁が早退してから交代で出勤するから』
しても良いかの確認ではなくて、予定を告げている。いくら肩書きは所長でも本社で正社員の祐次の方が立場は上なのだけれど、年配者は多かれ少なかれ自分の意見が正しくて通るものだと考えているから怖い。
反論する気力も無くて、わかりましたと告げてからそっと受話器を置いた。叩き付けたい心境だがそんな労力すら勿体無い。
これで少なくとも昼過ぎまではここに居なくてはならない。誠也の笑顔を思い浮かべて、胸ポケットから自分の携帯電話を取り出した。
行けなくなりました。とても残念です。
これでいいかなと一瞬思考して、えいやと送信ボタンを押す。まだ勤務時間内だし声を聞くと涙が出そうだった。メール機能が付くようになって、携帯電話は格段に使い易くなったと思う。文字だけだから感情の揺れが伝わり難い。
メリットよりデメリットの方が多そうだが、今の祐次にはそれが救いだった。
八時を回ると今度は昼のスタッフが出勤し始める。早朝・夜間は客が居ない中で清掃作業をするので揃いの地味な作業服だが、下は大学生から上は子供が手を離れた五十代の主婦まで幅広い年齢層の女性たちが赤のタータンチェックのキュロットと白が基調のシャツにやはりチェックのベレー帽を被って店内を泳ぐように移動しながら綺麗に保っている。基本的に二~三時間しか働かない人が多いのは、子供が学校に行っている間に少しでも家計の足しにしようという働き手ばかりだからだ。しゃきしゃきとこなすが、自分の都合が優先だから夕方以降はシフトを組むのに四苦八苦する上、学校行事が重なる日は最悪だった。こぞって休まれてしまうのである。それでも、募集を掛けても清掃業に来てくれる若い人は殆ど居ない現状、どんなに理不尽でも上手くやっていくしかないのだ。
昼間のスタッフの働き方を売りにしている本社は、現場の苦労を知りつつも待遇を改めてはくれない。切り抜けるのも才覚と放り出されて、結局のところ自分の身を削ってでもどうにかするしかないのである。
理不尽すぎる……。
眠くて眠くて仕方ないが、朝礼の時間だったから、一仕事終えて部屋に帰ってきた早朝スタッフとメインのスタッフを交えて、本日の危険予知や連絡事項などを伝え合った。
十時の開店に合わせて、巡回スタッフが三人出て行くと、また室内は静かになる。
今日が木曜日なのがせめてもの救いだなと、祐次は机に突っ伏した。
定休日のないショッピングモールは、平日はそこそこの人出だが土日祝ともなると床が見えないくらいの人でごった返す。しかも主婦層がシフトに入ってくれないため、巡回の定員五人すら集まらなくて、最終手段として祐次がゴミ回収だけでもと店内作業に出なければならないうえにトラブルも多くてひっきりなしに簡易携帯電話が鳴り続けるのだ。
コンコン、とノックの音がして、返事より前にそっとドアが開いた。誠也だった。
「木村さん」
驚いたものの囁くように掠れた声しか出せず、ロッカー横のカーテンが開きっぱなしで他に誰も居ないと視認してからそのままするりと誠也が入室してくるのを座ったまま呆然と眺めていた。
「差し入れです」
目の前に、ビニール袋から取り出したホットサンドとカップのコーヒーが置かれる。息を呑む祐次の机の脇に折り畳みの椅子を広げて、誠也が腰掛けた。
「ありがとう、ございます。あの、お金」
「差し入れなんだから、気にしないで食べて下さい」
腰を下ろすと視線が少ししか上下しなくていいなと思いながら、素直に頷いてカップに口を付けた。体に沁みこむような、甘いカフェ・オレ。確かに祐次は好きだけれど、これって成人男性に勧めるには少し甘すぎるのではないかと思いながら、ちらりと誠也を見上げた。
「青木さんが来られないんですか」
祐次の疑問には気付かずに、誠也は感情の篭らない声を出した。
「ええ、よくあることです。お孫さんが熱を出して」
自分だって納得がいかないが、怒るだけ無駄であるのは身に沁みてわかっているから、祐次は苦笑いしながら半分ほどカップの中身を飲んで机に戻した。良く見れば誠也は私服に着替えている。もうじき初夏と呼ばれる季節に入るけれど急に気温が下がる日も多いからか、長袖のシャツに半袖を重ね着していて、秀麗な眉を寄せて吐息している。
なんて綺麗な生き物なんだろうと見惚れていると、それに気付いた誠也がぱりぱりとサンドイッチの袋を開けてくれた。
「ずっと食べていないんでしょう。どうぞ」
どうやら疲れてぼうっとしていると取られたらしく、ハッと我に返ってベーコンと野菜が沢山挟まっているそれを受け取ってぱくりとかぶりついた。
食べ終えてから「うまかったです」ともう一度礼を言うと、誠也は華やかに笑った。
「開店直後のカフェから直行で持って来ましたからね。美味しいのは当たり前です」
今度は一緒に食べましょうと言われて、祐次は恐縮しながらもくすぐったそうに微笑みながら頷いた。
腹が膨れたからか、雑談をしている内に目がとろんとしてきた祐次に気が付き、誠也は暇を告げた。自分は時給月給で残業手当もつくから時間内は真剣に仕事をするが、祐次は月給固定のサービス残業であるらしい。
こんなにやつれてまでどうしてその企業に奉仕し続けるのか理解に苦しむが、そういう人間が居るから社会は機能しているのだろうとも思う。
確か今晩も夜間シフトに入るはずだと記憶を手繰りながら、誠也は身分証明も兼ねているクレジットカードをスキャナーに通して従業員出入り口から退出した。
姦しい喋り声に揺さぶられるように意識が浮かび上がり、祐次は腕の上からがばりと頭を上げた。
午前から午後へとシフトに入っている二人が楽しそうに笑いながら弁当を食べている。
「ほら、あんたの笑い声が煩いから市村さん起きちゃったじゃないのさ」
神経質そうな口元を歪めて一人が文句を言い、ごめんねえと祐次に頭を下げながらも当のもう一人は笑顔を崩さない。
同じテーブルで立ったままシフト表を確認していた水上(みずかみ)雪子が顔を上げて事務机に寄って来た。
「市村さん、眠いの通り越して顔色悪いですけど……大丈夫なんですか? 青木さんはまさかドタキャンじゃないですよね、係長が居ない時に」
大学生を除けば最年少の水上はサブ・マネージャーの肩書きを持っている。それでも時給で働いていることに変わりはないのだが、備品管理やシフトの調整などをこなす時間も仕事に加えることが出来るようになっていて、他のメンバーにはそういった事務仕事が回らないためかやっかみ半分に色々と愚痴を言われることも多い。羨ましいならばいつでも代わって差し上げますがとキッパリ言い返す彼女は、唯一の同士のような気がする。年齢は確か向こうが一つ上だったか。しかし身長も同じくらいなのでまさしく同士以上の感情を向こうは抱いている様子は無かった。
ちょっと失礼といって手の平をおでこに当てられる。ヒューヒューと外野が茶化したが、華麗にスルーして「熱は無さそうですね」と吐息しながら、少し体温の低い手が離れて行った。
「もうすぐ来るだろうから大丈夫ですよ」
「いいえ、今すぐ即刻帰って寝てください。私と入れ替わりに来て下されば十分ですから」
十三時から二十一時までシフトに入っている水上だとて、予定では間に三十分しか休憩を入れていない。それ以外はずっと立ち通しの歩きっぱなしだ。それでもシフト以外の呼び出しにも応じる覚悟で簡易携帯を手に取った彼女のために、祐次はゆっくりと腰を上げた。
夜間スタッフは昼間に自分の職場で仕事を済ませてから小遣い稼ぎに来ている青壮年の連中ばかりだから基本的にきちんとしている。ただ、自我が強くこうと勝手に解釈して他のスタッフの意見を聞かないことも多いから、一旦衝突すると実に気まずいことになってしまうのだ。たまに片付けを忘れて放置しているのをシニアスタッフばかりの早朝組に見つかればここぞとばかりに突っ込まれるから事前に防ごうとついついチェックしてしまうのだった。
「おはようございます」
「市村くん、おはよう」
自走式の洗浄機に水と洗剤を入れていると、早朝スタッフたちの元気の良い声がドアを開ける音と共に雪崩れ込んでくる。
定年後の暇潰しと小遣い稼ぎを主としたメンバーだから殆どがマイペース。自分たちの孫ポジション扱いである祐次の背中や肩をバシバシと叩いては自分のシフトに必要な道具を揃えて行く。
「市村くん、予報では曇りだけど雨が降りそうな空模様だよ。傘袋出しとく?」
立ち上げの時からいる女性がハキハキと声を掛けた。七十も近い人だけれど毎朝きっちりと化粧までして五時過ぎにはやって来る頼りになるスタッフだ。慣れているからこうして先回りして提言してもくれる。
「あ、お願いします。他にも風除室担当の人に伝えて頂けると」
「わかってるわよ。全く、またそんな疲れた顔で。どうせまた家に帰ってないんでしょ」
眉間に皺を寄せてから、女性は他のスタッフにも声を掛けていく。
「ここはいいから隣でお茶でも飲んでなさい
よ」
「何かあったらピッチに掛けるから」
他のスタッフにも顔を顰められ、半分以上追い立てられるようにして祐次は元の部屋へと戻った。
続々と出勤してきたスタッフと挨拶を交わし、今度はテーブルではなく電話機の置いてある事務机の椅子に腰掛けてから、昨晩買った飲みかけのペットボトルを手に取った。誰かの土産らしき饅頭がテーブルの上に置いてあり、その状態のものは「ご自由にどうぞ」と暗黙の了解なので遠慮せずに一つ手に取った。
黒糖の効いた餡子の甘味がじんわりと口の中に広がり、もうずっと固形物を受け付けていなかった胃の中に落ちていく感覚に苦い笑みが浮かぶ。五時半。人気の無くなった室内で一人、そっと目を閉じた。
窓が無いから人がいる間は蛍光灯が点けっぱなしで落ち着かないが仕方ない。
微かに空気を攪拌する換気扇の音を聞きながら、どんな服で出掛けようかとぼんやりと考えた。
コール音で覚醒する。いつの間にかうとうとしていたらしい。頬杖を突いていたのと反対の手で受話器を上げて左耳に当てながら右手でボールペンを持った。寝ぼけていても条件反射だ。
「おはようございます、市村です」
『おはよう、市村くん。』
所長の青木だった。ついと視線を動かして自分の腕時計を見ると八時が来ようとしている。八時半出勤の青木からの連絡となれば嫌な予感しかしない。
『悪いんだけど、午後からの出勤にするよ。孫が熱を出してねえ。病院に連れて行って、嫁が早退してから交代で出勤するから』
しても良いかの確認ではなくて、予定を告げている。いくら肩書きは所長でも本社で正社員の祐次の方が立場は上なのだけれど、年配者は多かれ少なかれ自分の意見が正しくて通るものだと考えているから怖い。
反論する気力も無くて、わかりましたと告げてからそっと受話器を置いた。叩き付けたい心境だがそんな労力すら勿体無い。
これで少なくとも昼過ぎまではここに居なくてはならない。誠也の笑顔を思い浮かべて、胸ポケットから自分の携帯電話を取り出した。
行けなくなりました。とても残念です。
これでいいかなと一瞬思考して、えいやと送信ボタンを押す。まだ勤務時間内だし声を聞くと涙が出そうだった。メール機能が付くようになって、携帯電話は格段に使い易くなったと思う。文字だけだから感情の揺れが伝わり難い。
メリットよりデメリットの方が多そうだが、今の祐次にはそれが救いだった。
八時を回ると今度は昼のスタッフが出勤し始める。早朝・夜間は客が居ない中で清掃作業をするので揃いの地味な作業服だが、下は大学生から上は子供が手を離れた五十代の主婦まで幅広い年齢層の女性たちが赤のタータンチェックのキュロットと白が基調のシャツにやはりチェックのベレー帽を被って店内を泳ぐように移動しながら綺麗に保っている。基本的に二~三時間しか働かない人が多いのは、子供が学校に行っている間に少しでも家計の足しにしようという働き手ばかりだからだ。しゃきしゃきとこなすが、自分の都合が優先だから夕方以降はシフトを組むのに四苦八苦する上、学校行事が重なる日は最悪だった。こぞって休まれてしまうのである。それでも、募集を掛けても清掃業に来てくれる若い人は殆ど居ない現状、どんなに理不尽でも上手くやっていくしかないのだ。
昼間のスタッフの働き方を売りにしている本社は、現場の苦労を知りつつも待遇を改めてはくれない。切り抜けるのも才覚と放り出されて、結局のところ自分の身を削ってでもどうにかするしかないのである。
理不尽すぎる……。
眠くて眠くて仕方ないが、朝礼の時間だったから、一仕事終えて部屋に帰ってきた早朝スタッフとメインのスタッフを交えて、本日の危険予知や連絡事項などを伝え合った。
十時の開店に合わせて、巡回スタッフが三人出て行くと、また室内は静かになる。
今日が木曜日なのがせめてもの救いだなと、祐次は机に突っ伏した。
定休日のないショッピングモールは、平日はそこそこの人出だが土日祝ともなると床が見えないくらいの人でごった返す。しかも主婦層がシフトに入ってくれないため、巡回の定員五人すら集まらなくて、最終手段として祐次がゴミ回収だけでもと店内作業に出なければならないうえにトラブルも多くてひっきりなしに簡易携帯電話が鳴り続けるのだ。
コンコン、とノックの音がして、返事より前にそっとドアが開いた。誠也だった。
「木村さん」
驚いたものの囁くように掠れた声しか出せず、ロッカー横のカーテンが開きっぱなしで他に誰も居ないと視認してからそのままするりと誠也が入室してくるのを座ったまま呆然と眺めていた。
「差し入れです」
目の前に、ビニール袋から取り出したホットサンドとカップのコーヒーが置かれる。息を呑む祐次の机の脇に折り畳みの椅子を広げて、誠也が腰掛けた。
「ありがとう、ございます。あの、お金」
「差し入れなんだから、気にしないで食べて下さい」
腰を下ろすと視線が少ししか上下しなくていいなと思いながら、素直に頷いてカップに口を付けた。体に沁みこむような、甘いカフェ・オレ。確かに祐次は好きだけれど、これって成人男性に勧めるには少し甘すぎるのではないかと思いながら、ちらりと誠也を見上げた。
「青木さんが来られないんですか」
祐次の疑問には気付かずに、誠也は感情の篭らない声を出した。
「ええ、よくあることです。お孫さんが熱を出して」
自分だって納得がいかないが、怒るだけ無駄であるのは身に沁みてわかっているから、祐次は苦笑いしながら半分ほどカップの中身を飲んで机に戻した。良く見れば誠也は私服に着替えている。もうじき初夏と呼ばれる季節に入るけれど急に気温が下がる日も多いからか、長袖のシャツに半袖を重ね着していて、秀麗な眉を寄せて吐息している。
なんて綺麗な生き物なんだろうと見惚れていると、それに気付いた誠也がぱりぱりとサンドイッチの袋を開けてくれた。
「ずっと食べていないんでしょう。どうぞ」
どうやら疲れてぼうっとしていると取られたらしく、ハッと我に返ってベーコンと野菜が沢山挟まっているそれを受け取ってぱくりとかぶりついた。
食べ終えてから「うまかったです」ともう一度礼を言うと、誠也は華やかに笑った。
「開店直後のカフェから直行で持って来ましたからね。美味しいのは当たり前です」
今度は一緒に食べましょうと言われて、祐次は恐縮しながらもくすぐったそうに微笑みながら頷いた。
腹が膨れたからか、雑談をしている内に目がとろんとしてきた祐次に気が付き、誠也は暇を告げた。自分は時給月給で残業手当もつくから時間内は真剣に仕事をするが、祐次は月給固定のサービス残業であるらしい。
こんなにやつれてまでどうしてその企業に奉仕し続けるのか理解に苦しむが、そういう人間が居るから社会は機能しているのだろうとも思う。
確か今晩も夜間シフトに入るはずだと記憶を手繰りながら、誠也は身分証明も兼ねているクレジットカードをスキャナーに通して従業員出入り口から退出した。
姦しい喋り声に揺さぶられるように意識が浮かび上がり、祐次は腕の上からがばりと頭を上げた。
午前から午後へとシフトに入っている二人が楽しそうに笑いながら弁当を食べている。
「ほら、あんたの笑い声が煩いから市村さん起きちゃったじゃないのさ」
神経質そうな口元を歪めて一人が文句を言い、ごめんねえと祐次に頭を下げながらも当のもう一人は笑顔を崩さない。
同じテーブルで立ったままシフト表を確認していた水上(みずかみ)雪子が顔を上げて事務机に寄って来た。
「市村さん、眠いの通り越して顔色悪いですけど……大丈夫なんですか? 青木さんはまさかドタキャンじゃないですよね、係長が居ない時に」
大学生を除けば最年少の水上はサブ・マネージャーの肩書きを持っている。それでも時給で働いていることに変わりはないのだが、備品管理やシフトの調整などをこなす時間も仕事に加えることが出来るようになっていて、他のメンバーにはそういった事務仕事が回らないためかやっかみ半分に色々と愚痴を言われることも多い。羨ましいならばいつでも代わって差し上げますがとキッパリ言い返す彼女は、唯一の同士のような気がする。年齢は確か向こうが一つ上だったか。しかし身長も同じくらいなのでまさしく同士以上の感情を向こうは抱いている様子は無かった。
ちょっと失礼といって手の平をおでこに当てられる。ヒューヒューと外野が茶化したが、華麗にスルーして「熱は無さそうですね」と吐息しながら、少し体温の低い手が離れて行った。
「もうすぐ来るだろうから大丈夫ですよ」
「いいえ、今すぐ即刻帰って寝てください。私と入れ替わりに来て下されば十分ですから」
十三時から二十一時までシフトに入っている水上だとて、予定では間に三十分しか休憩を入れていない。それ以外はずっと立ち通しの歩きっぱなしだ。それでもシフト以外の呼び出しにも応じる覚悟で簡易携帯を手に取った彼女のために、祐次はゆっくりと腰を上げた。
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