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俺の全部をあげるから〈完〉
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「慎哉、くん」
微かにそう呼び、ギュッと抱き締められた花束のセロハンが煩く音を立てた。
確かに何かが変わったと確信して、慎哉は手に取ったままだった雪子の白い指に唇を落とした。
「思い出して。あの晩、俺が欲しいって言ってくれたでしょ。
全部あげるって、俺の全部はゆっこのものだって言ったのに、信じてくれないなんて酷いよ。
俺が嫌いじゃないなら、ずっと傍に居てくれよ。愛してる。毎日何回でも言うから、だから俺のことまた欲しいって言って。名前呼んで」
切々と語りかける眼差しの先で、閉じていた目蓋が震えながら上がっていく。
その目は潤み、窓からの僅かな陽光を反射する以外に、意志の光を宿していた。
「慎哉くん……こんな私でいいの」
「それあの時にも言ったな。変わらないよ、あの時と。そのままの雪子さんが欲しい」
いや、あの時とはちょっとちがうか……。小さな呟きにもじっと耳を澄ませ、雪子はまだ戸惑っている。
慎哉はもう一度しっかりと目を覗き込み、拳を握ってから言葉を続けた。
「あのときより、もっともっと好きだよ。俺の全部あげるから、俺のものになって。体も心も全部頂戴」
花束をベッドに置いて、ゆらりと伸ばした雪子の腕が慎哉の首に回り、落ちるように胸の中に納まった。
「慎哉、くん」
「うん」
「慎哉くん、慎哉くんっ」
祈るように願った。もう一度名前を呼んでと。
今ようやく聞き届けられて、少し体温の低い華奢な体が胸の中にある。
「愛してる……ちゃんと、胸に刻み込んでよ。俺が裏切ったら、根限り詰って叩きのめして」
腕を回して、存在を確かめる。
一度は手にしたはずなのに、失うかと恐れた。
それでも半分以上は信じていたから、ときに自信を失いそうになっても、通うのを止めなかった。
もしも、誠也という前例がなければ、半ばで挫折していたかもしれない。
呼びかけても呼びかけても、自分を見ない瞳。ただ、景色だけを写し取っている鏡のような眼差しに、心を折られそうになった。
それでもここへ来ることが出来たのは、意識すらなくて、いつ儚くなってもおかしくないひとの元へと毎日通い続けた誠也を知っていたから。
そして、あなたのことをちゃんと愛していると教えてくれた、陽子の言葉を信頼していたからだ。
感極まって嗚咽が漏れそうになるのを懸命に堪えていると、雪子が震えながら慎哉の顔に手を添えてきた。
ゆっくりと頬をなぞり、唇に這う指先。それを捉えて軽く唇で挟み舌先でつつくと、まるで初めてのように、たどたどしい動きで雪子から唇を合わせてきた。
ふと、カメラの存在を思い出す。
――陽子さん、恨みますよ。
そのまま押し倒したい。それが無理なら、今すぐかっさらってホテルに連れ込んででも。そんな邪まな思惑に乗っ取られそうになりながらも、くっ付けたままじっとしている雪子の腰を抱き直して耐えた。
キスまでならOKもらってるしな。
そう思い直すと、重ねている唇を開いて、舌先で雪子の口唇をなぞる。すぐに開いて応えようとする隙間にゆっくりと進入し口蓋をなぞると、雪子は切なく喘いで、慎哉の背に回した手が、スーツを握り締めた。
久しぶりの快楽に蕩ける口内。丹念に歯列に沿って舐め上げて、ようやく舌を絡めると、ふたり同時に痺れるくらいに一気に体温が上がるのが判った。
部屋の空気に、色が付いていくように感じる。
無機質で、自分を拒絶するような冷え冷えとした雰囲気を醸し出していた部屋が、一気に居心地良いものに変わっていく。
ここでも、ああカメラさえなかったらなあと考えながら、それでも慎哉は口付けを解かなかった。
抜けるかもと不安になるくらいに精一杯舌を伸ばして絡めては吸い、雪子の唾液を飲み、雪子が慎哉のものを啜るのを感じては、下半身も反応する。
疼きを逃しながら、唇がふやけるくらいにひたすらくっつけていると、コンコンと、やや強めにノックの音が耳に届いた。
「もしもーし、お取り込み中ごめんね。仲直りしたなら、一緒に食事しませんかね~。終わったら、私に見えないところに連れ出して仲良くして頂戴」
ケーキとチキン、それからグラタンとか用意したんだけど、と陽子の声が明るく意地悪にドア越しにふたりの耳に届けられる。
一瞬にして熱の冷めたふたりは、ゆっくりと顔を離してから、視線を絡めた。
「聞こえてますー?」
コンコン、とまたノックの音。ドアを開けないのは、せめてもの優しさなのだろうか。
あー、と唸ってから、「ごちそうになります」と慎哉が応えると、「じゃあ用意しておくね」とドアの外の気配が遠ざかっていく。
しばらく言葉もなくそのまま見つめあい、それから慎哉は苦笑した。
「まったく、陽子さんはもう」
それが全然不機嫌そうじゃないのを面白がり、雪子はくすりと笑った。久しぶりに目にする笑顔に、慎哉も微笑を浮かべる。
「良かった、慎哉くんとおかあさんが仲良くなってくれて」
くすくすと、ふたりで笑い合う。
こんな時間が持てるなんて、夢のようだと胸の中がじんわり暖かくなっている。
「好きだよ、雪子さんも、陽子さんも」
「え、同列なの?」
いつの間にか調子が戻ったように斜めに顔を背けてちらりと視線を飛ばすから、またぎゅうっと抱きしめたいのを我慢して、慎哉は雪子の唇を指先で拭った。
「こんなことしたくなるの、ゆっこだけだよ……解ってるくせに」
いじけた様子を作る慎哉を見て、むくれた表情を装っていた雪子は小さく噴き出した。
了
-----┼-----┼┼-----┼-----┼┼-----
読了ありがとうございます。
番外の小話がひとつありますので、もう一話お付き合いいただけると幸いです。
微かにそう呼び、ギュッと抱き締められた花束のセロハンが煩く音を立てた。
確かに何かが変わったと確信して、慎哉は手に取ったままだった雪子の白い指に唇を落とした。
「思い出して。あの晩、俺が欲しいって言ってくれたでしょ。
全部あげるって、俺の全部はゆっこのものだって言ったのに、信じてくれないなんて酷いよ。
俺が嫌いじゃないなら、ずっと傍に居てくれよ。愛してる。毎日何回でも言うから、だから俺のことまた欲しいって言って。名前呼んで」
切々と語りかける眼差しの先で、閉じていた目蓋が震えながら上がっていく。
その目は潤み、窓からの僅かな陽光を反射する以外に、意志の光を宿していた。
「慎哉くん……こんな私でいいの」
「それあの時にも言ったな。変わらないよ、あの時と。そのままの雪子さんが欲しい」
いや、あの時とはちょっとちがうか……。小さな呟きにもじっと耳を澄ませ、雪子はまだ戸惑っている。
慎哉はもう一度しっかりと目を覗き込み、拳を握ってから言葉を続けた。
「あのときより、もっともっと好きだよ。俺の全部あげるから、俺のものになって。体も心も全部頂戴」
花束をベッドに置いて、ゆらりと伸ばした雪子の腕が慎哉の首に回り、落ちるように胸の中に納まった。
「慎哉、くん」
「うん」
「慎哉くん、慎哉くんっ」
祈るように願った。もう一度名前を呼んでと。
今ようやく聞き届けられて、少し体温の低い華奢な体が胸の中にある。
「愛してる……ちゃんと、胸に刻み込んでよ。俺が裏切ったら、根限り詰って叩きのめして」
腕を回して、存在を確かめる。
一度は手にしたはずなのに、失うかと恐れた。
それでも半分以上は信じていたから、ときに自信を失いそうになっても、通うのを止めなかった。
もしも、誠也という前例がなければ、半ばで挫折していたかもしれない。
呼びかけても呼びかけても、自分を見ない瞳。ただ、景色だけを写し取っている鏡のような眼差しに、心を折られそうになった。
それでもここへ来ることが出来たのは、意識すらなくて、いつ儚くなってもおかしくないひとの元へと毎日通い続けた誠也を知っていたから。
そして、あなたのことをちゃんと愛していると教えてくれた、陽子の言葉を信頼していたからだ。
感極まって嗚咽が漏れそうになるのを懸命に堪えていると、雪子が震えながら慎哉の顔に手を添えてきた。
ゆっくりと頬をなぞり、唇に這う指先。それを捉えて軽く唇で挟み舌先でつつくと、まるで初めてのように、たどたどしい動きで雪子から唇を合わせてきた。
ふと、カメラの存在を思い出す。
――陽子さん、恨みますよ。
そのまま押し倒したい。それが無理なら、今すぐかっさらってホテルに連れ込んででも。そんな邪まな思惑に乗っ取られそうになりながらも、くっ付けたままじっとしている雪子の腰を抱き直して耐えた。
キスまでならOKもらってるしな。
そう思い直すと、重ねている唇を開いて、舌先で雪子の口唇をなぞる。すぐに開いて応えようとする隙間にゆっくりと進入し口蓋をなぞると、雪子は切なく喘いで、慎哉の背に回した手が、スーツを握り締めた。
久しぶりの快楽に蕩ける口内。丹念に歯列に沿って舐め上げて、ようやく舌を絡めると、ふたり同時に痺れるくらいに一気に体温が上がるのが判った。
部屋の空気に、色が付いていくように感じる。
無機質で、自分を拒絶するような冷え冷えとした雰囲気を醸し出していた部屋が、一気に居心地良いものに変わっていく。
ここでも、ああカメラさえなかったらなあと考えながら、それでも慎哉は口付けを解かなかった。
抜けるかもと不安になるくらいに精一杯舌を伸ばして絡めては吸い、雪子の唾液を飲み、雪子が慎哉のものを啜るのを感じては、下半身も反応する。
疼きを逃しながら、唇がふやけるくらいにひたすらくっつけていると、コンコンと、やや強めにノックの音が耳に届いた。
「もしもーし、お取り込み中ごめんね。仲直りしたなら、一緒に食事しませんかね~。終わったら、私に見えないところに連れ出して仲良くして頂戴」
ケーキとチキン、それからグラタンとか用意したんだけど、と陽子の声が明るく意地悪にドア越しにふたりの耳に届けられる。
一瞬にして熱の冷めたふたりは、ゆっくりと顔を離してから、視線を絡めた。
「聞こえてますー?」
コンコン、とまたノックの音。ドアを開けないのは、せめてもの優しさなのだろうか。
あー、と唸ってから、「ごちそうになります」と慎哉が応えると、「じゃあ用意しておくね」とドアの外の気配が遠ざかっていく。
しばらく言葉もなくそのまま見つめあい、それから慎哉は苦笑した。
「まったく、陽子さんはもう」
それが全然不機嫌そうじゃないのを面白がり、雪子はくすりと笑った。久しぶりに目にする笑顔に、慎哉も微笑を浮かべる。
「良かった、慎哉くんとおかあさんが仲良くなってくれて」
くすくすと、ふたりで笑い合う。
こんな時間が持てるなんて、夢のようだと胸の中がじんわり暖かくなっている。
「好きだよ、雪子さんも、陽子さんも」
「え、同列なの?」
いつの間にか調子が戻ったように斜めに顔を背けてちらりと視線を飛ばすから、またぎゅうっと抱きしめたいのを我慢して、慎哉は雪子の唇を指先で拭った。
「こんなことしたくなるの、ゆっこだけだよ……解ってるくせに」
いじけた様子を作る慎哉を見て、むくれた表情を装っていた雪子は小さく噴き出した。
了
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読了ありがとうございます。
番外の小話がひとつありますので、もう一話お付き合いいただけると幸いです。
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