君を聴かせて

亨珈

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一世一代のプロポーズ

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 クリスマスイヴも、慎哉は夜勤だった。
 最後のドライブの晩に夢想していたラブラブな夜には程遠く、モニターを眺めながらうつらうつらしては誠也に頭をはたかれ、時間が来たら嬉々として職場を後にした。

 一旦帰宅してシャワーを浴び、久し振りにスーツを着て家を出るときに母親に見つかって茶化される。
 雪子の母親も見た目より気さくな人だったが、慎哉の母親も、ほどよく手綱を緩めながら育ててくれた朗らかな人だ。
 だから、態度に出さなくても、最近の息子の様子が以前と違うこともお見通しだったようだ。

「やだ慎ちゃんってば、成人式より気合入ってんじゃないの?」

 成人式どころか入社式でも何処かのほほんとしていた息子がネクタイを直しているのを見て、何か感じるところがあるのだろう。
 それ以上何を尋ねるでもなく、それでも何か含んだ眼差しで慎哉に寄って来ると、黙ってノットを整えてからにんまりと笑いながら見上げ、ぽんと肩を叩いて室内に引っ込んでしまった。

 何とでも言うがいい。今日くらいカッコつけさせてくれよ。
 心の中で嘯き、ポケットの中の小箱を確認してから慎哉は車に乗り込む。
 運転しながらの道中に思い出されるのは、今度から陽子さんって呼んでねと無理矢理頷かせてからぽつぽつと語り始めた、雪子の母親の横顔だった。


 私、今は個人医院だから定休日があるけれど、若い頃は総合病院の外科で交代勤務していたわ。だからといって家庭を蔑ろにはしなかったつもり。
 だけど雪子には寂しい思いをさせたと思う。
 それと同じくらい寂しかったんでしょうね、夫は他の女とこっそり付き合いそっちに子供が出来て離婚したの。
 土下座して泣いて謝られても、悔しくても、どうしようもなかった。あちらだってこれから物入りだし、幸い手に職はあるから最低限の養育費だけ受け取ることにしてさっさと追い出したの。
 雪子には何も隠さなかった。

 子供心に色々考えたんでしょう、手伝いも自分からやってのけるし、勉強にも手を抜かなかった。大学くらい行かせられるって言ったのに、もう勉強はしないって就職して、家計を助けてくれたの。
 でもある日突然家を出ると言い出して……広いんだから、いればいいのにって引きとめた。でも自立したいって言われたら応援するしかないでしょう。借りるというアパートが二DKだと知ってピンときた。ああ好きな男と暮らしたいんだって。

 それまでもあの子に言い寄ってくる男なんて沢山居たけど、殆ど友達止まりで和やかに付き合っていたの。
 男女の友情も成り立つって私は思うから、それはそれで見守っていたのね。それでようやく本気で恋をしたんだと思って……。
 そうしたら、こんなことになっちゃって。

 私がそうであったように、家の事も何もかも完璧にやろうとする。そしてそれを見せないのが美徳だと思っている。
 でも頼られるのも甘やかすのも好きなのよ。私と同じ。
 その上、あの子の場合は人を詰ることもしない。突き詰めれば自分が悪いんだと思っちゃう。
 今もそう、あんなやつ、さっさと塀の中に引き取ってもらうのが世間のためなのに、戦う意志もない。
 だけど職場復帰なら、出来なくはない。それじゃ何も解決していないけどね。
 だから、酷だと思うけど、慎哉くんに頼むしかないの。
 あの子に、自分は悪くないって必要とされているって、信じさせてあげて──。


 気合十分でチャイムを押すと、珍しく出迎えられた。
 スーツ姿で薔薇の花束を抱えている慎哉を見てにんまりと笑い、「健闘を祈る」と陽子はさっさと引っ込んでしまう。
 相変わらずだなあと失笑するも、短い期間にツーカーの間柄になってしまったような気がして、それはそれで面映い。
 いつも通りノックをしてから入ると、今日はベッドの縁に腰掛けている雪子の目が瞬いた気がした。淡いピンクのワンピースが、清楚な美貌を引き立てている。

「ゆっこ。どう? 少しはかっこいいかな。今日はクリスマスだからね。サンタのカッコでもいいかなと思ったけど、やっぱり恥ずかしいからこっちにした」

 手の中でパリパリと音を立てているセロハンごと、リボンの付いた持ち手が手の平に収まるように持たせると、雪子はこてんと首を傾げた。
 まるで幼子のような仕草にぐっときて、何かしら反応があったのも嬉しくて、笑み零しながら、空いている左手を持って雪子の前に片膝を突いてしゃがんだ。
 いつもより下にある慎哉の顔を、少し不思議そうに捉えているように感じる。
 僅かに見える、瞳の奥の揺らぎ。

「正式なのはまた今度な」
 そう前置きして、慎哉はひたと雪子の両目を見詰めた。
「俺、小野慎哉は、汝、雪子を……
 病める時も、健やかなる時も、変わらず愛し続けると誓います」

 ゆっくりと瞬きした瞳の奥が、今度こそ本当に揺れていた。
 それを確かめて、慎哉はポケットの中から布張りの小箱を取り出すと、中央に収まった細いリングを取り、雪子の薬指に嵌めていく。

「仕事中に石が邪魔かと思ってさ、内側にだけちっさいのはまってんの。こういうシンプルなのが好きだと思って。
 でも今度は二人で一緒に選ぼうな? もっと大きい石のがいいっていうなら、頑張るから」

 リングは根元まで通ると少し隙間が空いていた。慎哉は、まずったと顔を顰めた。
 クリスマスを共に過ごそうと決めた時にこっそり測っていたサイズは、合わなくなっていたらしい。

「あれ、ゆっこ指も痩せちゃってるね。でもまた元気になったら丁度良くなるよ」

 折角整えた髪をくしゃりと自分で乱し照れ笑いすると、慎哉は指から顔に目を戻した。

「ゆっこ……」

 目を伏せた雪子の両目から、涙が幾筋も頬を伝っていた。
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