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がらんどうな家 マネキンのような――
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尻込みする気持ちを押さえつけるようにして、ようやく出向いた来たというのに、やはり伸ばした指先が躊躇する。
病院へと向かう道すがら、そして着いてからの雪子の姿を思い出し、その無機質な瞳に自分のことを映してもくれないことが苦しくて、またそんな状態だったらと思うだけで足が鈍った。
だけど、会いたい。その気持ちもまた、偽りじゃない。
一度瞼を下ろして深呼吸してから、慎哉は拳を握り、それからまた開いて指を伸ばした。
インターフォンの付いていないチャイムを押すと、家の中でメロディが響き渡っているのが聞こえる。耳を澄ませていても物音がなく、気が引けるものの折角来たのだからと合鍵で開錠して引き戸をからからと開けて中に入った。
「お邪魔しまーす」
はっきりと大きな声で告げ、靴を揃えて上がったものの、さて雪子は何処だろうと見回した。平屋造りでかなりの開放空間なので、ところどころにある仕切りから顔を覗かせるだけで風呂やトイレは判別できた。
廊下を進みダイニングキッチンと隣の和室も引き戸が開放してあり、更に続きの座敷も無人。敢えて後回しにしていた玄関近くの閉ざされた扉に戻ると、コンコンとノックをした。
「ゆっこ。ここなのか? 入っていい?」
木の引き戸は拒絶を表し、中からは何も聞こえては来ない。
泣きたくなるような沈黙の後、いつの間にか項垂れていた顔を上げて、慎哉は「入るよ」と言うと同時にドアを開けた。
鍵もつっかえ棒もないので木の重みだけを伝えてすんなりと動き、薄暗い室内に足を踏み入れる。
雪子は、六畳の洋間にぽつんと置いてあるベッドに端座していた。
壁に掛かったエアコンと、埋め込みタイプの古い書棚のほかには家具もなく、小さな明かり取りの窓を背に入り口の方を向いて微動だにしない雪子を見て、まるでマネキン人形のようだと、慎哉は息を呑んだ。
感情のない瞳は、ただ虚ろに部屋の中にあるものを映している。今そこに写し取られている自分の姿を見ながら、慎哉は一歩一歩近付いて行った。
「ゆっきー……ゆっこ。雪子さん」
呼び名を全部試しても反応がなく、振動のないようにそっとベッドの縁に腰掛けてから、手に提げてきた紙袋の中身を取り出して目の前に広げてみせる。
「これ、前に美味しいって言ってた焼きドーナツな、フルーツ系がいいって言ってたから、全部買ってきたよ。いっぺんに食べたら太るって……そんな文句でもいいからさ……。
頼むから、無視しないで。俺のこと見て、なんか言ってくれよ……」
顔の腫れは少しは落ち着いたようだが、唇の端は切れた跡を残している。そっとその薄い唇に指を這わせると、入り口を向いたままだった顔がぎくしゃくと慎哉に向けられた。
「ゆっこ」
まだ痛むだろうかと気を遣いながらも、慎哉は腕を伸ばして雪子の体を抱き寄せた。されるがままにこてんと寄り掛かってくる柔らかな体は、確かに熱を宿している。
「生きててくれて良かった。ホント、それだけは何にでも感謝するよ、俺。神様なんて信じてないけど、ゆっこは凄く辛い目に遭ったけど、でも今ここにいる。
俺から取り上げないでくれてありがとうって、何度でも言う。
ねえ、ゆっこはもう俺のことなんて要らなくなっちゃった? 頼り甲斐なくて幻滅しちゃった?
ごめんね、肝心な時に傍にいなくて。
死ぬまで毎日謝るから、詰って怒って全部ぶつけてくれていいから。
お願いだから、俺を見て……名前呼んでくれよ」
耳元で懇願し、うっかり溢れそうになる涙を堪えて、鼻を啜った。
なんて情けない、と自分でも思う。
どうやったら心に届くのか、呼び戻せるのかも解らない。
ショックだったとしても、どうしてこんな風に閉じこもってしまったのかが解らない。
雪子のことだから、怒りで敢然と戦うのだと思っていた。例えその時はショックでも、泣いて取り乱したりしても、それは外に向けて発散されるのだと思っていた。
今まで周到に準備してきたのは、後に何かことが起こっても有利に戦えるようにとの保険だった。だから警察に本人も相談に行ったのだと思っていた。
「どうして……?」
切なく零れてしまった問いにも、応えは返らない。
暫く抱き締めたまま、慎哉は乱れそうになった呼吸を整えた。それからゆっくりと体を離し、一番好きだったオレンジピールの焼きドーナツを手に持たせてから他の物は袋にしまい直した。
「良かったら食べて。他のはダイニングテーブルに置いとくな。また来るから」
微動だにしない雪子を振り返りながら、慎哉は静かに部屋を出て、言った通りにテーブルに置いてから施錠して家を後にした。
声に反応して顔を向けてくれた。それだけが今日の収穫だった。それでいいじゃないかと、懸命に自分を宥めながら、慎哉は家の脇に停めている車に乗り込む。
平日だから、母親は働きに行って不在なのだろうか。玄関にも男物らしき靴などがなく、使い込まれた質素な家具の他に趣味のものらしき何かも見当たらなかった。
がらんどうのような家。それが、慎哉が抱いた雪子の実家に対するイメージだった。
病院へと向かう道すがら、そして着いてからの雪子の姿を思い出し、その無機質な瞳に自分のことを映してもくれないことが苦しくて、またそんな状態だったらと思うだけで足が鈍った。
だけど、会いたい。その気持ちもまた、偽りじゃない。
一度瞼を下ろして深呼吸してから、慎哉は拳を握り、それからまた開いて指を伸ばした。
インターフォンの付いていないチャイムを押すと、家の中でメロディが響き渡っているのが聞こえる。耳を澄ませていても物音がなく、気が引けるものの折角来たのだからと合鍵で開錠して引き戸をからからと開けて中に入った。
「お邪魔しまーす」
はっきりと大きな声で告げ、靴を揃えて上がったものの、さて雪子は何処だろうと見回した。平屋造りでかなりの開放空間なので、ところどころにある仕切りから顔を覗かせるだけで風呂やトイレは判別できた。
廊下を進みダイニングキッチンと隣の和室も引き戸が開放してあり、更に続きの座敷も無人。敢えて後回しにしていた玄関近くの閉ざされた扉に戻ると、コンコンとノックをした。
「ゆっこ。ここなのか? 入っていい?」
木の引き戸は拒絶を表し、中からは何も聞こえては来ない。
泣きたくなるような沈黙の後、いつの間にか項垂れていた顔を上げて、慎哉は「入るよ」と言うと同時にドアを開けた。
鍵もつっかえ棒もないので木の重みだけを伝えてすんなりと動き、薄暗い室内に足を踏み入れる。
雪子は、六畳の洋間にぽつんと置いてあるベッドに端座していた。
壁に掛かったエアコンと、埋め込みタイプの古い書棚のほかには家具もなく、小さな明かり取りの窓を背に入り口の方を向いて微動だにしない雪子を見て、まるでマネキン人形のようだと、慎哉は息を呑んだ。
感情のない瞳は、ただ虚ろに部屋の中にあるものを映している。今そこに写し取られている自分の姿を見ながら、慎哉は一歩一歩近付いて行った。
「ゆっきー……ゆっこ。雪子さん」
呼び名を全部試しても反応がなく、振動のないようにそっとベッドの縁に腰掛けてから、手に提げてきた紙袋の中身を取り出して目の前に広げてみせる。
「これ、前に美味しいって言ってた焼きドーナツな、フルーツ系がいいって言ってたから、全部買ってきたよ。いっぺんに食べたら太るって……そんな文句でもいいからさ……。
頼むから、無視しないで。俺のこと見て、なんか言ってくれよ……」
顔の腫れは少しは落ち着いたようだが、唇の端は切れた跡を残している。そっとその薄い唇に指を這わせると、入り口を向いたままだった顔がぎくしゃくと慎哉に向けられた。
「ゆっこ」
まだ痛むだろうかと気を遣いながらも、慎哉は腕を伸ばして雪子の体を抱き寄せた。されるがままにこてんと寄り掛かってくる柔らかな体は、確かに熱を宿している。
「生きててくれて良かった。ホント、それだけは何にでも感謝するよ、俺。神様なんて信じてないけど、ゆっこは凄く辛い目に遭ったけど、でも今ここにいる。
俺から取り上げないでくれてありがとうって、何度でも言う。
ねえ、ゆっこはもう俺のことなんて要らなくなっちゃった? 頼り甲斐なくて幻滅しちゃった?
ごめんね、肝心な時に傍にいなくて。
死ぬまで毎日謝るから、詰って怒って全部ぶつけてくれていいから。
お願いだから、俺を見て……名前呼んでくれよ」
耳元で懇願し、うっかり溢れそうになる涙を堪えて、鼻を啜った。
なんて情けない、と自分でも思う。
どうやったら心に届くのか、呼び戻せるのかも解らない。
ショックだったとしても、どうしてこんな風に閉じこもってしまったのかが解らない。
雪子のことだから、怒りで敢然と戦うのだと思っていた。例えその時はショックでも、泣いて取り乱したりしても、それは外に向けて発散されるのだと思っていた。
今まで周到に準備してきたのは、後に何かことが起こっても有利に戦えるようにとの保険だった。だから警察に本人も相談に行ったのだと思っていた。
「どうして……?」
切なく零れてしまった問いにも、応えは返らない。
暫く抱き締めたまま、慎哉は乱れそうになった呼吸を整えた。それからゆっくりと体を離し、一番好きだったオレンジピールの焼きドーナツを手に持たせてから他の物は袋にしまい直した。
「良かったら食べて。他のはダイニングテーブルに置いとくな。また来るから」
微動だにしない雪子を振り返りながら、慎哉は静かに部屋を出て、言った通りにテーブルに置いてから施錠して家を後にした。
声に反応して顔を向けてくれた。それだけが今日の収穫だった。それでいいじゃないかと、懸命に自分を宥めながら、慎哉は家の脇に停めている車に乗り込む。
平日だから、母親は働きに行って不在なのだろうか。玄関にも男物らしき靴などがなく、使い込まれた質素な家具の他に趣味のものらしき何かも見当たらなかった。
がらんどうのような家。それが、慎哉が抱いた雪子の実家に対するイメージだった。
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