君を聴かせて

亨珈

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特別な想いだけれど

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「じゃあ、本当に前となんにも変わってない? なんにも?」
 念を押すように問い直せば、雪子は何か思い出したかのように身を正して沙良に向き直った。
「そう言われたら、前より視線が合う回数が増えたかも」
 慎哉たちの居る警備は、他の小さめの店舗などのように、駐車場で誘導をしたりはしない。にこやかにしているように見えても、店内をゆっくり歩きながら、不審者は居ないか、設備に不具合はないか、不審な置き忘れがないかと常に気を張っている。
 以前は雪子共々、何処か取り繕った万人向けの挨拶込みの笑顔だったが、どうも最近はそれとは違う何かを感じるようになっている。
 通路で擦れ違うとき、眼差しが交錯する。瞬くように笑むその自然な表情に、以前とは確かに違う何かがあり、それに釣られて雪子も蕾が綻ぶような笑みを浮かべている。
 ただ、それは業務外に親しくするようになったから、と捉えられなくもない。
 沙良や誠也とは違い、今まで一緒に食事をしたことも、挨拶以上の会話をしたこともなかったのだから。
 これもまた判断に困るのか、相変わらず雪子は戸惑いながら考えているようだ。
「こんなこと言ったらアレなんだろうけどさー。どうせすぐバレるんだろうし知っとく方がいいと思うから言っとくね。あいつ確かに彼女は居ないけど、ちょっと前まで木村と二人でぶいぶいだよ。抱いた女の数なんて覚えてないんじゃないのってくらい。顔や名前も覚えてないかもしんない」
 あまりな言いように、雪子は絶句した。確かに二人ともタイプは違うけれど整った外見で、それなりに性格も良くて、しかも警備の制服なんて更に美男子っぷりを底上げするアイテムを装備しているものだから、下手なアイドルより見目が良い。二人共に公認のファンクラブがあるとすら聞いたことがある。
 だけどそこまでとは正直思ってもみなかった。
「ええと」と眉根を寄せると、あ、と沙良は背筋を伸ばした。
「勿論そんなの言い触らしているわけじゃないけどさ、何しろ毎日会うし、しかもあいつら私のこと男のツレと同じ感覚で話するっていうかさ、だからその」
 二人の間で、昨夜はあの後どうなったとか、そんな武勇伝めいたものを小耳に挟み続けて数年。沙良だから知っている情報とも言えるなと今更気づき、失敗したーと沙良は両手を合わせた。
「ごめん! 失言だった。今は二人とも一筋っていうか、もう全然遊んでないし。だからね、そういうとこ律儀なのは確かだから」
「そんなの、現在進行形で元彼引きずってる私には、何も言う資格なんてないよ」
 溜め息と共に苦笑する雪子に、沙良は顔を歪めた。
「引きずってんのは向こうだけじゃない。もう立派なストーカーだからねっ。出来るなら私が同居して守りたいくらいだよ」
 そうかな、と小首を傾げるうなじが色っぽい。名前の通りに色白で雪のように儚い繊細な美しさに、同性の沙良ですらたまに息を飲む。
 だからこそ、来るもの拒まず、いけるならいっとこうというスタンスの慎哉が雪子に何もしていないというのが信じられない。それこそが本気の証明なのではないかと推測しているのだ。
 慎哉を思い浮かべて、頑張れよーとエールを送る沙良の向かいで、雪子は昔惹かれていた男のことをふと思い出していた。
 前の職種で、勤めている先は異なるけれども、その頃はその人も含めて職場の人ばかり好きになっていた。
 誕生日に薔薇の花束をくれたひとつ年下の男性は、その数日後に別の女性とデートしているところに出くわした。例え自分が本命だったと別の男性に聞かされたとしても、もうその瞬間に体も意識も冷え冷えとしてしまっていた。
 数打ちゃ当たる方式なのか、早い者勝ちなのか。久しぶりにその男性を思いだして、そういえば慎哉と少し似ているかもと瞬きする。しかしそれは、慎哉と初対面の時にも思いつかなかった程度の些細なもので、後輩が自分にとってどうでも良い過去だからなのかと得心する。
 雪子だって、殆ど同時進行で好きな相手が別にいた。ただ、そちらとも思い切った一歩が踏み込めずに手を拱いているうちにやはり別の女性と付き合い始めており、告白した次の瞬間に失恋して会うことすら出来なくなった。
 ふたりきりで何度もデートしたのに、その時点で恋人が居たのだ。けれど、雪子の本気が伝わっていなかったから、友人のように付き合ってくれていたらしい。
 そう、二人続けて出遅れたから、それだからこそ、次こそはと急ぎすぎたのかもしれない。
 恋に、体に溺れた。
 相手は夜の世界で沢山の女性相手に巧くやってきているのだ。自分の都合の良い女に染めてしまうのも簡単だっただろう。
 気付いたときには共依存の関係。恋なんてとうの昔に冷めて、愛情すらなくなり、ただ縛られていた。
 何度も約束は破られ、開き直っては罵られたり叩かれたり蹴られたりした。そして翌日には土下座で謝られた。そのままベッドに押し倒されて、好きだと言うまで苛まれた。
 ようやく、ようやく別れられたと思ったのに――
 いつの間にか爪ごと指を噛みしめていたことに気付き、訝しげに見ている沙良に取り繕った。
「ごめん。ちょっとやなこと思い出してた」
 そう? と心配そうな沙良に、しっかりと頷き返す。
 こんなに親身になって、ずっと傍に居てくれる友人が居て、なんて幸せなんだろうと実感しているのだから、もう大丈夫。そう、自分に言い聞かせた。
「幸せな恋愛、してみたいよ。いつか」
 いつもいつも、男性との距離感が掴めずに失敗してきた。告げるのが遅すぎて出遅れ、今度は早まりすぎて人となりを見誤った。
 それは、雪子の家庭環境が遠因でもあるのだけれど。
 温くなった紅茶をこくりと飲む雪子を見つめながら、沙良はまた心中で慎哉にエールを送り続けたのだった。


 日曜日、人手がなくて雪子は昼から閉店までずっとシフトに入っていた。慎哉も日勤残業で同時刻に上がり、二人とも翌日休みだからドライヴに行こうという話になった。
 挨拶だけの関係よりも少し踏み込んでから一ヵ月ほど経っていて、その間ずっと慎哉の真意を測りかねていた雪子だったが、誘われると嬉しそうに乗った。
 どうして、という思いは消えていない。
 何かをするからあれしてこれして。そういう見返りを求められない。
 はたして慎哉は自分に対して何か特別な想いを抱いてくれているのか、それが判らないままに淡々と過ぎて行く日々。
 けれど、もう今の生活にとっぷりと肩まで浸かって寛いでしまっている自分は、慎哉が離れたらどうなってしまうのだろうと怖くもあった。
 つかず離れず続いていくもの。それはもうじき三十代に入ろうかという女に許されるものなのだろうか。まして、慎哉は女性から見てかなり魅力的な男性である。
 誠也のように憧れのお兄さんというイメージではないが、屈託なく笑い、愛想でしか返さなかった雪子の顔に、心からの笑みを浮かばせてくれる。
 沙良もそのような立ち位置だが、それならば慎哉も異性ということを抜きにすれば心の許せる友で良いのだろうか。
 確かに、まだグランドオープン前の研修時代に初めて慎哉に会ったときから、特別な気持ちは抱いていなかった。ただ、格好良いとは思ったし、これが二十歳の頃なら恋愛対象としてある程度気にしていただろう。
 仕事をしている様子を垣間見て、警備全員が好印象だったし、もしも元彼と出会う前なら恋をしていたかもしれない。それはかなり高い確率だったと自分で判断できるくらい、慎哉は素敵だと思う。
 ただ、その頃には元彼に恋をしていた。その後にどんな展開がくるかも知らず、新しい職場に馴染もうと懸命になっていたし、職場で色恋沙汰なんて考えられなかった。
 それゆえ、印象が似ていて似合いだと外野に言われる誠也に対しても、そんな感情は抱かなかった。祐次を介して接点のある誠也ですらそうなのだから、慎哉にどうこう思うはずもない。
 ただ、それはもう過去のことで。今の雪子の気持ちは全く違っている。
 微笑を返すのが自然になって、さり気なく身をかわしてそれぞれの職務に戻るその一瞬に、きゅっと胸の奥が苦しくなるのは何故か。沙良と話していても確証は得られなかったが、それでも自分が慎哉のことを特別に想っているのは確かで……。
 けれど、慎哉は? それは本人にしか解らないことだけれど、態度から判断しかねている。あからさまに、色めいたことを感じさせる態度ではない。
 ただ、柔らかくて、包み込まれたいと思うような優しいオーラを纏っている。
 考えても判らなくて、そういう時にどうすれば良いのかも、本当は理解していた。
 だが、そこに踏み込み、そうして失敗した場合。今、この時期に慎哉という存在そのものを失うことだけは避けたかった。
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