君を聴かせて

亨珈

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下心

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 そうしていざ帰宅時だけの同行を始めてみると、一日おき位に男の痕跡を認めた。
 それは部屋の前に残された吸殻だったり、アパートの近くに停められたままの車だったりということもあれば、堂々と姿を晒して待っていることもあった。
「あいつ、ホントに働いてんの」
 ついに呆れた様子で誠也が言い、雪子は「その筈ですけど」と困惑している。
 訊けば、男の家は小さな建設会社を営んでいるらしく、付き合っていた頃には現場を覗きに行ったりもしたそうだ。
 だが不況で発注も減り、大手でも倒産するこのご時世。ついに大工を雇うことも出来なくなり父親と二人で仕事を続けたものの、やはりそれでは足らなくて、男は夜の仕事を始めたらしい。
 雪子が出会ったのは、男が仕事で入っているときのそのボーイズ・バーでだった。
 雪子が一目惚れして、それが向こうも満更ではなかったらしく、すぐに日中もデートをしたり夜を過ごしたりの深い仲になった。
 けれどもそこは水商売、男が他の女性客と仲良くしたりするのも止める手立てがなく、雪子は心の奥ではじりじりと嫉妬の炎に焼かれながらも、それを男には見せることなく〈物分りの良い女〉を演じてきた。
 男にとっては心の安らぐ場所であっただろう。けれど、その態度に不審を感じ、試すようなことを言った。それでも、雪子が自分から離れることはないと高を括っていたし、少しは甘えた顔を見せて縋って欲しかったのだろう。
 だが、最後まで雪子は甘えを見せなかった。
 わざときついことを言い、雪子の自尊心を砕くようにした。
 それでも駄目だったから、一度距離を取った。だが、雪子は思う通りに動かない。あろうことか拒絶まで示す。
 この辺りは慎哉たちの憶測でしかないが、そんな心の動きだったのではないかと思った。
 今も、三人の目には男が雪子に対して愛情を持っているとはとても見えないのだ。
 ただ、自身のプライドを保つために、執着している。
 思うように従わせて組み伏せたい。隷属させたい。そんな色しか見えない。
 それだけに、身の危険を感じていたのだ。
 男の行動が顕著になり、沙良はアパートの隣人や近所の人にも、もしもの時には証言して欲しいと護衛である自分たちのことも示して頼んで回った。
 自分こそが雪子の恋人であると主張され、慎哉と誠也が誤解を受けないようにさせるためでもある。そして、毎日違う男を連れているという変な疑いから守るためでもあった。
 幸いといって良いのか、ストーカー問題は連日のように紙面やテレビを賑わせている為、皆理解してくれた。
 長く続くようなら引っ越すことも視野に入れねばならない。顔見知りでもあるから、ショッピング・モールの側の派出所にも相談に行き、出来る限りのことで周囲を固めた。
 そんな日々の中で、慎哉と雪子は、少しずつ距離を縮めて行った。


 沙良が当番の日に、雪子の部屋で紅茶を飲みながら少し話した日のことだ。
「ねえ、ゆっこは小野のことどう思ってるの」
 頬杖を突いてテーブルからすくい上げるように上目に見上げられて、雪子は噴きそうになった。
「どうって」
 あたふたとカップを木目のあるテーブルに置き、ええとと指先を自分で握る。少し前までは名字で呼び合っていたのに、名前で呼んでくれるようになったのは慎哉の影響だ。勿論良い方の変化であり、雪子ははにかむように唇を噛む。
 勤務時間には全てアップにしている髪を下ろしている沙良は、いつもきりりと雄々しいくらいに頼もしい整った顔を崩してにやにやと見つめている。ああ、逃げられないなと思った。
「嫌いじゃないよ」
「そんなんじゃ納得しなーい。私、職場でのゆっこと後は飲みに行ったときのことくらいしか知らないけどさ。ぶっちゃけ惚れてんじゃないの。隠さなくても、あいつ確かにちょっとぼんやりしてるけどいい奴だよ」
 人差し指を立てて左右に動かしながら、褒めているのやらけなしているのやら。
「そりゃあ木村や市村さんみたいな真面目タイプ好きなら戸惑うかもしれないけどね」
 ふう、と沙良は一息付いてまた紅茶を含んだ。
 雪子の上司である祐次は、過労で倒れてしまうくらいにお人好しで真面目ばかりが取り柄の、雪子ですらかばいたくなるくらいにひょろりと線の細い男性だ。
 仕事は仕事と割り切っている誠也にしても勤務中の態度は真摯で、モニターの前では居眠りもするという慎哉とは全く性格が違う。
 沙良も含め全員が雪子より年下になるのだが、雪子は四人とも信頼している。
 自覚しているのは、祐次のことは恋愛感情ではなく殆どは母性のような部分で情を持っていること。そして誠也に対しては、同族意識にも近いものがあること。祐次の力になりたい、ふたりともそう願っているから、同志と呼んでも良いだろう。
 しかし、慎哉に対してはどうだろう。
「判らないの……甘えていいのか、進んでいいのか。彼が私の傍にいてくれるのはどうしてなのか判らなくて」
 色が変わるくらいにぎゅうっと爪の先を押さえて俯くと、沙良はかくんと顎を落とした。
「あいつ、まだなーんも手ぇ出してないの?」
 部屋にも入ったことがないと言うと、呆れたと言いながらも沙良の口は笑っていた。
 誠也ですら、最初の時に盗聴機の有無を調べる機械を持参して部屋の中を彷徨いたことがある。それはなんとも感じなかったし、座って話しもしたけれど、誠也からはこれっぽっちもそれらしい感じを受けないままだったから警戒もしなかった。
 最初の日、海から帰ってきたときのことを思い出す。
 そういうタイミングだったと思うのに、玄関ドアから一歩すら踏み込まなかった。だからそういう対象にはされてないんだろうと思ったのだ。それまでも職場で挨拶程度しかしなかったから、寧ろ元彼からかばってわざわざ待っていてくれたことの方に驚いた。
「下心、あるのかなあ」
 或いは、自分に魅力がないだけなのでは。唇に指を当てて唸る雪子の表情の変化に沙良は見入っている。
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