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雪子だから
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空き缶を屑入れに入れると、イグニッションキーを回して暫くアイドリングをしてから発車する。街に近付くとようやく雪子が道を指示したので、言われた通りにアパートを目指す。
「慎哉くんって運転が巧いのね」
感心したように言うから、少し嬉しくなって、でも素っ気無く「そう?」と返した。
巧いって言うか、綺麗、丁寧。そう言いながら、指の長い白い手を合わせて前方を見ている。
「車線変更とかすうっとしてるし、あんまり揺れないし。ペダル操作が丁寧だからかな。乗り心地いいね」
「ならさ、またいつでも乗りなよ」
「えー、でも彼女に悪いよ。いるんでしょ」
そうくるか、と慎哉は納得した。
今夜、これだけ近くに居て触れないことをそういう方向に受け取ったのだ。
「いないよ、俺結構長いことフリーだよ。いつでも彼女募集中~」
「え、ホントに」
「マジです。こう見えて身持ち固いからね」
表情を引き締めてちらりと横目で見ると、雪子もしげしげと顔を見ていた。
そっか、そうなんだ。独り言のように呟いて、何だか腑に落ちたのかコクコクと頷いている。
今度は良い方に取ってくれたようだと、慎哉は安堵した。
実際は、少し前まで誠也と五十歩百歩で手軽な恋愛ごっこを楽しんでいた。何しろ二人揃って毛色は違えど誰が見てもイケメンの容姿をしているから、女性には不自由した事がないのだ。ただ、一度とか数回遊ぶだけの女性は〈彼女〉と認識していないのだから仕方ない。
一夜限りの恋。雪子をその対象にはしたくないというのが正直な気持ちだった。
「明日は何時から? 送って行こうか。自転車もないし、歩きだと大変でしょ」
え、と動きを止めたから、休みだからいいよと付け足した。
「ええと、いつもと同じ、十六時からだから……歩いても三十分くらいだし大丈夫だよ」
戸惑いながら、でも申し訳ないからと遠慮しているのは態度で丸判りだ。けして慎哉自身を嫌っているのではないということは見て取れる。
「いいの、俺運転すんの趣味だから、ついでにちょっとだけでも隣に座っててくれるなら寂しくないし」
「趣味」
「そ。誠也だって多分同じこと言うよ。俺と同じ場面に出会ってたら。気になってとても一人で帰宅なんてさせらんない。だから俺の心の平穏のために隣に座ってくれる?」
少しだけ口角を上げて、でも眼差しはガラスの向こうに向けている。
雪子は今度は絶句して慎哉を見詰めていた。
「こっちで合ってる?」
ナビを忘れている雪子に問い掛けると、慌てて座り直して周囲を確認した。
「あ、うん、こっちで合ってる。そこのカーブミラーのトコに細い道があるの。だから手前で下ろして」
指で示される場所を「却下」と切り捨てる。
「あそこ入ればいいの? 通れるよ」
え、でも。慌てる雪子を無視して、車体を左に振って角度を取ってから右折した。確かに両脇が民家の壁で圧迫感はあるけれど、車幅ギリギリで通れるのは目測で判ったから躊躇なく突っ込んだ。カーブミラーにも何も映っていないし、通行人がいるような時間でもない。
隣の雪子は胸元を握り締めて「凄い」と呟いた。
「あ、そこのアパートなの。本当にありがとう」
手前の昇降口だと言われて、そこに横付けする。暫くなら誰の邪魔にもならないだろう。
念の為に慎哉も車から降りて周辺を警戒した。待ち伏せはされて居なさそうだとみて、雪子を促して玄関に入るまで見守る。
ドアを閉める前に、戸惑いながら見上げられた。
「慎哉くん」
「迎えに来るよ、明日。おやすみ」
どうして戸惑っているのか、なんとなく伝わってきた。して欲しいという明らかな願望ではなく、ただ戸惑いが伝わってくる。こういう時にどうすれば落とせるのかも判っていた。けれど。
今はまだ、早い。
微笑んだまま見守る慎哉を見詰めて視線が揺らぎ、それからようやく雪子は「おやすみなさい」と言ってドアを閉めた。
シリンダーが二つ回りチェーンを掛ける音も確認してから、車に乗り込む。
明かりの点いた部屋の中から、ガラス越しに雪子が手を振っているのが見え、室内灯を点けて振り返してからスイッチをオフにして静かにその場を後にした。
相手が雪子でなければ、キスをしてそのまま部屋に入るところだったな、と苦笑しながら。
代わりに、もう暫く雪子のことを想いながら部屋で飲んで、それから眠ってみよう。
きっといい夢が見られるだろうから。
基本的に、親しいメンバーの誰かと休日が被ることはない。ニ交代を九人で回しているから、毎日必ず誰かが休んでいることになる。
翌日、昼前に起きた慎哉は、以前請け負った通り誠也と沙良に同じ文面のメールを送り、当分の間誰かがアパートまで同行した方が良いと提案した。
すぐさま鼻息を感じるくらいの文面で沙良から返信があり、祐次にもシフトを調整してもらうと誠也から連絡が来た。
日祝の朝や昼から出勤する時には、日勤なら少し待ってもらって夕方一緒に帰れば良い。
大抵の平日も、同じく日勤なら残業すれば時間を合わせることが出来る。
問題は夜勤の時だ。
当然、雪子が帰宅する時間には職場に居なければならない。基本的に沙良は夜勤に入らないから、その日には必ず残業してもらわねばならないことになるし、雪子が夜間シフトに入ればそれすらも難しい。沙良本人は帰宅してから来ると言っているが、いくらなんでも深夜に女性二人はどうなのだろうと思わないでもない。
でも結局はそれしか手段がなく、仮決定ということで三人で段取りを組んだ。
もしも男を見掛けたら、後日の為に写真とメモで記録を残すことにして最悪の事態に備えることにした。
「慎哉くんって運転が巧いのね」
感心したように言うから、少し嬉しくなって、でも素っ気無く「そう?」と返した。
巧いって言うか、綺麗、丁寧。そう言いながら、指の長い白い手を合わせて前方を見ている。
「車線変更とかすうっとしてるし、あんまり揺れないし。ペダル操作が丁寧だからかな。乗り心地いいね」
「ならさ、またいつでも乗りなよ」
「えー、でも彼女に悪いよ。いるんでしょ」
そうくるか、と慎哉は納得した。
今夜、これだけ近くに居て触れないことをそういう方向に受け取ったのだ。
「いないよ、俺結構長いことフリーだよ。いつでも彼女募集中~」
「え、ホントに」
「マジです。こう見えて身持ち固いからね」
表情を引き締めてちらりと横目で見ると、雪子もしげしげと顔を見ていた。
そっか、そうなんだ。独り言のように呟いて、何だか腑に落ちたのかコクコクと頷いている。
今度は良い方に取ってくれたようだと、慎哉は安堵した。
実際は、少し前まで誠也と五十歩百歩で手軽な恋愛ごっこを楽しんでいた。何しろ二人揃って毛色は違えど誰が見てもイケメンの容姿をしているから、女性には不自由した事がないのだ。ただ、一度とか数回遊ぶだけの女性は〈彼女〉と認識していないのだから仕方ない。
一夜限りの恋。雪子をその対象にはしたくないというのが正直な気持ちだった。
「明日は何時から? 送って行こうか。自転車もないし、歩きだと大変でしょ」
え、と動きを止めたから、休みだからいいよと付け足した。
「ええと、いつもと同じ、十六時からだから……歩いても三十分くらいだし大丈夫だよ」
戸惑いながら、でも申し訳ないからと遠慮しているのは態度で丸判りだ。けして慎哉自身を嫌っているのではないということは見て取れる。
「いいの、俺運転すんの趣味だから、ついでにちょっとだけでも隣に座っててくれるなら寂しくないし」
「趣味」
「そ。誠也だって多分同じこと言うよ。俺と同じ場面に出会ってたら。気になってとても一人で帰宅なんてさせらんない。だから俺の心の平穏のために隣に座ってくれる?」
少しだけ口角を上げて、でも眼差しはガラスの向こうに向けている。
雪子は今度は絶句して慎哉を見詰めていた。
「こっちで合ってる?」
ナビを忘れている雪子に問い掛けると、慌てて座り直して周囲を確認した。
「あ、うん、こっちで合ってる。そこのカーブミラーのトコに細い道があるの。だから手前で下ろして」
指で示される場所を「却下」と切り捨てる。
「あそこ入ればいいの? 通れるよ」
え、でも。慌てる雪子を無視して、車体を左に振って角度を取ってから右折した。確かに両脇が民家の壁で圧迫感はあるけれど、車幅ギリギリで通れるのは目測で判ったから躊躇なく突っ込んだ。カーブミラーにも何も映っていないし、通行人がいるような時間でもない。
隣の雪子は胸元を握り締めて「凄い」と呟いた。
「あ、そこのアパートなの。本当にありがとう」
手前の昇降口だと言われて、そこに横付けする。暫くなら誰の邪魔にもならないだろう。
念の為に慎哉も車から降りて周辺を警戒した。待ち伏せはされて居なさそうだとみて、雪子を促して玄関に入るまで見守る。
ドアを閉める前に、戸惑いながら見上げられた。
「慎哉くん」
「迎えに来るよ、明日。おやすみ」
どうして戸惑っているのか、なんとなく伝わってきた。して欲しいという明らかな願望ではなく、ただ戸惑いが伝わってくる。こういう時にどうすれば落とせるのかも判っていた。けれど。
今はまだ、早い。
微笑んだまま見守る慎哉を見詰めて視線が揺らぎ、それからようやく雪子は「おやすみなさい」と言ってドアを閉めた。
シリンダーが二つ回りチェーンを掛ける音も確認してから、車に乗り込む。
明かりの点いた部屋の中から、ガラス越しに雪子が手を振っているのが見え、室内灯を点けて振り返してからスイッチをオフにして静かにその場を後にした。
相手が雪子でなければ、キスをしてそのまま部屋に入るところだったな、と苦笑しながら。
代わりに、もう暫く雪子のことを想いながら部屋で飲んで、それから眠ってみよう。
きっといい夢が見られるだろうから。
基本的に、親しいメンバーの誰かと休日が被ることはない。ニ交代を九人で回しているから、毎日必ず誰かが休んでいることになる。
翌日、昼前に起きた慎哉は、以前請け負った通り誠也と沙良に同じ文面のメールを送り、当分の間誰かがアパートまで同行した方が良いと提案した。
すぐさま鼻息を感じるくらいの文面で沙良から返信があり、祐次にもシフトを調整してもらうと誠也から連絡が来た。
日祝の朝や昼から出勤する時には、日勤なら少し待ってもらって夕方一緒に帰れば良い。
大抵の平日も、同じく日勤なら残業すれば時間を合わせることが出来る。
問題は夜勤の時だ。
当然、雪子が帰宅する時間には職場に居なければならない。基本的に沙良は夜勤に入らないから、その日には必ず残業してもらわねばならないことになるし、雪子が夜間シフトに入ればそれすらも難しい。沙良本人は帰宅してから来ると言っているが、いくらなんでも深夜に女性二人はどうなのだろうと思わないでもない。
でも結局はそれしか手段がなく、仮決定ということで三人で段取りを組んだ。
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