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亨珈

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新しい現場、新しい仲間たち 2

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 終始申し訳なさそうにしていた市村と倉庫に戻ってくると、手にノートと鉛筆を持った女性が目を見開いて出迎えてくれた。
 お疲れさまですと条件反射で俺たちに会釈するその人に、同じ挨拶で返す。備品の在庫管理をしていたのか、こちらを気にしながらも棚の物品に手を伸ばしていて、すでにトラックヤードで洗車済みのルークを充電位置に戻しながら目の端で窺っていると、台車をしまってきた市村が「小野さん」と声を掛けた。
「こちらは、もうじき山根と交代で来てくれる安原くんだよ」
 くるりと体ごと振り向いた小野さんは、目を見開いた。
「そうなんですか」
「多分週明けからになると思うんだけど……」
 本社から正式には辞令が降りていない。言葉を濁す市村の斜め後ろから、はい、と手を挙げる。
「シフト埋まっていないなら、日曜からでも入りますよ。裏方手伝います」
「え、でもあの、こっち来る前に出来るだけ有休消化しといた方が」
 あたふたしている市村は、見た目通りに優しいというか人が善い。その言葉にうんうんと頷いている小野さんも、自分が楽になるより正社員を気遣うタイプのようだ。いいコンビだけど、先が思いやられる。
「あのね、こんなこと自分で言うのも変だけど」
 意図してにっこりと笑顔を作る。ふたりは口を閉じて俺を注視した。
「俺独身だしデートする相手もいないし、今のところ仕事してるのが一番楽しいっていうか、やりがい感じてるから、むしろ来させて欲しいんだ。用事があるときはそっち優先するから。無理してないからね」
「そ、そう……なんだ」
 こてんと首を傾げている市村と、ちょっと眉根を寄せている小野さん。頭の中にシフト表が浮かんでいるのかも。
「山根は彼女とデートさせてあげるとして、俺暇だからいいよ。引っ越しも殆ど業者任せだしね」
 人手が足りてるならいいけど。付け足しの言葉に、二人は「あー」と唸る。やっぱり足りていないらしい。
 山根は悪くないというかまあ普通にいいやつだと思うけど、当たり前のように仕事よりプライベートを優先する。それは本人からも聞いていたし、過去のシフトを見ても、余程じゃなければ残業などはしていない。あまりにも酷くなりそうなら大田にちゃんと割り振っているから、そこらは俺も見習いたいと思う。
 けど、今告げたのは、偽らざる本音でもある。
 豪のことを吹っ切りたくて、意識して仕事に没頭していた時期もある。それでも心の中から消えてくれない面影を、もうそのままでいいかと逆の意味で諦めて。
 ただ、近くにいたり頻繁に会っていたりすると期待してしまうから、距離を取りたかった。今度こそ、決定的に離れていられるから、別に仕事ばかり入れなくてもいい。だけど他にやることがないのも確かだから、無理はしないつもりだけど、少しいい顔をしておこう、そんな感じ。
 いい人を気取りたい訳じゃない。
 半分くらいは、週末にあっちに居るのが怖いからだ。
 もう一言言い足そうかと口を開き掛けたとき、ノックの音と共にドアが開いて、作業着姿の山根が入ってきた。
「はよーす。あれ、安原。まさかもう来たの」
「お疲れさまです。一応事前に見て回ろうと思って」
「へぇ~物好き~。辞令降りてからでいいのにな」
 真っ直ぐの前髪を掻き上げて、同じように挨拶をする市村と小野さんに向かい、引き継ぎはあるかと確認している。
 三人の会話が落ち着くのを待って、山根を捕まえた。物珍しそうに見上げてくる大きな目を真っ直ぐに見て、週末に泊まってもいいかと尋ねる。社員用の部屋だから、前もって住所は確認してある。何時間も掛けて家に帰るより、手荷物だけ先にこっちに置かせてもらってもいいかと思ったんだ。
「え。なんでわざわざ休日から来るんだよ。お前ほんっと変な奴」
「駄目? 彼女が来たりする?」
「いやもう帰るんだからこないけどさ。あー、じゃあ先に寝てくれてていいよ。夜間済んだら帰って寝るから。あ、客用布団なんてねえよ」
「持ってくるから大丈夫」
 ベッドは後にして布団一式は車に積んできたらいい。
 おかしなやつとは思ったようだけど、別に迷惑な訳じゃなさそうで安心する。
 やり取りを見ていた他の二人が何か言いたそうにしているのには気付かない振りをして、「じゃあ」と俺は山根と入れ替わりに退出するべくドアへと足を向けた。
「また来ますね。お先に」
 会釈してドアノブを引いたとき、「あのっ」と市村の声が追いかけてきた。それから乾いた驚きの声が届いて、反射的に振り返りざま腕を伸ばしていた。
 床に膝を打つすれすれで、市村の体を抱き止める。中腰くらいに膝クッションしてしまったけど、殆ど腕だけで支えられるくらいに軽かった。
「大丈夫ですか、市村さん」
 息を飲んだ小野さんの声がして、それでようやく事態を認識したのか、市村の手が俺の腕を掴む。
「……あ、す、すみません」
「何処も痛くないです? 一応間に合ったと思うんだけど」
「あ、うん。何処も痛くないから、あの」
 俯いたままの声が震えていて、腕を掴む手に力が入るのを確認してから、少しずつ俺は立ち上がる。
「具合悪いなら、送っていこうか」
 一応言ってみると、どうにか自力で体を支えるに至った市村は、きょとんと俺を見上げた。
「あれ? もしかして安原、」
 市村の背後から山根が声を発したとき、俺の後ろのドアが叩かれた。
「何かありましたか?」
 半分開いたままのドアから倉庫内を覗き込んでいるのは、警備の制服。入ってくるときにモニターをチェックしていた、確か木村と紹介されたっけ。
 どんどん別の現場へと異動していく俺は、人の顔と名前を憶えるのは割と得意だ。営業職じゃないけど、これも職業病の一つかもしれない。
 木村の端正な顔は、少し不安そうに見える。そんなに大騒ぎをしていたつもりじゃないけど、廊下にまで筒抜けだったんだろうか。
「あの、ちょっとつまづきそうになって……でも安原くんが支えてくれたから、大丈夫だった」
 市村がおどおどと説明して、まだ俺の腕を握ったままの手と、それから市村の顔、そして俺の顔へと木村の視線が移動する。
 別に喧嘩していた訳でもないし、こんなんで咎められたら洒落にならない。
 市村が手を離すのを待ってから、木村はそっと吐息した。
「それなら良かった。じゃあ、祐次、着替えてくるから帰ろう」
「わかった」
 声音が優しげになり、こくんと頷く市村は少し恥ずかしそうだ。
 約束でもあるのか、意外な組み合わせに内心驚きつつも、それはそれで安心する。
「じゃあ俺もこれで」
 体を引っ込めた木村に続いて廊下に出るとき、さりげなく床を確認した。
 つまづきそうなものは、特に見あたらなかった。
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