Let me in

亨珈

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俺だけを必要としないなら

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 体を反転させて速やかに狙ったのに、つい、と豪は鮮やかにかわす。俺の唇はこんな最後の日でも受け入れてもらえない。こみ上げてくる何かを飲み込みながら、耳の後ろに噛みつく。
「やっ、痕、つけんなっ」
 体が跳ねて頭を強く振っての拒否、拒絶。ああ、本当に、こいつが必要としているのはアレだけなんだな――
 駄目押しのように、自分を納得させるために、豪の嫌がることを次々に試していく。
 フェラすらも、涙を滲ませてでも拒まれる。自分は俺にするくせに。簡単に他の男のものだって咥えてるんだろ? なのになんで俺にはさせてくれない。俺は、他の男のなんてしたくない。豪のだから舐めたいのに、可愛がりたいのに、もっと鳴かせたいのに。
 全裸の豪を布団の上で転がす。服を着たまま乱暴にあれこれ試す俺を、それでも豪は拒まない。その先にあるものだけを欲している。挿入が与える快感を、快楽を。
 一本ずつ指を増やしながら、うつ伏せの豪の後ろを暴く。わざと前立腺だけ責め続けると、精一杯腰だけを上げた豪の引き締まった尻が揺れて、早く早くと強請っている。それを無視して腕を回して竿を掴むと、ローションの助けを借りてしごいた。
「っや、っあ」
 挿入前に自分がイくことを、豪は嫌がる。だからわざと延々と指だけでいたぶり、前からの、雄の快感を与え続ける。
 豪は何度もイった。普段は女とヤってるからそんなに出ないだろうとは思っていたけど、それでも何も出なくなるまで、体重を掛けて押さえ込んで無理矢理イかせた。
「りゅ、まぁ……ど、して」
 今までは、仰せのままにと豪の希望に添うようにしてきた。だけど今日だけは、俺の決心のために好きにさせてもらう。本当はもっと、体中に口付けしてどろどろに甘く溶かせたい。それが叶わないなら。
 お前が、俺だけを必要としないなら。
 正常位にさせたときには、もう豪の体には力が入っていなかった。ただ甘やかに、しどけなく息を吐きながら、抱え上げられる自分の太股と、俺の顔をぼんやり見つめている。
「くれてやるよ、淫乱なお前に、俺からの最後の餞別だ」
 くるりと縁を先端で撫でてから、ぐうっと一息に腰を進めた。
「な、に……? え、なんで……りゅう……ッ」
 初めてまともに口にした俺の言葉に、豪が目と口を大きく開けた。けれど言葉を出すより前に、性急に腰を使い始めた俺に翻弄されて、掠れた喘ぎしか紡ぎ出さなくなる。
 関係ない他人を映したときと同じ目で見られて、その時の俺の傷なんて思いつきもしないんだろう。それだけどうでもいい存在に成り下がった俺は、もう親友じゃない。
 学生の頃は、苦しみさえも愛おしかった。傍に居られるのがご褒美で、それは俺が特別だからって信じていられた。
 もう、信じさせてもくれないんだな、お前は。
 だったらそれでいい。今、ようやく気持ちが固まったから。
 もうひとつの弱い箇所である最奥に切っ先と精液を叩きつけて、刺激で空イキしたあとも、入れたまま何度も前立腺を往復して、何も出ないのに芯が入る竿を掻いて、ぐしゃぐしゃになるまで泣かせた。
 そうして、俺自身も何度も中に放ち、朝日が室内を照らし始める頃、ようやく豪を解放した。


 完徹といっても、俺の場合は午後まで眠っていたから、そんなに辛くはない。だけど、いつも通りちょっとセックスして帰って寝てから出勤っていう頭だったなら、最悪だろうな。豪の場合、少しくらいは痛い目見た方がいい。
 しくしく痛む胸を精一杯の開き直りでねじ伏せて、体だけは清拭してやってから、ベッドに放置して家を出た。
 遅刻したってしるもんか。自業自得なんだよ――
 悪ぶってみても、後ろ髪を引かれるのはどうしようもない。だけど。
 会社の駐車場に入れて、従業員入り口でICカードをリーダーに通して中に入る。家の鍵と一緒にしてある車の鍵をぐっと握り込んでから、スラックスのポケットに落とし込んだ。
 本社では夜勤はないけれど、近場の中小企業や賃貸住宅、そして引き渡し前の一戸建てなど、単発の仕事に夜間や早朝に出向くことも多いため、大抵誰かしら人が居る。そんな連中に挨拶をしながら上の階に上がる。
 腕まくりしながら男性トイレに入っていくと、いつも通り社長が便器を磨いていた。
「おはようございます」
「おはよう、安原くん」
 仕事ではボールたわしを使うけれど、本社だけは社長の方針に則り、柄の付いていないアクリルたわしで、ひとつひとつ丁寧に便器を磨いていく。当番なんてない。ただ、毎朝こうやって社長がしているから、時間的に可能な社員は自然と自分から手を着けている。
 最初こそ、上司がやっているのに下っ端の自分がやらないなんてっていう義務感からだった。だけど今は違う。
 中性の洗剤をちょっとだけ付けて、屈みこんで白い便器と向き合う。入社の時の社長の言葉「便器磨きは心を磨く」その通り、陶器の汚れを擦り落としていくことに無心になっていると、なぜだか自分の黒い部分も剥がれ落ちていく幻想に陥るんだ。
 ひとり、またひとりと社員が増えて、その度に挨拶が交わされて。少なくはない社員のひとりひとりの顔を覚えていてくれていて、本社で社長と会う度に、言葉はさほどなくても、ああこのひとにずっとついていこう、この会社に入って良かったって思えるんだ。
 現場のひとつひとつには、残念ながら社長の意志が伝わっていない。社長が理想としている、子育て中の母親が負担なく働ける現場は、実現していないところも多い。今度俺が行くことになる現場なんて、その最たるものだろう。
 少しでも、誰かの力になれるのなら。末端の歯車の一つでいいから、欠けたら機能しなくなるから、俺に居て欲しいって、居てくれて良かったって誰かに思って欲しいから。
 しんとしたトイレに、アクリル繊維と陶器の擦れる音と静かな息づかいだけが空気を動かしている。柔らかな曲線を描き、静謐な音楽を紡いで朝の気だるい脳を研いでいく。
 短く圧縮された集中力が途切れる前に、ぱんと社長の手のひらが鳴る。一日の始まりの合図。
「ごくろうさん。今日も張り切って綺麗にしよう」
「はい、お疲れさまです」
 皆の声が唱和する。豪のことすら忘れられる、愛しい朝のひとときが終わる。
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