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浮気か本気かはっきりさせて
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わなわなと、手が震えて、壁に縋っていた背がずるずると滑り落ちる。それを腰に力を入れ直して踏ん張ると、兎に角確認しなくちゃってそっと角から裏手が見えるくらいに顔を覗かせた。
また固まっている俺の後ろから、トーテムポールみたいにひょこひょこと二人が上に顔を出し──その時いつの間にやら山下も居たんだけど俺は勿論それどころじゃなかった。
声だけでも十分に確信していたけど、今、十メートルほど向こうで赤堀を抱き寄せて屈んでいるのは、間違いなく智洋だった。
首に回された腕で顔が隠れていても、絶対に見間違えたりなんかしない。
目を閉じて集中していたと思った赤堀が瞼を上げて、ちらりとこっちを見た。その目が、舌を差し出して大きく開いている口の端が、笑っている。
それを目にした途端、俺の中で何かがプチンと音を立てた。
「智洋っ!」
怒鳴るほどではなく、それでも静まり返ったこの場で強く吐き出された声は、赤堀以外を驚かせるには十分だった。
それこそ飛び上がるくらい肩をびくつかせて体を離した智洋が、目を大きく見開いて俺を凝視する。
少し開いたままの唇から糸のように垂れたものが卑猥で、赤堀の舌がそれを掬うように舐め取るのが見えた。
眩暈がする。なんでこんなことになってんの。
俺は、熱くなる瞼の奥を根性で留めて、一歩踏み出した。
泣くもんか! 泣いて縋るなんてみっともねえだろ。
「浮気なの? それとも本気?」
深呼吸して、なるべく平静な声を出したつもりだった。智洋は、竦んで動けないように呆然と突っ立っている。
「なんでここに……」
「本気なの? それとも只の二股?」
また一歩、近付く。足の下で、乾いた砂がジャリッと音を立てた。
「や、これは、その」
「やだなあ、劇の練習に付き合ってもらってただけだよ? いいもの観れただろ」
どもる智洋の声に被せるように赤堀が軽い調子で言って、くすくすと笑っている。
「劇? 演劇部の練習に智洋が付き合うなんて意味わかんねえし。劇でそんなディープなやつ要らないだろ」
「雰囲気作りだよ~。硬いなあ、もう」
「赤堀はもう黙ってて。智洋? どうなの」
「あー……そう、劇……の練習、な」
智洋らしくない。そんな焦ってこの場だけ誤魔化そうとする台詞なんて聞きたくない。
「智洋、聴いて」
じっと見つめたまま真剣な口調の俺に、うろたえるだけだった智洋がようやく顔を引き締めて目を合わせてきた。
拳を握って、これだけは絶対に譲れないと、瞳で訴える。
「隠し事なら、いいよ。なんでも全部言ってくれなきゃ嫌だなんて言わない。だけど、嘘は許せない。そんな判り易い嘘付くくらいなら、最初から本当のこと言ってよ。俺がそれで傷付くとしても」
息を呑んだ智洋が、口を噤んだ。
沈黙が場を包み込み、言われた通り口出しをやめた赤堀は面白そうに俺と智洋を見比べていて、興奮が去って徐々に呼吸が落ち着いてきた俺の隣に、周と辰が並んだ。
辰が、指の関節をポキポキと鳴らす。
「ヒロ~? 浩司さんの代わりに俺が殴ってもいい?」
「よしてよ、辰。──俺じゃあ物足りないってことなんだろ」
そっとその拳に手を重ねると、「ちがっ……」と智洋が言いかけてはまた口を噤んだ。
ふうんと、赤堀が鼻を鳴らす。
「もしかして結構公認なんだ? へえ~……まあいいけど。周、邪魔しないでよ」
「しねえよ。別れるんなら俺にもまたチャンスがあるわけだしな」
ふんと鼻を鳴らす周の頭を、「あほか」と言いながらぺチンと辰が叩く。
これ以上ここにいても話が進みそうにないから、俺は踵を返した。
「辰、周、ありがと。部活行って来る」
憤然とした足取りで、角に佇んでいる山下の腕を掴んで強引に部室棟の方へと足を向ける。
「解った~、また後でなー」
追い掛けて来る声にちょっとだけ振り向いて笑い掛けると、黙って付いて来る山下と一緒に部室に向かった。
「みっともないトコ見せて悪かったな……」
棟に入るところで一旦足を止めて振り向くと、山下はいつも通りの掴めない表情で僅かに首を傾げた。
あのさ、と言い掛ける俺の前に人差し指を立てて、目を細めて笑う。
「大丈夫、偏見とかないし。言いふらしたりしないから」
勿論同好会でも、と付け加えてそのままじいっと俺を見ているから、思わず訊いてしまっていた。
「あのさ、もしかして……山下、も? 亮太と?」
違っていたら凄く失礼なのに、口を突いて出てしまっていた。仲間意識みたいなのが欲しかったのかもしれない。
だけど、山下はそっと首を振った。
「カズくんと、氷見くんみたいなものかな、多分。僕が好きなのはめめさんだけだから。あ、ごめん、彼女の名前な」
「携のこと、知ってるんだ?」
知り合いなのかなと首を傾げると、申し訳無さそうに眉が下がる。
「ごめんね。いつもカズくんの周りに居る人たちは知っているんだ、一方的に。なんていうか……目立つし」
「あ、ああ……確かに、美形軍団だもんな。てか、そんなに謝らないでよ。俺こそ、礼を言いたいのに」
「礼?」
きょとんとどんぐり眼になっている辺り、本当になんとも思っていないんだと解って、顔が緩んでしまっていた。
「男同士で、って、まだ本当に仲の良い人しか言えてなかったし、知られたら軽蔑されるかもって思ってたから……そのまま接してくれて、凄く嬉しい。だから、ありがとな」
気持ちを伝えたくて、満面の笑みで見上げる。その細い顎を、鼻の下から全部山下は手の平で覆ってしまった。
うーわー……そんなに真っ赤になって照れなくても!
やめて~、俺の方が恥ずかしくなるじゃん……。
俯いて目を逸らして、二人揃ってあーとかうーとか唸っている間に、下校時刻を知らせるチャイムが鳴り始めてしまった。
あーあ、結局同好会にも顔出せなかったや。
ちょっと残念で、でも嬉しくて。
そのまま二人で亮太が駆けて来るのを見守っていた。
また固まっている俺の後ろから、トーテムポールみたいにひょこひょこと二人が上に顔を出し──その時いつの間にやら山下も居たんだけど俺は勿論それどころじゃなかった。
声だけでも十分に確信していたけど、今、十メートルほど向こうで赤堀を抱き寄せて屈んでいるのは、間違いなく智洋だった。
首に回された腕で顔が隠れていても、絶対に見間違えたりなんかしない。
目を閉じて集中していたと思った赤堀が瞼を上げて、ちらりとこっちを見た。その目が、舌を差し出して大きく開いている口の端が、笑っている。
それを目にした途端、俺の中で何かがプチンと音を立てた。
「智洋っ!」
怒鳴るほどではなく、それでも静まり返ったこの場で強く吐き出された声は、赤堀以外を驚かせるには十分だった。
それこそ飛び上がるくらい肩をびくつかせて体を離した智洋が、目を大きく見開いて俺を凝視する。
少し開いたままの唇から糸のように垂れたものが卑猥で、赤堀の舌がそれを掬うように舐め取るのが見えた。
眩暈がする。なんでこんなことになってんの。
俺は、熱くなる瞼の奥を根性で留めて、一歩踏み出した。
泣くもんか! 泣いて縋るなんてみっともねえだろ。
「浮気なの? それとも本気?」
深呼吸して、なるべく平静な声を出したつもりだった。智洋は、竦んで動けないように呆然と突っ立っている。
「なんでここに……」
「本気なの? それとも只の二股?」
また一歩、近付く。足の下で、乾いた砂がジャリッと音を立てた。
「や、これは、その」
「やだなあ、劇の練習に付き合ってもらってただけだよ? いいもの観れただろ」
どもる智洋の声に被せるように赤堀が軽い調子で言って、くすくすと笑っている。
「劇? 演劇部の練習に智洋が付き合うなんて意味わかんねえし。劇でそんなディープなやつ要らないだろ」
「雰囲気作りだよ~。硬いなあ、もう」
「赤堀はもう黙ってて。智洋? どうなの」
「あー……そう、劇……の練習、な」
智洋らしくない。そんな焦ってこの場だけ誤魔化そうとする台詞なんて聞きたくない。
「智洋、聴いて」
じっと見つめたまま真剣な口調の俺に、うろたえるだけだった智洋がようやく顔を引き締めて目を合わせてきた。
拳を握って、これだけは絶対に譲れないと、瞳で訴える。
「隠し事なら、いいよ。なんでも全部言ってくれなきゃ嫌だなんて言わない。だけど、嘘は許せない。そんな判り易い嘘付くくらいなら、最初から本当のこと言ってよ。俺がそれで傷付くとしても」
息を呑んだ智洋が、口を噤んだ。
沈黙が場を包み込み、言われた通り口出しをやめた赤堀は面白そうに俺と智洋を見比べていて、興奮が去って徐々に呼吸が落ち着いてきた俺の隣に、周と辰が並んだ。
辰が、指の関節をポキポキと鳴らす。
「ヒロ~? 浩司さんの代わりに俺が殴ってもいい?」
「よしてよ、辰。──俺じゃあ物足りないってことなんだろ」
そっとその拳に手を重ねると、「ちがっ……」と智洋が言いかけてはまた口を噤んだ。
ふうんと、赤堀が鼻を鳴らす。
「もしかして結構公認なんだ? へえ~……まあいいけど。周、邪魔しないでよ」
「しねえよ。別れるんなら俺にもまたチャンスがあるわけだしな」
ふんと鼻を鳴らす周の頭を、「あほか」と言いながらぺチンと辰が叩く。
これ以上ここにいても話が進みそうにないから、俺は踵を返した。
「辰、周、ありがと。部活行って来る」
憤然とした足取りで、角に佇んでいる山下の腕を掴んで強引に部室棟の方へと足を向ける。
「解った~、また後でなー」
追い掛けて来る声にちょっとだけ振り向いて笑い掛けると、黙って付いて来る山下と一緒に部室に向かった。
「みっともないトコ見せて悪かったな……」
棟に入るところで一旦足を止めて振り向くと、山下はいつも通りの掴めない表情で僅かに首を傾げた。
あのさ、と言い掛ける俺の前に人差し指を立てて、目を細めて笑う。
「大丈夫、偏見とかないし。言いふらしたりしないから」
勿論同好会でも、と付け加えてそのままじいっと俺を見ているから、思わず訊いてしまっていた。
「あのさ、もしかして……山下、も? 亮太と?」
違っていたら凄く失礼なのに、口を突いて出てしまっていた。仲間意識みたいなのが欲しかったのかもしれない。
だけど、山下はそっと首を振った。
「カズくんと、氷見くんみたいなものかな、多分。僕が好きなのはめめさんだけだから。あ、ごめん、彼女の名前な」
「携のこと、知ってるんだ?」
知り合いなのかなと首を傾げると、申し訳無さそうに眉が下がる。
「ごめんね。いつもカズくんの周りに居る人たちは知っているんだ、一方的に。なんていうか……目立つし」
「あ、ああ……確かに、美形軍団だもんな。てか、そんなに謝らないでよ。俺こそ、礼を言いたいのに」
「礼?」
きょとんとどんぐり眼になっている辺り、本当になんとも思っていないんだと解って、顔が緩んでしまっていた。
「男同士で、って、まだ本当に仲の良い人しか言えてなかったし、知られたら軽蔑されるかもって思ってたから……そのまま接してくれて、凄く嬉しい。だから、ありがとな」
気持ちを伝えたくて、満面の笑みで見上げる。その細い顎を、鼻の下から全部山下は手の平で覆ってしまった。
うーわー……そんなに真っ赤になって照れなくても!
やめて~、俺の方が恥ずかしくなるじゃん……。
俯いて目を逸らして、二人揃ってあーとかうーとか唸っている間に、下校時刻を知らせるチャイムが鳴り始めてしまった。
あーあ、結局同好会にも顔出せなかったや。
ちょっと残念で、でも嬉しくて。
そのまま二人で亮太が駆けて来るのを見守っていた。
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