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Ch 4. 桜は、再び激しく舞った
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・・・
去年の夏
もう会うこともないだろうと思っていた野崎くんに偶然会った。
高校の卒業式で、彼を見かけて以来だった。
「菊川さん?」
桜の樹の下で聞いたのと同じ声が
私の名前を呼んだ。
「・・・野崎、くん?」
「あぁ、やっぱりそうだった。偶然だな、こんなところで・・・覚えてくれてたんだ」
そこは成田空港。
私は一人旅に出るところだった。
私の大学生活は、ひたすらバイトをして
お金が溜まったら旅に出る
それの繰り返し。
私は、夢と希望を探してもがいていた。
一人で
一か所に留まる事を恐れていた。
「どこ行くの?一人?」
「イギリスを周ろうかと・・・」
「え?もしかして同じ便?」
こんな偶然があるのか、と思った。
ドキドキして、死ぬかと思った。
野崎くんは、お父さんが今ロンドンにいて
1か月ほど滞在する予定らしい。
野崎くんは相変わらず、綺麗な顔をしていたけど
1年半前よりちょっと大人びていた。
真っ黒で、ストレートで、
前よりちょっと短めの髪の毛が
とても爽やかだった。
私たちはチェックインを済ませ、フライトの時間まで
空港のカフェで話すことにした。
「今は何をしてるの?」
「T大に行ってる。一浪したけど」
「すごいね、でもさすが・・・専攻は、、、社会学?」
「よく覚えてるね。そうだよ」
野崎くんが笑った。
そして徐にスマホを取り出してこう言った。
「連絡先、交換しようよ」
また、心臓が止まりそうになった・・・。
「一人旅なの?いつも?」
「うん、好きなんだ、一人旅」
すると野崎くんは、何かを考えるように私から少し目線を逸らし、そしてまた私に目線を戻した。
「あのさ・・・今回は、俺がちょっと邪魔してもいい?」
「え?」
「俺、向こうで今んとこなんの予定もないからさ。よかったら一緒にいいかな?」
また、心臓が激しく震えた・・・。
もう持たないかもしれない、と思った。
でも、飛行機の中の席が離れていてなんとか持ちこたえた。
ヒースロー空港に到着すると、野崎くんのお父さんが迎えに来ていた。
野崎くんのお父さんらしくダンディで素敵な人。
息子がいきなり見ず知らずの女の子を横に連れて、ロンドンまでやってきたというのに、
なんの躊躇もない笑顔で、優しく微笑んでくれた。
「こちら、高校の同級生の菊川美也さん。偶然成田で会ったんだ」
「美也です。はじめまして」
「それはそれは。偶然ハルと会ったんなら・・・美也さんはどこに泊るんだい?」
「ロンドンではXホテルに数日泊まろうと・・・」
「あぁ、それだったら・・・よかったらホテルをキャンセルしてウチへこないかい?」
「え?」
「ホテル代が浮いた分、他に使えばいい。おもてなしはできないけど、ウチは部屋だけはたくさんあるから遠慮しないでいいよ。車もあるし」
・・・どうしようか、そう思っていると
「そうしなよ」
・・・野崎くんの意見に従うことにした。
「ウチは部屋だけはたくさんあるから遠慮しないで」
その言葉の意味が、空港ではよくわからなかったのだけど、
家に到着して、それが紛れもない事実だったということがすぐに判明した。
野崎くんのお父さんは外交官、それもかなり偉い人らしく、
街の中心地の、ものすごく大きな家に一人で住んでいたのだ。
おまけに、お手伝いさんや警護の人たちも見かけた。
「気兼ねなく、自由に使っていいからね」
「普通」のお父さんって、こういう感じがなんだろうか?
一緒にいて、暖かくなる感じ。
思わず微笑んでしまうような、安心感。
―――私が、自分の父親に感じたことのない感覚。
野崎くんの家が「普通」なのかどうかはわからないけど、野崎くんが羨ましかった。
だから、野崎くんはこんなに素敵に育ったのかな?
だから、野崎くんのことがこんなに眩しく見えるのかな?
スーツケースをあてがわれた素敵なゲストルームに運び、軽くシャワーを浴びた後、
私と野崎くんは
だだっぴろい居間のソファーでくつろぎながら
これからの旅行のプランを考えていた。
「イギリスは初めて?」
「うん、基本的に同じ国には行かないの。世界は広いし、人生は短いし、ね。野崎くんは?何度も来てるの?」
「いや、親父のロンドン駐在は今回初めてで、俺も受験あったし、これが初めて」
「そっか、じゃ、行先でダブるところとかないんだね」
「ないない・・・おまけに今回は1か月ロンドンでぶらぶらのんびりしてればいいって思ってたから、なんの計画もない」
「あはは」
「一人の時は、どういう旅すんの?」
「適当」
「じゃあ、今回もそれでいいじゃん。俺がついてくだけ」
「え?」
結局。
野崎くんのお父さんの家には4日ほど滞在して、お父さんも一緒にロンドン観光をした。
聞くところによると、野崎くんのお父さんは転勤が多く
世界中のいろんなところを転々としてるのだそう。
「いいですね、そういうの」
「でも家族とは離れ離れで寂しいよ」
「ウソつけ。そんなこと思ってもないくせに」
野崎くんがくくっと喉で笑った。
「ウソじゃないよ。美代ちゃんの手料理食べたいし、ポッキーと遊びたい」
美代ちゃんというのは、野崎くんのお母さん。
「子供のことはどうでもいいんだ」
また野崎くんが笑った。
「あぁ、美代ちゃん、俺のところに来てくれないかなぁ。ハルもこんなに大きくなったのに、なんでついてきてくれないんだろう・・・」
野崎くんのお父さんはため息をついた。
いいな、こういう家族・・・
って思ったのと同時に
自分の家庭がどれだけ歪んでいるのかを思い知って、泣きそうになった。
・・・だから、話題を変えた。
「私、旅が好きなんです。一人旅ですけど」
「今まではどこに行ったんだい?」
「上陸してないのは、南米とアフリカ、ですね」
「旅はいいよね。でも、女の子の一人旅だ。気を付けるんだよ。何かあったら、僕に連絡しておいで。どこの大使館とも連絡が取れるから」
「ありがとうございます」
そういって、メアドと電話番号を交換した。
「俺でさえ電話番号知らないのに・・・」
「ま、こういうのは年の功だな」
野崎くんのお父さんは、勝ち誇ったように野崎くんに微笑んだ。
野崎くんのお父さんは、貧乏一人旅だったら行けないような高級レストランとかおしゃれなカフェとかにも私たちを連れて行ってくれた。
全部お父さん持ちで、とても恐縮した。
「なんか全部ごちそうになってしまって、すみません」
「なに遠慮してるんだい?一緒に観光できて嬉しいよ。僕も普段忙しくて、こういうことでもないとなかなかね。ハルにもいろいろ見せたかったし・・・よかったよ、美也ちゃんがいてくれて」
「本当だよ。もし俺一人だったら、こんなマメにはしてくれないって」
お父さんも野崎くんも笑っていた。
―――また、泣きそうになった。
5日目
私と野崎くんは荷物を車に乗せ、あてもない旅に出た。
私たちは交代で運転をすることにした。
海沿いを走れば
いつかまた出発地点に戻ってくる
という安易なプラン。
「美也とこんな風に旅行するなんて、思ってもみなかったな」
いつのまにか、「美也」と呼ばれていて
私の心臓はまた止まりそうになった・・・。
私たちの旅は、本当に無計画で
何か興味のあるものを見つけたら、車を止める
その繰り返し。
そんな中
日が過ぎていくごとに
私たちの距離も近づいていった。
いつのまにか私たちは・・・
歩くときには手を繋ぎ
佇む時には腰に手を回し
座るときにはキスをしていた。
はっきり言って
私たちがこんな風になるなんて
想像していなかった。
手を差し出したのも
腰に手を回したのも
唇を近付けてきたのも
最初は野崎くんの方だった。
―――きっと私は
野崎くんのことを
何も知らなかった。
私は・・・
私の中での「野崎くん」という存在の急激な変化に
胸が締め付けられて
怖かった。
「やべぇ」
モーテルの部屋でベッドに腰掛け、野崎くんが両手で頭を抱えていた。
それまでの7日間
私たちはバックパッカーに泊まったり、シングルルームを二つ取ったりしていた。
だけど今日は混んでいて
ダブルの1部屋しかとれなかった。
「ソファーもあるし、私はこっちでいいから。野崎くんベッド使って。
私はシャワーが使えるだけで十分しあわせ」
野崎くんとどうこうなるのは別に問題じゃなかった。
だって野崎くんのこと、好きだと思うから。
ドキドキしすぎて、死ぬかもしれないけど。
ただ
野崎くんが私のことを
本当のところ、どう思ってるのかはわからない。
海外だし
ずっと一緒にいるし
流されてるのかな、と思っていた。
それでもいいかな
とも思っていた。
「美也・・・ちょっとこっちきて」
私がそばにいくと
野崎くんが私の腰を掴んで、私を見上げた。
「俺、理性飛びそうなんだけど・・・
こんな気持ちになったこと、ないんだけど・・・」
野崎くんは、苦しそうな、辛そうな、泣きそうな顔をしていた。
野崎くんにそんな顔されたら・・・
心臓が・・・もたない。
野崎くんは私の腰を強く引き寄せて、その顔を隠すように、
私のお腹に自分の顔をうずめた。
私はそんな野崎くんが愛おしくて、
彼の頭を、ぎゅっと抱きしめた。
すると―――
私は強く引かれ
次の瞬間
私のお腹にあったはずの彼の顔が
私の目の前にあって・・・
彼は私に
深いキスを落とした・・・
私の口内を犯すような激しいキス。
そのまま彼は
私をベッドに横たえた。
「・・・野崎く・・・「・・ハルって・・呼んで」」
「・・・ハル・・・」
「・・っはぁ・・・もう・・・無理だ・・・」
私たちは・・・ひとつになった。
その日以降
私たちは、
何度も、キスをして
何度も、抱き合った。
私はとても幸せだった。
ハルも幸せそうに見えた。
でも。
私もハルも
お互いの気持ちを伝え損ねた。
1か月の旅を終えて
私たちは再び、成田に戻ってきた。
ヒースロー空港から
お互い
ほとんど口を聞いていない。
彼がどうして何も話さないのかはわからなかったけど
私は
何を話せばいいのかわからなくて
無口になった。
成田で別れたら
私たちはまた
当分の間
もしかしたら
このままずっと
永遠に
会わないのかな、と思った。
成田の到着口からロビーに出たところで、私は立ち止った。
「私はリムジンバスで帰るけど、ハルは?」
私は東京の西側、
ハルは東側に住んでいた。
大学も違う。
バイト先も違う。
友達も違う。
メアドは交換したけど
電話番号は知らない。
聞くのは・・・正直怖い。
どちらかがメールして、そして
両方が会おうとしなければ
もう会うことはないと思う。
「これから・・・なんか用事あるの?」
ハルの瞳が、力なく揺れ動いている。
何を、私に言おうとしているのだろうか。
心臓が・・・押しつぶされそうだ。
・・・決定的な最後の言葉をいま言われたら、
私の瞳は、それに耐えられるのだろうか。
「・・・何もないけど、お風呂にゆっくり入って寝たいから・・・」
「じゃ、ついてきて」
ハルは私の腕を強くつかみ、そして
そんな彼に動揺する私を、無理やりタクシーに押し込んだ。
どこに向かってるんだろう・・・
私は聞くのが怖くて、ただ無言で、タクシーの窓から流れる景色を眺めていた。
ハルも、ずっと無言だった。
・・・私の左手を、彼の右手でぎゅっと握りしめながら。
しばらくして、タクシーは首都高を降り、とあるビルの前で静かに止まった。
ハルは素早くカードで支払いを済ませ、後ろのトランクから二つのスーツケースを降ろした。
連れていかれたのは、
ハルが独り暮らしをするマンションだった。
独り暮らしにしては、広い空間。
1LDKだろうか。
余計なものがなにもない
シンプルな部屋だった。
「風呂、勝手に使っていいから」
そういって真っ白でふわふわのタオルをくれた。
「すぐ戻ってくる」
そういって彼はどこかへ出かけた。
お風呂からあがると、ハルはもう部屋に戻ってきていた。
今買ってきた、と言って私に手渡したのは、あの日のミルクティー。
心臓がまた止まりそうだった・・・。
「お風呂、ありがと。ハルも入っておいでよ。気持ちいいよ。長いフライトで疲れたでしょう?」
「うん・・・あのさ」
「ん?」
「俺が風呂に入ってる間に、いなくならないでね」
そう言いながら、少し震えた右手を私の頬にあて、触れるか触れないかわからないくらいのキスを落とした。
ハルがお風呂からあがってくると
私たちはそのまま
ハルのベッドで抱き合って寝た。
私たちは二人とも
深い眠りに落ちた。
・・・とても、疲れていたから。
大学が始まるまでにはあと1カ月ほどあった。
私はまだ、残りをどう過ごすか決めていなかった。
もう一度旅に出てもよかった。
でも
そんなことよりも・・・
私はどのタイミングで
ハルの家から出ればいいのか
わからなくなっていた。
ハルは
まるで当然のように
私をここに置いた。
どこかへ買い物に行くたびに
ハルは私のモノを買った。
ピンクの歯ブラシ
ちょっと大きめのマグカップ
花柄のお茶碗
水玉模様のお箸
私用のシャンプー
パジャマに下着
洋服も
・・・まるで
ここに住めよ
と言っているかのようだった。
ハルはバイトをしていた。
引越し屋さんのバイト。
頭がいいんだから、予備校の講師とかをすれば?と言ったら
引っ越しのバイトは儲かるし
カラダも鍛えられるし
オトコばっかりだし
自分の都合で休めるから気が楽、と言っていた。
それ以外に彼は、大学の友達と一緒にベンチャー企業を立ち上げようとしていて
資金も必要だから、と言っていた。
私の方はといえば、大学の光平教授に頼まれて、データの処理と分析のバイトをしていた。
お給料もかなりよかったし、
パソコンさえあれば、いつでもどこでも出来る仕事だから結構気にいっていた。
だから、ハルが家にいない間に仕事をした。
ある夜、ハルとDVDを見ていたら、私のスマホが突然鳴った。
表示を見ると、渡辺くんだった。
「お前戻ってきてるんだったら、連絡くらいしろよ。久しぶりに「蓮」に行こうぜ」
「ごめん。日本にはいるけど、まだ、自分のアパートには戻ってないんだ」
「え、どこいんの?」
「・・・友達のところ」
友達、という言葉を使って、それが正しかったのかわからなくて
私はちらっとハルの顔を見ようとした。
その瞬間
ハルは私のスマホを取り上げて
迷いもなく電話を切った―――。
「こいつ誰?」
「大学の友達・・・」
「付き合ってんの?」
「違うよ、ただの友達だよ」
「俺も友達なんだろ?!そいつも友達なら、俺とそいつはどう違うんだよ?!」
怒った、そして同時に悲しそうな、そんなハルを見たのは初めてだった―――。
「ハルはずるいよ・・・」
私の瞳からは止めどない大粒の涙が溢れ出ていた。
イギリスでなんとなくそんな関係になってからも、私たちはお互い、そういう話をしてこなかった。
怖くて、不安で、ずっと聞けなかった。
私だけ責められるなんておかしい。
「ハルにとって、私は何?それを先に言ってよ?なんで私をそばに置くの?私をどうしたいの?」
それを聞いたハルは―――
驚いた顔をして、しばらく呆然と、何も言わず私を見ていた。
私にはそれがどういう意味なのかわからず、
ただハルの次の言葉を待つことしかできなかった。
そして次の瞬間、ハルははっと気づいたように、突然私の腕を引っ張って、自分の胸の中に入れた。
「ごめん。俺の気持ち、伝わってると思ってた・・・」
そして、ちょっと間をおいて囁いた。
「―――美也のこと、すごく大切なんだ・・・愛してる・・・苦しいくらい・・・」
それを聞いて私は・・・さらに大粒の涙を流しながら、ハルの胸の中で囁いた。
「私・・・ハルのこと―――スキなの」
はぁ。
私を抱きしめるハルの身体がその呼吸と共に大きく動き、彼が大きく深くため息をついたことがわかった。
「ホントに泣かせて、不安にさせてごめん・・・これは・・・俺が全面的に悪い。でも俺―――俺、今すごく幸せ」
そう呟いて、私の涙を彼の唇で拭いた。
結局。
私は後期の授業が始まるまで、新たに旅にも出ず、ハルの家に住み着いた。
でも、ハルの家からだと、私の大学までは2時間近くかかるし
借りてるアパートのことも心配だから戻ることにした。
ハルのマンションは分譲で、実は2LDK。
ハルのお父さんが投資で買ったのだそうだ。
「俺がここから動ければいいんだけど・・・俺、管理人みたいなもんだから、引っ越す訳にいかないからなぁ」
「大丈夫、週末にまた来るし」
「ああ、待ってる」
そう言って、ハルは少し寂しそうに、でも嬉しそうに、私にキスをした。
去年の夏
もう会うこともないだろうと思っていた野崎くんに偶然会った。
高校の卒業式で、彼を見かけて以来だった。
「菊川さん?」
桜の樹の下で聞いたのと同じ声が
私の名前を呼んだ。
「・・・野崎、くん?」
「あぁ、やっぱりそうだった。偶然だな、こんなところで・・・覚えてくれてたんだ」
そこは成田空港。
私は一人旅に出るところだった。
私の大学生活は、ひたすらバイトをして
お金が溜まったら旅に出る
それの繰り返し。
私は、夢と希望を探してもがいていた。
一人で
一か所に留まる事を恐れていた。
「どこ行くの?一人?」
「イギリスを周ろうかと・・・」
「え?もしかして同じ便?」
こんな偶然があるのか、と思った。
ドキドキして、死ぬかと思った。
野崎くんは、お父さんが今ロンドンにいて
1か月ほど滞在する予定らしい。
野崎くんは相変わらず、綺麗な顔をしていたけど
1年半前よりちょっと大人びていた。
真っ黒で、ストレートで、
前よりちょっと短めの髪の毛が
とても爽やかだった。
私たちはチェックインを済ませ、フライトの時間まで
空港のカフェで話すことにした。
「今は何をしてるの?」
「T大に行ってる。一浪したけど」
「すごいね、でもさすが・・・専攻は、、、社会学?」
「よく覚えてるね。そうだよ」
野崎くんが笑った。
そして徐にスマホを取り出してこう言った。
「連絡先、交換しようよ」
また、心臓が止まりそうになった・・・。
「一人旅なの?いつも?」
「うん、好きなんだ、一人旅」
すると野崎くんは、何かを考えるように私から少し目線を逸らし、そしてまた私に目線を戻した。
「あのさ・・・今回は、俺がちょっと邪魔してもいい?」
「え?」
「俺、向こうで今んとこなんの予定もないからさ。よかったら一緒にいいかな?」
また、心臓が激しく震えた・・・。
もう持たないかもしれない、と思った。
でも、飛行機の中の席が離れていてなんとか持ちこたえた。
ヒースロー空港に到着すると、野崎くんのお父さんが迎えに来ていた。
野崎くんのお父さんらしくダンディで素敵な人。
息子がいきなり見ず知らずの女の子を横に連れて、ロンドンまでやってきたというのに、
なんの躊躇もない笑顔で、優しく微笑んでくれた。
「こちら、高校の同級生の菊川美也さん。偶然成田で会ったんだ」
「美也です。はじめまして」
「それはそれは。偶然ハルと会ったんなら・・・美也さんはどこに泊るんだい?」
「ロンドンではXホテルに数日泊まろうと・・・」
「あぁ、それだったら・・・よかったらホテルをキャンセルしてウチへこないかい?」
「え?」
「ホテル代が浮いた分、他に使えばいい。おもてなしはできないけど、ウチは部屋だけはたくさんあるから遠慮しないでいいよ。車もあるし」
・・・どうしようか、そう思っていると
「そうしなよ」
・・・野崎くんの意見に従うことにした。
「ウチは部屋だけはたくさんあるから遠慮しないで」
その言葉の意味が、空港ではよくわからなかったのだけど、
家に到着して、それが紛れもない事実だったということがすぐに判明した。
野崎くんのお父さんは外交官、それもかなり偉い人らしく、
街の中心地の、ものすごく大きな家に一人で住んでいたのだ。
おまけに、お手伝いさんや警護の人たちも見かけた。
「気兼ねなく、自由に使っていいからね」
「普通」のお父さんって、こういう感じがなんだろうか?
一緒にいて、暖かくなる感じ。
思わず微笑んでしまうような、安心感。
―――私が、自分の父親に感じたことのない感覚。
野崎くんの家が「普通」なのかどうかはわからないけど、野崎くんが羨ましかった。
だから、野崎くんはこんなに素敵に育ったのかな?
だから、野崎くんのことがこんなに眩しく見えるのかな?
スーツケースをあてがわれた素敵なゲストルームに運び、軽くシャワーを浴びた後、
私と野崎くんは
だだっぴろい居間のソファーでくつろぎながら
これからの旅行のプランを考えていた。
「イギリスは初めて?」
「うん、基本的に同じ国には行かないの。世界は広いし、人生は短いし、ね。野崎くんは?何度も来てるの?」
「いや、親父のロンドン駐在は今回初めてで、俺も受験あったし、これが初めて」
「そっか、じゃ、行先でダブるところとかないんだね」
「ないない・・・おまけに今回は1か月ロンドンでぶらぶらのんびりしてればいいって思ってたから、なんの計画もない」
「あはは」
「一人の時は、どういう旅すんの?」
「適当」
「じゃあ、今回もそれでいいじゃん。俺がついてくだけ」
「え?」
結局。
野崎くんのお父さんの家には4日ほど滞在して、お父さんも一緒にロンドン観光をした。
聞くところによると、野崎くんのお父さんは転勤が多く
世界中のいろんなところを転々としてるのだそう。
「いいですね、そういうの」
「でも家族とは離れ離れで寂しいよ」
「ウソつけ。そんなこと思ってもないくせに」
野崎くんがくくっと喉で笑った。
「ウソじゃないよ。美代ちゃんの手料理食べたいし、ポッキーと遊びたい」
美代ちゃんというのは、野崎くんのお母さん。
「子供のことはどうでもいいんだ」
また野崎くんが笑った。
「あぁ、美代ちゃん、俺のところに来てくれないかなぁ。ハルもこんなに大きくなったのに、なんでついてきてくれないんだろう・・・」
野崎くんのお父さんはため息をついた。
いいな、こういう家族・・・
って思ったのと同時に
自分の家庭がどれだけ歪んでいるのかを思い知って、泣きそうになった。
・・・だから、話題を変えた。
「私、旅が好きなんです。一人旅ですけど」
「今まではどこに行ったんだい?」
「上陸してないのは、南米とアフリカ、ですね」
「旅はいいよね。でも、女の子の一人旅だ。気を付けるんだよ。何かあったら、僕に連絡しておいで。どこの大使館とも連絡が取れるから」
「ありがとうございます」
そういって、メアドと電話番号を交換した。
「俺でさえ電話番号知らないのに・・・」
「ま、こういうのは年の功だな」
野崎くんのお父さんは、勝ち誇ったように野崎くんに微笑んだ。
野崎くんのお父さんは、貧乏一人旅だったら行けないような高級レストランとかおしゃれなカフェとかにも私たちを連れて行ってくれた。
全部お父さん持ちで、とても恐縮した。
「なんか全部ごちそうになってしまって、すみません」
「なに遠慮してるんだい?一緒に観光できて嬉しいよ。僕も普段忙しくて、こういうことでもないとなかなかね。ハルにもいろいろ見せたかったし・・・よかったよ、美也ちゃんがいてくれて」
「本当だよ。もし俺一人だったら、こんなマメにはしてくれないって」
お父さんも野崎くんも笑っていた。
―――また、泣きそうになった。
5日目
私と野崎くんは荷物を車に乗せ、あてもない旅に出た。
私たちは交代で運転をすることにした。
海沿いを走れば
いつかまた出発地点に戻ってくる
という安易なプラン。
「美也とこんな風に旅行するなんて、思ってもみなかったな」
いつのまにか、「美也」と呼ばれていて
私の心臓はまた止まりそうになった・・・。
私たちの旅は、本当に無計画で
何か興味のあるものを見つけたら、車を止める
その繰り返し。
そんな中
日が過ぎていくごとに
私たちの距離も近づいていった。
いつのまにか私たちは・・・
歩くときには手を繋ぎ
佇む時には腰に手を回し
座るときにはキスをしていた。
はっきり言って
私たちがこんな風になるなんて
想像していなかった。
手を差し出したのも
腰に手を回したのも
唇を近付けてきたのも
最初は野崎くんの方だった。
―――きっと私は
野崎くんのことを
何も知らなかった。
私は・・・
私の中での「野崎くん」という存在の急激な変化に
胸が締め付けられて
怖かった。
「やべぇ」
モーテルの部屋でベッドに腰掛け、野崎くんが両手で頭を抱えていた。
それまでの7日間
私たちはバックパッカーに泊まったり、シングルルームを二つ取ったりしていた。
だけど今日は混んでいて
ダブルの1部屋しかとれなかった。
「ソファーもあるし、私はこっちでいいから。野崎くんベッド使って。
私はシャワーが使えるだけで十分しあわせ」
野崎くんとどうこうなるのは別に問題じゃなかった。
だって野崎くんのこと、好きだと思うから。
ドキドキしすぎて、死ぬかもしれないけど。
ただ
野崎くんが私のことを
本当のところ、どう思ってるのかはわからない。
海外だし
ずっと一緒にいるし
流されてるのかな、と思っていた。
それでもいいかな
とも思っていた。
「美也・・・ちょっとこっちきて」
私がそばにいくと
野崎くんが私の腰を掴んで、私を見上げた。
「俺、理性飛びそうなんだけど・・・
こんな気持ちになったこと、ないんだけど・・・」
野崎くんは、苦しそうな、辛そうな、泣きそうな顔をしていた。
野崎くんにそんな顔されたら・・・
心臓が・・・もたない。
野崎くんは私の腰を強く引き寄せて、その顔を隠すように、
私のお腹に自分の顔をうずめた。
私はそんな野崎くんが愛おしくて、
彼の頭を、ぎゅっと抱きしめた。
すると―――
私は強く引かれ
次の瞬間
私のお腹にあったはずの彼の顔が
私の目の前にあって・・・
彼は私に
深いキスを落とした・・・
私の口内を犯すような激しいキス。
そのまま彼は
私をベッドに横たえた。
「・・・野崎く・・・「・・ハルって・・呼んで」」
「・・・ハル・・・」
「・・っはぁ・・・もう・・・無理だ・・・」
私たちは・・・ひとつになった。
その日以降
私たちは、
何度も、キスをして
何度も、抱き合った。
私はとても幸せだった。
ハルも幸せそうに見えた。
でも。
私もハルも
お互いの気持ちを伝え損ねた。
1か月の旅を終えて
私たちは再び、成田に戻ってきた。
ヒースロー空港から
お互い
ほとんど口を聞いていない。
彼がどうして何も話さないのかはわからなかったけど
私は
何を話せばいいのかわからなくて
無口になった。
成田で別れたら
私たちはまた
当分の間
もしかしたら
このままずっと
永遠に
会わないのかな、と思った。
成田の到着口からロビーに出たところで、私は立ち止った。
「私はリムジンバスで帰るけど、ハルは?」
私は東京の西側、
ハルは東側に住んでいた。
大学も違う。
バイト先も違う。
友達も違う。
メアドは交換したけど
電話番号は知らない。
聞くのは・・・正直怖い。
どちらかがメールして、そして
両方が会おうとしなければ
もう会うことはないと思う。
「これから・・・なんか用事あるの?」
ハルの瞳が、力なく揺れ動いている。
何を、私に言おうとしているのだろうか。
心臓が・・・押しつぶされそうだ。
・・・決定的な最後の言葉をいま言われたら、
私の瞳は、それに耐えられるのだろうか。
「・・・何もないけど、お風呂にゆっくり入って寝たいから・・・」
「じゃ、ついてきて」
ハルは私の腕を強くつかみ、そして
そんな彼に動揺する私を、無理やりタクシーに押し込んだ。
どこに向かってるんだろう・・・
私は聞くのが怖くて、ただ無言で、タクシーの窓から流れる景色を眺めていた。
ハルも、ずっと無言だった。
・・・私の左手を、彼の右手でぎゅっと握りしめながら。
しばらくして、タクシーは首都高を降り、とあるビルの前で静かに止まった。
ハルは素早くカードで支払いを済ませ、後ろのトランクから二つのスーツケースを降ろした。
連れていかれたのは、
ハルが独り暮らしをするマンションだった。
独り暮らしにしては、広い空間。
1LDKだろうか。
余計なものがなにもない
シンプルな部屋だった。
「風呂、勝手に使っていいから」
そういって真っ白でふわふわのタオルをくれた。
「すぐ戻ってくる」
そういって彼はどこかへ出かけた。
お風呂からあがると、ハルはもう部屋に戻ってきていた。
今買ってきた、と言って私に手渡したのは、あの日のミルクティー。
心臓がまた止まりそうだった・・・。
「お風呂、ありがと。ハルも入っておいでよ。気持ちいいよ。長いフライトで疲れたでしょう?」
「うん・・・あのさ」
「ん?」
「俺が風呂に入ってる間に、いなくならないでね」
そう言いながら、少し震えた右手を私の頬にあて、触れるか触れないかわからないくらいのキスを落とした。
ハルがお風呂からあがってくると
私たちはそのまま
ハルのベッドで抱き合って寝た。
私たちは二人とも
深い眠りに落ちた。
・・・とても、疲れていたから。
大学が始まるまでにはあと1カ月ほどあった。
私はまだ、残りをどう過ごすか決めていなかった。
もう一度旅に出てもよかった。
でも
そんなことよりも・・・
私はどのタイミングで
ハルの家から出ればいいのか
わからなくなっていた。
ハルは
まるで当然のように
私をここに置いた。
どこかへ買い物に行くたびに
ハルは私のモノを買った。
ピンクの歯ブラシ
ちょっと大きめのマグカップ
花柄のお茶碗
水玉模様のお箸
私用のシャンプー
パジャマに下着
洋服も
・・・まるで
ここに住めよ
と言っているかのようだった。
ハルはバイトをしていた。
引越し屋さんのバイト。
頭がいいんだから、予備校の講師とかをすれば?と言ったら
引っ越しのバイトは儲かるし
カラダも鍛えられるし
オトコばっかりだし
自分の都合で休めるから気が楽、と言っていた。
それ以外に彼は、大学の友達と一緒にベンチャー企業を立ち上げようとしていて
資金も必要だから、と言っていた。
私の方はといえば、大学の光平教授に頼まれて、データの処理と分析のバイトをしていた。
お給料もかなりよかったし、
パソコンさえあれば、いつでもどこでも出来る仕事だから結構気にいっていた。
だから、ハルが家にいない間に仕事をした。
ある夜、ハルとDVDを見ていたら、私のスマホが突然鳴った。
表示を見ると、渡辺くんだった。
「お前戻ってきてるんだったら、連絡くらいしろよ。久しぶりに「蓮」に行こうぜ」
「ごめん。日本にはいるけど、まだ、自分のアパートには戻ってないんだ」
「え、どこいんの?」
「・・・友達のところ」
友達、という言葉を使って、それが正しかったのかわからなくて
私はちらっとハルの顔を見ようとした。
その瞬間
ハルは私のスマホを取り上げて
迷いもなく電話を切った―――。
「こいつ誰?」
「大学の友達・・・」
「付き合ってんの?」
「違うよ、ただの友達だよ」
「俺も友達なんだろ?!そいつも友達なら、俺とそいつはどう違うんだよ?!」
怒った、そして同時に悲しそうな、そんなハルを見たのは初めてだった―――。
「ハルはずるいよ・・・」
私の瞳からは止めどない大粒の涙が溢れ出ていた。
イギリスでなんとなくそんな関係になってからも、私たちはお互い、そういう話をしてこなかった。
怖くて、不安で、ずっと聞けなかった。
私だけ責められるなんておかしい。
「ハルにとって、私は何?それを先に言ってよ?なんで私をそばに置くの?私をどうしたいの?」
それを聞いたハルは―――
驚いた顔をして、しばらく呆然と、何も言わず私を見ていた。
私にはそれがどういう意味なのかわからず、
ただハルの次の言葉を待つことしかできなかった。
そして次の瞬間、ハルははっと気づいたように、突然私の腕を引っ張って、自分の胸の中に入れた。
「ごめん。俺の気持ち、伝わってると思ってた・・・」
そして、ちょっと間をおいて囁いた。
「―――美也のこと、すごく大切なんだ・・・愛してる・・・苦しいくらい・・・」
それを聞いて私は・・・さらに大粒の涙を流しながら、ハルの胸の中で囁いた。
「私・・・ハルのこと―――スキなの」
はぁ。
私を抱きしめるハルの身体がその呼吸と共に大きく動き、彼が大きく深くため息をついたことがわかった。
「ホントに泣かせて、不安にさせてごめん・・・これは・・・俺が全面的に悪い。でも俺―――俺、今すごく幸せ」
そう呟いて、私の涙を彼の唇で拭いた。
結局。
私は後期の授業が始まるまで、新たに旅にも出ず、ハルの家に住み着いた。
でも、ハルの家からだと、私の大学までは2時間近くかかるし
借りてるアパートのことも心配だから戻ることにした。
ハルのマンションは分譲で、実は2LDK。
ハルのお父さんが投資で買ったのだそうだ。
「俺がここから動ければいいんだけど・・・俺、管理人みたいなもんだから、引っ越す訳にいかないからなぁ」
「大丈夫、週末にまた来るし」
「ああ、待ってる」
そう言って、ハルは少し寂しそうに、でも嬉しそうに、私にキスをした。
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