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Chapter 36:「逃げられると思うなよ?」
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【12月1日(土)】
*******************************
TOKYO CHIC 2030号
「君に会えたら」 第35話 掲載
*******************************
「終わった!」
11月30日(金)16時39分。
メールの送信ボタンを押した川上さんが、うーっと伸びをした。
「本当に1カ月ちょっとで元のスケジュールに戻った~!信じられない!」
「川上さんのこと、ちょっと見直しましたよ」
「ちょっとだけかよ?!」
第2話の見直し作業から始まり、第9話までを1カ月ちょっとで仕上げた川上さん。
本当にさすがとしかいいようがない。
脇さんからもすぐに「お疲れ様~、さすが川上だね」と電話がかかってきた。
「これも絢ちゃんと桃野のお陰だな」
「川上さんが俺に礼を言うなんてキモイ・・・」
「なんだよ、俺が素直に礼を言っちゃいけないのかよ?」
「今いち、真実味がなくて・・・」
「桃野、おまえ相当ひねくれてるぞ?」
「川上さんにだけですよ」
出会ったころはあんなに川上さんを嫌っていた桃野くんなのに、今は兄弟のように仲よく一緒に暮らしている。
沖縄の海で桃野くんが言ったように、人生って何があるかわからない。
ところで。
スケジュールの戻った川上さんは、いつここを出て行くのだろう?
川上さんと桃野くんとの3人の暮らしに慣れてしまって、もうどっちでもいいような気もするんだけど・・・
「今日はパーっと飲みに行こうぜ。もちろん俺の奢り!」
鳥雅の奥の御座敷を陣取って、ゆる~く飲み始めた私たち。
「ここマジでうまいよな~」
川上さんも気に入ってるみたい。
前に河野さんと一緒に来たから、これで2回目かな?
まだ10分も経ってないのに既にジョッキが2つ空いている。
「ペース早いんじゃないですか?沖縄の時みたいに酔いますよ?」
「いいじゃん、今日は打ち上げなんだし。潰れたら絢ちゃんに介抱してもらえるしね」
「「・・・」」
「しかし、絢ちゃんと桃野との3人暮らしがこんなに楽しいとは思わなかったなぁ」
枝豆をぽんっと勢いよく口にほおりこんだ。
「なぁ、俺、ここに住み続けていいだろ?その方が仕事も進むしさ」
ニヤリと笑って、桃野くんを見る川上さん。
絶対この話になるとは思ってたけど。
「約束の期間は終わったでしょう?」
呆れ顔の桃野くん。
「桃野だってここは3月末までなんだろ?どうせあと4カ月じゃん。それまで一緒に暮らそうぜ。楽しいぞ?」
「冗談は顔だけにしてください」
「ここ追い出されたら、その後、俺んとこ来いよ。部屋空いてるし」
「何で川上さんと暮らさないといけないんですか」
「そりゃ、絢ちゃんが好きだからに決まってんだろ?」
「俺が川上さんのところに行っても、絢ちゃんがもれなく付いてくるわけじゃないですよ」
「あ、そうか」
私たちは爆笑した。
「言う相手を間違えたな。じゃ、桃野があそこにいる間は桃野と一緒にあそこに住んで、その後は俺が桃野の部屋に引っ越すよ」
「「え?」」
「どうせ空くんだろ?本当は絢ちゃんと住みたいけど、とりあえず隣でもいいや。襲いに行けばいいだけのことだし、そのうちどっちかの部屋解約すればいいし」
「・・・」
桃野くんは絶句していた。
「でも、私もあそこからいなくなりますよ?」
「はぁ?」
「絢ちゃん、まだ引っ越そうと思ってんの?!」
桃野くんが叫ぶ。
「長期休暇に入るって言ったでしょ?もうそろそろ不動産屋さんに言わないとまずいかも・・・長く借りてたし」
「オムライスの話で、てっきりもうその話はなくなったんだと思ってた・・・」
「オムライス?」
「こっちの話ですよ・・・絢ちゃん、どういうこと?」
「オムライスは別に、ここに作りにくればいいから」
「・・・」
「それなら俺んとこ来ればいいよ。ちょうどいい」
「冗談は顔だけにしてください。休暇なんです!長期休暇!」
「俺のベッドで一緒に休めばいいじゃん。立てなくなるまで抱くと思うから、すげぇ休めると思うよ」
その瞬間、凄い勢いでおしぼりが飛んだけど、川上さんは予想してたのか余裕でそれをかわした。
「で?何処に行くつもりなの?」
「南の島に・・・誕生日に沖縄に連れてってくれたからてっきり川上さんも知ってるんだと思ってたんですけど。それに来年はサイパンっていいましたよね?」
「俺は絢ちゃんが沖縄かサイパンかトンガに行きたがってるって聞いただけだよ」
川上さんは桃野くんを睨んだ。
「だめだよそんなの。絶対に許さない」
「なんで川上さんに許してもらわないといけないんですか。休暇ですよ?!」
「桃野だって許すわけない。そうだろ、桃野?」
「俺は・・・」
複雑な表情の桃野くん。
「どうしても、引っ越したいの?」
「うん」
桃野くんはをジョッキをテーブルに置いて、私に向き合った。
「なんでそんなに遠いところに行きたいの?本当の理由は何?」
「それは・・・」
私は俯いた。
「前にさ、絢ちゃん、好きな人がいるって言ってたよね」
「うん」
「その人のせい?その人が原因で、遠くに行きたいの?」
「・・・ん、まぁ、そんなとこ」
桃野くんはしばらく無言だった。
何かを深く考えてるような目をして、そしてまた視線を私に戻した。
「俺は・・・絢ちゃんにここにいて欲しい」
「え?」
「旅行だって短期なら頑張って耐える。百歩譲って引越しもいいよ。でも集公舎の近くか、俺の引っ越し先の近くにして」
「えぇ?」
「絢ちゃんに会えなくなるのは困るんだよ」
そう言い切った桃野くんを、川上さんは真剣な目で見つめていた。
・・・そして鳥雅からの帰り道、川上さんが突然言った。
「やっぱり明日、白金に戻る・・・最終話、俺に任せてくれるって言ったもんな?」
翌朝。
「家まで送りますよ」
桃野くんがちょっと寂しそうにそう言うと、
「やっぱ俺がいないと寂しいんだ。桃野はホント可愛いよなぁ。最終話書き終えたら、また一緒に住んでやるからな」
桃野くんの頭をくしゃくしゃに撫でて、すごく満足そうな顔をした。
つくづく、桃野くんと川上さんの関係って不思議。
きっと女の私には一生、理解できない世界。
桃野くんのE●Sは2ドアで4シーター。
だから、私が後部座席に荷物と一緒に座る。
たぶんここからだと、川上さんの家まで20分くらい。
私は運転席と助手席の間から顔を出して、2人と話をする。
「川上さん、もしかしてこの1カ月1度も家に帰ってないんですか?」
「あぁ、帰ってない」
「もしかしたら大変なことになってたりして」
私は腐敗した食べ物や、散らかった空き缶とか、かなりすさんだ部屋を想像していた。
だって川上さん、ホントに思いつきでいきなり私たちのマンションにやってきたし。
「それって、ゴキブリとかネズミとかっていう意味?」
運転していた桃野くんが、バックミラー越しに怪訝な顔をした。
「あ、それはないから大丈夫」
かなり自信ありげの川上さん。
「なんでそう言い切れるんですか?」
「掃除してくれる人がいるから」
「へ?そんな人が川上さんにいたんですか?」
私はもちろん、川上さんの「女の人」という意味で言っていた。
派手な女性遍歴を重ねている川上さんに、地味な家事をするような女の人がいると考えたことがなかったから、ちょっと驚いた。
「絢ちゃんいま、変なこと想像しただろ?」
「な、なんですか?!」
「別に愛人とかじゃないって。トシさんっていう家政婦さん。60歳は超えてるな」
「え?別にウソつかなくてもいいんですよ?」
「俺は絢ちゃん一筋だから安心しろ。他の女は全部切ったから」
「そんなこと聞いてませんよ!」
「絢ちゃん照れちゃって可愛いなぁ♪」
「「・・・」」
「せっかくだし、ちょっと寄ってけよ?お茶くらい出すからさ」
そういう川上さんに付いて行った先は、白金にある高級マンション。
さすが売れっ子脚本家。
「あれ、鍵が開いてる」
3人で中に入ると、女の人が掃除をしていた。
「あ、トシさん。やっぱりきてくれてたんだ」
「まぁ保さん。おかえりなさい。もう終わるところですよ」
ここ一カ月全く使われていなかった部屋を、ここぞとばかりに隅から隅まで綺麗にしたと、トシさんは誇らしげ。
「いやぁ、マジでぴかぴか。助かるよ」
「でも、戻ってきたってことはまたすぐに元に戻るってことねぇ」
トシさんは笑った。
ここもたぶん3LDK。
でも私のところより広いと思う。
トシさんはお掃除専門のはずなのに、私たちにお茶を入れてくれた。
優しい人だな。
「ねぇ、トシさん?」
「はい、なんでしょう?」
「俺が銀座に引っ越しても、掃除に来てくれる?」
ぷっ。
私と桃野くんは同時にお茶を吹きだした。
「構いませんよ?引っ越すんですか?」
「うん、たぶん来年の4月」
「本気ですか?!」
桃野くんはティッシュで口を拭きながら言った。
「ま、それまでに絢ちゃんを説得しないといけないけどな」
「ええ?」
トシさんは「山手線の内側だったらどこでも構いませんよ~」と笑って帰って行った。
「絢ちゃんさ」
川上さんが口火を開く。
「俺から逃げられると思うなよ」
「「は?」」
桃野くんもびっくりした顔をしてる。
「絢ちゃんの小説あれだけ売れてんだから相当財産あるんだろ?でも俺のもナメんな」
「どういう意味ですか?」
「どこに逃げたって、追っかけられるってこと。おまけに俺もどこでだって仕事できる。大事な時だけここに戻ってくればいい」
「・・・」
「言ったろう、覚悟しとけって。俺は脚本は捨てられない。でもそれ以外のモノは全部絢ちゃんにやる」
「そういう問題じゃ・・・」
「この1カ月は俺もかなり追い込まれてたし、桃野の監視もキツかったし、あんまり絢ちゃんに構ってあげられなかったんだけど」
「いや、十分構ってもらいましたよ?」
「俺、全然あんなもんじゃないから」
「「え?」」
「これからは遠慮なく行くからさ」
「「・・・」」
「まぁ、まだ最終話っていう山が残ってるけど、だいぶ余裕出来たし・・・桃野も覚悟しとけよ。これからはマジで行くからな」
「え?桃野くん?」
隣に座ってる桃野くんを見たら、お腹を抱えて爆笑していた。
「桃野、オマエなに笑ってんだよ」
「だって川上さん、言う相手を間違えてるから」
「なんでだよ?」
「絢ちゃんに好きな人がいるの、忘れたんですか?」
「忘れてねぇし」
川上さんは真面目な表情で、私を見据えた。
え?
「っていうか、絢ちゃんの好きなヤツなんて関係ねぇだろ。絢ちゃんはどうせ自分からそいつのところに行くつもりないんだからさ」
折角3人仲良く暮らしてきたのに、最後の最後で一発触発状態・・・
「なんでそんな話をここでするんですか?そういう話は普通、2人の時にするもんでしょ?」
私が川上さんを軽く睨むと
「2人の時ならいいんだ」
川上さんが嬉しそうに笑って、私の前髪を指で梳く。
「そういうんじゃないですけど・・・変でしょ」
「変じゃねぇよ。自分に正直で何が悪い?場所とかそんなの関係ないだろ」
ぷっ。
今の、すごく祐っぽかった。
「ツンな絢ちゃんも可愛いけど、笑ってる時はもっと可愛いよ」
川上さんがポンポンと私の頭をたたく。
「これからはその笑顔、俺だけに見せてよ」
「絢ちゃん、そろそろ帰ろう?」
不機嫌に席を立った桃野くん。
「オマエは1人で帰れ。絢ちゃんはこのままここにいろよ。必要なものは買い揃えばいいから」
桃野くんに気付かれないように私にウィンクをする川上さん。
一体何がしたいわけ?
「俺たち一緒に暮らしたら、絶対楽しいって。大事にするから―――」
川上さんの右手が、私の頬に近づいてきたとき・・・
「絢ちゃん帰ろう?ここは危険だから」
桃野くんは私の腕を無理やり掴んで、玄関へ引っ張ってゆく。
凄い力・・・なんですけど。
「ち、ちょっと、桃野くん!」
「絢ちゃん、桃野に虐められたらすぐにここに逃げておいで。タクシー代、俺に付けていいから。桃野、後で電話するからな」
川上さんはニヤリと微笑みながら、後ろで手を振っていた。
もの凄い勢いでE●Sを発車させた桃野くんは、口数が少なくて声がかけづらい。
横からだからよく見えないけど、なんとなく絶対零度の時の桃野くんの目をしてるような気がする。
「と、桃野くん・・・あの」
「さっきはごめん」
「なにが?」
「腕、痛くなかった?」
「うん、大丈夫だよ・・・びっくりしたけど」
「よかった。あの人さ・・・」
「ん?」
「全部わかってやってんだよ。賢くて、でも真っ直ぐで・・・・だからたまに、すげぇムカつく」
「何をわかってるの?」
「全部だよ。どのタイミングで何を言えばいいのかとか、川上さんの挑発に俺がどう反応するかとか」
「なんで挑発するの?そう言えば、脇さんも前に言ってた。川上さんは桃野くんの為にわざと「絢ちゃん」って呼んだって。なんでそんなことするの?」
はぁ。
桃野くんは深くため息を吐いた。
「絢ちゃんは知らなくていいんだよ。わかってるんだ、川上さんが悪い人じゃないってこと・・・あの人は悪意でそういうことをしてるんじゃない。むしろ、すごくフェアななんだよ・・・だから余計にムカつくんだけど」
桃野くんは脇さんと同じことを言っていた。
「でもまだ俺にはまだ見えないんだ・・・川上さんが何をどこに、どう持っていこうとしてるのか・・・あの人、賢すぎるから」
「・・・」
「・・・全く見えないんだよ」
*******************************
TOKYO CHIC 2030号
「君に会えたら」 第35話 掲載
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「終わった!」
11月30日(金)16時39分。
メールの送信ボタンを押した川上さんが、うーっと伸びをした。
「本当に1カ月ちょっとで元のスケジュールに戻った~!信じられない!」
「川上さんのこと、ちょっと見直しましたよ」
「ちょっとだけかよ?!」
第2話の見直し作業から始まり、第9話までを1カ月ちょっとで仕上げた川上さん。
本当にさすがとしかいいようがない。
脇さんからもすぐに「お疲れ様~、さすが川上だね」と電話がかかってきた。
「これも絢ちゃんと桃野のお陰だな」
「川上さんが俺に礼を言うなんてキモイ・・・」
「なんだよ、俺が素直に礼を言っちゃいけないのかよ?」
「今いち、真実味がなくて・・・」
「桃野、おまえ相当ひねくれてるぞ?」
「川上さんにだけですよ」
出会ったころはあんなに川上さんを嫌っていた桃野くんなのに、今は兄弟のように仲よく一緒に暮らしている。
沖縄の海で桃野くんが言ったように、人生って何があるかわからない。
ところで。
スケジュールの戻った川上さんは、いつここを出て行くのだろう?
川上さんと桃野くんとの3人の暮らしに慣れてしまって、もうどっちでもいいような気もするんだけど・・・
「今日はパーっと飲みに行こうぜ。もちろん俺の奢り!」
鳥雅の奥の御座敷を陣取って、ゆる~く飲み始めた私たち。
「ここマジでうまいよな~」
川上さんも気に入ってるみたい。
前に河野さんと一緒に来たから、これで2回目かな?
まだ10分も経ってないのに既にジョッキが2つ空いている。
「ペース早いんじゃないですか?沖縄の時みたいに酔いますよ?」
「いいじゃん、今日は打ち上げなんだし。潰れたら絢ちゃんに介抱してもらえるしね」
「「・・・」」
「しかし、絢ちゃんと桃野との3人暮らしがこんなに楽しいとは思わなかったなぁ」
枝豆をぽんっと勢いよく口にほおりこんだ。
「なぁ、俺、ここに住み続けていいだろ?その方が仕事も進むしさ」
ニヤリと笑って、桃野くんを見る川上さん。
絶対この話になるとは思ってたけど。
「約束の期間は終わったでしょう?」
呆れ顔の桃野くん。
「桃野だってここは3月末までなんだろ?どうせあと4カ月じゃん。それまで一緒に暮らそうぜ。楽しいぞ?」
「冗談は顔だけにしてください」
「ここ追い出されたら、その後、俺んとこ来いよ。部屋空いてるし」
「何で川上さんと暮らさないといけないんですか」
「そりゃ、絢ちゃんが好きだからに決まってんだろ?」
「俺が川上さんのところに行っても、絢ちゃんがもれなく付いてくるわけじゃないですよ」
「あ、そうか」
私たちは爆笑した。
「言う相手を間違えたな。じゃ、桃野があそこにいる間は桃野と一緒にあそこに住んで、その後は俺が桃野の部屋に引っ越すよ」
「「え?」」
「どうせ空くんだろ?本当は絢ちゃんと住みたいけど、とりあえず隣でもいいや。襲いに行けばいいだけのことだし、そのうちどっちかの部屋解約すればいいし」
「・・・」
桃野くんは絶句していた。
「でも、私もあそこからいなくなりますよ?」
「はぁ?」
「絢ちゃん、まだ引っ越そうと思ってんの?!」
桃野くんが叫ぶ。
「長期休暇に入るって言ったでしょ?もうそろそろ不動産屋さんに言わないとまずいかも・・・長く借りてたし」
「オムライスの話で、てっきりもうその話はなくなったんだと思ってた・・・」
「オムライス?」
「こっちの話ですよ・・・絢ちゃん、どういうこと?」
「オムライスは別に、ここに作りにくればいいから」
「・・・」
「それなら俺んとこ来ればいいよ。ちょうどいい」
「冗談は顔だけにしてください。休暇なんです!長期休暇!」
「俺のベッドで一緒に休めばいいじゃん。立てなくなるまで抱くと思うから、すげぇ休めると思うよ」
その瞬間、凄い勢いでおしぼりが飛んだけど、川上さんは予想してたのか余裕でそれをかわした。
「で?何処に行くつもりなの?」
「南の島に・・・誕生日に沖縄に連れてってくれたからてっきり川上さんも知ってるんだと思ってたんですけど。それに来年はサイパンっていいましたよね?」
「俺は絢ちゃんが沖縄かサイパンかトンガに行きたがってるって聞いただけだよ」
川上さんは桃野くんを睨んだ。
「だめだよそんなの。絶対に許さない」
「なんで川上さんに許してもらわないといけないんですか。休暇ですよ?!」
「桃野だって許すわけない。そうだろ、桃野?」
「俺は・・・」
複雑な表情の桃野くん。
「どうしても、引っ越したいの?」
「うん」
桃野くんはをジョッキをテーブルに置いて、私に向き合った。
「なんでそんなに遠いところに行きたいの?本当の理由は何?」
「それは・・・」
私は俯いた。
「前にさ、絢ちゃん、好きな人がいるって言ってたよね」
「うん」
「その人のせい?その人が原因で、遠くに行きたいの?」
「・・・ん、まぁ、そんなとこ」
桃野くんはしばらく無言だった。
何かを深く考えてるような目をして、そしてまた視線を私に戻した。
「俺は・・・絢ちゃんにここにいて欲しい」
「え?」
「旅行だって短期なら頑張って耐える。百歩譲って引越しもいいよ。でも集公舎の近くか、俺の引っ越し先の近くにして」
「えぇ?」
「絢ちゃんに会えなくなるのは困るんだよ」
そう言い切った桃野くんを、川上さんは真剣な目で見つめていた。
・・・そして鳥雅からの帰り道、川上さんが突然言った。
「やっぱり明日、白金に戻る・・・最終話、俺に任せてくれるって言ったもんな?」
翌朝。
「家まで送りますよ」
桃野くんがちょっと寂しそうにそう言うと、
「やっぱ俺がいないと寂しいんだ。桃野はホント可愛いよなぁ。最終話書き終えたら、また一緒に住んでやるからな」
桃野くんの頭をくしゃくしゃに撫でて、すごく満足そうな顔をした。
つくづく、桃野くんと川上さんの関係って不思議。
きっと女の私には一生、理解できない世界。
桃野くんのE●Sは2ドアで4シーター。
だから、私が後部座席に荷物と一緒に座る。
たぶんここからだと、川上さんの家まで20分くらい。
私は運転席と助手席の間から顔を出して、2人と話をする。
「川上さん、もしかしてこの1カ月1度も家に帰ってないんですか?」
「あぁ、帰ってない」
「もしかしたら大変なことになってたりして」
私は腐敗した食べ物や、散らかった空き缶とか、かなりすさんだ部屋を想像していた。
だって川上さん、ホントに思いつきでいきなり私たちのマンションにやってきたし。
「それって、ゴキブリとかネズミとかっていう意味?」
運転していた桃野くんが、バックミラー越しに怪訝な顔をした。
「あ、それはないから大丈夫」
かなり自信ありげの川上さん。
「なんでそう言い切れるんですか?」
「掃除してくれる人がいるから」
「へ?そんな人が川上さんにいたんですか?」
私はもちろん、川上さんの「女の人」という意味で言っていた。
派手な女性遍歴を重ねている川上さんに、地味な家事をするような女の人がいると考えたことがなかったから、ちょっと驚いた。
「絢ちゃんいま、変なこと想像しただろ?」
「な、なんですか?!」
「別に愛人とかじゃないって。トシさんっていう家政婦さん。60歳は超えてるな」
「え?別にウソつかなくてもいいんですよ?」
「俺は絢ちゃん一筋だから安心しろ。他の女は全部切ったから」
「そんなこと聞いてませんよ!」
「絢ちゃん照れちゃって可愛いなぁ♪」
「「・・・」」
「せっかくだし、ちょっと寄ってけよ?お茶くらい出すからさ」
そういう川上さんに付いて行った先は、白金にある高級マンション。
さすが売れっ子脚本家。
「あれ、鍵が開いてる」
3人で中に入ると、女の人が掃除をしていた。
「あ、トシさん。やっぱりきてくれてたんだ」
「まぁ保さん。おかえりなさい。もう終わるところですよ」
ここ一カ月全く使われていなかった部屋を、ここぞとばかりに隅から隅まで綺麗にしたと、トシさんは誇らしげ。
「いやぁ、マジでぴかぴか。助かるよ」
「でも、戻ってきたってことはまたすぐに元に戻るってことねぇ」
トシさんは笑った。
ここもたぶん3LDK。
でも私のところより広いと思う。
トシさんはお掃除専門のはずなのに、私たちにお茶を入れてくれた。
優しい人だな。
「ねぇ、トシさん?」
「はい、なんでしょう?」
「俺が銀座に引っ越しても、掃除に来てくれる?」
ぷっ。
私と桃野くんは同時にお茶を吹きだした。
「構いませんよ?引っ越すんですか?」
「うん、たぶん来年の4月」
「本気ですか?!」
桃野くんはティッシュで口を拭きながら言った。
「ま、それまでに絢ちゃんを説得しないといけないけどな」
「ええ?」
トシさんは「山手線の内側だったらどこでも構いませんよ~」と笑って帰って行った。
「絢ちゃんさ」
川上さんが口火を開く。
「俺から逃げられると思うなよ」
「「は?」」
桃野くんもびっくりした顔をしてる。
「絢ちゃんの小説あれだけ売れてんだから相当財産あるんだろ?でも俺のもナメんな」
「どういう意味ですか?」
「どこに逃げたって、追っかけられるってこと。おまけに俺もどこでだって仕事できる。大事な時だけここに戻ってくればいい」
「・・・」
「言ったろう、覚悟しとけって。俺は脚本は捨てられない。でもそれ以外のモノは全部絢ちゃんにやる」
「そういう問題じゃ・・・」
「この1カ月は俺もかなり追い込まれてたし、桃野の監視もキツかったし、あんまり絢ちゃんに構ってあげられなかったんだけど」
「いや、十分構ってもらいましたよ?」
「俺、全然あんなもんじゃないから」
「「え?」」
「これからは遠慮なく行くからさ」
「「・・・」」
「まぁ、まだ最終話っていう山が残ってるけど、だいぶ余裕出来たし・・・桃野も覚悟しとけよ。これからはマジで行くからな」
「え?桃野くん?」
隣に座ってる桃野くんを見たら、お腹を抱えて爆笑していた。
「桃野、オマエなに笑ってんだよ」
「だって川上さん、言う相手を間違えてるから」
「なんでだよ?」
「絢ちゃんに好きな人がいるの、忘れたんですか?」
「忘れてねぇし」
川上さんは真面目な表情で、私を見据えた。
え?
「っていうか、絢ちゃんの好きなヤツなんて関係ねぇだろ。絢ちゃんはどうせ自分からそいつのところに行くつもりないんだからさ」
折角3人仲良く暮らしてきたのに、最後の最後で一発触発状態・・・
「なんでそんな話をここでするんですか?そういう話は普通、2人の時にするもんでしょ?」
私が川上さんを軽く睨むと
「2人の時ならいいんだ」
川上さんが嬉しそうに笑って、私の前髪を指で梳く。
「そういうんじゃないですけど・・・変でしょ」
「変じゃねぇよ。自分に正直で何が悪い?場所とかそんなの関係ないだろ」
ぷっ。
今の、すごく祐っぽかった。
「ツンな絢ちゃんも可愛いけど、笑ってる時はもっと可愛いよ」
川上さんがポンポンと私の頭をたたく。
「これからはその笑顔、俺だけに見せてよ」
「絢ちゃん、そろそろ帰ろう?」
不機嫌に席を立った桃野くん。
「オマエは1人で帰れ。絢ちゃんはこのままここにいろよ。必要なものは買い揃えばいいから」
桃野くんに気付かれないように私にウィンクをする川上さん。
一体何がしたいわけ?
「俺たち一緒に暮らしたら、絶対楽しいって。大事にするから―――」
川上さんの右手が、私の頬に近づいてきたとき・・・
「絢ちゃん帰ろう?ここは危険だから」
桃野くんは私の腕を無理やり掴んで、玄関へ引っ張ってゆく。
凄い力・・・なんですけど。
「ち、ちょっと、桃野くん!」
「絢ちゃん、桃野に虐められたらすぐにここに逃げておいで。タクシー代、俺に付けていいから。桃野、後で電話するからな」
川上さんはニヤリと微笑みながら、後ろで手を振っていた。
もの凄い勢いでE●Sを発車させた桃野くんは、口数が少なくて声がかけづらい。
横からだからよく見えないけど、なんとなく絶対零度の時の桃野くんの目をしてるような気がする。
「と、桃野くん・・・あの」
「さっきはごめん」
「なにが?」
「腕、痛くなかった?」
「うん、大丈夫だよ・・・びっくりしたけど」
「よかった。あの人さ・・・」
「ん?」
「全部わかってやってんだよ。賢くて、でも真っ直ぐで・・・・だからたまに、すげぇムカつく」
「何をわかってるの?」
「全部だよ。どのタイミングで何を言えばいいのかとか、川上さんの挑発に俺がどう反応するかとか」
「なんで挑発するの?そう言えば、脇さんも前に言ってた。川上さんは桃野くんの為にわざと「絢ちゃん」って呼んだって。なんでそんなことするの?」
はぁ。
桃野くんは深くため息を吐いた。
「絢ちゃんは知らなくていいんだよ。わかってるんだ、川上さんが悪い人じゃないってこと・・・あの人は悪意でそういうことをしてるんじゃない。むしろ、すごくフェアななんだよ・・・だから余計にムカつくんだけど」
桃野くんは脇さんと同じことを言っていた。
「でもまだ俺にはまだ見えないんだ・・・川上さんが何をどこに、どう持っていこうとしてるのか・・・あの人、賢すぎるから」
「・・・」
「・・・全く見えないんだよ」
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海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
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海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
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私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~
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