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Chapter 0:「アシュフィ」
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【3月19日(月)】
「ねぇ絢(あや)、また桃野(とうの)くんが来てるよ?」
「アッシュフィールド(通称アシュフィ)」は、銀座にあるテイクアウト専門の超人気洋菓子店。
蔦に覆われたカントリー調の建物。
玄関前の小さな庭には、ラベンダーや木苺などの飾らない植物。
その庭に無造作に置かれたウッドテーブルでは、お客さんが休憩することができる。
そして今、そのウッドテーブルで缶コーヒー片手に佇んでいるのは、
――――桃野くん。
女の子たちが顔を赤くしながら、彼の横を通り過ぎてゆく。
「うわ、ホントだ!ち、ちょっと行って来る!」
私は桃野くんの元へ猛ダッシュ。
桃野くんは焦った顔をして駆け寄ってくる私を嬉しそうに眺めている。
「桃野くんが言いたいことはわかってるから!お願いだからここでプレッシャーかけないでよ?」
「仕事、あと10分で終わりだよね。待ってるから、仲良く一緒に帰ろうよ、ね?」
私は知ってる。
爽やかな笑顔のその裏に、悪魔のような思惑があること。
私はがっくりと肩を下げ、渋々店内に戻った。
「桃野くん、何だって?」
アシュフィのオーナーでパティシエの智志さんも興味津々で会話に入ってきた。
智志さんは陽子のダンナ様でもある。
「待ってるから、仲良く一緒に帰ろう、って・・・」
「うわっ、怖!せっかくのイケメンが台無しだよねぇ」
「そりゃ、ある意味脅迫だよなぁ・・・」
二人とも、ひとごとだと思って本当に楽しそう。
そしてきっかり10分後。
見計らったように、そして無表情で、桃野くんはアシュフィの店内に寡黙に入ってきた。
黒いオーラ全開。
私は智志さんから、アシュフィ特製プリンが入った箱をまさに受け取るところだ。
「俺が持つよ」
桃野くんは左手でその箱を智志さんからかっさらうと、右手で私の二の腕を掴んで颯爽と歩きだす。
ひぇ~。
「絢が拉致された~!」
遠くの方で、智志さんと陽子が笑いながら手を振っているのが見えた。
「桃野くん!そんなにしっかり掴まなくても私は逃げも隠れもしないよ!」
「誰がその言葉を信じるんだよ。もう4日も締め切りを過ぎてるんだ。アシュフィを手伝ってる場合じゃないの、わかってるよね?」
「だ、大丈夫だって!アシュフィでアイデア貰ってきたから!即効で仕上げるから!」
「「片桐先生」その言葉、ちゃんと覚えておいてくださいね?」
「片桐先生」というのは私のこと。
私は「片桐純」として物書きをしている。
外部とのミーティングでもないのに私を「片桐先生」と呼ぶときは、口調は穏やかでも相当怒ってるとき。
ちなみに私は本名が「立花絢(たちばなあや)」だから、普段は私を「絢ちゃん」と呼ぶ。
アシュフィから徒歩10分ほどの場所にある私のマンションに到着したときには、私の息は絶え絶え。
でも桃野くんはそんなことはお構いなし。
まるで自分の家であるかのように、合鍵を使ってドアを開け、私を仕事部屋に押し込んだ。
「さてと、じゃあ俺はここで待機してるから。「片桐先生」よろしくお願いしますね?」
桃野くんはリビングにある真っ赤な牛皮のソファー(通称、赤ソファー)に座り、ノートパソコンを膝の上で広げた。
ここで誤解のないように言っておかなければならない。
この後桃野くんは、さっき智志さんから貰ってきたプリンに、エスプレッソマシーンで作ったコーヒーを付けて仕事部屋に運んでくれ、夕食にはサラダうどんをコンビニで買ってきてくれた。
本当は、桃野くんはとても優しい人。
私は、3つのものがあれば「この世」で生きていける。
執筆、コーヒー、そして桃野くん。
たったそれだけ。
とてもシンプルな人生。
でも優先順位をつけると、
執筆
↑
桃野くん
↑
コーヒー
となる。
言うなれば。
執筆はいのち、桃野くんは太陽。
いのちと違って、太陽はどこかにいてくれないと困るけど、いつもそこになくてもいい。
だから桃野くんとは、これからも物書きと担当者して末永く付き合っていけたらいいと思っている。
桃野くんに仕事部屋に押し込まれてから約9時間後。
午前0時。
私は仕事部屋のドアをそっと開けた。
桃野くんはノートパソコンを抱えたまま、赤ソファーで寝ていた。
私が締め切りを破ったせいで、いろんなところからプレッシャーを受けて疲れたんだと思う。
ごめんね、桃野くん。
私は桃野くんに近寄って、寝顔をまじまじと見た。
陽子がイケメンだというのも頷ける。
無精ひげがやけにセクシー。
もうちょっと眺めていたかったけど、時間も時間なので諦めて、私は優しく桃野くんの肩を揺らした。
「桃野くん、原稿できたよ」
「・・・あ、ごめん、つい・・・」
手の甲で目を擦る姿がなんとも可愛い。
熟睡していたのだろう。
完全に寝ぼけている。
20代半ばの男の人とは思えない。
「こんな時間になっちゃってごめんね。これから集公舎に戻るの?」
桃野くんの勤める集公舎の本社は、同じ銀座にある。
アシュフィのすぐそば。
ここからだと徒歩12-3分くらい。
「今何時?うわっ、超ビミョー。どうしようかなぁ・・・」
家に戻るんだったら終電ギリギリというところ。
「本当にごめんね、桃野くん・・・」
「仕上げてくれたから許す。くくっ。いいよ、そんな顔しなくても」
「疲れてるんでしょ?ここで寝ていけば?」
「・・・そう、させてもらおうかな・・・今日はさすがに帰るのキツイ・・・」
担当者が原稿を待って、作家の家で雑魚寝をすることは珍しいことじゃない。
といっても私の場合、ここ半年ほどは桃野くんだけ。
私の仕事の8割が集公舎からっていうのもあるし、
他の雑誌社の担当者はそれほど親しくないから、ここに泊めたくないし、向こうも泊ろうとはしない。
誤解のないようにあらかじめ言っておくけど、
私的な感情で、集公舎の仕事を増やしてるわけじゃない。
集公舎は「片桐純」にいい仕事をさせてくれるから仕事量が増えているだけ。
元々集公舎の私の担当は、飯島さんという男性(現在推定50歳)だった。
処女作「パラレルワールド」が集公舎の文芸大賞を受賞した、17歳のときに知り合って、
半年前に桃野くんが担当を引き継ぐまでの3年半、お世話になった。
今では、飯島さんはなんと集公舎の副社長。
担当した私の本がバカ売れしているから昇進した、と笑っていたけど、冗談なのか本当なのかはわからない。
冗談好きな人だから。
でもたしかに「片桐純」の小説は売れている。
もう生活のために一生働かなくてもいいくらい売れ続けている。
文壇デビューから4年で、「片桐純」という物書きは多くの人に知られるようになっていた。
桃野くんは慣れた手つきで簡易ベッドをリビングに配置し始めた。
なぜ彼がここにマイベッドを置いているのか?
それは半年前、彼が担当になった直後、私が「メメント・モリ」という小説の締め切りを大幅に破った時、ここに長く住みついてたから。
赤ソファーもごろ寝するには十分な大きさだと思うけど、長身の桃野くんが毎日寝るのには、ちょっと無理があったみたい。
ま、ある意味ずうずうしい気もするけど、折りたたみ式のそれは邪魔にはならないので、以降そのまま放置してある。
「コーヒー飲む?シャワーは?」
「シャワーは明日の朝でいいや。コーヒーは貰おうかな」
私はキッチンにあるエスプレッソマシーンで2人分のコーヒーを入れる。
ため息からるようなた深い香り。
深呼吸をするだけで癒される。
原稿を書き上げた後のこの一杯は欠かせない。
「やっぱ、絢ちゃんの入れるコーヒーがこの世で一番うまいな・・・すげぇホッとする」
「このコーヒー豆、ホントおいしいよね」
実は半年前まで、私は全くコーヒーを飲まなかった。
あんなに健康に悪そうな真っ黒い飲み物を、なぜ多くの人が好んで飲むのか理解できなかったのだ。
でも、桃野くんがいつも片手に缶コーヒーを握っているのを見て興味が湧いた。
そしてその後、缶コーヒー、インスタントコーヒーを含む膨大な数のコーヒーを試して、
私はついに自分が「これだ」と思うコーヒー豆を見つけ出した。
無農薬、コスタリカ産。
ネット限定販売の貴重品。
今もたまに違う豆やロースト方法を試してみるけど、このコーヒー豆を超えるものはまだない。
「コーヒー豆もそうだけど、絢ちゃんの入れ方だよ。俺が入れても同じ味出ないし・・・何が違うんだろ」
「たしかに、ミルクの量と温度のバランスもあるけどね」
「・・・絢ちゃん、プリンも食べていい?」
甘える子供のように上目使い。
この甘えモードは無意識。
疲れてるうえに、この時間帯だから。
「もちろんだよ。勝手に食べていいんだよ?桃野くんと食べるために貰ってくるんだから」
「うん。ありがとう、絢ちゃん」
甘いものが苦手な桃野くんだけど、アシュフィのプリンは大好きで、本当においしそうに食べる。
プリンをその美しい口に入れた瞬間の笑顔はまるで天使。
それを間近で拝める私は本当にラッキー。
桃野くんの笑顔は、私の癒しなのだ。
桃野くんはやっぱりすごく疲れてたみたい。
濃厚なコーヒーを飲んだあとなのに、またすぐにすやすやとマイベッドで寝始めた。
それを見届けた私は、静かに自分の寝室に戻ったけれど、眠れなくて、また執筆を始めた。
私は4月から「TOKYO CHIC」という雑誌に、一年間の契約(全48話)で新小説を連載する。
「TOKYO CHIC」は毎週月曜発売。集公舎出版。
10代後半から20代半ばまでの女性をターゲットにした人気雑誌。
今日仕上げた原稿も含めて、既に4話分は書き終わっている。
大学最後の年に、こんなプレッシャーを自分に与えて大丈夫なのだろうかとも思ったけど、桃野くんにも説得されて私はやってみることにした。
ある意味、私はこの仕事に特別な思い入れがある。
締め切りに追われて、手を抜くようなことは絶対にしたくない。
気がついた時には、窓の外が明るくなっていて、リビングからガチャガチャと物音が聞こえてきた。
覗くと、桃野くんがマイベッドを畳んでいる。
「絢ちゃんおはよう。・・・また徹夜したの?」
「うん、気が付いたら朝だった・・・」
「俺のことはいいから寝なよ。ちゃんと鍵は閉めていくから・・・ちょっと休んだ方がいい」
「大丈夫、桃野くんを見送ってから寝るから」
そして、桃野くんはシャワーを浴び、私が入れたコーヒーを飲み、
「じゃ、あとでまた電話するから」と言って部屋を出て行った。
「ねぇ絢(あや)、また桃野(とうの)くんが来てるよ?」
「アッシュフィールド(通称アシュフィ)」は、銀座にあるテイクアウト専門の超人気洋菓子店。
蔦に覆われたカントリー調の建物。
玄関前の小さな庭には、ラベンダーや木苺などの飾らない植物。
その庭に無造作に置かれたウッドテーブルでは、お客さんが休憩することができる。
そして今、そのウッドテーブルで缶コーヒー片手に佇んでいるのは、
――――桃野くん。
女の子たちが顔を赤くしながら、彼の横を通り過ぎてゆく。
「うわ、ホントだ!ち、ちょっと行って来る!」
私は桃野くんの元へ猛ダッシュ。
桃野くんは焦った顔をして駆け寄ってくる私を嬉しそうに眺めている。
「桃野くんが言いたいことはわかってるから!お願いだからここでプレッシャーかけないでよ?」
「仕事、あと10分で終わりだよね。待ってるから、仲良く一緒に帰ろうよ、ね?」
私は知ってる。
爽やかな笑顔のその裏に、悪魔のような思惑があること。
私はがっくりと肩を下げ、渋々店内に戻った。
「桃野くん、何だって?」
アシュフィのオーナーでパティシエの智志さんも興味津々で会話に入ってきた。
智志さんは陽子のダンナ様でもある。
「待ってるから、仲良く一緒に帰ろう、って・・・」
「うわっ、怖!せっかくのイケメンが台無しだよねぇ」
「そりゃ、ある意味脅迫だよなぁ・・・」
二人とも、ひとごとだと思って本当に楽しそう。
そしてきっかり10分後。
見計らったように、そして無表情で、桃野くんはアシュフィの店内に寡黙に入ってきた。
黒いオーラ全開。
私は智志さんから、アシュフィ特製プリンが入った箱をまさに受け取るところだ。
「俺が持つよ」
桃野くんは左手でその箱を智志さんからかっさらうと、右手で私の二の腕を掴んで颯爽と歩きだす。
ひぇ~。
「絢が拉致された~!」
遠くの方で、智志さんと陽子が笑いながら手を振っているのが見えた。
「桃野くん!そんなにしっかり掴まなくても私は逃げも隠れもしないよ!」
「誰がその言葉を信じるんだよ。もう4日も締め切りを過ぎてるんだ。アシュフィを手伝ってる場合じゃないの、わかってるよね?」
「だ、大丈夫だって!アシュフィでアイデア貰ってきたから!即効で仕上げるから!」
「「片桐先生」その言葉、ちゃんと覚えておいてくださいね?」
「片桐先生」というのは私のこと。
私は「片桐純」として物書きをしている。
外部とのミーティングでもないのに私を「片桐先生」と呼ぶときは、口調は穏やかでも相当怒ってるとき。
ちなみに私は本名が「立花絢(たちばなあや)」だから、普段は私を「絢ちゃん」と呼ぶ。
アシュフィから徒歩10分ほどの場所にある私のマンションに到着したときには、私の息は絶え絶え。
でも桃野くんはそんなことはお構いなし。
まるで自分の家であるかのように、合鍵を使ってドアを開け、私を仕事部屋に押し込んだ。
「さてと、じゃあ俺はここで待機してるから。「片桐先生」よろしくお願いしますね?」
桃野くんはリビングにある真っ赤な牛皮のソファー(通称、赤ソファー)に座り、ノートパソコンを膝の上で広げた。
ここで誤解のないように言っておかなければならない。
この後桃野くんは、さっき智志さんから貰ってきたプリンに、エスプレッソマシーンで作ったコーヒーを付けて仕事部屋に運んでくれ、夕食にはサラダうどんをコンビニで買ってきてくれた。
本当は、桃野くんはとても優しい人。
私は、3つのものがあれば「この世」で生きていける。
執筆、コーヒー、そして桃野くん。
たったそれだけ。
とてもシンプルな人生。
でも優先順位をつけると、
執筆
↑
桃野くん
↑
コーヒー
となる。
言うなれば。
執筆はいのち、桃野くんは太陽。
いのちと違って、太陽はどこかにいてくれないと困るけど、いつもそこになくてもいい。
だから桃野くんとは、これからも物書きと担当者して末永く付き合っていけたらいいと思っている。
桃野くんに仕事部屋に押し込まれてから約9時間後。
午前0時。
私は仕事部屋のドアをそっと開けた。
桃野くんはノートパソコンを抱えたまま、赤ソファーで寝ていた。
私が締め切りを破ったせいで、いろんなところからプレッシャーを受けて疲れたんだと思う。
ごめんね、桃野くん。
私は桃野くんに近寄って、寝顔をまじまじと見た。
陽子がイケメンだというのも頷ける。
無精ひげがやけにセクシー。
もうちょっと眺めていたかったけど、時間も時間なので諦めて、私は優しく桃野くんの肩を揺らした。
「桃野くん、原稿できたよ」
「・・・あ、ごめん、つい・・・」
手の甲で目を擦る姿がなんとも可愛い。
熟睡していたのだろう。
完全に寝ぼけている。
20代半ばの男の人とは思えない。
「こんな時間になっちゃってごめんね。これから集公舎に戻るの?」
桃野くんの勤める集公舎の本社は、同じ銀座にある。
アシュフィのすぐそば。
ここからだと徒歩12-3分くらい。
「今何時?うわっ、超ビミョー。どうしようかなぁ・・・」
家に戻るんだったら終電ギリギリというところ。
「本当にごめんね、桃野くん・・・」
「仕上げてくれたから許す。くくっ。いいよ、そんな顔しなくても」
「疲れてるんでしょ?ここで寝ていけば?」
「・・・そう、させてもらおうかな・・・今日はさすがに帰るのキツイ・・・」
担当者が原稿を待って、作家の家で雑魚寝をすることは珍しいことじゃない。
といっても私の場合、ここ半年ほどは桃野くんだけ。
私の仕事の8割が集公舎からっていうのもあるし、
他の雑誌社の担当者はそれほど親しくないから、ここに泊めたくないし、向こうも泊ろうとはしない。
誤解のないようにあらかじめ言っておくけど、
私的な感情で、集公舎の仕事を増やしてるわけじゃない。
集公舎は「片桐純」にいい仕事をさせてくれるから仕事量が増えているだけ。
元々集公舎の私の担当は、飯島さんという男性(現在推定50歳)だった。
処女作「パラレルワールド」が集公舎の文芸大賞を受賞した、17歳のときに知り合って、
半年前に桃野くんが担当を引き継ぐまでの3年半、お世話になった。
今では、飯島さんはなんと集公舎の副社長。
担当した私の本がバカ売れしているから昇進した、と笑っていたけど、冗談なのか本当なのかはわからない。
冗談好きな人だから。
でもたしかに「片桐純」の小説は売れている。
もう生活のために一生働かなくてもいいくらい売れ続けている。
文壇デビューから4年で、「片桐純」という物書きは多くの人に知られるようになっていた。
桃野くんは慣れた手つきで簡易ベッドをリビングに配置し始めた。
なぜ彼がここにマイベッドを置いているのか?
それは半年前、彼が担当になった直後、私が「メメント・モリ」という小説の締め切りを大幅に破った時、ここに長く住みついてたから。
赤ソファーもごろ寝するには十分な大きさだと思うけど、長身の桃野くんが毎日寝るのには、ちょっと無理があったみたい。
ま、ある意味ずうずうしい気もするけど、折りたたみ式のそれは邪魔にはならないので、以降そのまま放置してある。
「コーヒー飲む?シャワーは?」
「シャワーは明日の朝でいいや。コーヒーは貰おうかな」
私はキッチンにあるエスプレッソマシーンで2人分のコーヒーを入れる。
ため息からるようなた深い香り。
深呼吸をするだけで癒される。
原稿を書き上げた後のこの一杯は欠かせない。
「やっぱ、絢ちゃんの入れるコーヒーがこの世で一番うまいな・・・すげぇホッとする」
「このコーヒー豆、ホントおいしいよね」
実は半年前まで、私は全くコーヒーを飲まなかった。
あんなに健康に悪そうな真っ黒い飲み物を、なぜ多くの人が好んで飲むのか理解できなかったのだ。
でも、桃野くんがいつも片手に缶コーヒーを握っているのを見て興味が湧いた。
そしてその後、缶コーヒー、インスタントコーヒーを含む膨大な数のコーヒーを試して、
私はついに自分が「これだ」と思うコーヒー豆を見つけ出した。
無農薬、コスタリカ産。
ネット限定販売の貴重品。
今もたまに違う豆やロースト方法を試してみるけど、このコーヒー豆を超えるものはまだない。
「コーヒー豆もそうだけど、絢ちゃんの入れ方だよ。俺が入れても同じ味出ないし・・・何が違うんだろ」
「たしかに、ミルクの量と温度のバランスもあるけどね」
「・・・絢ちゃん、プリンも食べていい?」
甘える子供のように上目使い。
この甘えモードは無意識。
疲れてるうえに、この時間帯だから。
「もちろんだよ。勝手に食べていいんだよ?桃野くんと食べるために貰ってくるんだから」
「うん。ありがとう、絢ちゃん」
甘いものが苦手な桃野くんだけど、アシュフィのプリンは大好きで、本当においしそうに食べる。
プリンをその美しい口に入れた瞬間の笑顔はまるで天使。
それを間近で拝める私は本当にラッキー。
桃野くんの笑顔は、私の癒しなのだ。
桃野くんはやっぱりすごく疲れてたみたい。
濃厚なコーヒーを飲んだあとなのに、またすぐにすやすやとマイベッドで寝始めた。
それを見届けた私は、静かに自分の寝室に戻ったけれど、眠れなくて、また執筆を始めた。
私は4月から「TOKYO CHIC」という雑誌に、一年間の契約(全48話)で新小説を連載する。
「TOKYO CHIC」は毎週月曜発売。集公舎出版。
10代後半から20代半ばまでの女性をターゲットにした人気雑誌。
今日仕上げた原稿も含めて、既に4話分は書き終わっている。
大学最後の年に、こんなプレッシャーを自分に与えて大丈夫なのだろうかとも思ったけど、桃野くんにも説得されて私はやってみることにした。
ある意味、私はこの仕事に特別な思い入れがある。
締め切りに追われて、手を抜くようなことは絶対にしたくない。
気がついた時には、窓の外が明るくなっていて、リビングからガチャガチャと物音が聞こえてきた。
覗くと、桃野くんがマイベッドを畳んでいる。
「絢ちゃんおはよう。・・・また徹夜したの?」
「うん、気が付いたら朝だった・・・」
「俺のことはいいから寝なよ。ちゃんと鍵は閉めていくから・・・ちょっと休んだ方がいい」
「大丈夫、桃野くんを見送ってから寝るから」
そして、桃野くんはシャワーを浴び、私が入れたコーヒーを飲み、
「じゃ、あとでまた電話するから」と言って部屋を出て行った。
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