[完]田舎からの贈り物

小葉石

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 静香と一緒になったのは正解だった。

 田中九郎はiPhoneの画面を見つめつつ、通勤電車の中でニヤリ、と笑いそうになる所をグッと堪えた。
 
 九郎は中小企業のサラリーマン。夫婦揃って子供ができるまで貯金をし、長女が産まれてから念願だった一戸建てを首都圏郊外に購入したのは去年の事。注文住宅では無い建売だったけれども、こじんまりとしたマイホームが夢だった九郎夫婦には十分だった。妻の静香は幼稚園に上がった娘の世話の合間に、毎日の様に庭の手入れをしてくれており、徐々にだが小さいながらも庭の景観が充実して来ている。
 九郎の楽しみは、そんな静香からの庭の様子やらの小さな報告を通勤中にiPhoneで見る事だ。

 いや、毎日自宅から出勤しているのだから家に帰って来た時や朝の時間に話せば良いのかも知れないが、夜は夜で九郎は遅くなるし、朝は朝で子供の事を話したり出勤や通園準備にと忙しいもので、ゆっくりとそんな事を話す時間が取れないものだ。

 今静香は庭に数種類の花を植えているという。味気ない庭の地面も彩りの花が咲いたら一気に華やかになるに違いない。楽しみな事に、田舎にいる九郎の母にも時折そんな庭の様子を伝えてくれているらしい。静香は花好きな親の為に写真も送ろうと今からワクワクしている様だ。時折、妻が送って来る写真の中に小さな手や、頭が映る。長女が何やら手伝っているらしかったが手伝いになっているのかいないのか、考えたら更にニヤケてくる。

 静香は本当に毎日楽しそうにしてくれていて九郎も嬉しかった。
 ただ申し訳ないと思った事は、仕事が忙しいという事だろうか………

「ごめんよ、静香……美沙…今年はどうしてもこの研修に出なくちゃいけないんだ……」

 しがない一サラリーマン……家族の為ならば昇給をかけた研修を欠席する選択肢は無い………

「え~~~!!!パパは行かないの!?」

「おや、美沙はパパがいないと寂しいのかなぁ~~?」

 寂しくて、駄々を捏ねるなんて5歳になってもまだまだ可愛い…!毎年楽しみにして来た家族での帰省ではなく、今年はどうしても九郎の仕事の都合で夏休みを使っての研修に参加をしなければならなかった。ただの平社員から役職がついて来れば収入にも差が出るというもの。

「別に~~パパが居なくても、寂しくはないけど~~~」

 少し、プ~ッと膨らませた美沙のほっぺが可愛い…うちの娘は全てが可愛い…!この子の為にも、パパは頑張るぞ!

「悪いな…静香、もう行かなきゃ…!美沙の事お願いできるか?」

「……しょうがないわよね?残念だけど……パパ、お仕事頑張ってくれてるんだもんね?ね?美沙、パパがお仕事頑張った後に、楽しい事しようか?」

「え?なぁに?楽しい事ってなぁに?」

 静香の言葉にパッと元気に返事を返す美沙。
良かった、機嫌は直った様だな。

「それを、一緒に考えようか、美沙?それも楽しそうでしょ?」

「うん!うんそうする!美沙、パパとママと楽しい事するの考えるよ!」

「そうかぁ~じゃあ、パパ頑張って早く仕事終われる様にするからな~ママといい子で待ってて美沙?」

「分かった!行ってらっしゃい!」

 可愛い娘の姿に後ろ髪を引かれながら、九郎は手を振りつつ今日も仕事へと出掛けて行った。




「よぉ~!田中くん!調子はどうよ?」

 会社の飲み会の後、同期数名で小洒落たバーに流れて来た。今、バンバンと九郎の背中を叩いているのは同期の青木だ。何時もは真面目そうな優等生顔なんだが、酒が入ると気が緩んで物凄くフレンドリーになる。

「いって…まあまあだよ~今日の飯は美味かったなぁ…」

 和食好きな九郎には最初の和食風の居酒屋料理が気に入った…お袋の味に似ているのか?今度静香にも作ってもらおう。気が効く静香は実は料理も上手と言う、言うことなし、の嫁だ。

「本当になぁ、お前モリモリ食べてたもんな?」

「そうそう!あの肉の佃煮がまた美味くてさ!酒に合うっての!」

「ははっ!飲み過ぎじゃん?帰ったって嫁さん達居ないんだろ?」

 それもそのはず、今日から静香と美沙は九郎の田舎に帰っている。九郎は連続して続いていく研修の為どうしても夏休みが合わせられなかった…

「そうなんだよ~良いなぁ、今頃美沙達はお袋の料理腹一杯食ってるだろうなぁ……」

 酒も相当入り、ポヤポヤした頭で九郎は田舎のことを考える。

 九郎の実家は文字通りの田舎だ。自然が多く、山や川で子供の頃はそれはそれは思いっきり遊んだものだ。美沙も大きくなって来て、渓流釣りや川遊びなんかにも喜んで付いて来てくれる様になって…ますます楽しくなって来たもんだ。


「お~~い!!山田くん~!?起きてるか?寝てるぞ~~!」

 人が気持ち良く考えに耽っている時に青木は遠慮もなく肩をガシッと組んでくる。

「も~~青木さんったら、いつもに増して絡んできますねぇ……」

 ガシガシ揺すられている九郎を見かねて、緩いウェーブの髪を緩くフワリと纏めた小柄な女性が近づいて来た。くりくりした目が印象的な二期下の山岸だ。

「ほらほら、もうお開きにするんですって!青木さんも山田さんも、立てます?」

 山岸は同期ではなく後輩だ。が、顔と体型に合わずにザルな彼女は、飲み会の席では介抱役としてよく参加してくれている。今日もその口なんだろう。甲斐甲斐しく、酔っ払った男共の荷物なんかを纏め始めてくれている。

「サァンキュ~~山岸ちゃあ~ん!」

 見た目もデロデロの九郎が山岸の後ろからおぶさる様に抱きついた。

「おぉ~い!やめとけって!山田~セクハラだぞ~~」

「あはは…良いですって青木さん、いつもの事ですから!で!このまま山田さん送ってっちゃいますけど、良いですよね?」

 帰る方向が同じな為にいつもの様にタクシーで九郎を送る山岸はできた後輩だ。

「おぉ~よろしく~」

 その晩はそれでお開きとなり、皆んな足取りは怪しくもそれぞれの帰路へとついて行った。
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