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「坊っちゃま…こちらになります。」

 家の者達からの定期連絡。いつもの様に就寝前に読むのが日課となりつつある。今日一日の活動報告なる物がざっと時系列で並び、最後の欄には対象者に対する変化などがまとめてあった。

「!?」

 そこで、タントルはいつもと違う内容を目にすることになる。

「ソワイユ伯爵家に…?どこの者だ?」

 つい最近メリカの屋敷にどこの誰とも分からぬ紳士が訪問したらしい旨が報告書には書かれていた。側につけている者はメリカ自身を対象としているので、訪問した者についての報告は今しばらくかかるだろうと思われる。
 しかしメリカにとっては余程大切な間柄と見えて、訪問時の出迎えには両親を含めた家族総出での出迎えだったらしい。婚約者であったタントルはこの様な出迎えをここ最近受けてはいない…

「私の出迎えにも、ここまでは……」

「何の、事です?お兄様?」

 深夜の寝室にも拘らず、寝台からは眠たげな声がする。

「あぁ、寝ていて良い。お前には関係ないことだよ。」

「ソワイユ伯爵との名前が聞こえましたわ?」

「……」

「まだ、メリカ様の事をお諦めにはなりませんの?」

 タントルのベッドにいる侯爵令嬢シャーナとは、幼い頃から過ごす時間は長かった。兄妹の様に育った時期もあるほどに自分達は身近な関係にあるのだし、少しだけシャーナが攻める様な物言いになったとしても仕方がないだろう。

「シャーナには関係のない事だろう?」

 どうせそれぞれお互いに婚約者を作り、家庭を築いて行く…それが自分達の行く道だし、家の為にもやらなければならない事だ。だから今だけの関係の自分達にはお互いに何も言えるはずがない。

「私とも、こんな関係ですのに…?」

「何を言う…お前にだとてそろそろ縁談が来るだろう?それまでの遊びなんだから…」

 その遊びが過ぎてメリカでも許せないほどだったのに、タントルは全く遊ぶことに関しては反省の色も無いらしい。

「お兄様がそう言うのでしたら、私は従いますけど、なんだか悔しいのですわ……」

 小さい頃から身近にいて、兄とも慕い懐いてきたタントルと恋人の様な関係になっても、自分達の立ち位置は変わらなくて…それでも一緒にいられるならばと納得してきたのに、一緒にいる時間さえ今タントルはメリカの為に使おうとする。

「今まで通りでしたら、別に構いませんでしたのに……」
 
 自分といる時のタントルの心も身体も自分のもの…その他の時に誰と何をしていても決して妬きもしなかったのに、今のタントルは以前とは違う……

「何を言っているんだ?前とは状況が違うだろう?お互いに大人になったんだ。シャーナ、割り切らなくてはいけないよ?」

(お兄様…貴方様が一番、割り切れてはいらっしゃらないのですわ)

 いつかそれを指摘してみようと試みた事があるのだが、タントルはそんなシャーナの気持ちなど気付きもしないでシャーナを独自の理論で黙らせてしまった。タントルにとってのメリカとの婚約破棄はお仕置きの一つに過ぎなくて、いつか自分の手元にメリカが帰ってくるとタントルは信じてまだ疑っていない。

 そもそもメリカとの婚約はタントルの一目惚れで始まった婚約だった。今まで女性から振られるなんて事がなかったであろうタントルには、引き際なんて言葉さえ実感のないものなのかもしれない。

「では、大人となったメリカ様は、いつ、お兄様の元に帰ってきますの?」

「…メリカはヘソを曲げているだけなんだよ。」

「高貴な産まれのお兄様に対して?大人の女性が?そんな事、許されますの?」

(そうよ…メリカと言い、金色の野良猫ステイシーと言い…人に何の断りもなく、勝手にお兄様の隣に居て当たり前のように…)

「許す……?」

「そうですわ。ステイシー様とて随分と勝手なお振る舞いではありませんでしたか?この頃目に入りませんので清々としていましたけど…きっとメリカ様だってお兄様のお気持ちを弄んでいるのですわ。」

「私を…弄ぶ?」

「ええ、そうでございましょう?お兄様がこんなにも思っておられると言うのに、メリカ様ったら一言の音沙汰も無く…挙句にはどこぞのどなたかとよろしくしているんではありませんの?」

「………メリカは…そんな女ではない……」

 その証拠にタントルが誘おうとしても靡かないのだから。

(そんな盲信……いつまで持っておられるつもりなんですの?)

 シャーナの心もいい加減ざわついて仕方が無い。

「そんな、がどんな方か存じませんけど、ご訪問者の方とは潔白であれば宜しいですわね?」

「シャーナ…!そんな意地の悪い言い方をするものでは無い…!」

 先日会った特使との関係は……?シャーナに言われるまでもなく、タントルの中でも疑惑が生まれる。特使は非常に親しげにメリカに語りかけ、メリカも少なからず心を許している様にも見えた。

「メリカは…私の妻となるんだ。」

 あの絹の様な美しい髪を私のためだけに毎夜散らし毎朝整い上げて、澄んだあの瞳で、尊敬と愛情を込めて私を仰ぎ見る様になるんだ。

 テーブルの上に広げた報告書をグシャリ、と握りつぶしながらタントルは空な笑みを貼り付けていた。

 






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