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「イリヤーナ様?」

「あの、このお屋敷に入る前に、馬車を止められまして………」

「まぁ、馬車を?」

「はい……止められたのは、ユラン様ですが………」

「!?」

「ラシーナ様がどうお過ごしかとか、お元気なのか、等色々聞かれましてございます。」

「なんとお答えになりまして?」

「はい、こちらのお屋敷に参るのは今日が初めてなので、ラシーナ様がどうお過ごしなのかは分かりかねます、とだけ……」

「屋敷の侍女達がですね………どうにも同じ事をエイドルフ様から聞かれている様でして……」

 なんとも困惑気味のカルタス執事。ここ数日の侍女達からの報告によると、決まって朝と夕には屋敷の周りでウロウロと身を隠しつつ屋敷の中を伺う様なユランの姿が目撃されているという。目が合えば呼び止められることもあり、使いに行く侍女などが屋敷の門を出入りする際には、それは慎重に素早く行動しなくてはならない為どうにかならないかとの苦情が多かった。

「………」

「……随分と粘りますのね?そのくせ、手紙の一つも寄越さないではありませんの?」

 ラシーナの静かな表情の下はまだ御立腹なのだろう。何しろ国王の愛人と浮名高い公爵未亡人を公共の場に連れ立っての裏切りだ。ラシーナにとっては公爵家に楯突くこともできずに泣き寝入りするしかないのだから。

「はい、お手紙等は頂いてはおりません。」

「………」

 この件に対してはメリカもイリヤーナも口を挟むことさえ今は出来ない。

「折角メリカ様が素晴らしいお土産を下さったのに…カルタス、シェフに先程の材料でおもてなしの一品を急ぎ考案する様に伝えてちょうだい。これ以上、ユラン様の異常行動が見られたらエイドルフ侯爵にもお知らせ致します!もう……既にあの舞踏会が懐かしくて仕方が無くなってよ…!」

 ユランによるラシーナの朝夕別邸詣は近所では有名になりつつある。何しろ、高位貴族で上位者である金髪碧眼の貴公子風情のユランが馬車にも乗らず、供も付けずにじっと屋敷の外門付近に佇んでいるものだから…周囲の屋敷の者達は一体何事かと噂話の種になっていた………

「あんな方では無かったはずなのですけれど?」

 ラシーナがよく覚えているのは、なんでもスマートに熟してしまうユランの姿。外見は言うまでもなく貴公子そのものだったし、性格だって悪くはないと思っていた。ラシーナの方が子供っぽく見られない為に気を遣って笑顔を出さないように表情を引き締めていなければユランとは釣り合わないとさえ思っていたのだ。父のエイドルフ侯爵にお叱りを受けて謝罪するつもりがあるのならば、可笑しな行動を取らないで、面会を申し出る手紙を何度でも送ってくればいいものを……今や、全く理解の範疇を超えた行動に走っているユランが本当によく分からないラシーナだった。

「でも、お父上のお言い付けはお護りなのですよね?」

 ラシーナの許しが得られるまでは、エイドルフ侯爵邸に帰ってくることは許さない…毎朝毎夕別邸にまで足を運ぶくらいなのだから、他の女性との逢瀬の時間は持てないだろう。ユランが何を思っての行動か皆目見当もつかないが、ラシーナ以外の女性にうつつを抜かしていない事だけは分かるというものだ。

「えぇ、最初からこうであったならなんの問題もなかったのですわ。」

 婚約者が婚約者だけに心を砕く…全ての者がこうだったなら、変に拗れたり、傷付いたりしなかったものを………

 ラシーナの深いため息に、メリカやイリヤーナも心から肯きつつ追加のため息を吐き出すのだった。







(今日は…見れなかった………)

 毎朝、毎夕とこの所欠かさずにクラウト侯爵邸別邸に足を運んでいる。丁度お茶の時間や友人の訪問時間であろう時刻を狙ってみてはいるのだが、なかなかにタイミングが合わない様だ……

(あぁ……!もう一度でいいから、あの笑顔を見せてはくれないだろうか…?)

 あの日、訪問しようとした時に、偶然にも庭のカウチに座っているラシーナの笑顔がユランの目に飛び込んできた。あの時のあの笑顔にユランは自分の心臓を鷲掴みにされた様な衝撃を受けた。あの時からラシーナの笑顔が、今まで出会った誰のものよりも自分の心を捉えて離さなくなってしまった。

 普段の彼女の表情ならばなんとも思った事のない相手だと言うのに、あの笑顔はユラン自身でも信じられない位の破壊力だった…

 本来ならユランは甘え上手な、恋愛上手な女が好みだ。引き際もさる事ながら、後腐れなく遊べる相手…どうせ結婚なんて自分の意思ではないのだから、遊ぶ相手くらいは選びたい。それがいつものユランだ。ラシーナはその女達とは正反対…真面目な高位貴族のご令嬢。ユランの家柄とはぴったりと合う、ユランの好みとは正反対の令嬢だったはず……なのに…………

 今はその一瞬の笑顔を見たいが為に、毎日毎日飽きもせずにここに通っている。周囲の者が変な視線を送って来ても、家の僕が何かを言って来ても何も気にならないくらい、ただの待ち惚けになってしまっていても、その時間すら愛しく感じる………
 
 




















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