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「ここに住めばいい。」

 領主館を崩し終わったアスタラージは何かスッキリとした様だった。人間には必要以上に関わってこなかったというのに、今はユリンとユーアを自分の側へ置こうとする。

「ウジュルの事ならばもう問題ないだろう?」

 元タラント領主一族に下った命により、日々奈落の谷にはウジュルを採りに来る元領主一族の誰かしらの姿がある。アスタラージは谷の瘴気を少しだけ弱めたそうだ。だからウジュルを採りに来る間だけならば瘴気による人体への影響はそんなにないらしい。しかしウジュルの周囲を守る様に全てを溶かし腐らせてしまう大地はアゼルジャンが仕掛けたもので、アスタラージは干渉ができない。その為にここに来る元領主一族達は毎回衣類がボロボロに破れ、ウジュルに触れる前には肌が真っ赤になってしまう。痛い、痛いと泣きながらウジュルを採取している疲労でやつれた元領主達を谷の奥から時折垣間見ることがある。やつれ、見窄らしくなって行く様にきっと周囲の誰もが手を貸していないのだろう。元領主の衣類の状態が日々悪くなり、頬は痩せこけてしまっているから。領民にどんな扱いをされているのか分からないけれども、アスタラージが言うには谷の入り口にも王城から派遣されている騎士達が見張りに立っており、逃げるに逃げられない状況下で昼夜を問わずウジュルの精製に当たらされていると言う。以前は高額に届くかと思われたウジュルは、国王の配慮によって今後数年間は無料配布されるらしい。これ幸いと、国内外からは黒竜が現れ破壊し尽くした領主館を見物しに来ようと旅行者で溢れかえってきているそうな。そんな人々の為にも元領主一族のほぼ無料奉仕は続いて行く。それも、彼らの先祖の行いと共に彼らに返ってきただけだとアスタラージは素知らぬふりを決めていた。
 ユリンだとて最早彼らを手伝おうとは思わない。酷い最後を迎えた父の姿に幼い頃からの辛かった日々が、どうしても記憶の底から消え去ってはくれそうにないからだ。ただ彼らの全てが病気で倒れでもしたら、また自分は姿を現しても良いか位は考えていた。

 領主館崩壊後ここに奈落の谷ユリンとユーアを住まわせる決意をしたアスタラージは非常に献身的だった。まだユリンがその正体を知らない時には、アスタラージは日長一日黒竜の姿のまま動きもせず、ユリンの事など忘れ去ったかの様に我関せずと過ごしてきたというのに。そんなアスタラージとユーアと3人で過ごす日々が毎日静かで平穏で幸せで、人間としてのアスターを一度失ってしまったユリンの心の消失感がいつの間にかすっかりと消えてしまう程に満ち足りた日々となった。

「聞いてちょうだい、アスター!ユーアが自分の名前を書いたのよ!?」

 月が空高く登る夜半にユリンは手に一枚の紙を持って、小屋の外にいるアスタラージの側に腰を下ろす。元々黒竜は家の中で過ごす事などなかった。どうやら外の方が落ち着くらしいと、ここで一緒に暮らし始めてからユリンは知った。だから毎日ユーアが寝てしまってからはアスタラージは外に出て、この様に空を見つめることもあるし、竜体になって休むこともある。こんな時が夫婦の時間だ。

「ほう?今の時代の文字は簡易だな?」

 やっと3歳になったユーアが辿々しくも名前を書いて嬉しそうにユリンに褒めてもらっていたのをアスタラージも知っていた。人間とはこんな小さな事であそこまで破顔して喜ぶものなのかと少々驚いたものだ。

「そう?子供の書く物だから。少し簡単にしているけど…もう少し大きくなったらしっかりと教えて行くつもり!」

 子供の成長は早いのだ。人間の一生なんて瞬き位にしか思えない竜からして、ユーアの成長は日々驚愕の連続であった。

「そうか…一つも見逃せないものだな……」

 共にいる時間は長くはない。成人すればユーアだとて伴侶を見つけてここを出て行くだろうから。そっと、アスタラージはユリンを抱き寄せ、髪に口付けを落として行く。

「………!?」

 アスターとは夫婦だった。だから夫婦の馴れ合いも知っている。けれど、谷にいるアスタラージのこれらの触れ合いは、大切な宝物にでも触れているかの様に丁寧で、まるで自分がどこかの姫君になったのではないかと勘違いしそうになる程むず痒い……

「………アスター………」

 薄暗い月明かりの下でもユリンの頬が上気しているのがよくわかる。

「なんだ?」

「………………私でいいの?」

 頬を赤く染め、俯きながらユリンは聞いてくる。

「何を今更…?」  

「だって……」

 ユリンは完全に顔を膝に埋めてしまった。

「だって、アスターは伝説級の竜だったし…でも、私はアゼルジャンの血を引いていようともただの人間で…寿命も何もかも違うって何度もアスターが言っていたではないの……」

 ユーアもアスターの血を濃く引いていて竜体にもなれる。けれどもユリンはただの人間で、護り石の加護もない。体の作りにおいてはここではユリンだけ異質な感じだ。








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