[完]優しい番は奈落の底の竜でした

小葉石

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 谷に降りる階段は、石と木で組まれている。長年の劣化から所々木は腐り、土が剥き出しになってしまっている所もあるのだが、歩き慣れたユリンは暗い月明かりの下でも、転ばずに降りていくことができる。

 幼い頃は毎日だ…身体は小さく運べる物の量は少ない。だから毎日採ってくる必要があった。木桶を持って、毎日毎日、この階段を昇り降りし領主の館に運んでいく。ここを下に降りれば降りるほど、月明かりは届かず暗くなる。ユリンは何度転んだ事か…その内転んでも痛みはするが護り石のお陰で怪我をしないから、転ぶ事を余り気にもしなくなってしまった。

 けれど、今は違う…護り石の護りが無いのだから転落による怪我は命取りになる。
 
(それも、良いかもしれない……)

 そうすればアスターのところにいけるから……

 でも、もう少し、もう少しとユリンは下を目指した。少しでも愛するアスターの近くに行きたいと思っているから…
 階段を一歩一歩と降りて行くと、だんだん足元が湿り気を帯びてくる。ユリンはいつもの様にスカートの裾をたくし上げ大腿の所で結んだ。
 谷の下には魔物が出る、というのは眉唾では無く、階段を降り切るとそれがよく分かるのだ。ここを見たら、きっと次にまたここに来たいと思う者はいないだろう、と思われる風景がそこには広がっている。長い階段を降りきり木々が開かれたかと思えば、足元一面にウジュルを生成しているのだ。
 それは小型犬程の大きさのナメクジの様な生き物で、集団で昔からここに棲息している。何という名前なのかも分からない。これらが一面に蠢き、上になり下になり、休む間も無くうねり続けている…
 初めてここを見た時、ユリンは悲鳴さえ出なかった…幼いユリンは父がここで淡々と、大ナメクジをどかしながらを採取し続けるのを黙って見ていた遠いあの日を思い出す。

 ウジュルとはこの大ナメクジの出すから作られているものだ。だからいくら気持ちが悪くても、怖くても、領民の為には取らなければならない物だ。気持ち悪さに震えていたユリンは、いつしか心を無にして大ナメクジをどかし、木桶にたっぷりとウジュルを流し込み持ち帰ることができる様になった。

 そしてここは魔物が住む谷、問題は大ナメクジだけでは無い。いつしか谷の大地は腐り切るだろうと言われている理由があった。ウジュル達がいる場所に降りれば降りるほど、谷の大地は近付く物を何でも溶かしてしまうのだから。だからユリンはスカートを上げるのだ。足元で広がり蠢くウジュルの中に入らなければならない時、直ぐに衣類はボロボロになってしまうから。これは幼い時からの習慣の一つで今も無意識に行っていた。

 もう、ウジュルを取る必要は無いのに…

 ユリンはあの家を出て来たのだから、もう領主の館にウジュルを届けなくても良い。幼い頃は小さな木桶一杯分を毎日毎日届け、大きくなれば少し大きめの木桶にタップリとウジュルを入れて数日おきに届けて来た。タラント病の特効薬ウジュルはこれを熱し、更に薬草で風味をつけて多量の水で薄めて作る。何年もかけて領主の館に運び続けたウジュルの量は相当な物だと思われる。だからユリンがいなくなっても、あと数年は領民や外から来る人々を助ける分の蓄えはあるだろう。
 ユーアがもう少し大きくなれば、あの子も同じ運命を辿る様になってしまう…そこは本当に申し訳なくて…胸が痛んで仕方がなかった……

「どこまで、行けるかしら……」

 ウジュルの大群を前にユリンは呟く。そもそも護り石を持たないユリンがこのウジュル達の中で溶かされずに移動できるのか分からないのだ。護り石を手放してウジュルの中に入って行くのは今回が初めてだ。けれども、ウジュル達を避けて谷の縁を延々と辿って行くことにも危険がある。ウジュルはどの国にとっても貴重な物で、今でこそタラント領主が独占的に製造権の実権を握っているのだが、これを他の者が手に入れることができたら、タラント領に来る際、タラント領主に媚び諂わなくてもよくなる。貴族も、商人も、旅行者ももっと気軽に自由に行き来する事が可能になる。タラント領主の顔色を見ながら社交をしなくてもよくなるのだから、他領の領主達にとってはありがたい事づくしだろう。なので命の危険を顧みず、密猟しようとする者が時々湧き出す。その様な者達に幼い頃ユリンは拐かされそうにもなった。その際には急いでウジュル達の中に飛び込むのだ。そうすれば人攫いをしようなどと言う不届き者達はこれ以上奥には入ってこれないし、谷の瘴気で長時間ユリンを待ち伏せすることはできないからだ。この場合、ユリンの服は溶けてしまうけれど、ユリンはこのまま来た道を帰るだけなので何の痛みもなかった。

(溶かされるのは、痛いわよね……?)

 けれどアスターが落とされたのはもっと先……せめて、そこまで行って世を去りたい…










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