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10、オアシスのサザンカ 1

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 ここに来て、を見たなどあっただろうか…フーに告げられて結界の直ぐ側まで行けば、全身血みどろの大柄な男が仰向けに寝転がっていた。

「!?」

 サザンカはつい叫びそうになる。だって、全身血みどろなのだから…このランカントの大地を渡ってここまで来れる事自体驚きだった。

「生きて、いる?」

 この時まで、サザンカは死にそうな目にあった事はあっても死体を目にした事がなかった。だからこんなに血濡れてしまっていては最早助からないのでは、いや、もう息が無いかも、と頭の中はパニックである。

(落ち着いて、サザンカ。蛇と戦っていた所をこちらに引っ張っただけだから。それはその人間の血では無いわ。)

 よく見るとべったりと付着した血糊はほぼ乾いて来ているものばかりだ。目に見えて大怪我はなさそうなのだが、それでもあまりな姿であった。

「蛇と、戦っていた…?」

 嘘でしょう?サザンカはそう言いたかった。蛇というのは自分達がいるオアシスの外で、使い魔の様なもの…もう何年も放置し続けていてその数の把握もできていない。
 好きにさせておけば良い…それがサザンカの正直な感想だった。のに、その蛇の犠牲になっているかもしれない人が出てくるなんて、ランカントの奥の奥にいるからこそ、その危険性はちっとも考えていなかった。
 良く見れば、男は血濡れた短剣を右手にしっかりと握りしめている。で蛇を切ったのだろうか?

「これ……?」

(そうなのです!忌々しい!そんな物を持っていると知っていたら、引き込まなかったのに!)

 フーは感情を表に出さない精霊だろうに思いっきり嫌そうにそう言った。

「やっぱり、精霊が付いているよね?」

(お分かりになるでしょう?)

「うん…この人の事が大好きなんだわ。」


 だからあの大蛇達からこの人を守ったのだ。


(嫌なこと……)

 どうしてもフーは嫌悪感が先立つ様だ。

「フー、良いよ。ここからは私がやるから…」

 血みどろのままここにいては、もしやの魔吸虫が誘われ出てくるかも知れない。この地にはいない魔物だが、何故だかずっと……

 サザンカはまず、そっと男の手からタガーを取る。ズッシリと重みがある物だ。女の身では少しばかり扱いにくい。けれど柄や鞘には細かく意匠が凝らしてあって、これが簡単に手に入る物じゃ無いという事くらいはサザンカにもわかった。

 
 大事な物ならば、綺麗にしましょう。


 タガーに宿る精霊とは話はできそうにも無いが、敵意が無いことだけはしっかりと伝えていく。

「あとは…」

 この男の身体中の血と砂を…これでは怪我が無いといっても休むに休めなさそうであるし。サザンカはそっと大きな男の体の上に片手を伸ばす。
 フワリとサザンカの掌が仄かに光だし、煙の様に見える無数の糸が男を覆う。見る見る間に血糊が浄化されて行った。浄化と共に調べた男の体には怪我はない様で、サザンカはホッと胸を撫で下ろした。

(あの者はあのままで?)

 あのまま、だ……倒れていた所で浄化をし、怪我がない事を確認してサザンカはその場を離れたのだから。申し訳ないとも思ったのだが、サザンカには男を運ぶ力はないし、フーも嫌がるだろう。主人以外の人間を毛嫌いする傾向にあるフーが何故かこの結界内にあの男を引き入れた。フーには大した考えはないのかも知れないが、今までの事を考えたら信じられないことでもあった。だから、サザンカも積極的に助けようと思った。はフーが守っている。だから、とは違う……恐れることはないんだから……

 その夜、少しだけ、サザンカは震えてしまった。フーがいて、サザンカを守ってくれていると分かっていても、染みついてしまった恐怖は中々取れてくれない。久しぶりに人間を見たからだろうか…サザンカの過去が、じっとりと足元から地獄の沼へとサザンカを、引き込んで行ってしまいそうだ…

 ピキン………

 軽い、けれども鋭い金属音が鳴る……

(サザンカ!!)

「はっ……!はぁ…はぁ…はぁ…」

 糸が切れた様にサザンカはその場に座り込んでしまい、肩で息を整えた。

(どうしたと言うのです?)

 何度もフーはサザンカを呼んでいたのだろう…普段は変わらない表情が苦しそうに歪んでいる。


 大丈夫…私には、フーがいる……


「フー………」

(サザンカ…まさか、またの事を?)

「………………」

 ここに来て、随分経つのに…もう、忘れていたと思っていたのに…知らないうちにサザンカの背には冷たい冷や汗がつたい落ちていて、じっとりと湿っていた。

「…………助け、られちゃったのね…?」

 机の上にはあの男の砂だらけのタガーが置いてある。その形状も雰囲気も変わらないのに、サザンカにはこのタガーに助けられた事が何故かわかった。

(確かに、其奴は何かした様ですね?)

 嫌そうにフーもそう言っているから間違えはない様だ。

「ありがとう…貴方の名前は分からないけれど、お礼に、綺麗にしてあの人の元に返してあげるわね?」

 タガーの凝った意匠の中には砂やら蛇の血やらが固まってこびり着いてしまっているのだ。あの男にしたのと同じ様に、サザンカはタガーの上に手を伸ばす。仄かな光はそっと優しくタガーを包む。細い糸の様な魔力の流れがタガーの隅々まで浄化して行った…




 シショールの剣捌き、正しくはタガー捌きはそれは見事なものであった。分厚く攻撃に対して耐久が高い魔物の皮を、ササッと切り離し解体していくのだから。それだけでもサザンカにとっては助かることだ。シショールが何故ここに来なければならなかったのか、事情はよく知らない。けれどもシショール自身と精霊がついているタガーは、少なくともサザンカを敵対視してこない。最初の内、シショールは刺々しさ全開でサザンカを拒否していたけれども、今ではすっかりと良く働く住民となってしまっている。シショールは元来酷く真面目な性格なのだろう。頼んだ仕事の丁寧さや正確さにはいつも脱帽してしまうから。
 一緒にこのオアシスで過ごしている期間はわずか数日で、一緒に行動している時間は一日にも満たないのに、シショールという人間はとても良い人だという事がサザンカにもわかってしまった。

「おい、何だ……?」

 食後の後片付けとばかりに、シショールは魔物の皮を処理している。なめして何かを作るつもりらしい。そんなシショールをサザンカは先程からジッと凝視していたので、流石にシショールの気に障ったのだろう。

「あ、ごめんなさい?」

 良く働くな、と思ってその手仕事を見ていたのだが、シショールはサザンカがジッと見つめてくるのを余り好ましく思っていない様であった。

「これを見た事がないのか?」

 労働階級の一般人だったら、皮を鞣している所は無理かも知れないが、鞣されている皮が売られているところくらい見た事があるだろう。
 
「皮、ですね?ここに来て初めて見る事ができました。」

 ここに来てもっと、色々、体験できなかった素晴らしい事をサザンカは沢山見て、聞いて、体験して来た。
 
「……初めて?」

「ええ…私の家には、その……皮と言うか、革製品が余り置いてなくて……」

 サザンカはきっと貴族階級の家の出だろうとシショールは読んでいる。だから多かれ少なかれ、革製品の一つや二つは必ず身につけたり、持っていたりしていると思うのだが…ダンジョンを回っていた時には、事あるごとにエルリーナに革靴を強請られていたものなのに…サザンカは持っていない?

「あの、えぇと、ですね?」

「そんなに、裕福では無かったのか?」

「あ!そうです!それです!なので、ここに来て初めて皮を見ました。ふふふ…それにしてもシショールさん上手ですね?」


 そうか…にしておいてやる。


 誰にでも、知られたくない事はあるのだから…


















 
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