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8.生きることを許さない
しおりを挟む背中に包丁を突き立てた、生々しい感覚がまだ手に残っている。男の命を最終的に奪った時は、僕は体の主導権をイグラシアスに渡していたので、相手が絶命した瞬間は覚えていない。
病院のベッドで目を覚ましてから、幾度か警察に状況を聞かれたが、僕はその殆どの記憶が曖昧だった。それは姫月英玲奈も同じ事で、彼女の場合は特に、完全に気を失っていたので詳細など覚えているはずもない。
僕たちと「死んだ男」は、突然現れた獣に襲われた、という事であっさりと話は終わった。死んだ男は事故死という扱いになり、姫月の母親は気が動転したような迫真の演技で、男との関係性を徹底的に否定した。
「死人に口なし」とはよくいったものだが、近くに防犯カメラ一つついていない地域だった事や、目撃者が一人しかおらず(老婆だったらしい)、彼女の供述に不自然な点は無かった事から、事件性は無く、これは野生動物が起こした事故死として扱われ、話は終わった。
不自然すぎるぐらいに、あっさりと。
病院を退院した僕と姫月は再び日常を取り戻した。姫月の体や顔に負っていた怪我は、母親の比呂美による虐待とされ、姫月英玲奈は母親と別で暮らす事になった。隣町に住む親戚の家に住まわせてもらう事になったと聞いた。亡くなった父親方の祖母と暮らしているようだ。
彼女は転校し、その結果、僕はクラスで唯一まともに会話できる人を失ってしまった。それから一ヶ月程は学校に通いながら、特に変化のない日常を過ごした。
でも、そんな日々は長くは続かなかった。僕はその事件をきっかけに、その後の人生が完全に変わってしまうことになった。
――園村千夏、僕の母親が何者かに殺された――
その日、母はいつもと同じように仕事に出かけた。いつもなら、18時過ぎには帰宅する。だが、その日は22時を過ぎても帰宅しなかった。
仕事帰りに買い物をしたり、たまには残業もあったので、20時を過ぎて帰宅することもあったが、22時を過ぎても帰らない為、携帯に電話したが、一向に繋がらなかった。職場は24時まで営業している小売店だったので、職場に連絡すると、母は、17時過ぎには退勤しているという。
体に身震いするほどの悪寒が走り、冷や汗がどっと出たことを覚えている。嫌な予感しかしなかった。僕は、祈るような気持ちで、周囲を探し回り、警察にも助けを求めた。職場の同僚や、母の友人も手分けして探してくれた。
だが、懸命な捜索の結果、母が遺体となって川岸に横たわっているのが発見された。
第1発見者は、「僕」だった。
信じられなかった。遺体に近づく度に、心臓が張り裂けんばかりに鳴り、全身から力が抜けていった。至る所に裂傷を負った母の変わり果てた姿を目にした時に、絶望的な気持ちと共に、一つの思いが過った。
――これは、きっと天罰なんだと――
僕は、人を殺めた。人を殺めたくせに、のうのうと生活していた僕に、神が天罰を下されたのだと。
僕の中のもう一人が、久しぶりに話しかけてきた。
『今、お前は何を考えていた?』
「これはきっと天罰なんだ」
『お前の母親は良い人間だった。どんな理由があれ、こんな死に方をしていい人間ではない。そんな彼女が殺されて、お前は天罰だから仕方がないと思っているのか?』
「仕方がないなんて、思える訳がないだろう!罰を受けるなら、それは僕で母さんじゃない」
『……ひとつ言える事がある』
「何だよ……!?」
『彼女を殺したのは、キチガイでも通り魔でも、知人の怨恨でもない』
「……よく分からないな。はっきり言ってくれ。誰が殺したか、知ってるのか!?」
『……誰かは分からない。ただ、彼女の遺体からニオイがする。嗅いだことのある、独特なニオイだ』
「誰かは分からないんだろう……?なら何故、分かったフリをする!」
『落ち着いて聞け。この世界の誰かはわからないが、殺した奴は、間違いなく、わたしと同じ世界から来た奴だ』
「つまり、お前と同じ……」
『そうだ。転生者だよ』
*
僕は、母親の葬儀をした後、学校を中退した。
それから、2ヶ月ぐらい経つ。誰にも言わず家を出て、僕は行方不明者になった。随分と心も荒んだ。雰囲気が変わった。顔つきも変わった。僕をみて、かつての僕を想起できる奴はそうそういないだろう。僕は母親が死んだ時、一緒に死んだのだ。
考え方も、思想も変わった。
園村基樹ってどんな人間だっただろう。
少なくとも、こんな事は言わない人間だった。
「ルールを守らず、秩序を乱す者に生きる資格はない。神が許そうが、オレは許さない」
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