上 下
4 / 35

4.どうしたらいいか分からない

しおりを挟む

 朝、目を覚ますと爪の間に汚れが付いていた。嫌な予感がしたので、急いで洗面所で手を洗って、歯を磨き、顔を洗った。

「あら、今日は早いのね……。学校はお休みよ?お通夜は19時からだって連絡があったわ」
「おはよう、母さん。僕、昨日ずっと寝てたよね?」
「え?そうね……。お母さんも寝てたから……、でも物音とかで起きた覚えはないから」
「あ、じゃあ、大丈夫!ごめんね、変な事聞いて」

 母は怪訝な顔をしていたが、僕はそれ以上話が長くならないように、さっとタオルで顔を拭くと、リビングに向かい、テレビをつけた。

「……昨日に続いて、同じ繁華街で二人の遺体が発見されました。遺体の損傷が激しく、なんらかのトラブルがあったとみて、捜査を進めています」

「おい……」
『何だ、わたしは眠いのだ。話しかけるな』
「あんた、まさか、僕が寝ている間に……」
『さあな』

 嫌な予感は的中したようだ。一体こいつは何がしたいのだ。一度しっかりと話し合わなければならない。このままでは、もっと事態が深刻化していくだけだ。

「ここは、あんたの生きていた世界じゃないんだよ」
『……声がでかいな。母親に怪しまれるぞ?』
「く……っ」

「お母さん、仕事行くから、後お願いね!……それと物騒な事件が続いてるから、あまり出かけたりしないで、家にいなさいね」
「うん、母さんも気をつけて!」バタン、と玄関ドアが閉まる音がした。
 
『……良い親子じゃないか』
「寝るなよ」
『最近は敬語口調じゃないな。慣れてきたか』
「あんたが元の世界でどうだったかとか、そんなことはもうどうでもいいよ。この世界にはこの世界のルールがあるんだ。悪人だとしても、そんな簡単に命を奪うような事をしちゃいけないんだ!」
『悪いが、それは許容できない。ルールは守るためにある。それによって保たれているのが秩序だ。ルールなど誰でも破れる。だが、良識ある人間はルールを破らない。だから、秩序がある。ルールを破る人間は存在価値がない。必要のない人間だ。生きていなくてもいい人間は世の中には沢山いるんだよ。特にこの世界には多そうだ』
「……分かるよ、それは分かる。だけど、あの人達は悪い事をしたのか?そんな事し始めたら、人類がみんないなくなっちゃうよ!」
『ガキだな……。仮にそうであるなら、いなくなれば良いではないか。さすがにそこまではわたし一人では無理だろうがな』
「……あんたとは、仲良くなれそうにないよ」
『……今日、出かけるらしいじゃないか。。あの時のお前の顔、見ていたら、うまくやっていけそうな気がしたんだが。残念だよ、ふふ』

 最悪だ。コイツは理由を付けて、ただ殺したいだけじゃないか。ただの快楽殺人犯だ。コイツを何とかして僕の中から追い出さないと。僕があの時、自殺しようとしていなければ。別の方法でしていて、コイツに合わなければ、死なずに済んだ人がいたんだ。

 僕は後悔していた。何故、自分で死を選ぼうとしてしまったのか。もっと現実的に、対応する手段はいくつもあった筈なのに。……でも、あの時は、無理だった。

『脳内でひたすら悪口を言うのをやめてくれないか。お前の陰鬱な感情が流れてくる。イライラして眠れやしない』
「……うるさい」
『……良かったじゃないか、お前は。
「うるさいって言ってるだろ!!」
『……ふん』

 夕方まで時間がある。本当はどこか気晴らしに出かけたかったが、こんな精神状態じゃとても無理だ。夕方まで、家で過ごす事にした。でも、絶対に寝ない。寝てやるものか。

 *

 夕方まで一睡もせずに、ただひたすらテレビを見て過ごした。そろそろ時間だ。母も先程帰宅して、通夜に出かける準備をしていた。

「基樹、用意できてる?」
「僕は制服でいいよね」

 朝の口論から、不思議なぐらい、イグラシアスは一度も話しかけてはこなかった。歩いて葬儀場に向かう。到着すると、既に沢山の人が集まっていた。二人とも別の会場で行われている。今は雄平の通夜に来ている。焼香をあげさせてもらい、その場を後にしようとした時、母は別の親御さんに挨拶をしていた。大人は大変だ。

 クラスの女子が固まって泣いていた。雄平は意外と人気者だったからな。すると一人の女子が近づいてきて、ボソリと小声でつぶやいた。

「……あんた、本当は嬉しいんでしょ?」
「は、何だって……?」
「雄平にイジられてたもんね」
「そんな事、思ってないよ」
「……どうだか」

 そいつはそれだけ告げると、また泣き喚く女子生徒の集団に戻って行った。

『どの世も、オンナは怖いな』
「……起きてたのか。あんたもオンナだろ」
『額に冷や汗うかんでるぞ?大丈夫か?』
「……気にしてないよ」

 母が戻って来たので、僕たちは次の葬儀場に向かった。今度は直哉の通夜だ。同じように、挨拶をして、焼香をあげた。

 すると、また遠くから一人の女子生徒が近寄って来た。内心、「またか……」と思ったが、彼女が言った一言にびっくりした。

「……良かったネ。園村クン」
「え、え?」
「これで、安心して学校、来れるね。また、明日ね」

 足早に僕の元から去って行った女子生徒は「姫月英玲奈きづきえれな」だった。見た目がギャルっぽい割に、もの静かでクラスでもちょっと影が薄い。人の事は言えないが、僕と似たり寄ったりな存在感の女子だ。

『……モテるじゃないか、基樹』
「ち、違うよ……。そんなに話した事ないよ」
『向こうは、気にしてるみたいだな』

 額から、違う意味で冷や汗が浮く。突然の事で、手が震えていた。胸も、なんかドキドキとしている。

 母が戻って来たので、その場を後にした。会場を去る際に姫月の姿を探してしまう自分。見当たらなくて、少しテンションが下がった。

『あの娘……』
「何……?どうかした?」

 イグラシアスが言いかけた事が気になったが、それ以上言葉を発さなかったので、翌日には忘れた。

 次の日は、葬儀が行われた。2箇所に行くのは大変だったが、何となく、それを僕が言うのはいけないように感じた。相変わらず、じろじろと見てくる女子がいたのは気になったが、気づかないふりをしておいた。


 翌々日、久しぶりに学校に向かう。
 
 クラスに入った瞬間に、ジットリとした視線が僕に絡みついた。何だって言うんだ……。周りを見渡すが、誰も目線を合わせない。……それはいつもの事だったから、あまり気にしなかった。でも、一つ、気になった。

 姫月英玲奈の姿がなかった。そう言えば、彼女、昨日はどちらの葬儀場にも姿が無かったな。そう思っていたら、ホームルームが始まって、担任がこう伝えた。
 

「本日、姫月さんは体調不良でおやすみです」


 


しおりを挟む

処理中です...