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5-3 信じ、念ずること
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俺にはわからない。心光がどうして突然、これほどまでに陰陽師へ憤るのか。
わからないけれど。きっと、心光は──あの、敬虔で清廉な僧は後悔する。人を傷つけ、殺めることを。だから、止めなければいけない。そこにどんな理由があろうとも、きっとこのままにしておくのは良くないことだ。
しかし、今の俺に何ができる。角も生えていない、牙も爪も無い、人喰い鬼と呼ばれるばかりの、鬼でも何でもない俺に。一体何が。
先程の心光の、人とも思えぬ力を思い出す。きっと心光は、人ならざるものに憑りつかれて身も心もおかしくなっているのだ。並の陰陽師でも太刀打ちできない、そんな心光を、一体どうすれば止められる。
そう考えて、俺は思い出す。
『わたくしを化け物と呼ぶなどと。それがわたくしをより昂らせると知っていて』
心光は先程、そう言っていた。確かに、陰陽師から化け物と呼ばれた瞬間、心光の影は力を増さなかっただろうか。
そういえば、おかしなことばかりだ。俺の体は次第に本物の鬼へと近付いていたのに、先日突然元通りの姿に戻っていたような。
『蘇芳、あなたは、人喰い鬼などではございません。たとえ万人があなたをそう呼んだとしても、わたくしはあなたを信じます』
もしかしたら。心光の言葉によって、俺の心が救われるのと同時に、俺の鬼としての姿も失われていったのではないか。
だとしたら。だとしたら。
俺は俺の、他人の心次第で姿を変えられるのだろうか。
胸が、鼓動が、暴れる。
『人の信じる力は、強いのでございますよ。彼らが心より信じるのなら、それは真実となりましょう』
その心光の言葉が、詭弁などではなく、この世の真実なのだとしたら。俺はそんな考えに囚われ、身が震えた。
そうであれば心光を止める方法はある。だが、それは取り返しのつかないやりかたかもしれない。
それでも、それでも。
「うぅ、う、うう……っ!」
心光を。あの涙を零し、俺に助けを求める僧を、止めなければ。その一心で、俺は全身に力を籠める。
俺は、鬼。人を喰い殺せるほどの。そう、影を纏った心光のことも制することができる、強靭で素早い肉体を持った、恐ろしい力を秘める鬼。角を生やし、牙と爪を持ち、金色の双眸を輝かせる、赤く燃えるような髪を持った、この世の鬼!
俺こそは、本物の鬼。
この腕ならば、心光を止めることができる!
腹の底からそう信じ、俺は心光へ向かって駆け出した。風のように早く、獅子のように力強く土を抉りながら疾走する。全身が熱く、まるで燃えるようだ。まっすぐ見据えた心光とその影は、憐れな陰陽師たちを手にかけようとそちらばかりを見ている。今なら、間に合う。
「心光ぅうう!」
「……っ!」
名を叫べば、はっとこちらを見た彼と目が合った。赤い瞳が俺を見据える。その瞳に、俺がどう映っているのかは知らない。だが、俺が常世の鬼に見えていればいい。そうでなければ、お前を止めることはできないのだから。
心光が咄嗟に影をこちらへ向けようとしたが、それよりも俺の方が速かった。
獣が獲物をしとめるほどの勢いで、俺は心光にしがみつき、激しく勢いをつけて転がす。そのまま影ごと彼を大地に押さえつけた。
「蘇芳っ、お前ぇっ、何をするかっ!」
心光が憤怒の形相で叫んだが、俺とて一歩も譲れない。暴れる彼を抑え込み、俺を引きはがそうとする影を引きちぎり、陰陽師たちを狙う影を叩き伏せる。
俺にはそれができる。心光を止めることが、俺にならできる。止めなければならない。何を犠牲にしても、止めなければ。
「蘇芳! あれらがお前に何をしたかも知らないで! 離せ! 離せっ! おのれぇっ!」
力で叶わないと思ったらしい心光が、俺の胸や顔を叩き、なんとか腕を逃れようとする。それを潰さんほどに抱きしめ、完全に拘束した。
暴れもがき、叫び続ける心光を抑えたまま、俺は周りを見る。
心光に纏っていた影はなりを潜めてしまった。陰陽師たちは唖然としてこちらを見ていたから、俺は彼らに向かって叫ぶ。
「行けっ、逃げろ! 早く!」
それで初めて、自分達が助かったことを認識したらしい陰陽師たちは、何度かこちらを振り返りながら何処かへと走り去って行った。
「蘇芳、この恩知らずっ、お前をあの祠から解放してやったのが誰だと思っている! 陰陽師どもがお前に、わたくしたちに何をしたかも知らずに! あぁ、あぁ、根絶やしにしてやりたい、恨みを晴らしたいぃっ、許さぬ、許さない、許せない……っ!」
俺の胸を、腕を引っ掻きながら、心光が恨み言を漏らし続けている。彼がどんな思いで彼らを襲ったのかはわからない。きっと何か、大きな事情があるのだろう。それでも、俺は彼に囁きかける。
「心光、お前は心優しい人の僧だ。誰がお前をなんと言おうと、俺はそう信じる。人喰い鬼かもしれないと知っていて、俺をずっと信じてくれたように、俺もお前を信じ続けるから……だから、頼む、落ち着いてくれ……」
お前の悲しみも、お前の憎しみも、全部俺が聞いて、受け止めてやるから。お願いだから。もう一度、慈悲深く穏やかな僧のお前に戻ってくれ。お願いだから、お前のことを教えてくれ……。
そう何度も何度も囁いて。俺は心光が落ち着くまで、ずっと彼を抱きしめ続けていた。
大切な、尊いものを守るように。
わからないけれど。きっと、心光は──あの、敬虔で清廉な僧は後悔する。人を傷つけ、殺めることを。だから、止めなければいけない。そこにどんな理由があろうとも、きっとこのままにしておくのは良くないことだ。
しかし、今の俺に何ができる。角も生えていない、牙も爪も無い、人喰い鬼と呼ばれるばかりの、鬼でも何でもない俺に。一体何が。
先程の心光の、人とも思えぬ力を思い出す。きっと心光は、人ならざるものに憑りつかれて身も心もおかしくなっているのだ。並の陰陽師でも太刀打ちできない、そんな心光を、一体どうすれば止められる。
そう考えて、俺は思い出す。
『わたくしを化け物と呼ぶなどと。それがわたくしをより昂らせると知っていて』
心光は先程、そう言っていた。確かに、陰陽師から化け物と呼ばれた瞬間、心光の影は力を増さなかっただろうか。
そういえば、おかしなことばかりだ。俺の体は次第に本物の鬼へと近付いていたのに、先日突然元通りの姿に戻っていたような。
『蘇芳、あなたは、人喰い鬼などではございません。たとえ万人があなたをそう呼んだとしても、わたくしはあなたを信じます』
もしかしたら。心光の言葉によって、俺の心が救われるのと同時に、俺の鬼としての姿も失われていったのではないか。
だとしたら。だとしたら。
俺は俺の、他人の心次第で姿を変えられるのだろうか。
胸が、鼓動が、暴れる。
『人の信じる力は、強いのでございますよ。彼らが心より信じるのなら、それは真実となりましょう』
その心光の言葉が、詭弁などではなく、この世の真実なのだとしたら。俺はそんな考えに囚われ、身が震えた。
そうであれば心光を止める方法はある。だが、それは取り返しのつかないやりかたかもしれない。
それでも、それでも。
「うぅ、う、うう……っ!」
心光を。あの涙を零し、俺に助けを求める僧を、止めなければ。その一心で、俺は全身に力を籠める。
俺は、鬼。人を喰い殺せるほどの。そう、影を纏った心光のことも制することができる、強靭で素早い肉体を持った、恐ろしい力を秘める鬼。角を生やし、牙と爪を持ち、金色の双眸を輝かせる、赤く燃えるような髪を持った、この世の鬼!
俺こそは、本物の鬼。
この腕ならば、心光を止めることができる!
腹の底からそう信じ、俺は心光へ向かって駆け出した。風のように早く、獅子のように力強く土を抉りながら疾走する。全身が熱く、まるで燃えるようだ。まっすぐ見据えた心光とその影は、憐れな陰陽師たちを手にかけようとそちらばかりを見ている。今なら、間に合う。
「心光ぅうう!」
「……っ!」
名を叫べば、はっとこちらを見た彼と目が合った。赤い瞳が俺を見据える。その瞳に、俺がどう映っているのかは知らない。だが、俺が常世の鬼に見えていればいい。そうでなければ、お前を止めることはできないのだから。
心光が咄嗟に影をこちらへ向けようとしたが、それよりも俺の方が速かった。
獣が獲物をしとめるほどの勢いで、俺は心光にしがみつき、激しく勢いをつけて転がす。そのまま影ごと彼を大地に押さえつけた。
「蘇芳っ、お前ぇっ、何をするかっ!」
心光が憤怒の形相で叫んだが、俺とて一歩も譲れない。暴れる彼を抑え込み、俺を引きはがそうとする影を引きちぎり、陰陽師たちを狙う影を叩き伏せる。
俺にはそれができる。心光を止めることが、俺にならできる。止めなければならない。何を犠牲にしても、止めなければ。
「蘇芳! あれらがお前に何をしたかも知らないで! 離せ! 離せっ! おのれぇっ!」
力で叶わないと思ったらしい心光が、俺の胸や顔を叩き、なんとか腕を逃れようとする。それを潰さんほどに抱きしめ、完全に拘束した。
暴れもがき、叫び続ける心光を抑えたまま、俺は周りを見る。
心光に纏っていた影はなりを潜めてしまった。陰陽師たちは唖然としてこちらを見ていたから、俺は彼らに向かって叫ぶ。
「行けっ、逃げろ! 早く!」
それで初めて、自分達が助かったことを認識したらしい陰陽師たちは、何度かこちらを振り返りながら何処かへと走り去って行った。
「蘇芳、この恩知らずっ、お前をあの祠から解放してやったのが誰だと思っている! 陰陽師どもがお前に、わたくしたちに何をしたかも知らずに! あぁ、あぁ、根絶やしにしてやりたい、恨みを晴らしたいぃっ、許さぬ、許さない、許せない……っ!」
俺の胸を、腕を引っ掻きながら、心光が恨み言を漏らし続けている。彼がどんな思いで彼らを襲ったのかはわからない。きっと何か、大きな事情があるのだろう。それでも、俺は彼に囁きかける。
「心光、お前は心優しい人の僧だ。誰がお前をなんと言おうと、俺はそう信じる。人喰い鬼かもしれないと知っていて、俺をずっと信じてくれたように、俺もお前を信じ続けるから……だから、頼む、落ち着いてくれ……」
お前の悲しみも、お前の憎しみも、全部俺が聞いて、受け止めてやるから。お願いだから。もう一度、慈悲深く穏やかな僧のお前に戻ってくれ。お願いだから、お前のことを教えてくれ……。
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