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5-1 心光の、あの日の夢
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「心光、心光!」
わたくしの名を呼ぶ、明るい声がする。ゆっくりと瞼を上げれば、見慣れた笑顔が目の前にあった。
僧でありながら、屈託のない明るい表情を浮かべる彼。わたくしの、大切な友。
「ああ、宿陽……」
思わずその名を呟き、それから辺りを見る。それは長年暮らした信寧寺の庭で、……宿陽はいつものように、裳付を着崩して楽しそうに笑った。
「もうすぐ西へ行脚するんだろう? 修行とはいっても大変な道のりのはずだ。気を付けるんだぞ。都なら百鬼夜行だなんだといっても、陰陽師がなんとかしてくれるけどさ。外はそうもいかないだろうしなあ」
あの日の夢だ。わたくしはそう感じて、懐かしい心地になった。
わたくしが西方に旅立つ、少し前。もう戻らない、なんということはない、あの日──。
「俺だったら、どんな化け物でも杖でぶん殴って助けてやるのに。心光はどこか女子みたいに身体が細っこいから、心配だよ」
そう言う宿陽の眼差しに、それ以上の意味は無くて。彼がそうして、わたくしの「夜の姿」を知らずにいてくれることが、どこか幸せだと感じていた。
彼とならば、ただの同輩、ただの友人でいられたのだから。
「宿陽、そのことで実は相談があるのです」
わたくしの口が、意思に反して開く。ああ、その先を言ってはいけない。そう思うのに、これは過去の夢だからなのか、どうにも止められない。
「西への行脚を、共にしてくれませんか? わたくしもひとりでは少々、心細くて」
その言葉に宿陽は目を丸めて、それから「もちろん!」と大きく頷いた。
「やっぱりお前をひとりになんか、しちゃいけないよな。俺がついてれば大丈夫、何があっても、お前のことを守ってやるぞ、心光」
そう笑う宿陽は、わたくしにとってお天道様ほどにありがたく、大切なものだった。
和尚様はわたくしが宿陽を連れて行くことに驚いた様子だったけれど。許して下さって。それからわたくしは、彼と随分長い旅路を共にした。
梅の咲き誇る、明るい陽の下を歩き。小川の浅瀬に足を入れ、共に涼を楽しみ。草原を風が走るのを追いかけて笑い、夜空に輝く星の光を見上げて、身を寄せ合って眠る。
あの日々の鮮やかで美しい思い出を、わたくしは忘れたことなど一瞬たりともない。その間わたくしは全てを忘れ、仏の使徒で、宿陽の友でいられた──。
「…………」
目を開くと、わたくしは蘇芳の腕の中にいた。
鳥の鳴き声が聞こえる。きっと夜が明けるのだろう。すぅすぅと寝息を立てる蘇芳は、屈強な肉体に似合わず、幼子のようなあどけない表情で眠りに落ちている。わたくしは思わず、微笑み。
そして、思う。
近頃は、こうして意識がはっきりとしている時間が増えてきた。きっと、蘇芳と出会ったからだろう。いつもは紅のかかったような世界に、心が閉じ込められているようなだったから。
だから。
きっと、全てを諦めるなら今なのだ。今であれば、蘇芳を苦しめることも無い。もうこの身体で残忍な殺しをしなくても済む。
それでも、わたくしには、それを言えない。もうできない。それが「あれ」のせいなのかはわからないけれど。
わたくしはただ、蘇芳の頬にそっと触れ、彼を起こさぬようにそっと呟く。
「…………蘇芳……。どうかあなたは、御仏に救われますよう……」
この優しき人が、どうか幸せになれますように。
そう、祈るよりほかに、わたくしにできることなどありはしなかった。
わたくしの名を呼ぶ、明るい声がする。ゆっくりと瞼を上げれば、見慣れた笑顔が目の前にあった。
僧でありながら、屈託のない明るい表情を浮かべる彼。わたくしの、大切な友。
「ああ、宿陽……」
思わずその名を呟き、それから辺りを見る。それは長年暮らした信寧寺の庭で、……宿陽はいつものように、裳付を着崩して楽しそうに笑った。
「もうすぐ西へ行脚するんだろう? 修行とはいっても大変な道のりのはずだ。気を付けるんだぞ。都なら百鬼夜行だなんだといっても、陰陽師がなんとかしてくれるけどさ。外はそうもいかないだろうしなあ」
あの日の夢だ。わたくしはそう感じて、懐かしい心地になった。
わたくしが西方に旅立つ、少し前。もう戻らない、なんということはない、あの日──。
「俺だったら、どんな化け物でも杖でぶん殴って助けてやるのに。心光はどこか女子みたいに身体が細っこいから、心配だよ」
そう言う宿陽の眼差しに、それ以上の意味は無くて。彼がそうして、わたくしの「夜の姿」を知らずにいてくれることが、どこか幸せだと感じていた。
彼とならば、ただの同輩、ただの友人でいられたのだから。
「宿陽、そのことで実は相談があるのです」
わたくしの口が、意思に反して開く。ああ、その先を言ってはいけない。そう思うのに、これは過去の夢だからなのか、どうにも止められない。
「西への行脚を、共にしてくれませんか? わたくしもひとりでは少々、心細くて」
その言葉に宿陽は目を丸めて、それから「もちろん!」と大きく頷いた。
「やっぱりお前をひとりになんか、しちゃいけないよな。俺がついてれば大丈夫、何があっても、お前のことを守ってやるぞ、心光」
そう笑う宿陽は、わたくしにとってお天道様ほどにありがたく、大切なものだった。
和尚様はわたくしが宿陽を連れて行くことに驚いた様子だったけれど。許して下さって。それからわたくしは、彼と随分長い旅路を共にした。
梅の咲き誇る、明るい陽の下を歩き。小川の浅瀬に足を入れ、共に涼を楽しみ。草原を風が走るのを追いかけて笑い、夜空に輝く星の光を見上げて、身を寄せ合って眠る。
あの日々の鮮やかで美しい思い出を、わたくしは忘れたことなど一瞬たりともない。その間わたくしは全てを忘れ、仏の使徒で、宿陽の友でいられた──。
「…………」
目を開くと、わたくしは蘇芳の腕の中にいた。
鳥の鳴き声が聞こえる。きっと夜が明けるのだろう。すぅすぅと寝息を立てる蘇芳は、屈強な肉体に似合わず、幼子のようなあどけない表情で眠りに落ちている。わたくしは思わず、微笑み。
そして、思う。
近頃は、こうして意識がはっきりとしている時間が増えてきた。きっと、蘇芳と出会ったからだろう。いつもは紅のかかったような世界に、心が閉じ込められているようなだったから。
だから。
きっと、全てを諦めるなら今なのだ。今であれば、蘇芳を苦しめることも無い。もうこの身体で残忍な殺しをしなくても済む。
それでも、わたくしには、それを言えない。もうできない。それが「あれ」のせいなのかはわからないけれど。
わたくしはただ、蘇芳の頬にそっと触れ、彼を起こさぬようにそっと呟く。
「…………蘇芳……。どうかあなたは、御仏に救われますよう……」
この優しき人が、どうか幸せになれますように。
そう、祈るよりほかに、わたくしにできることなどありはしなかった。
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