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一一、六月三〇日

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 村長選びの最終日、六月三〇日。今日も雨が降っていた。土砂降りだ。こんな日でも、長谷川のお爺ちゃんはやって来た。今回の御子様は、村長を決めなかったのう。お爺ちゃんはそう言っていた。皆、次の御子に心が移っている。とてもいい事だ。このまま俺の事は放っておいてほしい。

 土砂降りだから、予約の患者以外には誰も来ないまま、昼が過ぎた。ザアザアという雨音で、他の音があまり聞こえない。だから少し、ソワソワしてしまう。指輪を入れたお守り袋を手に握りこんで、時計を見たりしてすごしていた。

 子供の頃からツメが甘いと言われる事が多かった。最後の問題だけうっかり間違えているだとか、ゴール直前に遅くなるだとか、最後の最後で気が緩んで、何かしら失敗をするのだ。だから、最後が一番危ない。今日が一番危険だ。そんな気がしていた。

 だから、いきなり庭のほうから、がらっしゃーんと大きな音がしたのに、死ぬほど驚いた。恐る恐る戸を開けて見ると、庭に見知らぬ黒猫が一匹居て、目が合った。

「うわわ、こんな大雨の中……」

 びしょびしょになった黒猫の足元には、植木鉢が割れて転がっている。由良君が持って来てくれたアレを割ってしまったらしい。見た事のない猫だし、そこに植木鉢がある事を知らなかったんだろう。いつもの三毛達の友達かなんかだろうか、と思いつつ、怪我をしていたら大変だ、と「おいで!」と招く。黒猫は俺の顔を見ながら、のろのろと診療所に入って来た。

「ああー、もう、ほら、かわいそうに、こんなずぶ濡れで……」

 バスタオルで拭こうとすると嫌がったが、無理矢理抑え込んで擦る。うにゃああ、と低い声を出していたが、ほっとくと風邪を引いてしまうだろうから無視した。何をどうしたのやら、腹の方まで濡れているから、仰向けに転がして拭いてやると爪を立てて暴れた。ジタバタしている前足から血が出ているのに気付いて、ついでだから消毒をして、包帯を巻き付けてやる。

「一体どこの猫ちゃんだい、ほら、大人しくしてないと、怪我に良くないよ!」

 そう言うのに、少しも言う事を聞かない。他の猫とは大違いだ。だからといって、こんな大雨の中、外に放り出すわけにもいかない。

「ほら、雨がやむまでここに入ってて」

 先日買ったケージに黒猫を放りこむ。猫はにゃあにゃあ鳴いて出せと要求して来たが、暴れたりはしなかった。「雨が止んだら出してあげるからね」と言い聞かせて、それでもにゃあにゃあ言うので、とりあえずバスタオルをかけて暗くしてあげてみた。しばらくすると黒猫も諦めたのか、鳴くのを止める。

 はぁ、全く、ビックリした……と溜息を吐いていると。

『橘様』

 いきなり背後から声をかけられて、俺は飛び上がった。キツネ君だ。昼間っからキツネ君が来るのも珍しい。第一、いつの間に入って来てたんだ。驚いていると、『ノックをしても返事が有りませんでしたので』という。雨音でかき消されたのか、猫に気をとられていたのか。

「や、やあ、キツネ君、珍しいね、君がこんな時間に来るなんて」

『橘様、折り入ってお願いが有るのですが』

「う、うん? 何?」

『会って欲しい方が居るのです』

 その時の俺ときたら、冷静じゃなかった。今日は危険な日だと思っていたし、由良君や伸幸さんが言っていた事を思い出してしまったし。一カ月かけて信頼させておいて、騙す。その可能性を否定しきれないのは、彼の本心が見えないからだ。どうしてこんなに親切にしてくれるのか判らない。疑ってしまうのは仕方ないじゃないか。

「それって、誰……?」

『申し訳有りませんが、それは教えられません。ですが、どうか会って頂きたいのです。そこならば身の安全も確保出来ますし……』

「つまり、今日、今からってこと?」

『はい、今日でなくては、意味が無いではありませんか』

 貴方様の身を守る為には、と続いたが、どうにも一度疑ってしまうと怪しく聞こえてしまうものだ。それに、最終日、この村で一番力の無い魔法使いであるキツネ君に、守ってもらうってのも妙な話だ。彼は所詮、俺を守れるわけじゃない。なら何処に連れて行こうっていうのか。

「……それは、何、そのまま、その人に抱かれてほしい、って事になるの?」

『え……?』

 キツネ君は少々困惑したようだった。その微妙な間が、また俺を疑わせる。そうじゃなければ、違うと即答するもんだろうが、キツネ君はそれに対して返事をしなかったのだ。だから、もうどうにもダメだった。尤も、一度疑ってしまえば、何を言われたって信用は出来ないんだろうが。

「悪いんだけど、それは明日にしてもらうよ、俺はその、ちょっと、出かけてくるよ、今日さえ終われば自由の身だし、何処かに身を隠す事にする、臨時休業の看板を出しておくから、後はよろしくね、キツネ君」

『え、あ、た、橘様、何処へ』

 そうして俺はキツネ君の制止を振り切って、傘を引っ掴むと外に飛び出したのだった。

 自宅の貴重品は昨日のうちに隠しておいたし、あれだけ厳重に隠しておけばばれないだろうという自信が有った。今日さえ身一つで逃げていれば、俺の勝ちだ。尤も、急患が来た時の為に携帯は持っている。患者の命には替えられないので、その時は諦めて診療所に戻ろう。

 キツネ君には悪いが、よほどの事が無い限りは一人で隠れて居ようと思った。そうする為にも、俺はとりあえず伸幸さんを信じて、例の神社へと向かう。

 雨脚は強く、道中誰にも出会わなかった。傘に雨がぶつかって、バラバラと大きな音がする。これじゃあ誰かが追って来ていても足音は聞こえないな、と振り返ってみたが、誰も居なかった。

 神社に辿りつき、境内に入って中を見ると、神楽をしていた辺りに、真新しい小屋が有る。なるほど、あれかと近寄って、そして小屋の前のぬかるみに、足跡が有る事に気づいた。

 連日雨が降り続いているから、今日の物ではないかもしれない。それでも少々不安になって、そっと扉に耳を押し付けて、様子を窺う。特に物音はしない……と思った矢先、中から足音が聞こえて来た。誰か居る! ここではダメだ、と思ったが、他にあてもない。とりあえず、と小屋の横の物陰に隠れて、次にどうするかを考える事にした。

 と、境内に誰かがやってきた。見ると、傘をさして歩いて来ているのは、あの佐久間村長だ。片手をポケットに突っ込んだまま、なんとも雨の日までイケメンな歩き方。ここまで来ると少々腹が立って来るぐらいのイケメンっぷりだ。だからってやはり、彼に抱かれたいとは思わない。

 村長は小屋に向かって来て、扉をノックする。この位置からでは何が起こっているか見えないから、耳を澄ませて様子を窺うしかない。中から誰かが出て来たようだ。

「まだ来ていないのかい、先生は」

『えぇ、まだ』

 聞き覚えが有る。これは、タヌキの声だ。どうやら待ち伏せされていたらしい。伸幸さんめ、あんな事を言いながら、俺を村長だかタヌキだかに売ったんだ。すぐに逃げ出さないとまずいと思ったが、あいにく小屋の前を通らないと、境内から出られそうにもない。走って逃げても、相手は俺が御子だと判っている魔法使いで、どんな技を出してくるやら。脚もそれほど速くないし、体力が有るわけでもない。逃げ切れる気がしなかった。

『先ほどイヌから連絡が有りました。先生は診療所を出たようです。あいにく見失ったようですが、もしかしたらこちらに向かっているかもしれません。間も無くイヌも合流するとの事ですから、手分けして探します故、佐久間様はもう少々お待ち下さい』

 げっ。イヌさんが増えるらしい。これはますます逃げられなくなってきた。周りを見たが、身を隠せそうな所も無い。この周辺を探そう、なんて事になったら、すぐに見つかってしまう。どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 考えても考えても、特に名案は浮かばない。いよいよ混乱していると、『橘様』と側で声がして、悲鳴を上げそうになるのをなんとか堪えた。慌てて振り返ると、すぐ側にキツネ君が居る。彼は傘を差していなくて、すっかりずぶ濡れになっている様子だった。

「き、キツネ君、どうしてここに……」

『後を追ってまいりました』

「そ、そう、それで、……彼らに見つかったりしなかったの?」

『私は姿を消す事だけは得意ですから。それより……今橘様はとても危険な状況です。何故こんな時に出かけたりなど。残りの時間を安全な場所で過ごして頂こうと思っていましたのに……』

「う……そ、それは……」

 俺は迷ったが、でも自分の今の気持ちを正直に伝える事にした。

「ごめん、キツネ君。君の事を信じていないわけじゃないんだ。でもやっぱり……正直……不安は感じてるんだ、君が……何をしたいのか、判らないから」

『……それは、信じているとは言いません』

「……そう、だよね。……ごめん。君は俺の事を何かと褒めてくれるけど、……俺はさ、本当にただの小さな人間なんだよ、人の為にだけ尽くすような人じゃない、俺だって俺の利益の為に生きてるからさ。だから、自分の身を守る為には、……本当に信じられる確証が無いと、不安なんだ」

『……判りました。なら、誓いましょう』

 キツネ君はそう言うと、何か指で印を切った。するとその印の形に、青い光の線が浮かび上がる。それを俺は手品か何かを見るように、ぼうっと見ていた。そういえばこの子は、魔法使いだった。

『これは龍神様に誓いを立てる印です。私は、橘様をお守りする。決して裏切らず、御子である間に誰にも抱かせたりなど致しません。違えれば、私は龍神様に殺されます』

「こ、殺されるって、キツネ君」

 急に物騒な話になった。そんなそこまでしなくても、とは思ったが、『こう致しませんと、橘様に信じて頂けないと思いましたので』とキツネ君は言った。また何か印を切ると、青い光はスウッと消えた。それで誓いは終わりらしい。

『まあ、この儀式も信じて頂けるかどうか。ともかく、私は橘様をお守り致します。もし私を信じて頂けるなら、私が奴らを引きつけている間に、ウシの祠にお行き下さい。ウシは私の味方であり、橘様の味方です。きっと守ってくれます』

「引きつけるって、どうするんだい」

『私が先生になりかわり、奴らに捕まります。その間に、行って下さい』

「えっ、ちょっと、それって、」

 君の身が危ないんじゃ。そう言う暇も無く、キツネ君はポフンと煙を出した。すると目の前には”俺”が現れる。

「う、うわ、そっくり……なんかちょっと……気持ち悪い……」

「ふふ、声までそっくりに出来てると思いますよ」

「う、うわあ……変な感じ……」

「ともかく、私が前後不覚にでも陥らなければ、これで時間が稼げます。それでは」

「あっ、ちょ、キツネ君……っ」

 止めようとしたが、キツネ君は行ってしまった。とはいえ、止めたって他に逃げる方法が有るわけでもない。恐る恐る物陰から見ていると、キツネ君に気付いたタヌキが、彼を追いかけた。少し走った後で、タヌキが何か妙な技を(たぶん奴の魔法なんだろう)使うと、キツネ君は突然動きを止めて、そのまま崩れそうになるのを、佐久間さんがこれまたイケメンに抱きとめる。

 そして俺もどきのキツネ君が、二人に抱えられて、小屋に連れ込まれてしまった。これは大変だ。焦るばかりでどうしていいか判らない。助けてあげたいが、魔法使い相手にどうすればいいんだ。小屋に耳を押し当ててみると、佐久間さんが「折角抱かせて頂くのですから、精一杯、気持ち良くして差しあげます」とか言っている。こ、これはまだ時間がかかりそうだ。助けを求めるなら今しかない。ウシに助けを求めてみよう。キツネ君を助け出す力が有るかもしれない。

 そして俺は、小屋から離れて、雨の中を走って行った。





 +





 雨足は相変わらず強い。ウシの祠を目指して走ってみたが、山道は険しくて、とても走り続ける事は出来ない。それでもなんとか足を進めてはみるが、ずぶ濡れの服も靴も重いし、そう長くは続かない。ぜぇぜぇと荒い呼吸をしながら休んでいると。

「やぁ、センセ。こんな雨の中で、何をしてるんだい?」

 由良君の声がした。「あ、ああ、由良君」と振り返って、俺は腰が抜けそうになった。真っ白な衣に身を包んだ、長い角の有る、見るからに「シカ」な仮面を被った男が立っていたのだ。

「ゆ……由良君……?」

「やだなァ、センセ。僕はシカだよ、白のシカ」

 どう考えても由良君だ。キツネ君と違って、自分の正体を隠す気が無いらしい。そういえばシカは上位の魔法使いだと言っていたし、村長選びにも頓着しないと言っていたから、自分の正体云々にもあまりこだわっていないのかもしれない。

「えっと……じゃ、じゃあ、シカ君はどうしてこんな雨の中に?」

「さっき龍神様に誓いをしたのが居てねェ。……あー、僕は龍神様の代理みたいな事をしなきゃいけないんだ、面倒なんだけどさァ。でも、村長選びの最終日に、あのキツネが誓いを立てるなんて、意味深じゃない? しかもその内容が、センセを守るとかってさァ。つまり……センセが御子、なんだよねェ?」

「……あ、……あれ? ……そういえば……シカが、由良君? だとすると変だ、俺の知ってるシカは、違う人だよ……?」

「へえ? じゃあ僕がウソをついてるのかもねェ。でももしかしたら、センセはそのシカに騙されたのかもしれないよォ。ほら、面は人間の本質を表すんだ。人を騙すのが得意なのはキツネと、ほら、あの腹黒タヌキのどっちか、かもねェ?」

 それで俺はようやく理解した。タヌキだ。

 伸幸さんの正体はタヌキのほうだ。あの時咄嗟に、自分がシカだと偽って、俺を安心させた。そして信じたところを、村長と待ち伏せして犯そうと……。

 あの野郎、何が先生の事は好きだから協力したい、だ。次に腹痛で転がりこんで来ても追い出してやる。流石に忌々しく思えた。

「な、なら君が本物のシカって事でいいんだよね?」

「ま、少なくとも僕はそう思ってるけど」

「なら、頼みが有るんだ。キツネ君を助けてくれないか」

「んー? どうして?」

「どうしてって……ずっと俺の味方をしてくれてたんだ、彼が身代りに犯されるなんてやっぱり嫌だし……」

「んー、なるほど、妙な事になってるのは判ったけどさァ。そうじゃなくて、どうしてこの僕が、キツネを助けないといけないの?」

「あっ、そ、それは……」

 そうだ、由良君には俺のお願いを聞く理由が無い。何しろ、中立なんだから。

「なんていうのかなァ? その様子だと、キツネはセンセの代わりに村長にでも食べられそうになってるのかなァ? なら見物に行くのは楽しそうだなァ、場所教えてよ、センセ」

「た、楽しそうだなんて、人の貞操がかかってるんだよ!?」

「だってさァ、村長の側にはいつだってタヌキが居るんだよ? 万が一バレたらさ、キツネの奴、タヌキに犯されるよ。そしたら魔力が尽きて、それで終わりさ」

「終わりって……」

「死んじゃうんだよォ。キツネだってそれぐらい判ってただろうにさ、大きく出たよねェ、勇気も力も無い癖にさァ。その賭けが成功するか失敗するか、すっごく面白そうじゃない? ねえ、センセ」

 その言葉に俺は思い出した。キツネ君は魔力が弱い。強い魔法使いに抱かれてしまうと、魔力が尽きてしまう。それが判っていて、俺の代わりにあそこに残ったという事は。命を賭けたという事だ。

 バカじゃないのか。

 一番最初に思ったのはそれだ。こんなオッサンの尻と、命を天秤にかけるなんてバカだ。そりゃ俺だって、逃げおおせればそれが一番いいが、だからといって、あれだけよくしてくれていたキツネ君が死んでもいいなんて思わない。ましてまだ若いっていうのに、こんな事で死なせてはいけない。

 彼を助けるなんて、簡単じゃないか、俺の身体ぐらい差し出してしまえば良かったんだ。でも龍神様に誓いを立ててしまった以上、どうも俺が抱かれたってキツネ君は死んでしまうらしい。ならどうしたらいいのか。二人して逃げる以外に、手が無いじゃないか。そうする為には、どんな事でもしなくては。

「……シカ君、これはゲームじゃないんだよ、判ってるだろう? 人の生き死にがかかってるんだ、面白がるような事じゃない」

「……」

「シカ君、判った。君の望む相応の事を、後で必ずするよ。それこそ龍神様に約束してもいい。だから、ウシに、キツネ君が神社でピンチだって伝えて欲しいんだ。それだけでいいから」

「それだけ?」

「うん、キツネ君は俺が助け出す。ウシに伝えてくれたら、どんな事でも言う事を聞くよ」

「ふぅん、センセ、約束だからねェ? いいよ、それぐらいはしてあげる」

 由良君は相変わらず楽しそうに言う。

「それとね、いい事教えてあげる。もう少し神社に近い所なんだけどねェ、開かずの蔵っていうのが有るんだ。キツネは知ってると思うから、聞いてみるといいよ。あれってとある魔法使いの領域だから、いつもは魔力で閉まってるんだけどさァ。そこの扉がね、今日だけ何故か開いてるんだ。そしてセンセとキツネ以外に扉を開かない。不思議な事もあったもんだね、センセ?」

「……シカ君」

「じゃあ僕はウシの所に行くよォ、センセも精々気を付けてねェ」

 由良君はそう言うと、ひゅっと人間とは思えない高さで飛んで、林の中に消えてしまった。なるほどシカのようなしなやかな動きだった。それを見送って、俺は神社への道を引き返して走った。







 子供の頃から平凡そのもので、いつだって俺は上から三番目ぐらいだった。叱られる事も無いが、誉められるわけでもない。何につけても平均的で、誇れる事が無かった。

 そんな俺だから、自分の事だってそんなに好きじゃない。今までそれなりの時間を、色々やって生きて来たが、それが役に立ったともあまり思えない。何に関しても、俺でなくたって、橘翼っていう人間でなくたっていいんじゃないかといつも思っていた。

 だからこそ、俺が御子だから、だったとしても。

 こんな俺を、命をかけてまで守ろうとしてくれた、キツネ君を、楓君守りたいと思った。

 キツネ君にそんな風に思ってもらえる俺は、たぶん、キツネ君にとっては、俺じゃないといけない存在なんだろうから。最後まで信じてあげられなかった事を、心から詫びたい。だから、そうまでしてくれた彼を、俺は、なんとしても助けたかった。







「どういう事だろうね。背中に印が無いじゃないか。君は龍の模様が有ると言っていたね? でも彼には無い」

『……これは、別物……つまり、キツネが変化しているモノ、かもしれませんね』

 佐久間村長と、タヌキがそう話している。

「それは……まんまと騙されてしまいましたね。騙すのは君のお家芸だと思っていましたが」

『相変わらず憎たらしいキツネです。佐久間様、よろしければこやつを私めに下さいませ。犯して二度と我々の邪魔が出来ぬようにしてやります』

 村長が返事をするかしないか。そのタイミングで、俺は小屋の中に飛びこんだ。

「そうは、させるか!」

 突然俺が現れたもんだから、驚いているタヌキもとい伸幸さんに、俺は指輪を力いっぱい投げつける。

『なっ、先せ……、ぎ、ぎょぇええええぇえええ!!!』

「た、タヌキ、タヌキッ!?」

 小屋の中で吹っ飛んで転げ回るタヌキに驚いている佐久間さんを、後ろから締め上げる。高校の時に柔道を習っていた。大会にだって出た事は有る、すぐ負けるでも勝ち続けるでもない、パッとしない成績だったが、落とし方ぐらいは知ってる。タヌキはすぐ復活するだろうから、このまま死ぬって事も無いだろう。イケメン村長よ、眠れ。グッと力を入れると、佐久間さんが落ちた。

 佐久間さんをそっと転がして、まだのたうちまわっているタヌキを尻目に、キツネ君に近寄る。彼は変化を解いたらしく、またお面と赤い布の姿になっていた。

『た、たちばな、さま、どうして……』

 ちょっと様子がおかしい。が、「いいから逃げるよ」と抱き上げようとする。が、人間は流石に重い。抱えて逃げる事なんて出来るだろうか、と考えていると、キツネ君がまた煙を出した。すると彼は、本物の狐へと姿を変える。なるほどこれなら運びやすい。心なしか軽くなった気もする。両腕で抱えて、一目散に小屋から飛び出た。

『ま、待て、この……ッ、キツネェ!』

 タヌキが何か後ろで喚いている。キツネ君を抱えたまま走りつつ、後ろをチラッと見ると、青い衣の大男と、白い衣のシカ君が何故だか、タヌキの前に立っていた。シカ君は本当に、ウシを呼んでくれたらしい。きっとウシはタヌキからキツネを守ってくれる。俺はその間に、シカ君の言っていた蔵に逃げなければ。

 キツネ君に聞いてみると、林の中にその蔵は有った。漆喰が塗られた年代物の蔵に飛びこむ。中は真っ暗かと思いきや、上の方に窓が開いていて、少しだけだが明りが差しこんでいて、薄暗い程度だった。開かずの蔵、だったはずなのに、蔵の中はほこりっぽくもない。本棚にはたくさんの古そうな本が並んでいるし、戸棚には年代物の何か工芸品のようなものがたくさん並んでいる。歴史資料館、という言葉を思い出した。そういえば、この村には変なルールはある癖に、そういった類の物が無い。もしかしたら、本来はここがそうなのかもしれない。

 靴を脱いで、木で出来た床にキツネ君を横たえると、彼はいつも通りの姿にまた戻って、くったりとしてしまった。何かされたんだろうか、ハァハァと荒い呼吸を繰り返している。雨の中を走ったものだから、お互いずぶ濡れだし、薄暗いし、蔵の中は狭いから、それなりに近いし、キツネ君の呼吸は荒いし、何とも妙な感じだった。

 とにかく、キツネ君の無事が確認したい。「何かされた?」と尋ねながら身体に触れると、キツネ君は『お許しを』と何故だか身を捩って、逃げようとする。

「キツネ君」

『……あ、あの、……さ、佐久間、様に、折角なら、気持ち良く、させたいと、何か、クスリを……そうしたら、その、身体、が……』

 ああ。ああ……。俺は「かわいそうに」と思わず呟いて、キツネ君に触れた。キツネ君は『お許し下さい』と身を捩るばかりだが、こうなってはどうしようもない。

 媚薬、という都合のいい薬はこの世にあまり存在はしていないが、まあそれに近い物は合法で出回っていなくもない。こんな田舎に住んでいて、まして若い彼は、存在だって知らないだろうし、もちろん対処法だって判るまい。このままガマンしていてもどんどん辛くなるだけだという事も。じゃあ知ってる俺はなんなんだって話だが、それはまあおいておこう。とにかく、このままではキツネ君は辛いばかりだ。

「ごめんね、キツネ君、このままにしてても辛いだろうから、ちょっと我慢してね」

『あっ、や、あ、た、橘様、お許しを、……っ、は』

 見られるのも嫌だろうから、隠すようこっちに背を向けている後ろから身体に触れる。衣の中にそっと手を差し込んで触れると、キツネ君はいやいやと首を振ったが、もう抵抗する力も無いらしい。雨でびしょ濡れの身体は可愛そうなぐらい熱を持っていた。「まだ何もされてなかったの?」と尋ねると、『まだ、本番は……でも、その、指……を……』と弱々しい返事。それでこんな事になってるんだったら、クスリとやらの効果は絶大だ。もしくはイケメン村長のテクがヤバイ。どっちも、かもしれない。かわいそうに。

「ごめんね、すぐ終わるから、出しちゃえば楽になると思うから」

『な、何、あっ、た、橘、様、……ッ、ぅ、ぁ、んんっ……』

 既にすっかり固くなってしまっているキツネ君のそれに触れて、優しく扱いてみる。キツネ君はしばらく何かを言おうとしていたけれど、口を開くと甲高い声が出てしまうらしく、すぐに堪えるように黙り込んでしまった。それでも、お面ごしにふぅふぅと荒い呼吸をしているのが聞こえるから、きっと気持ち良くてたまらないんだろうとは思う。お面なんか付けていたら苦しいだろうに、と思ったが、無理に取ろうとも思わなった。

 くちゅ、と雨のせいではないだろう濡れた音がする。キツネ君は恥ずかしそうに何度もいやいやと首を振っていたが、そのまま極力優しく扱き続ける。変にテクニックを使うと怖がりそうだったから、単調に、ただ優しくそうしてやっていると、キツネ君はあっという間に俺の手の中に精を吐き出した。

『………………っ』

「よしよし、これで少しは楽になったかな、キツネ君……」

 頭を撫でてやると、キツネ君はしばらくして、本当に小さな声で、『し、しにたい……』と呟いた。判らないでもない。前後不覚になって他人にイかされるなんてとてつもなく恥ずかしい経験だ。だからこの「しにたい」は穴が有ったら入って埋まりたいぐらいの意味に捉えよう。

「仕方ないよ、キツネ君、変な薬を使われていたんだから、少しも恥ずかしい事じゃないよ」

『う……っ、ぅ……』

 キツネ君は返事もせずにめそめそしている。泣いているのかもしれない。こういう時はどうしたらいいんだろう、とりあえずキツネ君に今の気持ちを伝えるべきか……と悩んでいると。

『こ、ここは、シカ様の、領域、ですし、安全、でしょうから、橘様は、どうぞ、ここにお隠れになって、一晩お過ごし下さい……』

 と、キツネ君はよろよろと立ち上がる。

「えっ、キツネ君はどうするの」

『私は、帰ります……』

「どうして。君だってタヌキに狙われてるんだろう、ここが安全なら一緒に……」

『か、帰りますっ、た、橘様、一ヵ月、ありがとうございましたっ』

 キツネ君はそう言い捨てて、本当に出て行ってしまって。

 俺は茫然と閉まった扉を見る事しか出来なかった。

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