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第十一話 ふたりの告白
しおりを挟むしん、と静まり返った、薫の部屋。
すっかりカップのコーヒーも冷えるほどの時間が経っていた。和真がなんと言っていいか考えていると、薫がにこりと笑う。
「とまあ、そういうことが有ったのが3年前なんだけどね」
「は、はぁ……え? ……あの、薫さん」
「なんだい?」
「え、あの……今の話で、薫さんのどの辺りが嫌な人間なんです?」
「えっ?」
「え?」
和真が素朴な疑問をぶつけると、薫も驚いたように聞き返したものだから。ふたりして首を傾げてしまう事態になった。
「え? だって薫さんの今の感じだと、一通りの話が終わったっぽいですよね?」
「う、うん、まあ、そうだけど……え? わ、私は嫌な人間だっただろう?」
「え???」
和真はさらに大きく首を傾げて、考え込んだ。
自分は薫に恋をしている身だ。ひいき目に見てしまっている可能性も有るけれど、果たして先程の話に、「嫌な人間だ」と客観的に感じる要素がそんなに多かっただろうか?
「だ、だって、人に迷惑をかけてばかりだし……」
「や、それは仕方がないじゃないですか。薫さんの身体のことは、薫さんにだって、どうしようもないことで。だからそれは迷惑とかじゃなくて、なんだろうな、薫さんとどう付き合うかの話であって……」
「それに、いつも甘えてばっかりの癖に、悠生の結婚を素直にお祝いすることもできなくて……!」
「そりゃ、……失恋したら誰だって、心から「お幸せに」って、それだけ思うのは無理すよ……」
和真は自分の身にそんなことが起きたらと考えて、それだけで胸が痛む。
正直に言えば今だって、苦しいのだ。薫の失恋について聞いたということは、つまり彼が誰かを愛していた事実を知ることなのだから。しかもそれが、幼少期から20数年の付き合いだったなんて。そんな相手に、自分が勝てるわけも無いし、その関係に入り込む隙間だってありはしないだろう。
だから、自分はあくまで薫にとって「弟」のような存在だったのだ。その事実を改めて突きつけられ、和真だって苦しい。やはり、リンが両想いと言っていたのは勘違いに違いない。薫は今でも、悠生のことが好きなのだ。きっと。
そう考えると辛い。けれど、今は薫の心を救いたいと願っている。ようやっと話してくれたのには何か理由が有るのだろうし、何より和真は「薫の幸せ」を望んでいるのだから。
「だって薫さんは悠生さんのそばにずっといて、ずっと好きだったんでしょ? そりゃ、横から急に知らない人がきて、あっという間に結婚して家族になる……なんて話、ショックぐらい受けますよ。いくらお世話になったとか、相手の幸せが大事とかそんな理屈と関係無く……しんどいですよ、気持ちは」
「……でも、」
「でも、ですよ」
何か不安げに口を開こうとした薫を遮って、和真は続ける。
「気持ちと行動って、似てるようで別のもんですから。薫さんがホントに嫌な奴だったら、ふざけんなってキレたり、恋人のこと調べてコソコソ嫌がらせしたりストーカーになったり、最悪事件を起こすなんてことだって有るはずなんすよ。世の中には山ほどあるわけだし」
和真も実際、そういう話に全く関わりがないわけでもない。痴情のもつれ、なんて一くくりにされる事件はなにも男女の仲限定ではなく、和真の周りでも色々と起こっているとは聞いていた。そういうものも誰か特定の人を好きになりたいという気持ちを薄れさせたのかもしれない。
いずれにしろ、人はいくらでも醜く、狂うことができる。堕ちる闇は深く底知れない。にもかかわらず、薫は悠生に、心からの言葉でないにしろ「おめでとう」と声をかけ、身を引いたのだ。
「そりゃ、嫌だと思うんすよ、やっぱ自分のこと好きでいて欲しかったし、告白して振り向いてもらえるなら今すぐでもしたいはずなんです。心が有るんだから、そう思ってもしかたない。でも、薫さんは思っただけで、何も酷いことはしなかった。だから、嫌な人間とかそういう話じゃなくて、感情と、そこからくる行動の選択で……」
和真はちらりと薫の表情を見る。それでも納得がいかないのか、薫は複雑そうな表情を浮かべていた。
もしかしたら薫にはまだ、言いたいことが有るのかもしれない。和真はそう感じて、一度話すのをやめた。
ようやく家族にも話していないことを打ち明けてくれたのだ。焦ることはない。ゆっくり彼の言葉を、ちゃんと聞かなければ。けれど、もうすでに口出しをしてしまったし、薫は話すのを諦めてしまったかもしれない。
和真は後悔しつつ、薫の様子を窺った。
彼は、思案するように視線を惑わせていたけれど、ある瞬間、和真の眼を見る。その時、何を感じたのだろう。薫はやがておずおずと口を開いた。
「……和真君、その……」
「は、はい」
「……三年前、私はもう誰にも迷惑をかけたくないと思って、ここに来たんだよ」
「そう、なんでしょうね」
家族にも理由を告げず、アパートを借りて。確かにここは立地がいい割に安い。大家も常時連絡が付くから安全だし。初めてのひとり暮らしにしては、いい物件を探し当てていると思う。
「それなのに、……ね、今もこうやって迷惑をかけているから……」
「……? 俺に、ってことですか?」
「そう……。それに、深雪さんや、柾、リンちゃんに、シノさんにも……」
「………………???」
和真はまた考え込むことになった。自分がシノのように頭脳明晰なら、ついでにカウンセリングでもするような的確さで物を言えたら良かったのだけれど。あいにく、和真にはそんなスキルは無い。
だから、じっくり考えてみるより他になかった。
深雪について薫は、体調を考えて働かせてもらえていると言っていた。つまり、薫は一人で生きていくと意気込んでここにきたものの、結局仕事という面では深雪を頼るしかなかったのだろう。しかし、薫の体が変わっていないのだから、ある種そうなるのは当たり前だ。
柾に関しては、先日から頻繁に家を訪れている。でもそれは、心配するだろう。家族なのだから。薫が倒れていようが健やかでいようが。無事でいてほしいと願うのは当たり前で、何らかの形で手助けしようとするものではないのか。
リンとシノのことは、先日のモールでのことを言っているのだろうし。あれだって、仕方のないことだ。
……けれど。
仕方のないこと、を幼少期から、数えるのも億劫なほど繰り返してきた薫にとって。それはもう、仕方なのないことで割り切るのが難しいのかもしれなかった。
「……わかるんだよ、和真君も、リンちゃんもシノさんも、柾も深雪さんも、みんな迷惑だなんて言ったことはない。でも、どうしても自分が情けなくて、申し訳なくて……。私から何かできることなんてないのに……」
他人がなんと言おうと、自分を許せない。そういう気持ちなのかもしれない。
和真は薫の言葉を受け取って、また深く考え込む。
ここで「気にするな」というのはあまりにも簡単だ。けれど、そんなことがわからないほど薫だって子供ではない。そうするしかないことぐらい理解していて、それでもきっと心が苦しいのだろう。
そして恐らく。割り切ることもできず、かと言って誰かに頼らないで生きていくことのできないことを、認めることもできずにいる自分。それも含めて、「嫌な人間」だと薫は感じているのだ。
和真は悩んだ。
シノならなんと言っただろう、と一瞬考える。あの冷静な男なら、薫に気の利いた答えのひとつでも教えてやれただろうか?
そして和真は心の中でそれを否定した。
(薫さんが今、相談してるのは俺だ。なら、俺の言葉で返さなきゃ――)
では、和真にはどんな答えを出せるのか。そう考えた時、和真はあることを思いついた。
非常にリスキーである。もしかしたら、薫に嫌われるかもしれない。けれど、そうする以外に和真は、良い案が浮かばなかった。
ひとつ深呼吸をして。
和真は切り出した。
「薫さん、俺ね」
薫が顔を上げて、和真を見る。その不安げな瞳を真っ直ぐ見つめ。ぎゅっと手を握りしめて、和真はゆっくりと口にした。
「俺、男なら誰とでも寝る、最低なクズ野郎なんですよ」
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