となりの露峰薫さん

なずとず

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 ガチャリ、と玄関のドアノブを捻る。いつもよりそれはとても重く感じた。ギィイ、と音を立てて扉を開くと、眩い太陽の下、明るい休日の街が目に入る。

 そして、扉から少し離れたところに立った、薫が見えた。

 温かくなってきたとはいえ、まだ春は遠い。薫はいつものように、ゆるいカーディガンやセーターを着ていて愛らしい。髪も三つ編みにしていて、後ろ姿の雰囲気は女性にしか見えなかった。

「おはよう、和真君」

「お、おはようございます……」

 笑顔で挨拶してくれた薫に、和真もぎこちなく笑みを浮かべる。朝から薫と会えるのは嬉しい。それ自体は嬉しいのだ。

 これから、リンとシノを含めた4人で出かけるのでなければ。

「楽しみだなあ。初めて行くショッピングモールなんだ。色々見て周りたいよ」

「そ、そっすね、じゃ、じゃあ行きましょっか。電車の乗り換え、調べといたんで……!」

 和真は極力、自分の複雑な心境をつつみ隠しながら言った。




 雲ひとつない晴天。休日の大型ショッピングモールは、多くの人で賑わっていた。

「あーっ! 薫~!」

 薫と共に施設の外を歩いていた和真は、明るい声にビクリとした。聞き慣れた声に恐る恐る振り返ると、ピンクの髪を揺らしてリンがこちらへ走ってきていた。

「こんにちは、リンちゃん」

「こんにちは~! 今日はよろしくねっ。あ、和真も久しぶり!」

「ひ、久しぶり……」

 リンが明るい笑顔で挨拶してくる。その表情の裏に何が隠されているのかわからず、和真は引き攣った笑顔で返事をした。

 薫といえば、ふたりの事情なんて知らないのだから、「今日は楽しくなるね」とニコニコしていた。

「和真君のお友達も来るんだよね? 待ち合わせの場所に行こうか」

「は~い!」

「……は、ハイ……」

 和真も早くシノに合流したかった。こくこく頷いて待ち合わせの場所まで移動する。

 ショッピングモールの中央入口に、小さな噴水があった。シノは外気で少々冷えたベンチへ腰かけ、本を読んでいる。和真が声をかけると、パタンと本を閉じて鞄にしまった。彼はオフの日だというのに、かっちりとした服装をしていた。

「シノ、待たせちゃったか」

「いいえ、僕も先程着いたところで……。初めまして、高坂シノと申します。今日はよろしくお願いします」

「あ、私は露峰薫です。あの、高坂さん」

「シノ、で大丈夫ですよ」

「じゃあ、シノさん。今日はよろしくお願いします。友人同士の集まりなので、もっとラフにお話していただいても……」

「すみません、僕はこちらのほうが性に合っていまして。露峰さん……薫さんとお呼びしたほうがいいのかな。薫さんも、そちらの……」

「リンだよっ。よろしくね!」

「ではリンさんも、僕にはラフに話して頂いて大丈夫ですので」

「そ、そうなの……?」

「薫さん、シノはこういう奴なんすよ。俺に対してもこんな喋りかたなんで、あんま気にしないでください」

 和真が苦笑して説明すると、薫も「じゃあ」と頷いてくれた。リンも「うんっ、わかった!」と頷いていたが、最初からラフだった気がする。しかしそれをツッコむことはできなかった。

「ねーねー薫! お洋服見に行こっ!」

 リンはといえば、さっそく薫の腕に引っ付いている。薫も嫌な顔ひとつしないで、「そうだね、じゃあ早速中に入ろうか」と頷いていた。

 それに和真も「はーい!」と明るく返事をして、それからシノに小声で言った。

「シノ様、今日は本当によろしくお願い致します……!」

「はい、よろしくお願いします。思ったよりも、和気あいあいとしていそうじゃないですか」

「何処が!? リンちゃん俺の顔は見ても、目は全然合わせてないよ!? 怖すぎる……ッ」

「まあ、怯えていたってしょうがありませんから。どうせやらなきゃいけないなら、楽しんだ方がいいですよ?」

「ひ、他人事だと思って、無茶言うなよぉ……!」

 そんなやり取りをしていると、先にモールへと進んでいたリンが「こっちこっちー!」と手を振っている。和真はシノの顔を見たが、彼はいつものように微笑んで、頷く。なんの頷きかはわからないが、諦めて急ぎ足で向かった。




 結論から言えば、ショッピングモールでの買い物は、良くも悪くも穏便に進んでいた。

 リンはやたらと薫に接触し、服に靴、雑貨やアクセサリー、と眼に入るあらゆる店へ入った。薫はといえば、それに穏やかな表情で付き合っている様子で、どこか兄と弟、あるいは親と子のような雰囲気が有った。

 しかし、リンの目的がわからない。きゃいきゃい笑ってはやたらスキンシップを図っているのを見ていると、次第に何か違和感を覚え始める。

(リンちゃん、もしかして薫さんを狙ってるんじゃ……?!)

 和真もされたことがあるから、もしかしたらその気なのかもしれない。これで薫がノンケなら問題無いけれど、彼も同性愛者なのだ。押されたら弱いタイプだったらどうしよう、と考えると冷や汗が出る。

 リンちゃんに薫さんを取られたら。想像するだけで、目の前が真っ暗になるようだった。

「和真さん、しっかり」

「はっ!」

 シノが時折、励まして(?)くれるおかげで、なんとか正気を保てている。結局、4人で遊びに来ているのに、事実上リンと薫、和真とシノの2組に別れている時間が多かった。

 リンはたくさんの物を買い、その分、たくさんの紙袋をぶら下げている。それを薫が持とうとするから、慌てて和真が貰い受けた。薫に無理をさせてはいけない、体が強いわけではないのだから。

 リンはそんな和真をじっと見つめた。和真はぎくりとして縮こまったけれど、リンは特に何も言わず、また薫にべったりするのを繰り返した。

「な、なんなんだ、ホント……」

「さぁ、なんなんでしょうねえ。見てください和真さん。ゾウさんの置物ですよ。とってもかわいい」

 シノはといえば、マイペースにサイケデリックな虹色のゾウの置物を和真に見せたりしている。ツッコむ余裕も無くて、和真は頭を抱えた。

 そうこうするうちに、数時間が経過したろうか。

「ちょっと休憩してから、ご飯を食べようか」

 薫がそう言って、空いていたベンチに腰掛ける。リンも「歩き疲れたね~」と隣へ座った。

「和真君も、一度荷物を置いて休むといいよ」

「あっ、は、はい、じゃあ……」

 紙袋を両手に下げた和真は、それをベンチに置く。肉体的な休憩もしたいけれど、少々精神的な休憩もしたかった。具体的には、リンのいない場所に行きたい。

「ちょ、ちょっと、お手洗い行ってきます! 荷物よろしく……」

 和真が言うと、すかさずシノが口を開いた。

「荷物も有りますし、交代で行くのはどうです? 僕が見ていますから、薫さんも和真さんと一緒にお手洗いへ行かれては」

(ナイスッ、シノ様~~ッ!)

 心の中で拝み倒しながら薫を見ると、彼はリンのほうを見て、「私が先でも大丈夫?」と尋ねていた。

「うんっ、ボク、ちょっと足を休めて待ってるね」

「じゃあ、お先に失礼して……和真君、行こうか」

「は、はいっ!」

 和真は安堵感で泣きそうになりながら、薫と共に歩き始めた。欲を言えばトイレに行くのでなければもっと夢も希望も溢れていただろうが、今はリンと離れられただけで神に、それ以上にシノに感謝した。

 運のいいことには、広いショッピングモールだから、トイレまでそれなりに距離がある。なるべくゆっくり行こう、と歩いていると、薫が口を開いた。

「和真君、大丈夫?」

「えっ?! 何がですかっ?!」

 思わず声が裏返りかけた。驚いて薫を見ると、少し心配そうな表情を浮かべていた。

「今日、少し元気が無さそうだから」

「えっ、いやっ、全然! そんなことないですよ!」

「そうかい? それならいいんだけど……」

 納得したような言葉は出たけれど、薫の表情は曇っていた。鈍いのにどうしてこういう時だけ察するんだ。和真は慌ててもっともらしい理由を考えた。

「あーいや、そのーっ、シ、シノは薫さんたちと面識がないですし、楽しんでもらえるかとか、馴染めるかとか、気を遣っちゃってたのかも……!?」

「ああ……そうだよね。シノさん、楽しめているかなあ。私はリンちゃんとずっと一緒だから、あんまりお話もできていなくて」

「し、シノは大丈夫だと思います、結構楽しそうなんで……アイツいつもテンション低くて、あんな感じなんスよ、あはは……」

 実際、シノが大はしゃぎしているところなんて見たことがない。だから、今日の姿は平常運転だ。和真が苦笑いをしていると、薫も「そうなんだ」とくすりと笑った。

「……薫さんこそ、無理してないすか? リンちゃんめっちゃめちゃ絡んでるし。体調とか大丈夫です?」

「うん、大丈夫。リンちゃんとお話するのは楽しいしね……ありがとう、和真君。本当に、優しい子だね」

 柔らかく微笑まれると、どうにも困ってしまう。

 自分が優しいのだとしたら、それは下心が有るから。そう考えると、なんだか薫を騙しているような気持ちになって、和真はどうにも胸が痛むのだった。



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