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一方、和真はぼんやりと休日を過ごしていた。
ルームウェアのまま、ぼーっとベッドに腰かけてしばらく経つ。思い出すのは「弟」という単語ばかり。
銀色鉛筆は恋人ではなかった、薫も同性愛者だった。それがわかったのはいいけれど。「弟」というのは恋愛対象ではないと宣告されたも同然ではないか。
和真はショックから立ち直れないままでいる。
シノにも泣きついたけれど、毎週毎週いい加減にしてくださいと本気で冷たい眼を向けられた。それはそうだ。シノにだって恋人との大切な時間があるのだろうし、と理解はしたけれど、だからといって簡単に切り替えられるものでもない。
「はぁあ……」
深い、それは深い溜息を吐き出して、和真はがっくりとうなだれた。
そんな時だ。ガチャン、と廊下で扉の閉まる音がする。薫が出かけるか、帰ってきたのだろうか。そう思っていると、部屋のチャイムが鳴ったものだから、和真は飛び上がった。
「わ、わ」
慌てて鏡を見て、寝ぐせが無いことを確認し、インターホンへ向かう。
「はい!」
薫だと思って元気に応対したけれど、画面に映し出されていたのはなんと、例の銀色鉛筆だった。
「――ッ」
和真は悲鳴を上げそうになるのを、なんとか堪えた。
先日は薫と手を繋いでいる姿を、遠くから見たにすぎないけれど、今は目の前にいる。銀色鉛筆こと、恐らく露峰柾はなかなかの迫力有る姿をしていた。
薫の穏やかな顔、に似ていないこともないけれど、どういう育ちの違いがあったらこうなるのかというぐらい、柾は目がすわっている。じと、と見つめてくる亜麻色の瞳の色だけが同じで、視線には「こわ」としか感じない圧が有った。
髪はやはり、世に言う「銀髪」という白に近い綺麗な物ではなく、あの色鉛筆のような鼠色と光沢だけが違うくすんだ色をしている。時折混ざった明るすぎる空色がまたなんとも言えず、どうしてそのメッシュを選んだという気持ちにさせる。そんな髪が肩ほどまで伸ばされているのだ。
絶対に、普通の人間ではない。一目見ただけで伝わってくる。インターホンの画面に映る柾は、そんな男だった。
「あ、……え、っと……」
和真は色々な理由でなんと言ったらいいかわからなくなって、声を詰まらせる。すると、先に相手のほうが口を開いた。
『突然すいません。七鳥さん、でしょうか? 私、隣の露峰と申します』
柾がその見た目にそぐわない丁寧な敬語で話始めたものだから、和真もつられて仕事スイッチが入る。
「は、はい。いつも薫さんのお世話になっております」
『こちらこそ、兄が大変お世話になってばかりで……。本日はお礼の品をお持ちしましたので、どうか受け取って頂けませんでしょうか』
柾はあくまで丁寧にそう告げて、そっとインターホンの画面ごしに紙袋を見せる。どうやら百貨店のもので、中身は菓子折りだろう。
「い、いえいえいえ! 俺のほうがお世話になってばっかりで、お礼なんてホント!」
驚いて素に戻るけれど、柾のほうはそのまま丁寧に続けた。
『身体の弱い兄を介抱して頂いたと聞いております。どうか家族を代表してお礼をさせてください。本当にありがとうございました』
画面の向こうで深々とお辞儀し始めた柾に、和真は大慌てで玄関へ向かっう。扉を開けると、お辞儀したままの柾がそこにいた。
「あああ、顔を上げてくださいよ、ホント、大したことはしてないし、俺のほうも介抱してもらったから、なんていうか、お互い様っていうか!?」
元はと言えば酔っぱらった自分の面倒を看てもらったことから始まった関係なのだ。和真ばかりが薫の世話をしているわけでもない。そう伝えると、柾はゆっくりと上体を起こす。直立すると、和真よりも背の高い圧が見下ろしてきた。シンプルに怖い。
「……アニキの言うとおり、七鳥さんはいい人すね」
柾が小さく呟いて微笑む。その表情は少しだけ薫に似ていた。目つきが怖いので、悪だくみしている悪党のようにも見えるけれど。きっと悪い人ではないのだろう、と和真は思う。「ですね」の「で」が消え入りそうな音しか出さなかっただけで、言葉遣いも丁寧であるし。
そんなことを考えていると、柾が切り出してくる。
「あの、それで……良かったら、ちょっとお話できないスか? アニキのことで、聞きたいことが有って……」
「あ、あぁ、もちろんいいけど……」
何を聞きたいのか、少し怖かったが、和真はひとつ頷いて。それから、提案した。
「その、できたら、薫さんがいなければそっちの部屋、それがダメなら外の何処か店とかで話したいんだけど……」
「あ、……じゃあ、アニキの部屋で。今仕事だからいないんで」
柾も特に反対せず、ふたりは薫の部屋で話すことになった。
薫がいなくても、その部屋には薫の生活を感じる。きちんと片付いた室内、布団まで丁寧に整えられたベッド。そのそばに佇む、二匹のヒツジ。優しい香りが広がる、ナチュラルテイストのワンルーム。和真の部屋とは隣なのに、別の世界に来たような心地にもなった。
今はそこに、薫がいない。いつも優しく声をかけてくれる彼を思い出して、少し寂しいような気持ちになった。
ソファに腰かけて、コーヒーを頂く。和真はカフェオレを、柾はブラックを口にした。
「アニキ、昔から身体が弱くて。学校も休みがちだったんスよ」
ぽつり、と柾が呟いた。和真が見ると、彼は何かを思い出すように目を伏せている。その視線は目の前のコーヒーを通して、いつかの日々を見ているようだった。
「美容師になるっていうのも、家族で反対したぐらいなんスけど。アニキ、あんな感じだけど妙に芯が太いから、絶対なるって譲らなくて。運が良かったというかなんというか、ホントに美容師になっちゃったんスけど、またそれからが大変で」
薫は美容室に所属しようとしたけれど、身体の弱さから出勤が不安定になるリスクがある。なかなか働く場所が見つからなかった薫は、結局、近くの……というより、薫の家の隣にある美容室の世話になったようだ。
「もしかしてそこ……薫さんが子供の頃から通ってたところだったり……?」
髪を切ってもらった時、魔法を使われたように感動したと言っていた薫。もし、同じ場所だったら、薫は言うなれば魔法使いに弟子入りしたということだ。
柾も頷いて、話を続けた。
「です。ガキの頃からオレも世話になってたトコで、結構客も着いてるんスけど、そこのオーナーがお隣さんっていうか、お隣さんちの敷地に美容室も有るっていうか。まあ、昔馴染みで縁故採用、みたいなもんスね。アニキも何人かいるスタッフになって。まあ、今は俺もそこのスタッフなんスけど……」
なるほど。和真は頭の中で関係図を作りながら話を聞いていた。あーで、こーでと整理していると、柾が静かに切り出す。
「アニキ、和真さんになんか言ってないスか?」
「エッ!? 何を!?」
突然の質問に、和真は驚いて声を上げる。柾は真剣そのものといった表情で、質問を付け足した。
「ここで、ひとり暮らしを始めた理由ス」
「……あーいや、何にも……」
「……なんか、なんでもいいんで、ほんの小さなことでもいいんで、言ってなかったスか?」
「うーーーん……?」
和真は腕組みして唸る。これまでの薫とのやりとりを振り返ってみたが、何も聞いていないように思う。
そういえば、正月にも帰省をしていなかったな、と思い出したぐらいで。その時だって、人混みに入ると疲れるから、としか言っていなかったように思う。
「……なんもないスか」
「うーん、ごめん、何にも思い出せない……」
「スか……」
柾はひとつ溜息を吐いて、言った。
「アニキ、3年前に突然美容室を辞めて、実家も出て行っちゃったんスよ」
「ええ……?」
「理由を聞いても教えてくれないし。ああ見えて芯が有る人だから、オレたちが一人暮らしなんて無理だって止めても、アパートを契約したからって。せめて住所を教えろって言っても、ヤダの一点張りで。なんとか、俺が他言しないっていう約束で教えてはもらったんスけど」
「薫さんが、そんな……?」
薫にそんな頑固な一面が有るだなんて、知らなかった。和真が知っている彼は、どこまでも穏やかで優しい、聖人のような姿だったから。
「そんで、絶対に体調崩したらオレを呼べって言ってたんス。でも、全然連絡無くて。盆正月も実家に帰らないし。たまに会いに来ても、何に問題も無いから大丈夫、しか言わなくて」
「……な、なるほど……」
「でも絶対そんなワケないじゃないスか。ガキの頃から体調崩しがちなのに、ひとり暮らし始めたらピンピンしてるなんて」
「そ、そりゃそうだね。薫さんも、時々体調悪いとき有るって言ってたし……」
「……やっぱりスか……」
はぁーーーー、と柾は深い溜息を吐き出し、頭を抱えた。
「……ちょっと前に、アニキと電話してた時。アニキが、七鳥さんの話をしたんス」
「俺の!?」
ドキ、と心臓が縮む。
「俺のこと、なんて?!」
「仲良くしてるお隣さんがいるって、嬉しそうに報告してくれて。そんで、その流れで、アニキがポロっと言ったんすよ。油断してたんスね。熱出してたら看病してくれたって漏らして。で、問い詰めたらなんか言葉を濁すんで。これは絶対、今までも体調崩してたけどオレに黙ってたなって確信したんス」
「ああ……」
「でも、なんでアニキがオレに、オレたちに秘密を作ってるのか、全然わかんねんスよ。そもそも出て行った理由もよくわかんねえし。オレのこと嫌いなのかなと思ったら、実家で暮らしてた時と同じ感じで接してくるし……」
柾は和真の顔を見つめて、もう一度問う。その表情は、切羽詰まっているようにも見えた。
「七鳥さん、ホントに何も知らないスか? アニキ、オレたち家族の愚痴とか言ってねえスか? 出て行った理由とか、何かしたくてここに来たとか……!」
「い、言ってない、言ってないよ。薫さんはそんな話全然してないし、それに……」
和真は思い出す。そもそも銀色鉛筆こと柾と手を繋いでいた時、薫は朗らかな表情を浮かべていたじゃないか。和真はまだ、薫のことをよく知らないけれど、あの姿に嘘なんてないように感じた。本当に弟のことを歓迎していたのだろう。
ただ。薫は、「言うこと」と「言わないでおくこと」を選んでいるだけではないだろうか。なんとなく、そんな風に感じた。
「言わないでおくこと……」
柾にそう告げると、彼は苦い表情を浮かべて、また溜息を吐いた。
「なんで、何も言ってくれないんだよ、アニキ……」
その言葉が、薫の部屋に小さく響いた。和真もつられてどこか寂しい気持ちになる。
思えば、薫はあまり「隠しごと」はしないのだと思う。同性愛者だということも、和真と同じほどには軽く言えてしまうのだろう。聞かれなければ、あまり言わないだけで。
それなのに、家族が聞いても家を出て行く理由を話さない。それはよほどのわけなのかもしれないし、人には言えない何かを抱えてしまったのかも……。
人には言えない秘密。
それがもしも薫のことでなければ、いや、だったとしても、言葉は甘美な響きでもあった。思考が変な方へ向く前に和真はそれを慌てて消し去る。
「ご、ごめんね。何にも役に立てなくて……」
思わず呟くと、柾はすぐに首を振った。
「いえ、アニキのそばにいてくれるだけで助かってます。実家、結構遠いし、俺も仕事があるからいつも来るわけにはいかなくて……そうだ」
柾が懐からスマホを取り出す。
「連絡先、交換するのって有りスか? もしアニキがなんかまた熱でも出してて、七鳥さんが仕事の日とかだと大変だろうし。オレに連絡くれたら、なんとかするんで」
「い、いや、実家遠いんでしょ? だったらこっちで……」
「それに」
柾が和真の言葉を遮って続ける。
「もし、アニキが「それっぽいこと」を話したら、オレにも教えてください」
「……それが薫さんの秘密じゃなければ……」
「はい、教えてもらえる範囲で、いいス。オレだってアニキを傷付けたいわけでもねえんで」
柾が悲しげに微笑む。その表情は、どういうことか今までで一番、薫に似ていたような気がした。
ルームウェアのまま、ぼーっとベッドに腰かけてしばらく経つ。思い出すのは「弟」という単語ばかり。
銀色鉛筆は恋人ではなかった、薫も同性愛者だった。それがわかったのはいいけれど。「弟」というのは恋愛対象ではないと宣告されたも同然ではないか。
和真はショックから立ち直れないままでいる。
シノにも泣きついたけれど、毎週毎週いい加減にしてくださいと本気で冷たい眼を向けられた。それはそうだ。シノにだって恋人との大切な時間があるのだろうし、と理解はしたけれど、だからといって簡単に切り替えられるものでもない。
「はぁあ……」
深い、それは深い溜息を吐き出して、和真はがっくりとうなだれた。
そんな時だ。ガチャン、と廊下で扉の閉まる音がする。薫が出かけるか、帰ってきたのだろうか。そう思っていると、部屋のチャイムが鳴ったものだから、和真は飛び上がった。
「わ、わ」
慌てて鏡を見て、寝ぐせが無いことを確認し、インターホンへ向かう。
「はい!」
薫だと思って元気に応対したけれど、画面に映し出されていたのはなんと、例の銀色鉛筆だった。
「――ッ」
和真は悲鳴を上げそうになるのを、なんとか堪えた。
先日は薫と手を繋いでいる姿を、遠くから見たにすぎないけれど、今は目の前にいる。銀色鉛筆こと、恐らく露峰柾はなかなかの迫力有る姿をしていた。
薫の穏やかな顔、に似ていないこともないけれど、どういう育ちの違いがあったらこうなるのかというぐらい、柾は目がすわっている。じと、と見つめてくる亜麻色の瞳の色だけが同じで、視線には「こわ」としか感じない圧が有った。
髪はやはり、世に言う「銀髪」という白に近い綺麗な物ではなく、あの色鉛筆のような鼠色と光沢だけが違うくすんだ色をしている。時折混ざった明るすぎる空色がまたなんとも言えず、どうしてそのメッシュを選んだという気持ちにさせる。そんな髪が肩ほどまで伸ばされているのだ。
絶対に、普通の人間ではない。一目見ただけで伝わってくる。インターホンの画面に映る柾は、そんな男だった。
「あ、……え、っと……」
和真は色々な理由でなんと言ったらいいかわからなくなって、声を詰まらせる。すると、先に相手のほうが口を開いた。
『突然すいません。七鳥さん、でしょうか? 私、隣の露峰と申します』
柾がその見た目にそぐわない丁寧な敬語で話始めたものだから、和真もつられて仕事スイッチが入る。
「は、はい。いつも薫さんのお世話になっております」
『こちらこそ、兄が大変お世話になってばかりで……。本日はお礼の品をお持ちしましたので、どうか受け取って頂けませんでしょうか』
柾はあくまで丁寧にそう告げて、そっとインターホンの画面ごしに紙袋を見せる。どうやら百貨店のもので、中身は菓子折りだろう。
「い、いえいえいえ! 俺のほうがお世話になってばっかりで、お礼なんてホント!」
驚いて素に戻るけれど、柾のほうはそのまま丁寧に続けた。
『身体の弱い兄を介抱して頂いたと聞いております。どうか家族を代表してお礼をさせてください。本当にありがとうございました』
画面の向こうで深々とお辞儀し始めた柾に、和真は大慌てで玄関へ向かっう。扉を開けると、お辞儀したままの柾がそこにいた。
「あああ、顔を上げてくださいよ、ホント、大したことはしてないし、俺のほうも介抱してもらったから、なんていうか、お互い様っていうか!?」
元はと言えば酔っぱらった自分の面倒を看てもらったことから始まった関係なのだ。和真ばかりが薫の世話をしているわけでもない。そう伝えると、柾はゆっくりと上体を起こす。直立すると、和真よりも背の高い圧が見下ろしてきた。シンプルに怖い。
「……アニキの言うとおり、七鳥さんはいい人すね」
柾が小さく呟いて微笑む。その表情は少しだけ薫に似ていた。目つきが怖いので、悪だくみしている悪党のようにも見えるけれど。きっと悪い人ではないのだろう、と和真は思う。「ですね」の「で」が消え入りそうな音しか出さなかっただけで、言葉遣いも丁寧であるし。
そんなことを考えていると、柾が切り出してくる。
「あの、それで……良かったら、ちょっとお話できないスか? アニキのことで、聞きたいことが有って……」
「あ、あぁ、もちろんいいけど……」
何を聞きたいのか、少し怖かったが、和真はひとつ頷いて。それから、提案した。
「その、できたら、薫さんがいなければそっちの部屋、それがダメなら外の何処か店とかで話したいんだけど……」
「あ、……じゃあ、アニキの部屋で。今仕事だからいないんで」
柾も特に反対せず、ふたりは薫の部屋で話すことになった。
薫がいなくても、その部屋には薫の生活を感じる。きちんと片付いた室内、布団まで丁寧に整えられたベッド。そのそばに佇む、二匹のヒツジ。優しい香りが広がる、ナチュラルテイストのワンルーム。和真の部屋とは隣なのに、別の世界に来たような心地にもなった。
今はそこに、薫がいない。いつも優しく声をかけてくれる彼を思い出して、少し寂しいような気持ちになった。
ソファに腰かけて、コーヒーを頂く。和真はカフェオレを、柾はブラックを口にした。
「アニキ、昔から身体が弱くて。学校も休みがちだったんスよ」
ぽつり、と柾が呟いた。和真が見ると、彼は何かを思い出すように目を伏せている。その視線は目の前のコーヒーを通して、いつかの日々を見ているようだった。
「美容師になるっていうのも、家族で反対したぐらいなんスけど。アニキ、あんな感じだけど妙に芯が太いから、絶対なるって譲らなくて。運が良かったというかなんというか、ホントに美容師になっちゃったんスけど、またそれからが大変で」
薫は美容室に所属しようとしたけれど、身体の弱さから出勤が不安定になるリスクがある。なかなか働く場所が見つからなかった薫は、結局、近くの……というより、薫の家の隣にある美容室の世話になったようだ。
「もしかしてそこ……薫さんが子供の頃から通ってたところだったり……?」
髪を切ってもらった時、魔法を使われたように感動したと言っていた薫。もし、同じ場所だったら、薫は言うなれば魔法使いに弟子入りしたということだ。
柾も頷いて、話を続けた。
「です。ガキの頃からオレも世話になってたトコで、結構客も着いてるんスけど、そこのオーナーがお隣さんっていうか、お隣さんちの敷地に美容室も有るっていうか。まあ、昔馴染みで縁故採用、みたいなもんスね。アニキも何人かいるスタッフになって。まあ、今は俺もそこのスタッフなんスけど……」
なるほど。和真は頭の中で関係図を作りながら話を聞いていた。あーで、こーでと整理していると、柾が静かに切り出す。
「アニキ、和真さんになんか言ってないスか?」
「エッ!? 何を!?」
突然の質問に、和真は驚いて声を上げる。柾は真剣そのものといった表情で、質問を付け足した。
「ここで、ひとり暮らしを始めた理由ス」
「……あーいや、何にも……」
「……なんか、なんでもいいんで、ほんの小さなことでもいいんで、言ってなかったスか?」
「うーーーん……?」
和真は腕組みして唸る。これまでの薫とのやりとりを振り返ってみたが、何も聞いていないように思う。
そういえば、正月にも帰省をしていなかったな、と思い出したぐらいで。その時だって、人混みに入ると疲れるから、としか言っていなかったように思う。
「……なんもないスか」
「うーん、ごめん、何にも思い出せない……」
「スか……」
柾はひとつ溜息を吐いて、言った。
「アニキ、3年前に突然美容室を辞めて、実家も出て行っちゃったんスよ」
「ええ……?」
「理由を聞いても教えてくれないし。ああ見えて芯が有る人だから、オレたちが一人暮らしなんて無理だって止めても、アパートを契約したからって。せめて住所を教えろって言っても、ヤダの一点張りで。なんとか、俺が他言しないっていう約束で教えてはもらったんスけど」
「薫さんが、そんな……?」
薫にそんな頑固な一面が有るだなんて、知らなかった。和真が知っている彼は、どこまでも穏やかで優しい、聖人のような姿だったから。
「そんで、絶対に体調崩したらオレを呼べって言ってたんス。でも、全然連絡無くて。盆正月も実家に帰らないし。たまに会いに来ても、何に問題も無いから大丈夫、しか言わなくて」
「……な、なるほど……」
「でも絶対そんなワケないじゃないスか。ガキの頃から体調崩しがちなのに、ひとり暮らし始めたらピンピンしてるなんて」
「そ、そりゃそうだね。薫さんも、時々体調悪いとき有るって言ってたし……」
「……やっぱりスか……」
はぁーーーー、と柾は深い溜息を吐き出し、頭を抱えた。
「……ちょっと前に、アニキと電話してた時。アニキが、七鳥さんの話をしたんス」
「俺の!?」
ドキ、と心臓が縮む。
「俺のこと、なんて?!」
「仲良くしてるお隣さんがいるって、嬉しそうに報告してくれて。そんで、その流れで、アニキがポロっと言ったんすよ。油断してたんスね。熱出してたら看病してくれたって漏らして。で、問い詰めたらなんか言葉を濁すんで。これは絶対、今までも体調崩してたけどオレに黙ってたなって確信したんス」
「ああ……」
「でも、なんでアニキがオレに、オレたちに秘密を作ってるのか、全然わかんねんスよ。そもそも出て行った理由もよくわかんねえし。オレのこと嫌いなのかなと思ったら、実家で暮らしてた時と同じ感じで接してくるし……」
柾は和真の顔を見つめて、もう一度問う。その表情は、切羽詰まっているようにも見えた。
「七鳥さん、ホントに何も知らないスか? アニキ、オレたち家族の愚痴とか言ってねえスか? 出て行った理由とか、何かしたくてここに来たとか……!」
「い、言ってない、言ってないよ。薫さんはそんな話全然してないし、それに……」
和真は思い出す。そもそも銀色鉛筆こと柾と手を繋いでいた時、薫は朗らかな表情を浮かべていたじゃないか。和真はまだ、薫のことをよく知らないけれど、あの姿に嘘なんてないように感じた。本当に弟のことを歓迎していたのだろう。
ただ。薫は、「言うこと」と「言わないでおくこと」を選んでいるだけではないだろうか。なんとなく、そんな風に感じた。
「言わないでおくこと……」
柾にそう告げると、彼は苦い表情を浮かべて、また溜息を吐いた。
「なんで、何も言ってくれないんだよ、アニキ……」
その言葉が、薫の部屋に小さく響いた。和真もつられてどこか寂しい気持ちになる。
思えば、薫はあまり「隠しごと」はしないのだと思う。同性愛者だということも、和真と同じほどには軽く言えてしまうのだろう。聞かれなければ、あまり言わないだけで。
それなのに、家族が聞いても家を出て行く理由を話さない。それはよほどのわけなのかもしれないし、人には言えない何かを抱えてしまったのかも……。
人には言えない秘密。
それがもしも薫のことでなければ、いや、だったとしても、言葉は甘美な響きでもあった。思考が変な方へ向く前に和真はそれを慌てて消し去る。
「ご、ごめんね。何にも役に立てなくて……」
思わず呟くと、柾はすぐに首を振った。
「いえ、アニキのそばにいてくれるだけで助かってます。実家、結構遠いし、俺も仕事があるからいつも来るわけにはいかなくて……そうだ」
柾が懐からスマホを取り出す。
「連絡先、交換するのって有りスか? もしアニキがなんかまた熱でも出してて、七鳥さんが仕事の日とかだと大変だろうし。オレに連絡くれたら、なんとかするんで」
「い、いや、実家遠いんでしょ? だったらこっちで……」
「それに」
柾が和真の言葉を遮って続ける。
「もし、アニキが「それっぽいこと」を話したら、オレにも教えてください」
「……それが薫さんの秘密じゃなければ……」
「はい、教えてもらえる範囲で、いいス。オレだってアニキを傷付けたいわけでもねえんで」
柾が悲しげに微笑む。その表情は、どういうことか今までで一番、薫に似ていたような気がした。
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