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しおりを挟むしばらく薫を引っ張って歩き、人通りのないところまでやってきた。ここまでくれば、もう知り合いはいないだろう。ハァーーーっと深い息を吐き出して、和真はようやく足を止める。
「和真君、急にどうしたんだい?」
薫はといえば、突然のことに気分を害しているようでもなく、純粋に困惑しているようだった。
「あ、いえ、その、大した理由は無いんですけど……」
和真は曖昧に返事をする。大した理由も無く、いきなり店から連れ出したりするものか。自分でもそう思う。薫は不安げな表情を浮かべていた。何か気の利いたフォローをしなければ、と考えるけれど、嘘の理由を咄嗟には思いつかない。せめて、考える時間が有れば良かったのだが。
「……もしかして、私があのお店に行ったの、迷惑だったかな」
「エッ、あっ、いやー、そういうわけではないんすけど……」
また言葉を濁してしまう。ますます良くない。こんなの、誰がどう見ても「迷惑だった」としか取れないだろう。
迷惑だったか、と言われたら、そうではない。ふしだらな生活を選んできたのも、薫に店を教えたのも和真自身。何もかも、和真の自業自得なわけであるし。もし薫が恋愛対象でなければ、こんなに焦ることも無く、さらりと説明できたかもしれない。それで気持ち悪がられれば、仕方ない。それまでの付き合いだったと割り切ることは、これまで幾度も経験してきた。
けれど、どうしても。薫に嫌われたく、ないのだ。
「薫さん、その……」
頭の中で考えや言葉がグルグルして、どうにもちゃんとした文章になってこない。そんな和真を見て、薫は「ごめんね」と口にする。
「いやっ、薫さんは、全然悪くないんです!」
「でも、現に困っているみたいだし」
「そ、それはそのう……!」
まごついていると、薫は申し訳なさそうにとんでもないことを言い始めた。
「和真君ともっと仲良くなりたいと思って」
「へ」
「お気に入りのお店に行ってみたら、君のことを知れるかなと思ったんだけど……勝手なことをしてごめん。もうあのお店には行かないようにするね……」
本当に反省している様子で言っている。それが仲良くなりたい一心だったというのなら、この勘違いを正さないと余計にややこしくなるのではないか。薫は和真と仲良くなるのを諦めるかもしれないし。それは、本意ではない。けれど本当のことを言っても関係が壊れるかもしれないし――。
和真はひとつ唸って、ヤケクソ気味に切り出した。
「薫さんっ、迷惑じゃないんです、ホントです!」
「和真君……」
「あの……さっきのお店、実は、その、「男同士が出会う」店で……」
「……ああ、そういえばお客さん、男の人ばっかりだったね」
こくりと頷く薫に、意味が正しく伝わっていないと理解し、和真は覚悟を決めて言いきった。
「同性愛者が、肉体関係を持つ相手を探す場所なんですよ」
「…………」
薫は一瞬、ぽかんとした顔をしていた。和真にはその時間が永遠に続くかと思われたし、身体が冬の寒さ以外のもので冷え切ったが。それはあくまで、一瞬のことだったのだ。
「あ」
薫が声を上げて、口元を手で覆う。驚いたような反応の後、何を言われるか。どんな表情をするか。和真は胃がキリキリするのを感じながら見守った。
「そうだったんだね、ああ……なるほど、とても納得したよ。じゃあ、私はあそこでは場違いだったね……」
薫は穏やかに、うんうん頷いていた。そのことに拍子抜けしていると、薫はまた「ごめんね」と謝ってくる。
「真剣に相手を求めてる人たちに、何も知らない私が来ちゃ、迷惑だよね……」
「ああいや、だから迷惑ではなくて……えっ、ていうか薫さん、リアクションそれで大丈夫ですか!?」
「え? 何か変だったかい?」
きょとん、とした表情の薫には、本当に嫌悪感のようなものは見えず、和真のほうが困惑した。
「いや、変ではないんですけど、えと、なんかほら、そのう、なんて言えばいいんだろ。「普通」じゃ、ないと思うんすけど……」
「……? ああ、同性愛者がってことかい?」
「そ、そうです。それに、あの店を俺が知ってたってことは……つまりその……俺も……」
「ああ、うん、そうなんだね」
薫はいつものような穏やかさで頷く。
「私は別に気にしないよ。美容師なんてやっていると、色んな人と出会うからね。色んな生き方や考え方があって当たり前だし」
「は、はあ……」
和真はなんとも気の抜けた声しか出せなかった。大したリアクションが無かったことに、拍子抜けしたというか、安心したというか。なんにせよ、想像していた最悪の状況は訪れなかったのだ。
良かった、気持ち悪がられなくて。和真が胸を撫でおろしていると。
「私もそうだし」
「……薫さんもそう………………えっ!? 何が!?」
「えっ? 何が?」
「いやいやいや、俺が聞いてるんですよ!? えっ? 何が、「私もそう」なんすか!?」
なにかとんでもないことのような気がする。予感がして、和真が慌てふためいていると、やはり薫は穏やかに告げた。
「ほら、私もどちらかといえば同性愛者だし……」
「…………」
「……あれ? あ、言ってなかったっけ……」
「言ってない! ぜんっぜん、これっぽっちも言ってないです!」
「そっかあ。別に隠してるわけでもないんだけど、まあ、そうなんだよ」
世間話でもするようなノリでそう言われて、和真はポカンとしてしまった。
道理で女の気配が無いわけだ、とか、でもどうして同類の匂いがしなかったんだろう、とか。色々考えて、それから気付く。
それというのはつまり、和真にもチャンスが有るということでも有り――。
「アッ、銀色えん……」
「? 銀色?」
銀色鉛筆、と言いかけて途中で止めた。けれどしっかり聞かれていたようだ。
ここまで言ってなんと誤魔化していいか、さっぱりわからない。それに、さっきから素直に言ったほうが物事は上手くいったじゃないか。和真は意を決した。
「あの、最近見かけたんですよ、薫さんと一緒に、銀色と空色のメッシュで……」
「ああ、柾(まさき)のことかい?」
まさき、と男の名を呼び捨てにしたことへ動揺する。自分は未だ「和真君」であるのに、もっと親密な仲なのだとはっきり伝わってきた。うう、と内心怯みながら、恐る恐る尋ねた。
「その、柾さんとは、どういったご関係で……?」
「……?」
薫はどうしてそんなことを聞かれるのかわからない、と言った様子で首を傾げてから、
「柾は私の弟だけど……」
と静かに答えた。
「…………弟さん!?」
思わず大声を出してしまった和真に、薫は「ひゃ」とひとつ声を漏らしてから頷いた。
「う、うん。私の7つ下の弟だよ。今年で25になるんだ」
「結構離れてますね!? てか弟さん俺と同い年ですよ!? えっ、薫さんと随分違う雰囲気の弟さんですね!?!?」
情報がいっぺんにきすぎだ。銀色鉛筆もとい柾は薫の恋人ではなかった。仲睦まじかったのもそれなら納得がいくが、普通、弟と手を繋いだりするものか? しかし和真をよそに、薫はのんびりとした調子で答える。
「そうなんだよね。私は小さい頃から身体が弱かったけど、柾はとっても元気で。いつも私のことを気にして、手を引いてくれたりするいい子なんだよ。私の後を追って美容師になったんだ。変わった格好かもしれないけど、根はとってもいい子だよ」
にっこりと微笑んでいる薫に、嘘は少しも感じられなかった。恋人だから手を繋いでいたんじゃなくて、心配だから手を差し出していた――その純粋な兄弟愛を、和真は邪推してしまったのだ。
あまりにも自分が悩んでいた時間がアホらしくて、和真は大きな溜息を吐きながら、地面にへたり込みかけた。
「わ、わ、大丈夫かい、和真君」
「はい、大丈夫です…………」
「とても大丈夫じゃなさそうだけど……どこかで休む?」
それはホテルに人を誘う時のセリフだ。ちらと薫を見上げると、本気で心配そうな顔をしている。
この人は、本当に純粋な気持ちで言っているんだ。同じ同性愛者といっても、和真とはまったく違う人生を送ってきたのだろう。そんな人とどう仲を深めていけばいいかわからないけれど、少なくとも和真にも可能性は戻ってきた。
なにしろ、クリスマスをひとりで過ごしていたことに加えて、柾が弟であったなら。薫が本当にフリーの可能性は限りなく高い。和真はほんの少し見えてきた希望に腹の下の方から元気が湧いて来るのを感じた。
「大丈夫です! さっきのお店は途中で出ちゃったし、どこかで一緒に夕飯食べましょうよ。美味しいとこ知ってるんです。回らない寿司とか、焼き肉とか……」
「わあ、一緒に外食するのは初めてだね。嬉しいな……あ、そうだ。今日は和真君に色々気を遣わせちゃったし、私がお金を出すよ」
「ええっ、いやいや、そんなわけには……!」
「いいんだ、お願いだよ、払わせて? 私、今少し嬉しくて」
「嬉しい?」
今度は和真がきょとんとする番だ。すると薫は本当に嬉しそうに笑って言った。
「また和真君のことが知れて、とっても嬉しいんだ。これからも仲良くしてね」
「えっ、あっ、はい、是非……」
「君といっぱいお話したいんだ。新しく「弟」ができたような気でいたから、柾と同い年だって聞いて納得したよ――」
そこから先、薫が何を言っていたかはあまり覚えていない。
ただ、和真は繰り返し、同じフレーズと頭の中でリピートし続けていた。
(新しく「弟」ができたような気で――新しく「弟」が――「弟」――「おとうと」――)
和真はその夜、布団の中で叫んだ。
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