となりの露峰薫さん

なずとず

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第五話 廊下の銀色鉛筆

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 それは数か月前のこと。

「ね、ね。キミ、和真でしょ?」

 その日も、男たちが出会いを楽しむバー『ジョー』は賑わっていた。薄暗い店内はムーディーなジャズに包まれ、壁際ではスキンシップをする者たちもいる。

 カウンターに向かい酒を飲んでいた和真。その隣に腰かけたのは、ふわりとしたピンクの髪が目立つ青年だった。男にしては低い背丈。愛らしい顔立ちで、可愛い系の服装をしたリンが、和真に声をかけたのだ。

「キミ、ここらへんじゃ有名だよね。誰とでも寝るってさ」

「そう? へへ……」

「褒めてないからねっ。マスター、いつものカクテルちょうだい」

「はいはい、和真君はおかわりいる?」

「あ、もらおっかな……えと、君ってリンちゃん? みんながそう呼んでた気がする」

「うん、そうだよ。和真もリンちゃんって呼んで?」

 あざとい仕草や馴れ馴れしさは嫌な感じがしそうなものだが、リンはそれを許す愛らしさを備えていた。和真も、リンのことを気に入って、それからしばらくカウンターで会話を弾ませた。

 リンは「ネコ」専門らしい。まあ、かわいいもんな、と和真は納得する。それもあって、ふたりはすっかり意気投合。「どこかふたりっきりで呑めるところに行かない?」というリンの言葉を合図に、ホテルへ向かい。そして肉体関係を持った。

 正直に言えば、リンとの相性はかなり良かった。男を受け入れることに慣れたリンとは、気楽に楽しいセックスができたのだ。リンのほうもそれは同じだったらしい。

 ことが終わって、ベッドに潜り。睦言を交わすうちに、リンが囁いた。

「ね、和真」

「ん?」

「ボクたち、すっごく相性いいと思わない? このまま付き合っちゃおーよ」

 そうしたことを言われるのは、初めてではない。その度に、和真はのらくらとかわして断っていた。その時も、和真は「あー……」と声を出し、言葉を探したのだ。

「リンちゃん、俺、その……」

「ボクね、寂しいのダメなんだ」

 和真よりも先に、リンが言う。それで和真はタイミングを失ってしまった。

「お休みの日とか、夜とかにね、ひとりぼっちだと、すっごい不安になっちゃうの。世界にボクひとりだけみたいな気分になってね、だから誰かとベッドで過ごしたいんだ」

「……なんか、わかるなあ……。俺も休みの夜にひとりなのは耐えられんないし」

「でしょ? 和真とはそーゆーの、わかりあえる気がしたんだ。だからさ、和真がよかったら恋人になろーよ。そしたらほら、いちいち相手を探さなくて済むし。クリスマスも一緒にいられるよ」

「……それは、いいなあ。楽そう」

 リンの言葉に、和真は毎年のことを思い出す。クリスマスや年末年始は、誰かと過ごしていてもどこか寂しくなるものだ。恋なんてしたことはないけれど、恋人ができれば、あのどうしようもない孤独感は無くなるかもしれない。

「でもでも! 恋人になったら、浮気はぜーったいダメだからね。ボク、こう見えて嫉妬深いんだから」

「こう見えてもなにも、それっぽいよ」

 ふたりはケラケラ笑い、そしてリンが「今決めなくてもいーよ」と言ってくれたことで、一度この話は終わった。

「でもさ、ボクたちいい関係になれると思うんだ。だから連絡先交換しよ」

「もちろん!」

 それは和真も大歓迎だ。また呼べばセックスできる相手が増えるのは喜ばしい。恋人になるかどうかは別にしても、リンとはこれからも仲良くしていきたかった。

 ふたりはスマホの連絡先を交換して。

 それで。






「はぁーーーーーー……」

 くるくる、と腕時計を指に引っ掛けて回しながら、リンがため息を吐いている。

 そこはバー『ジョー』のカウンターで。リンは手元にスマホを置いたまま、ボンヤリと過ごしていた。平日とあって客はまばらで、ほとんどマスターとふたりっきりの状態だ。

「リンちゃん、また溜息吐いて」

「だってぇ」

「まだ和真君のこと、諦められないの~?」

「ううん、そんなんじゃないんだけどさ……」

 リンは腕時計をプラプラさせる。ピンクゴールドの時計は、和真と別れてからも正確に時間を刻み続けていた。

「せっかく恋人出来たと思ったのにさー。和真が浮気したのは事実だし。浮気は許せないし。一度する奴は何度でもするって、わかってるし……」

「うんうん。和真君はひとところにいられない男の子だもんね~」

「でもさ! ちょっとぐらい引き止めてくれてもいいじゃん! 和真ったら謝りもしないで、この時計返せって言ったんだよ⁉ 信じらんない!」

「うんうん。その話、もう20回は聞いてるよ~」

 マスターはニコニコしながら相槌を打つ。こうしたことには慣れているのだろう。「おかわりいる?」と尋ねて、またカクテルを手渡す。リンはカクテルに口をつけると、また溜息。

「あーあ。ボクたち結構相性良かったんだけどなあ……」

「そうだねえ。リンちゃんと和真君はちょっと似てるところ、有る気がするよ」

「でもボクはあの軽薄男と違って、付き合い始めてからは他の人と寝なかったんだから! それなのにアイツ、休みが合わない日はバンバン浮気してるんだもん……あーもうやだ。いつまで経ってもアイツのことで脳みそが占有されてるのが超めんどくさい!」

「もう和真君とのことは忘れなよ~。その腕時計も手放しちゃったら? 結構高そうだし」

「……ヤダ」

 リンは腕時計とマスターを交互に見て。それから腕時計をぎゅっと握りしめた。

「これは和真との思い出にすんの」

「そんなだから忘れられないんだよ……」

「いーのっ! それに僕だって新しい男と付き合いたいんだから! 今けっこう気になってる人がいるんだ」

「へ~、どんな人?」

「待ってね、えーっと……」

 リンはスマホを何度か操作して、「はいっ」と画面をマスターに向ける。マスターは覗き込んで、「ほー」と頷いた。

「なかなかのおっとり系な美人さん。泣きぼくろがまたセクシーだね。……美容師さんなのかあ」

 それは美容室の予約サイトで、スタイリストの紹介が書いてあるページだ。顔写真と共に名前が書いてある。マスターはそれを読み上げた。

「つ、つゆみね、かおるさん……苗字変わってるなあ」

 スマホの画面には、カメラに向かって恥ずかしそうに微笑む薫の姿がある。のんびりとした優しい雰囲気までもが、映し出されているかのようだ。

「最近美容室変えたんだけど、カットもカラーもボクの理想を完璧に叶えてくれてさ。それに薫は、ボクの話をずーっと親身になって聞いてくれるの」

「美容師って仕事柄聞き上手なんじゃないの? 僕みたいに~」

「マスターのはビジネスって感じするんだよね」

「え~そう? 結構真剣に仕事してるんだけどなあ」

 だからビジネスなんじゃん、とリンは言って、ふたりして笑う。それからリンが続けた。

「薫はそこらへんがなんかね、素なんだろな、って感じがするの。根っこのほうから優しいって思えちゃう。すっごいいい人なんだよ。だからボク、次に付き合うなら薫がいいなって思って」

「アタックしたの?」

「まだこれから。ノンケかもしれないし、ちょっと距離の詰め方を考えてるところ。……だってさあ」

 リンは小悪魔のような意地悪い笑顔を浮かべて言った。

「こんなおっとりした美人の、「雄」の部分を引きずり出すのって、すっごい楽しそうじゃん」

 その言葉に、マスターはニコニコしながら頷いた。

「リンちゃんらしいや~。たぶんまだまだちゃんとした恋人はできそうにないね」

「ひっどーい! ボクは真面目に恋人ほしいのにー!」

「うんうん、真面目にソレなんだよね。しかたないしかたない」

「なにそれー! マスター、すっごい雑なんだけど!」

 マスターは笑いながら、心の中で思ったという。

 やっぱり和真君とリンちゃんは、ちょっと似てるところがある、と。


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