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しおりを挟む失念していた。
もう、年末年始なのだ。
28日、始業と共に明日から休みであると再確認し、和真は途方に暮れた。
会社は締まるからシノと楽しく話すこともできないし、リンがいるかもしれないから、バー『ジョー』に足を運ぶのもなんとなく気が進まない。かといって、和真には帰るべき家が無い。
連絡先といえば、年末年始は実家に帰るからとか、先約が有るからといって埋まっている。本当に行きずりの男と関係を持ってもいいような気もしたけれど、流石にこの歳になると、性病なんかも怖くなる。これまでは運よく乗り切ってきたけれど、ずっとなんとかなるとは限らないことぐらいわかる。
となると、年末年始にやることが無い。ひとりきりの年末年始、ああこれが恐ろしく嫌だったから恋人を作ったのに。和真はガックリとうなだれて、「良いお年を」と社交辞令を交わし仕事を納めた。
そして翌日は気晴らしに出かけることにした。ひとりで寒い部屋にいるより、ずっとマシだ。
街はつい数日前までクリスマスだったことも忘れ去っていた。12月29日、平日のくせに人通りの多い街を、和真は今日もむすりとした顔でひとり、歩いて行く。
どうせあと数日もすれば、街は新年の門出を祝う飾りつけでいっぱいになるし、テレビ番組もバカ騒ぎするものばかりになるのだ。今年は1月1日が土曜日で、2日が日曜日。正月休みが2日休日に吸われて残念だったな、ザマァミロ。そう考えて、自分も立派に被害を受けることに気付き、和真はまた溜息を吐く。
街には出たものの、行くあても無い。一週間もあてがないなんて、気が狂いそうだ。しばらく考えて、年末年始の性欲はしこたまAVでも見て紛らわせようと思った。
似たような考えの人間は意外といるらしい。いや、普通に映画三昧をしようとしている人も多いのだろうが、今の時代にかろうじて生き残っていたレンタル屋は大混雑で焦った。しかしここまで来たら目標を達成して帰ってやるとヤケクソ気味に、たっぷりAVを籠に入れた。ついでに普通の映画で気になっていたのも。
借りたものをそそくさと鞄に詰め込み、足早に家へと帰ろうとする。
と。
「ん」
和真は足を止めた。視界の端に映った物を改めて見つけると、小さな雑貨店へと足を踏み入れる。
流行の物を集めた、女性たちが喜びそうなオシャレな雑貨屋、という感じではない。店主の好みの物を片っ端から集めたというような、「雑多屋」と言ったほうが正しい気もする、ごちゃごちゃした店内。
そこに佇む、ヒツジのぬいぐるみ。
白いヒツジと黒いヒツジが仲良く並んでいる。その、黒いほうのヒツジに見覚えがあった。薫の部屋に置かれていたのだ。優しく微笑んでいるその2匹には、説明のカードがついている。この子たちは双子で、いつでも一緒なのだそうだ。
なのに、薫の部屋には1匹しかいなかった。
和真はしばらく考えて、白いほうのヒツジを手に取った。フワフワした柔らかい生地が、手にしっとりと馴染む。撫でているだけで癒されるヒツジが、優しい微笑みで和真を見ていた。
ピンポン、とチャイムの音が、静まり返った廊下に響く。まだ日が暮れる前だけれど、夜の迫った空気は既に冷えきっていた。はあ、と白い息を吐きながら、和真は扉の前で立ち尽くしている。その腕には、白いヒツジのぬいぐるみが抱かれていた。
しかし待てど暮らせど、目の前のインターフォンから返事は無く、また扉も開かない。和真は溜息を吐いた。まあ、普通はそうだよな、と。
12月29日。世間は仕事を納めて正月休みに入っている。すぐ実家に帰省する人も少なくないだろう。クリスマスはたまたま隣人が休みで、部屋にいただけで。どうしていつでも会えるような気がしていたのやら。
和真は苦笑して、すぐ隣の自宅へと戻った。
しんと静まり返った部屋は、外と同じくらい寒く感じる。暖房をつけてもしばらく、和真は服も着替えず、ヒツジを抱いて玄関で座っていた。
寂しい。
その感情は、和真が一番苦手なものだ。
寂しいのは、嫌だ。なのに誰も掴まらない。友達も、セフレも、何もかも。リスクを覚悟で街角やSNSでの出会いに賭けるか。これから6日も有る正月休みを、そうして過ごすのか。
考えるだけでげんなりして。深い溜息を吐いていると。
ガチャン、と音がした。和真はビクリと跳ね、顔を上げる。
他でもない隣人が言っていたのだ。このアパートは、防音がしっかりしているのに、隣の玄関の音ばかり大きく聞こえる、と。
和真は慌てて自室を出る。荷物を抱え隣に向かおうとして、あわあわと自室の玄関に鍵をかけた。それから改めて薫の部屋へ。
呼ぼうと指を伸ばしかけて、ヒツジを背中に隠す。チャイムを鳴らすと、今度は応答があった。
『はい、……あ、和真君こんにちは』
「こ、こんちわす!」
柔らかい声を聞くだけで、なんとなく顔が綻んでしまう。そんな和真をよそに、薫はすぐ扉を開けてくれた。
今日も長い髪を後ろに束ねている薫は、いつもよりも洒落た服を着ていた。白いニットに濃いベージュのざっくりとしたカーディガン、黒のデニム。それに、コートを羽織っている。カジュアルな中にもどこかかわいらしさも感じられて、薫らしいと感じた。
「すんません、たぶん出かけてたんですよね」
「うん、仕事から帰って来たところなんだ」
ああ、薫さんは28日が仕事納めではない職種なんだ。和真は納得し、「じゃあ尚更すんません、仕事で疲れてるだろうに」と頭を下げる。
「気にしないで。ところで、何か用事かな?」
「あ。あの、これ……」
おずおずと背中からヒツジを出すと、薫は一瞬きょとんとした後で、「わあ」と花が咲くように微笑んだ。
「うちのと同じヒツジさんだ。どうしたんだい?」
「いや、今日たまたま雑貨屋で見つけたんすけど……薫さんの部屋に黒い子がいたなあと思って。なんか、説明みたら、双子だからいつも一緒って書いてあったんで……」
「……そうなんだ。この子たち、双子、だったのかあ……」
薫は和真の言葉に、興味深そうに頷いている。てっきり、知っているのだと思ったから和真も驚いたけれど、すぐに気を取り直した。
「だから、このヒツジも一緒に置いてもらえたらと思って!」
「……え! そんな、悪いよ」
「いや、カレーのお礼も有るし、いつもお世話になってるお礼も兼ねて……アッ、いやでも、ご迷惑ならうちで飼います……!」
もしかして、迷惑だったんじゃないか。それはそうか。ただの隣人からいきなりぬいぐるみ渡されるの、はっきりいって気持ち悪いもんな。中に盗聴器とか入ってそうって思われたかも。
和真はそう考えたけれど、薫のほうは首を振った。
「迷惑だなんてことはないよ。だけど、良くしてもらっているのはこちらのほうだから……」
「ええっ⁉ どう考えても良くしてくれてるのは薫さんのほう一択ですけど!」
「ふふ、まあ和真君にはそう思えるんだろうなあ。……本当に、もらっていいの?」
「もちろん! どうぞ、どうぞ!」
白いヒツジを手渡すと、薫が嬉しそうに抱き上げて、「かわいいなあ」と微笑んでいる。まるでヒツジのようにかわいいのは、薫も同じだ。和真は知らないうちにニコニコ笑顔を浮かべてしまっていた。
「喜んでもらえて、俺も嬉しいです」
「和真君は本当に優しい子だね。……ああ、そうだ、これからお夕飯を作るんだけど、お礼にどうかな? またタッパーに入れて持って行くし……」
「あー、いや、それじゃもう終わらないお礼合戦になっちゃいますし……でも、そうだなあ……」
和真も夕飯はまだ準備さえしていない。部屋に戻ってもひとりで食事を摂ることになる。それは薫のほうも同じだろう。彼が、和真と同じように寂しがりであるかどうかはわからない。しかし、普通の人間は、嫌なら断る。
そう考えて、和真は切り出した。
「じゃあ、こういうのはどーです? 俺も薫さんの夕飯作り、手伝うんで、薫さんの部屋で一緒に食べる……っていうのは……」
その言葉に、薫は一瞬考えてから、顔を綻ばせた。
「それはとってもいい考えだね、和真君」
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