となりの露峰薫さん

なずとず

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「……うーん……うー……う、頭、痛ぇ……」

 軽い頭痛に頭を押さえて、掛け布団をかぶる。今何時だろうか、ともぞもぞ手だけでスマホを探していると、妙に温かいものに触れた。まるで人の手のような。

「……うわっ!」

 それで一気に目が醒めて、和真は飛び上がった。姿勢が変わったせいか、また頭がズキンと痛む。いてて、と呻いていると、「大丈夫ですか?」と目の前の人物——薫が声をかけてきた。

「……あ、……ええと……あれ? えーと……」

 和真はぐるぐると視線を動かす。ここは自分の部屋ではない。この布団や、着せられている寝巻きもだ。そして目の前には薫。それがどういうことなのか考えれば、昨夜の記憶が蘇ってきた。

 恋人にフラれて大酒を飲み、酔い潰れた挙句に、隣人の部屋で吐くわ寝るわの大迷惑。和真は申し訳なさと恥ずかしさで真っ赤になった。

「あっ! あっ、す、すいません、俺、めちゃくちゃ迷惑かけちゃって!」

 ペコペコ頭を下げつつ、慌てて布団から出る。しかし薫はのんびりと「迷惑だなんて」と微笑んでいた。

「困った時はお互い様ですから。まだ休んでいても大丈夫ですよ?」

「いえいえっ、とんでもない! 俺はすぐ部屋に戻ります……あっ、そうだ、戻れないんだった……!」

 そうだ。鍵や財布、スマホまで、何もかもを無くしてしまったのだ。和真はまた頭痛を感じて顔をしかめた。何もかもがダメじゃないか。

 まずは何をするのが正解だろう。大家に連絡して鍵を開けてもらえれば、会社への連絡はつくけれど。クレジットカードやキャッシュカード、ましてやスマホをどうしたものか……。

 これから始まるたくさんの課題に溜息をつく。

「あ、そのことなんですけど……」

 薫が何か思い出したように部屋の中を移動して、それから小さな紙袋を手に戻って来た。そして薫が穏やかに微笑んで、差し出す。

「これ……じゃ、ありませんか?」

「えっ? ……アッ! こ、これ、俺の財布! キーホルダーに、スマホ!」

 渡された紙袋の中にはそれらが入っていた。取り出して見ると、中身も無事だ。目を白黒させてから、和真は薫に尋ねる。

「一体、どこで見つけたんですか⁉ もしかして、アパートの入口とか、廊下とか……」

「ああ、いえ、それが……。その。七鳥さんの、ジャケットの内ポケットに……」

「……はえぇっ⁉」

 思わず妙な声が出てしまった。

 確かに。確かに和真は、ズボンのポケットは漁った。何度も確かめた。普段はそこに何もかもを入れているものだから、他の場所を探そうという発想にもならなかったのだ。それは酔っていたからかもしれないし、ただ自分がかなりのポンコツだったからかもしれない。

 なんにせよ、灯台下暗しにもほどが有る結末に呆れ果て。それと同時に、そんなしょうもない勘違いで隣人に多大な迷惑をかけたことに、ますます羞恥心が高まった。

「……っ、た、大変申し訳ありませんでしたぁあ!」

 ベッドの上で土下座して、それから誠意を表すのにベッドの上はダメだろ、と気付いた。あわあわと床に降りようとしていると、薫が困ったように笑いながら押し留める。

「いえいえ、いいんですよ。あなたのお財布も無事で何よりです。お体は大丈夫ですか? 寒いかったですし、風邪を引いてなければいいんですけど……」

 彼は呆れたり怒ったりするどころか、本気で和真を心配しているし、何事も無く貴重品が見つかったことを喜んでいるようだ。聖人か? と和真は拝みたい気持ちになった。いや実際ちょっと拝んだ。

「大丈夫、大丈夫ですっ、ちょっと頭が痛いぐらいで」

「頭が痛いんですか?」

「あっ、いえ、本当に! 本当に大丈夫なんで! ああっあ、すいません、このパジャマ、洗って返します、あとお礼も絶対します! そんでとりあえず、部屋に戻りますね!」

 早口でまくしたてながら、自室に戻ろうと思ったが、今着ているのは見慣れないパジャマだ。いい生地を使っているのか心地よい肌触りの。

「……あっ、あの、俺の服……」

「ああ、ああ、そうですね、はい。シャツは洗濯しておいたので……」

 薫がまた紙袋を渡してくれる。中には自分の服が綺麗に畳んで入れてあり、和真は申し訳ないやら、ありがたいやらで顔を赤くした。

 着替えて帰るか……いや、どうせ隣だ。大した距離じゃない。とにかく帰ろう。ここに滞在していることが、あまりにも申し訳ない。

 和真はそう思って、なんやかんやと謝罪と感謝を口にしながら、逃げるように薫の部屋を出た。





 冷えきった自室は、いつものように静まり返って和真を迎えてくれた。

 バタン、と玄関を閉じると、和真は「はぁーーー」と息を吐き出して、フローリングへと転がった。とにかく帰らなければという義務感でなんとかここまできたけれど、しょせんは二日酔いの身だ。だるいし、頭が痛い。

 このままフローリングで寝てしまいたいが、それこそ風邪を引くかもしれない。大体、薫のパジャマを着たままなのだ。洗濯して返すと言ったものの、余計な汚れなんてつけたくはなかった。

 とりあえず紙袋から服を取り出す。きっちりと畳まれたコートやスーツは、和真の就職祝いに養母が買ってくれたものだ。上等の物だったのに、アパートの廊下に擦り付けてしまった。ため息交じりでハンガーにかけてみると、目立った汚れはついていないようだ。そんなことまでしてくれたのだろうか、と思うとありがた過ぎて、和真は薫の部屋に向かって拝んだ。

 とりあえず自分も与えられた恩を返さなければいけない。薫のパジャマを脱いで、洗濯を……と、脱ぎ掛けて。

 その肌触りの良いパジャマから、なんとも言えない、優しいい良い香りがすることに気が付いた。和真にはそれが何かまではわからないが、例えるなら、お高い石鹸屋の店先のような香りが。

「本人が優しいのに、匂いまでいいとか最強じゃん……」

 くんくんと少し香りを楽しんで。それから、ハッと我に返る。まるで変態みたいなことをしていないだろうか?

 和真は大急ぎでパジャマを脱いで、丁寧に洗濯機へと入れた。乾燥まですることにして、自分は部屋着のスウェットをいそいそ着ると、そのまま布団の中へとダイブした。

 冷たい布団はすぐに、人肌を包んで温かくなる。昔から寝つきがいいのは自慢できたほどだから、和真はあっという間に眠りに落ちていた。

 目が覚めたのは、洗濯機がピイピイと鳴き始めた頃だ。重い瞼を開け、手元のスマホを開くと昼を少し回っている。

 幸いなことに頭痛は収まったらしい。あれだけ泥酔していたのに、軽い二日酔いで済んだのはラッキーだった。

 和真は起き上がって、洗濯機を確認しに行った。スーツを丁重に扱ってくれたのだから、こちらもパジャマに相応の扱いをしなければならないだろう。

 慎重にアイロンかけまでして、紙袋へ畳んで入れる。これを「お世話になりました!」と頭を下げて返せば、話は終わりだ。

 ……終わり、でいいのだろうか? 和真は不安になって、考え込む。

 そもそも。クリスマス・イヴなんて、世間ではそれなりに大事な夜。あちらもひとりだったとはいえ、深夜に部屋へ入れてもらい、おまけに酔っ払いの介抱や洗濯までさせたのだ。しかもそこまで迷惑をかけた理由の鍵は、普通にポケットの中。菓子折りのひとつでも持って行かなければ、釣り合わない。

 和真は少しの間考えて、買い物へ出かけることにした。





 クリスマスまっただ中の街並みは、嫌になるほど賑やかで、今日が12月25日なのだと思い知らされる。

 今年のクリスマスはなんとも素晴らしいことに、土曜日なのだ。つまり、仕事終わりのイヴをベッドで過ごして、翌日クリスマスデートをしてもまだ日曜が有るという、あまりにも素晴らしい日取りだった。ウキウキで待ち合わせ場所に向かっていた昨日の自分が馬鹿らしくて、和真はむすりとした顔で街を歩く。マフラーをしてよかった、顔が半分隠れるから。

 どこもかしこも、サンタの人形やツリー、オーナメントに雪の飾りがされていた。いつでも耳にクリスマスソングが突き刺さる。道行くカップルは手を繋ぎ、子ども連れは幸せそのものといった様子で笑い合う。

 拷問か、と考えるとますます腹立たしくて、和真はコートのポケットに手を突っ込んだまま、足早に馴染みの洋菓子店へと向かった。

 これがまた良くなかった。当然この洋菓子店だって、普段とは違い内装も音楽も、ついでに商品もクリスマスそのものになっている。サンタの顔をしたクッキーやら、ヒイラギの葉の刺さったケーキやら。日本人は結構な割合で仏教徒だろ、と頭の中だけで毒づく。もっとも、昨日までは和真もクリスマスに浮かれきっていたのだけれど。

 こんな日でも働いている健気な女性店員が、和真の姿を見てニッコリ笑う。彼女はよく和真の話を聞きながら菓子折りを包んでくれていたから、お互い顔を覚えてしまったのだ。

「すんません、菓子折りひとつ、包んでもらえるかな」

「はい! どちらにしましょう? 本日お渡しになるのでしたら、こちらの焼き菓子セットもオススメですが……」

 そう言って彼女は、クリスマスなクッキーがマドレーヌなんかと一緒に入った箱を案内する。正直に言って複雑な心境ではあったけれど、渡す分にはいいか、とは思った。

「じゃあ、それで」

「大きさはどうします?」

「ウーン……一人暮らしの男の人に送ろうと思ってるんだけど……」

 そこで和真は悩んだ。薫がどういう人間なのかなんて、全然知らない。ワンルームアパートの隣の住人だから、当然ひとり暮らしだと思うけれど。そもそも、洋菓子をもらって喜ぶタイプかもわからない。甘いものが苦手な人だっているのだし。そう考えると、これがお礼になるかもわからなかった。

「あんまり知らない人だからな、どうしよう」

「でしたら、小分けになってる、この小さめの箱がいいかもしれないですね。ご本人様がもし苦手でも、人に配りやすいですし」

 おお、流石プロ。和真は頷いて、「それでお願いします」と頼んだ。

 ラッピングしている間、コーヒーでもどうぞと勧められ、店内でコーヒーを頂く。ボンヤリと外の景色を見るとまたお祭り騒ぎの街が目に入って、溜息が漏れた。

 本当は、俺もこの中の一人のはずだったんだよなあ。

 考えるほど悲しくなる。恋人……いや、元恋人のリンとは、それなりに相性が良かった。セックスにも軽いノリで付き合ってくれたし、彼はとてもかわいいし明るい、良くも悪くも付き合っていて楽な相手だった。

 浮気がバレて、別れられていなければ、楽しいクリスマスを過ごしていたのだ。けれど、和真もリンに縋りついて謝ったりもしなかった。しょせんはその程度の関係、だったのかもしれない。そう思うとますます、薫に対して申し訳なくなってきた。

 はー、と溜息をひとつ零して。ふと、和真はケーキの入ったショーケースに目をやった。色とりどりの鮮やかなケーキは、クリスマスの夜を祝うために生まれたものだ。

 確かに昨日は最悪のイヴだった。だからといって、今日まで最悪のクリスマスにすることはないよな。明日、日曜だし。

 そう考えるとだんだん前向きな気持ちになってくる。和真はマフラーの下で笑うと、店員に声をかけた。


 
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