ワタクシが猫で、アナタがネコで

なずとず

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番外編 マタタビ事件

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 だむ、と音を立てて、すりガラスでできたバスルームの扉に、肉球が押し付けられた。そこまではいつも通りだったのだ。ところが、今日に限ってトウマは扉をしっかり閉めていなかったものだから。

「あっ」

 体を洗っていたトウマの目の前に、肉球を押し付ける勢いのままでユンユンが倒れてきたわけで。悪いことにはその毛並みに、ボディソープの泡が付いてしまった。

「おわわ、ゆ、ユンユン!」

 トウマが慌てて距離を取ろうとしたのに、ユンユンも驚いてしまったらしく、「ナァン!」と鳴きながら飛びついてきた。おかげでユンユンはすっかり泡だらけだ。

「ユンユン~! ああもう、これじゃあユンユンのお風呂を先にしないと……」

 多少の泡ならタオルで拭けばなんとかなると思ったけれど、しっかりすりすりされてしまったからもうどうしようもない。トウマは急遽自分の体をシャワーで軽く流すと、ユンユンのシャンプーをすることになった。

 ユンユンは猫にしては珍しく風呂やシャワーが好きだ。ナンナンと機嫌良さそうに鳴きながら、お湯の温かさに身を任せ、泡でマッサージされるのを楽しむ。よしよし、と声をかけてやりながらの入浴は彼にとっても幸せなもののようで、猫ながら目を細めて微笑んでいるような表情を浮かべていた。

 泡をシャワーで流してタオルで水分を取り、それから根気強くドライヤーをかければふわふわの猫のできあがりだ。トウマはその途中で「人間の姿になれば猫用シャンプーや長時間のドライヤーをしなくてよかったんじゃないか」と疑問に思ったけれど、今日もツヤツヤの毛並みをフワフワさせた愛猫の姿に満足した。

「もう入って来ちゃダメだぞ。俺もシャワーするからもう少し待っててくれ」

 腰にタオルを巻いたばかりで自分のバスタイムも終わっていないトウマは、そう言い聞かせてユンユンをリビングへと出す。ユンユンは「ナァン」と一声鳴いて、るんるんとお尻を振るほどの上機嫌でベッドへと向かって行った。それを見届けて、トウマもバスルームへと戻った。今度はしっかりドアを閉じて。





 二人の関係が事実として飼い猫と飼い主であるのを越えてから、しばらくが経った。とはいえ、二人の生活が劇的に変わるということも無く、猫と人として日々を過ごし、時々は猫又と人として夜を重ねたぐらいだ。

 その関係が人間で言うところの『恋人』や、猫で言うところの『番』であるのか、トウマにはわからない。けれど、その関係がとても心地良いものだというのは理解していた。人生に何の問題も無い……というわけでもないけれど、ふわふわしたユンユンの毛並みを撫で、人の姿となった彼に話しかけられていると無性に満たされているような心地がしたものだ。

 そしてそれは、きっと長い刻を生きてきたユンユンのほうも同じなのだろう。彼は昔の話を殆どしてくれないままだけれど、いつもゴロゴロ喉を鳴らしながら額を擦りつけ足に絡みつきベッドに潜り込んだ。トウマ、と名を呼ぶ声は愛しげで、彼もこの生活を満喫しているようだった。

 しかし、彼らの生活にトラブルが全く無かったか、と言えばそうでもない。そして今回の発端は、ソウジだった。





 ようやく風呂から出て、前開きのパジャマに着替え。寝る準備は万端、あとはのんびり過ごそうと思っていた矢先のことだ。ピンポーン、と玄関チャイムが鳴る。こんな時間に誰だ、とトウマは首を傾げて、それからどうせソウジだろうなとは思った。そうでなければ宗教勧誘か押し売り、もしくは犯罪者だろう。トウマにはそれぐらい交友関係が無かった。

 モニター付きのインターホンを覗き込むと、にへらにへらと赤ら顔で笑っているソウジが立っている。どこからどう見ても酔っ払いだ。スーツ姿な辺り、仕事帰りに飲んだんだろうか。で、なんでうちに来る。トウマは眉を寄せながらも玄関へと向かった。

「トウマ~」

「ソウジ、どうし、おわ、おわわわ」

 玄関扉を開けるやいなや、にへにへと笑ったままのソウジが、トウマに向かって倒れて来る。慌てて抱き留めたが、なんとも酒臭くてかなわない。でへへ~、と何故か嬉しそうなソウジをなんとか玄関に座らせている間に、ユンユンも猫の姿のまま様子を見に来た。

「ソウジ、どんだけ飲んだんだよ」

「いひひ、ちょっと今日、歓迎会みたいな? 飲み会……みんないい人でさあ、オレ、嬉しい……」

 いひひ、ふへひひ、と変な笑い声をあげているソウジは夢見心地だ。そのまま急に悪夢みたいな吐き気と二日酔いに襲われなければいいけどな、とトウマは思いつつ、彼の為に水を用意し、それからタクシーを呼んでやった。もっと酷ければ泊めてやるところだが、うちまで辿り着けるのならまあ、大丈夫だろう、たぶん。そう思った。

「……ん? ユンユン、何してるんだ?」

 ふと、ユンユンが見慣れぬ紙袋に頭を突っ込んでいるのに気付いた。どうやらソウジが持って来た荷物のようだけれど。こらこら、ダメだろユンユン、と言っている間に、ユンユンは何かを引っ張り出してそのままリビングのほうへと逃げてしまった。

「あっ、こら!」

「いい、いいんだよぉ、いいんだよトウマぁ」

 追いかけようとするトウマをソウジが引き止める。「何が良いんだ、お前の荷物だろ」と怪訝な顔をすれば、彼はまたにへにへ笑って、「アレはネコちゃんのぶんだからぁ」とこれまでのいきさつを語った。

 でろでろに溶けたソウジの話をまとめると、彼は会社の同僚とちょっとした飲み会に行った。パーティーにようなものだったそれで、プレゼント交換みたいなことをしたそうだ。クリスマスパーティーじゃあるまいし、と思ったけれど、まあうまくやっているということなのだろう。実際、ソウジは幸せそうに笑っていて、こちらまで嬉しい気持ちになったものだ。

「ソウジのもらったプレゼントに、猫のオモチャがいっぱい入ってたから、うちに持って来た……ってことか」

「そう、そうなの。迷惑かけてばっかりだったし、オレも、トウマになんかしたいし」

 それなら別に、こんな酔っ払いの状態で押しかけなければ、こうして介抱させることもないだろうに。トウマはチラリと考えて苦笑した。困った奴だけれど、仕方のない奴だけれど。そういうところが、悪い奴じゃないと思うし、呆れたりする日が有っても、今日まで友人でいる理由なのだろう。

「……ありがとな、ソウジ。ユンユンと大事に使わせてもらうよ。だから、タクシー来たら自分の家まで帰って寝ような。ちゃんとベッドに入って」

「うん、うん」

 にへにへと笑っているソウジは本当に嬉しそうで、トウマも思わず顔を綻ばせてしまった。

 それからトウマは、到着したタクシーまで彼を連れて行き、行き先を教えて見送ることになった。最後まで満面の笑顔で手を振っていたソウジが、明日の朝地獄の苦しみを味わっていないことを祈るばかりだ。溜息混じりに笑って見送り、部屋に戻る。

 玄関に置きっぱなしの紙袋を覗くと、中には確かに猫グッズが色々入っているようだった。ありがたいな、と思いつつ、ふとその猫のことを思い出す。何か紙袋から盗んだっきり、こちらには来ないけれど。

 ユンユン~? と名前を呼びながら室内に戻って、トウマは仰天した。ベッドの下から人間の足が飛び出しているではないか。

「は⁉ えっ……ゆ、ユンユン⁉」

 トウマは慌てて駆け寄り、とりあえずその足を掴んで引っ張ってみた。ずるるる、とベッドの下から、横向きに転がった真っ裸のユンユンが出て来る。何故か尻尾と猫耳の生えた彼は「にゃあぁああぁああ」と人の姿にも関わらず猫の蕩けた鳴き声を出し、恍惚の表情で床に落ちていた。

「えっ、え、え⁉」

 わけがわからない。トウマは混乱しながら、ユンユンの体を揺さぶる。どうしたんだ、と声をかけても、にゃんにゃん言っているばかりで話にならない。よく見れば顔は赤らんで何処を見ているのだかわからないし、これではまるで酔い潰れているようだ。

 そこまで考えて、トウマは気付いてしまった。ユンユンは手に何かを握っているようだ。一見するとただの木の枝だが、もしかして。トウマは真っ青になって、ユンユンの手から無理矢理それをもぎ取った。

「ま、まさか、猫にマタタビ……」

 ユンユンが不満げにうなんうなん言っているのを尻目に、トウマは急いでそれをキッチンに持って行った。ビニール袋に密封すると、引き出しの奥に隠す。もしそうだとして、あんな泥酔状態になるなら隠したほうがいい、絶対。

 すぐにトウマはパソコンに向かった。猫、マタタビ、酔い醒まし……。しかし、どうやら普通の猫はマタタビで酔っているわけではないらしい。この実の香りを体に付着させて虫よけにしたいが為に、ごろんごろん地面を転げ回るようだ。依存性が有るわけでもなく安全で、反応には個体差が……。チラッとユンユンを見ると、彼は全裸でまたベッドの下に潜ろうとしている。

「わーっ、ユンユン! だめ! そこはもうダメ!」

「なぁああん」

 慌てて駆け寄って、ユンユンを引っ張り出す。猫の姿ならともかく、人の姿でベッド下に潜られるのはなんというか、怖い。事件性を感じる。マタタビも隠したし、後は時間が経てば元に戻るとは思うけれど。それまでの間は大人しくしてもらいたい。

「ユンユン、いい子、いい子だから、」

「なんんんんむああぁああん」

「わかった、わかったから。いい子、いい子にしとこう、な?」

 トウマにベッドから引きずり出されて、ユンユンはご不満の様子だ。トウマの腕の中でじたじたしていたから、それを抱きこんで押さえ込む。いい子だから、大人しくしておこうな。何度もそう言い聞かせ、頭を撫でたりしていると、ややしてユンユンは落ち着いたように思えた。

 しかしまだ酔っているのか、猫の姿に戻るでもなく、耳や尻尾が引っ込むでもなかった。そうであれば、いつまでも全裸でいさせるわけにもいかない。服を着せてやらなければ。

 トウマはそう考えて、タンスに向かおうとユンユンに背を向けた。その瞬間。

「うっわ!」

 どん、と背中から襲いかかられて、トウマは思わず叫び声を上げた。後ろを振り返ると、ユンユンにのしかかられている。正真正銘、正しい意味でマウントを取られていた。ユンユン待て、と声を上げている間に、むぎゅっと自分の弱点を握られて、トウマは息を呑んで身動きが取れなくなる。

「うう、う」

 まずい、この状況は、大変まずい。トウマはそう思ったけれど、だからといって何ができるわけでもなくて。

「……っ、うわ、あ、あ、」

 むにむにとそこを撫でられ揉まれて、ますますもって身動きが取れなくなっていったのだった。

「うう、う、ユンユン、~~っ」

 トウマは床に伏せたまま、どうにも身動きが取れない。それもそのはず、彼の背後にはユンユンが覆い被さっており、がぶがぶと首の後ろを甘く噛まれながら下半身を揉みしだかれているのだから。

 気持ちいい、というのとは違う。「急所を握られている」という、本能的な怯えのほうが強い。

「トウマ、トウマ、トウマ……」

 背中に張り付いたユンユンは、恐らく「喋る大きな猫」だ。トウマを押さえ込むために、しているのだろう。いつものように、時間をかけてこれでもかと気持ち良くする為ではない。

 だとしたら、このままされるがままになっていると……。

 トウマがそう思考したところで、ユンユンが尻に腰を押し付けてくる。まだ服を着ているから、いきなり何かが起こるということも無かったけれど。尻に硬いものが押し付けられて、トウマは青褪めた。

 猫に慣らすとかいう概念、有るんだろうか? そう考えて、ますます背筋が冷たくなる。猫の交尾といえば、トゲトゲのペニスを押し込むために、メスのほうはずっと鳴いているというではないか。いかにも痛そう。いや、たぶん痛いどころの騒ぎではないぐらい痛いに違いない。

「ゆ、ユンユン! ユンユン、めっ!」

「にゃっ!」

 腹の底から声を出して叱ると、ユンユンが動きを止めた。その隙に、力の限りもがき、なんとかユンユンの下から逃げ出す。運動不足のトウマがゼェゼェ呼吸をしながら振り向くと、素っ裸のユンユンが「にゃあん」と悲しい鳴き声を上げながら座り込んでいた。その股にそそり立つモノを見ないようにしながら、トウマは「そ、そんな鳴き声出してもだめ」と首を振る。

「無理、絶対無理だから!! 怪我しちゃうからっ!!」

「うなああああん」

「駄目、待て、いい子だから、よしよし、いい子だから……!」

 トウマはじりじりと後ろに下がりながら、ユンユンと距離を取ろうとする。しかし、ユンユンもまたじりじりとトウマに近寄ってくるではないか。まるで獲物を見つけた猫だ。人間の姿で姿勢を低くし、瞳孔をまんまるにしたユンユンを見て、トウマは思った。背中を見せたら、終わる。

 ごくり、と唾を呑み込み。ゆっくり、本当にゆっくり後ろに下がる。ユンユンがじわりと近付く。それをどれぐらい繰り返しただろう。

「……っ、わーーーっ!」

 ある程度下がったところで、トウマは全速力で逃げた。ユンユンが手を伸ばすのを辛うじて避けて、ありったけの素早さでバスルームに駆け込むと、バタンと戸を閉める。

「にゃ! にゃわああああ、んにゃああああ!」

 べたっと手のひらを押し付けて、ユンユンが戸を開けようとするから、鍵をかける。にゃあにゃあ鳴いているユンユンのシルエットが、本気で怖い。こうして見るとあまりにも大きいし、口でも力でも勝てそうにないのだから。

 はぁはぁ呼吸しながら、バスルームにへたり込む。まるでホラー映画のヒロインだ。ユンユンがドアを開けられそうにないのを見て、はあーーっと安堵の溜息を吐く。もっとも、ホラー映画ならこうして一安心した時にこそ、最大のホラー演出がくるものだが。

 幸いにも、現実はそこまで露骨に畳みかけてはこなかった。ユンユンの悲しげな鳴き声が響くばかりで、それ以上何も起こらなそうだ。よかった、これで落ち着くまで待てばいい……落ち着くのだろうか?

 トウマは頭を押さえた。本当に、ソウジってやつはどうしてこんな風にトラブルばかり起こすのか……。

 自分が困ることになるのは慣れている。だが今回は、自分はもとより大切なユンユンが被害にあっているのだ。もう少し気を付けてもらわなければ困る。逃げ切れたからよかったものの、あのままユンユンのされるがままになっていたら大惨事だったろうし、終わった後のユンユンがどんなにショックを受けるか想像もつかない。

 彼はトウマに対しあれこれしてくるものだけれど、同時にトウマをこれ以上ないほど大切に思っているのだ。酔った勢いで何かして、おまけに怪我などしていた日には。

「ソウジがまた逆さ吊りで海に入れられちまう……!」

 結局、あれがただの夢だったのか、現実だったのかはわからないけれど。元々ソウジに対する当たりが強いユンユンのことだ、何が起こっても不思議ではない。

 そんなことを考えていたトウマは。

「……ん」

 ふいに、外が静かになっているのに気付いた。バスルームのドアの前にも、ユンユンのシルエットは映っていない。恐る恐るドアに張り付いて耳を澄ませてみても、物音がしなかった。

 ユンユンが落ち着いたんだろうか。いやしかし、ここは慎重にいかなければ。猫は狩りをする生き物だ。じっと待ち伏せするのも、お手の物だろう。

「……ユンユン~?」

 風呂場から名を呼ぶと、えらく声が反響する。答えは無い。トウマは考え込むように顎へ手をやり、ひとつ試しに、鍵を外して戸を開けるようなそぶりをしてみた。

 カチャリ、と鍵を回し、戸を開くと見せかけてすぐ元に戻してみたのだ。すると、ニュッとユンユンのシルエットがまた戸の前に現れ、「うなああああん」と鳴いているではないか。

「ぜ、全然治まってない……」

 開かなくてよかった……と心から安堵の溜息を吐いていると、ドアの前にユンユンが座り込む。曇りガラスの向こうで、猫のようにちょこんと座って飼い主を待っているようだ。それだけ見ればかわいい光景だが。問題は、彼が全裸でその気だということである。

「ユンユン、ごめんな。ソウジの荷物、俺がちゃんと確認しておけばよかったのに」

 きっとユンユンだって寂しい思いをしているだろう。ホント、次からは気を付けよう。あとマタタビは捨てようと決意する。

「なあーん。なあ……トウマぁ……」

 悲しい鳴き声がなんとも哀愁を誘う。ごめんなあ、と謝りながら、結局トウマは1時間ほど風呂場に閉じ込められていた。





「マジ、あの軽薄ロクデナシ野郎、許さんカラナ」

「ま、待ってユンユン、ソウジはユンユンが猫又だって知らないわけだから、ほんと、許してやって、海に沈めるのだけはお願いだから!」

 マタタビの陶酔から解放されたユンユンは、既に服を着ており。尻尾も猫耳も消えた姿で、見たこともないような怒りの表情を浮かべ座り込んでいる。まるで喧嘩するときの猫のようだ。目がすわっているし、犬ならぐるると唸っていそうな口元も、彼がどれほど怒っているか伝えてくる。

(……ということは逆に、俺に本気で怒ったことはないんだろうけど……)

 金を貸して、散々オシオキされたときだって。ユンユンはこんな風ではなかった。心配をしていただけで、トウマに怒っていたわけではないのだ。いや、ソウジには激怒していたかもしれないけれど。

 ユンユンはといえば、ぶすっとした顔で床で唸っている。

「このワタクシがマタタビに酔うのは別に構わんアル、猫又だって猫だからネ。でも、それでトウマにケダモノセックスを強要したかもしれんと思うと、生きた心地がしないアル……。それもこれも全部あの頭空っぽクソ男のせいネ! まったく!」

「はは……で、でもこれは事故だから。あんまりソウジを責めないでくれよ。俺も無事だしさ」

 自分もひどい目に合いかけたので擁護はしきれないけれど。何事も無かったのだから。トウマはそう思うが、ユンユンのほうはまだ怒りが収まらないようだ。

「そうはならんアル! ワタクシがトウマの前で醜態を晒したことは変わらんアルシ! 強姦まがいのことをしかけたノヨ⁉ それでトウマのかわいいお尻が大変なことになってしまってたら! ああもう!」

「ユンユン、お尻はね、かわいくないんだよ」

「かわいいアル!」

 プンスプンスとでも音がしそうなほど怒っているものだから、もう何を言っても無駄かもしれない。しばらくそっとしておくか、と考えて、それからふいに気付いた。

「……ということは、ユンユンは俺に無理矢理する気は無いってことか……」

「なに当たり前のことを言うてるアルか。ワタクシは紳士で一途な猫ちゃんヨ? トウマが望まないことなんて、なんもしたことないアルシ、これからもせんアル」

「したこと、なかったっけ……?」

「だって、トウマも「ヤメロ」って言わなかったアル」

「う。そ、それは……」

 こういう関係になる前に、取り決めた言葉。トウマはそれを使ったことが無かった。

「ヤメロって言わんのなら、それはトウマも同意したってことアル」

「そ、そうかな」

「そうヨ」

 断言されてしまっては、何も言えない。それに、間違いなくトウマはそのワードを口にしたことがなかった。いやまあ、口を塞がれてて言おうにも言えなかったことだって、有るのだけれど。

 つまり、つまりだ。

「ユンユンは、俺が、その。喜ぶことしかしたくない……?」

「もちろんアル! ワタクシ、アナタだけを想うかわいい猫ちゃんヨ? そりゃ、トウマを守るためにちょっと「わからせ」ようとしたコトもあるケド……。レイプや痛いことなんて絶対ダメ、トウマが望まないのならネ」

 でも、本能的にはしたいのだろう。猫又になったとはいえ、猫なのだし。酔った勢いで犯そうとするほどには。それを、人間として生活してきた理性が抑えているのか、あるいはトウマを愛しいと思う気持ちが止めているのか。

 いずれにしろ、トウマは。

「……かわいい……」

 ポツリ、とこぼした。そうまで思ってくれている相手のことを、愛しく思った。いつもの愛猫に言うように呟いた言葉。それにユンユンは目をまんまるにした。

「……そりゃ、ワタクシはこの世で一番かわいい猫だけど……」

 ユンユンはトウマをしばらく見つめ、それから「にゃっ!」と声を上げて目を見開いた。

「ま、まさか、今、「この」ワタクシをかわいいと言ったアルカ⁉」

「え、うん……」

「よ、よすアル! かわいいのはトウマのお尻であって、それにアナタの猫なのであって、ワタクシのような猫又はその……」

 アタフタしている。トウマはそんなユンユンを見つめて、理解した。

 あのユンユンが、照れているのだ。

「……かわいい……」

「と、トウマ!」

「俺のお尻はかわいくないけど、ユンユンは全部かわいい」

「な、なにを言うアル! 猫又をからかわないで、ワカラセるアルヨ!」

 顔を僅かに赤くしたユンユンが声を上げる。それがまた愛しくて、トウマは思わず笑みを浮かべる。





 結局、この後たっぷりと「わからせ」られたことは言うまでもない。

 


 おわり
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