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どうも心が弱い日
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洗面所で手を洗い始めたら、体調1mmほどの小さい小さいチョウバエが、水流のまわりで飛び跳ねているのが目に入った。
そんなところにいたら流してしまう。どいて! どいて! 念を送ってみるが伝わらない。指で軽くつついてどけようとしてみるが、安全な場所までどかせない。
案の定、チョウバエに大量の水がかかってしまった。ああ、もうダメだ……と思ったら、なんと虫の体が水をはじくのか、水が引いたあと、まだチョウバエは生きて跳ね回っていた。
人間が手を洗うほどの強い水流を、1mmの体で耐え抜くなんて。ビックリした。
どうしよう。逃がしてあげようにも、こんな小さな虫、扱いが難しい。と迷っていたら、他の人が手を洗いに来た。一応「この小さい虫が跳ね回っていて……」と伝えてみるが、1mmの虫への思い入れなど、他の人に伝わるわけもない。「逃がせば? じゃないともう手、洗うよ?」と返される。そりゃそうだ。他の人も急いでいる。
「こんな小さい虫、逃がせそうにないなぁ」などと言いつつ私はティッシュを取り出し、先をこよりのようにして虫を乗せて運ぼうかと思った。跳ね回る虫を乗せて運ぶなど、うまくできる気がしないけど。
しかし私がティッシュを虫に近づけると、相手はしびれを切らしたのか、私の手からティッシュを取り上げ、小さなチョウバエをティッシュごしにムギュッとつまんで私に渡した。
ダンゴムシなど、それなりの大きさと固さがある虫をティッシュでつまみ取っても、生きている可能性が高い。しかし、柔らかくて小さな小さなチョウバエなど、ティッシュでつまんだら……。
渡されたティッシュに乗っているチョウバエは、当然死んでいた。
ついさっきまで、あんなにせわしなく跳ね回っていたのに。強く水をかけてしまっても、生き残ったのに。動いていた1mmの生き物が動かなくなった様を見て、なんだか急に、涙が止まらなくなった。
もう慣れたんだ。ニュースで見る、理不尽な話、不可解な話、人が死んだ話。害獣が駆除されることも、他人が死ぬことも、もう何とも思わない。……はずなのに、なぜか急に悲しみのツボにハマってしまう日がある。
ちょうど妊娠や中絶のことを考えていた。私は子どもが苦手。子どもというか、人との関わりが苦手。コミュニケーションが苦手。社会に蔓延する冷たい空気と概念が苦手。地球を破壊する、同族すら破壊し続ける、人類が苦手。そんな人間の子どもを産んで、私自身がまだ納得も解釈もできないような世界観……たとえば女の子は男の人から身を守らないといけないとか……を教えなきゃいけない。理不尽なこの世に子どもを産み落とすか、さもなければ殺さなくちゃいけない。あるいは私自身が異性を拒み続けなければならない。
こんな世の中で。虫の命を救うために考える余裕も時間も心も誰にもなくて。あっけなく小さな命が人間の文明によって潰されていって。
一体何やっているんだろう?
死にたくなった。
羽虫が潰れたのを見て死にたくなったと言ったら、何人が共感してくれるだろう?
心が弱った人なら分かってくれるかも。
そうでなければ、羽虫くらいで人を悪者にするなと言われるだろうか。冷たい人なら、死にたきゃ勝手に死ねと言うだろう。正義感の強い人は、そんなことくらいで死にたいなどと口にするな、と怒るかもしれない。
命って何だろう。
いつか無責任に妊娠して、中絶するかもしれない私に、命を語る資格などもうない。完全に異性を拒み続け、信念を通したなら、落ちこぼれなりに語れる言葉もあったかもしれないけれど。自分の手で人の命を、無責任に一つ二つ三つ、握り潰すようでは。もう、「命とは?」なんて悠長に他人事のように哲学していられないのだ。
極論を言えば死ぬしかない。でも自殺をしたらこの世界から抜けられなくなるという説を信じている。
多分、自殺するのが怖いから。自殺してはいけない、選択肢が狭まる、罪を背負ってしまう、そういうことを信じて、自殺できない言い訳にしている。
死ぬしかない? 人類なんて滅びてほしい? こんな呪いごと言うような人間になりたくなかった。だって臆病な私は絶対自殺できないし、私の言葉を聞いた他の人は、暗い気持ちになって死んでしまうかもしれないから。
死んでほしくない。明るい世界が見える人には、何事もないかのように、生きていてもらいたい。人類が罪深いとか、環境破壊とか、戦争とか、それでも個人は別に悪くない。人間という生物に、他者への共感力が欠けているといった欠点があるとしても。
私も妊娠する前に死ねばよかったんだ。子育てなんて絶対したくない、中絶もできればしたくないんだから。
でも絶対自殺しない。痛いの嫌。自己中だから。どんなに自分の尊厳が傷ついても、私は平気で生きていられる人種だから。
命って何だろう。
そんなところにいたら流してしまう。どいて! どいて! 念を送ってみるが伝わらない。指で軽くつついてどけようとしてみるが、安全な場所までどかせない。
案の定、チョウバエに大量の水がかかってしまった。ああ、もうダメだ……と思ったら、なんと虫の体が水をはじくのか、水が引いたあと、まだチョウバエは生きて跳ね回っていた。
人間が手を洗うほどの強い水流を、1mmの体で耐え抜くなんて。ビックリした。
どうしよう。逃がしてあげようにも、こんな小さな虫、扱いが難しい。と迷っていたら、他の人が手を洗いに来た。一応「この小さい虫が跳ね回っていて……」と伝えてみるが、1mmの虫への思い入れなど、他の人に伝わるわけもない。「逃がせば? じゃないともう手、洗うよ?」と返される。そりゃそうだ。他の人も急いでいる。
「こんな小さい虫、逃がせそうにないなぁ」などと言いつつ私はティッシュを取り出し、先をこよりのようにして虫を乗せて運ぼうかと思った。跳ね回る虫を乗せて運ぶなど、うまくできる気がしないけど。
しかし私がティッシュを虫に近づけると、相手はしびれを切らしたのか、私の手からティッシュを取り上げ、小さなチョウバエをティッシュごしにムギュッとつまんで私に渡した。
ダンゴムシなど、それなりの大きさと固さがある虫をティッシュでつまみ取っても、生きている可能性が高い。しかし、柔らかくて小さな小さなチョウバエなど、ティッシュでつまんだら……。
渡されたティッシュに乗っているチョウバエは、当然死んでいた。
ついさっきまで、あんなにせわしなく跳ね回っていたのに。強く水をかけてしまっても、生き残ったのに。動いていた1mmの生き物が動かなくなった様を見て、なんだか急に、涙が止まらなくなった。
もう慣れたんだ。ニュースで見る、理不尽な話、不可解な話、人が死んだ話。害獣が駆除されることも、他人が死ぬことも、もう何とも思わない。……はずなのに、なぜか急に悲しみのツボにハマってしまう日がある。
ちょうど妊娠や中絶のことを考えていた。私は子どもが苦手。子どもというか、人との関わりが苦手。コミュニケーションが苦手。社会に蔓延する冷たい空気と概念が苦手。地球を破壊する、同族すら破壊し続ける、人類が苦手。そんな人間の子どもを産んで、私自身がまだ納得も解釈もできないような世界観……たとえば女の子は男の人から身を守らないといけないとか……を教えなきゃいけない。理不尽なこの世に子どもを産み落とすか、さもなければ殺さなくちゃいけない。あるいは私自身が異性を拒み続けなければならない。
こんな世の中で。虫の命を救うために考える余裕も時間も心も誰にもなくて。あっけなく小さな命が人間の文明によって潰されていって。
一体何やっているんだろう?
死にたくなった。
羽虫が潰れたのを見て死にたくなったと言ったら、何人が共感してくれるだろう?
心が弱った人なら分かってくれるかも。
そうでなければ、羽虫くらいで人を悪者にするなと言われるだろうか。冷たい人なら、死にたきゃ勝手に死ねと言うだろう。正義感の強い人は、そんなことくらいで死にたいなどと口にするな、と怒るかもしれない。
命って何だろう。
いつか無責任に妊娠して、中絶するかもしれない私に、命を語る資格などもうない。完全に異性を拒み続け、信念を通したなら、落ちこぼれなりに語れる言葉もあったかもしれないけれど。自分の手で人の命を、無責任に一つ二つ三つ、握り潰すようでは。もう、「命とは?」なんて悠長に他人事のように哲学していられないのだ。
極論を言えば死ぬしかない。でも自殺をしたらこの世界から抜けられなくなるという説を信じている。
多分、自殺するのが怖いから。自殺してはいけない、選択肢が狭まる、罪を背負ってしまう、そういうことを信じて、自殺できない言い訳にしている。
死ぬしかない? 人類なんて滅びてほしい? こんな呪いごと言うような人間になりたくなかった。だって臆病な私は絶対自殺できないし、私の言葉を聞いた他の人は、暗い気持ちになって死んでしまうかもしれないから。
死んでほしくない。明るい世界が見える人には、何事もないかのように、生きていてもらいたい。人類が罪深いとか、環境破壊とか、戦争とか、それでも個人は別に悪くない。人間という生物に、他者への共感力が欠けているといった欠点があるとしても。
私も妊娠する前に死ねばよかったんだ。子育てなんて絶対したくない、中絶もできればしたくないんだから。
でも絶対自殺しない。痛いの嫌。自己中だから。どんなに自分の尊厳が傷ついても、私は平気で生きていられる人種だから。
命って何だろう。
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【うだつの上がらないエッセイ集】
生き物の話や夢の日記、思い出や星占いの話など、思いついたことを色々詰め込んだ連載です。
【良くも悪くも、星の回転は止まらない】
詩集です。すぐ読める短いものが多いです。20編で完結しました。
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