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うろ覚えスピリチュアル、引き寄せの法則とか
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本物の日本刀を集めていた? 一本持っていた? 人がある日、誰かに刃物で切りつけられるか刺されるかして死んでしまった、という怪談があった。
自ら刀を集めたことで、人を切ったり切られたりする、戦の呪いみたいなものに取り憑かれてしまったのか、それとも……。刃物で切られて死ぬという最期は決まっていて、そちらへ吸い寄せられてしまったのか。
スピリチュアル界に「引き寄せの法則」というものがある。密かなブームだったのかな? もうブームは終わったのかも。
進化系の「宇宙の法則」なんてものもある。個人的に見ていた情報が偏っていたのかもしれないが、なんとなく、こういうのは女性がハマるもので、占いによく入ってくる「恋」だの「運命の人」だのといった要素が「引き寄せの法則」「宇宙の法則」にもよく入っていたイメージがある。
私は「また恋かよ」と思いつつ、自分の夢……「楽に生きたい」とか「弱肉強食のない世界へ行きたい」といったものを叶えるために、引き寄せ系の本をパラパラ読んだ。けれどどうも、この世の価値観に誘導されている気がして、私の求める夢へ導いてくれるものではないかもしれないと思い、スピリチュアル系からちょっと離れた。
そりゃ、目標を設定し、それに向かって頑張れば、「恋も仕事も上手くいく」かもしれない。まわりの人に「私はこうしたい」「こういうものが好き」と、それとなく伝えておいたら、「◯◯さん、こういうの好きだったよね」と情報をもらえるかもしれない。「人と仲良くできていれば」。
でも私はなんか、この世の当たり前の幸せ像みたいなものに疲れて、その逆を行きたかったのだ。みんながキャーキャー言うものに夢中になれず、もっと斬新な何かを求めていたから。
コミュニケーションも苦手で、仕事を頑張るだの、夢を語り合える仲間だの、幸せな家庭だの、そんな関係を築くことも無理そうだった。
みんなが美味しいと言うものを手に入れたって、自分にとって美味しくなきゃ意味がない。
私は私の幸せを追った。「弱肉強食のない世界」など、世界の根本を変える系は、どうも無理なんじゃないかと思い、とりあえず誰とも関わらずお金を得たくて、「ネットで、好きなこと(創作など)で稼ぎたい」と思った。
毎日、好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、遊び、気が向いたら小説を書き、写真を撮り、マンガやイラストを描く。その日何をするも自由。締め切りもなく、人から「ニート」と責められることもなく、たくさんのお金を稼ぐ、自由な生活。
アホなりにアフィリエイトとか、SEO対策など色々調べた。やってみた。けれど今でも、お小遣い稼ぎ程度だ。
そして私の思い描く、夢の生活を送っている人など、世界にいないんじゃないかと思い始めた。
ゲームの中では自由に生活できても、現実での生活は小難しくて厳しい。買った物も壊れるし、自分も老いて衰えるし、毎日食べなきゃいけない。変な生活をしていればまわりの人が怒る。
世界を変えるなんてのが難しいというのは分かった。けれど個人は自由だと思いたかった。
みんな懸命に働いている。働かなくても生きられるなら、過労死するはずがない。
私は金銭感覚がバカになっており、世間知らずで、貯蓄も何もしていないが、あとで困るのだろう。
マジックでよく、「あなたの持っているカード(など)を当てます」というのがある。
あれは、選んだカードを読まれているのか。それとも答えが最初から決められていて、そこへ誘導されているのか。
「引き寄せ」は、女性の間で話題の、キラキラした占いの延長線上みたいなヤツ……というイメージだったが(個人的に)、「引き寄せ」には、悪いものを自ら引き寄せるやり方もある。
お金が欲しいとき、ポジティブなイメージを持ち続けるのでなく、「お金が欲しいと言っているのに、全然来ないじゃないか。やっぱり引き寄せなんてインチキだ。クソッタレ」などと「夢が叶わない」恨み言を言い続けると、「夢が叶わない」パワーが増幅されて、叶わないままらしい。
また、本当は欲しくないもの、好きじゃないものなどを選び続けると(「友達に嫌われたくない」「これも付き合いだししょうがない」「みんな持っているから」などと、まわりに流されるような感じ?)、自分の望まない方へ向かうという。
あと、「あれが嫌いだ。大嫌いだ」などと、嫌いなもの・人・事象などに意識を向け続けると、そちらが巨大化するという話もあったはず。「お金が欲しいと言っているのに来ない」と「夢が叶わない」ことに意識を向け続けると「夢が叶わない」が巨大化する、というのと理屈は一緒か。
これを逆手に取ったのが「まんじゅう怖い」ではなかろうか。
「まんじゅう怖い」というのは、たしかまんじゅうが大好きな男が「まんじゅう怖い」とまわりに言って回り、「アイツまんじゅうが怖いんだって。変なの。よし、まんじゅうを大量に贈ってやれ」とまわりの人が嫌がらせで男にまんじゅうを与え、男は目論見通りまんじゅうを大量にゲットした、という話だったような。
そう、「恐れ」「怖い」も「嫌い」同様、負の引き寄せとして発動する。「あれが怖い、ああなるのは嫌だ」と言い続けると、自ら恐れる災厄を招いてしまうという。
なぜか、求めれば求めるほど必死になって遠ざかり、特に求めていない、それを得たいと思っていない人が簡単に得てしまう、そういうイメージもあるが……。
自分の意思や意図ってどこまでだろう。
私の場合、「好きなことで、人と関わらずに稼ぎたかった」「けれどまだ夢叶っていない」、前者が私の意思、後者が私の意図ではない。
けれど世の中大抵「思った通りにいかない」「望んだものを得られない」のは当たり前であり、「お前、漫画家になりたいと言っていたのに、言った通りになっていないじゃねーか」と責められることは滅多にないはずだが。
また、私の場合、そうこうしているうちにコミュニケーションが取れるようになりつつあり、仕事もお世辞にもできているとは言えないまでも、楽しくやっており、仕事の作業が好きだ。職場にいる人たちや、職場の雰囲気も好きだ。
これは私の意思ではなかったというか、「コミュニケーションが苦手」こそが「私」らしさだったはずで、それを克服できないからこそ、誰とも会わず関わらず、ネットで絵を投稿したりして稼ぎたいと願ったのだが。
苦手な仕事や人間関係がある程度、好きになっていく気がする。このまま良い方向へ行くかどうかも謎だが。
私が楽しく仕事できていても、みんなが尻拭いで疲弊しているならば、それは良くないかも。けれどなかなか上達せず、お邪魔虫を卒業したいとは思っても、創作でも小遣い稼ぎしかできない。どうしろというのか。
スピリチュアルに言わせれば、「手にした結果」こそが「自分が自ら選び、引き寄せたもの」であるということで。「夢を追ったのに叶わなかった」も、「こんなはずじゃなかったのに、なぜだかこうなった」も、それこそがその人の選択である、ということらしい。
「え、子どもの頃に虐待されていたんですけど? クソ親の元に生まれた、それも幼い私が選択した結果だと言うんかい!?」といった疑問に対しては、「それはあなたが前世で……」という答えになるらしい。前世だの因果だの宇宙だの好き放題言えるね、スピリチュアルは。
最初の話に戻るが、刀を集めていた人は、刀の美しさに見惚れたのかもしれないし、時代劇とか、戦国時代(?)とかに憧れたのかもしれない。しかし本物の日本刀には、人を殺す殺意とか、切られた人の怨念とか、色々なものが籠もっていたのかもしれない。
私はバトルものの映画や漫画を見るし、ゲームもする。が、自分自身がバトルをしようとは思っていない。思っていないけれど、自らバトルものを選ぶと、戦争を選んでいるという可能性もある。
このように、人は「思っているのと違った」ものを選び、引き寄せてしまうことがあると思う。
私のことを分かってくれる良い人だと思ったら詐欺師だった、とか。素晴らしい薬だと思ったら副作用があった、とか。エコだと思ったら環境に悪影響があった、とか。Aを選んだつもりが、そこにBも含まれることに気づいていない。目を背ける。
世界はグレーだ。だから選択が難しい。良かれと思ったことが悪かった、思い通りにいかなかった、知らなかった、その繰り返し。
薬がなんとなく怖いのは、数多の動物実験を繰り返した怨念が染み付いているからかも。でもそんなこと言い出したら、食べ物に含まれる物質だって動物実験されているかもしれないし、革製品にも、肉や魚にも、動物が轢かれた道路にも、全部怨念が入っているかもしれない。そんなこと言ったら、弱肉強食の地球自体が呪われている。
「世界から弱肉強食がなくなればいい」と思いつつ私はヴィーガンになれなかった。
もしヴィーガンになっていたら、有り得ない天変地異によって「弱肉強食がなくなる」未来を引き寄せた可能性も0ではないのか。
でもそんなこと有り得ないと思っている。「世界が変わるなど有り得ない」という私の思い込みが、世界を退屈なものに留めているのか。
けど実際、「植物だって命じゃん。もう何も食べない」「歩いたら生き物を踏むから、もう一歩も動かない」なんて極端なことを考え、実行に移せば、死んでしまうと思っている。死ぬのは嫌だし、社会不適合者だと罵られ続けるのも苦しい。窮屈な修行もしたくない。グレーな世に染まり、空気を読み、なぁなぁに過ごした方が生きやすい。そんな暮らしは悪なのか?
人は一人一人の世界を持っている。私たちはそれぞれ、「自分」が選んだ世界へ行く、というのがスピリチュアル系の持論(?)らしい。だから「アイツのせいでこうなった」というのは選択責任の放棄であるらしい。「アイツ」と別れるなり、反対するなり、本当に乗りたくないと思ったのなら、何かに乗せられそうになるシーンで選択をしなくてはならないらしい。でも「戦う」と戦いのループに入ってしまうので、良くないらしい。
さて、引き寄せの法則にはタイムラグというものもあるらしい。注文した願いが届くまでに、時間がかかるんだと。
私は小学生のとき、喉から手が出るほど友達が欲しかった。
けれどなぜだか、上手に話せなかった。人を見ると緊張し、避けてしまった。自分とみんなの興味は違うと感じた。
高校生になったくらいで、人間関係は面倒だ、友達はいらないと気づいた。
それまでの私は、友達をもっと都合のいい存在だと思っていたのだ。いつでも一緒にいてくれて、自分のすべてを受け入れ、許し、優しくしてくれるような。
でも人間関係なんてそんなものじゃない。意見を押し付けたくなくても、「その癖なんとかならないの?」「そういうの好きじゃない」と、持論や感覚を押し付け合ってしまう。
自分が密かに好きなものを、悪気なく否定される。自分の何気ない言動にも、相手はいつの間にかイラッときたり悲しくなったりと、ストレスを溜めているのだろう。
ならばできるだけ関わらなければいい。限られた時間内で、当たり障りのないことだけ言って、あとはキャパオーバーしないよう離れればいい。
人間関係など、お互いを否定し合うだけの、邪魔くさいものだと気づいたのだ。一人でいれば否定されない。否定してくるような人からは逃げればいい。自由だ。
……と思い始めた新入社員の頃、「同期はみんな仲間だよ!」みたいなノリのグループに入ってしまい、残業が多いのに、わずかな休日まで同期の集まりに呼ばれた。コミュニケーション下手な私は断れなかった。
しかも同じ配属先(?)の同期の一人と仲が悪く、他の人との人間関係も最悪にしてしまった。責められているように感じてイラついた。
結果、退職後、前職の人との繋がりはほぼ残らなかった。
小学生の頃の「友達が欲しい」という願いが、新入社員の頃に叶ったというのか。
でも私はもう人間関係がいらないと気づいていた。そんなふうに、昔欲しかったものを、あとで渡されても困る。
小さい頃に欲しくてたまらなかった流行りのおもちゃを、今渡されたら困るかも。
そんなふうに「前は欲しかったけど(やりたかったけど)もういらないかな……」という心境になった願いに限って、唐突に叶ったりする。もはや嫌がらせのような。
けど引き寄せとやらは、「欲しくてたまらない」と執着するとなかなか得られず、執着を手放すと叶うことがあるのだと。だから「昔欲しかったもの、思い描いていたこと、いつの間にか叶っていた」ということもあるらしい。
けれど人って足を知るのが難しいから、一つ叶っていても別のものを追ってしまったり、手に入れたものに既にあまり興味がなかったりして、なかなか難しい。
で、「本来の自分」に戻れば戻るほど、願いは叶いやすくなるんだと。
でも自分の「本当の願い」は、「煩悩まみれの自分」が思っていたこと(誰もが羨む彼氏を手に入れたいとか、何かで一番になってチヤホヤされたいとか?)とは違う可能性もある。というか、大抵違うらしい。
「本当の自分」とか言われたら、私の願い(ネットでゆるゆる稼ぎたい)が叶わないのも、それが本当の私の望みじゃなかったからだ、とか言える。スピリチュアルって本当に、言いたい放題だな。
本当の私などという大それたものは分からない。でも一年前に欲しかったものへの興味が一年後になくなっているのなら、確かに本心ではなく、気の迷いかも。
「持っていたら自慢できる」「話題になる」といった煩悩。環境が変わり、まわりの人のタイプが変われば無意味になるかも。趣味の集まりを抜けるとか。
そう思うとやはり、人間関係に惑わされず、本当に自分の好きなものを探し、浸り、やがて確信し、貫くというのが「本当の自分」っぽい気がする。自分は自分の好きにできるけど、人のことを好きになったって、その人はいつまでも、自分にとって好みの存在であり続けてくれるとは限らないから。
……なのに。カミサマだか運命だかが、私を人間関係に引きずり込もうとする。なんてこった。
というのも言い訳であり、私が人一倍、愛に飢えていて、人恋しいせいなのかもしれない。というかそうなのだろう。
乙女でもないのに、うわべだけではない「真実の愛」みたいな、この世にありもしないものを探し求めているのだ。
……いいや、自覚がなく言葉にできずとも、「真実の愛」なんてものは、道端にいくらでも転がっているのかもしれない。その原石を磨きもせず、「こんなもの真実の愛じゃねぇ」と蹴飛ばして回っているのかもしれない。
見た目が好み。顔が好き。若い。高学歴。ハイスペック。お金持ち。
この世に溢れる、くだらない価値観の数々。でもそんなものはシール一枚程度の皮であり、奥には未知の世界が広がっているかも。
人間は本心にまだ気づかず、言い表せないだけかもしれない。もうちょっとしたら「本当の自分」とやらになれるのかもしれない。
自ら刀を集めたことで、人を切ったり切られたりする、戦の呪いみたいなものに取り憑かれてしまったのか、それとも……。刃物で切られて死ぬという最期は決まっていて、そちらへ吸い寄せられてしまったのか。
スピリチュアル界に「引き寄せの法則」というものがある。密かなブームだったのかな? もうブームは終わったのかも。
進化系の「宇宙の法則」なんてものもある。個人的に見ていた情報が偏っていたのかもしれないが、なんとなく、こういうのは女性がハマるもので、占いによく入ってくる「恋」だの「運命の人」だのといった要素が「引き寄せの法則」「宇宙の法則」にもよく入っていたイメージがある。
私は「また恋かよ」と思いつつ、自分の夢……「楽に生きたい」とか「弱肉強食のない世界へ行きたい」といったものを叶えるために、引き寄せ系の本をパラパラ読んだ。けれどどうも、この世の価値観に誘導されている気がして、私の求める夢へ導いてくれるものではないかもしれないと思い、スピリチュアル系からちょっと離れた。
そりゃ、目標を設定し、それに向かって頑張れば、「恋も仕事も上手くいく」かもしれない。まわりの人に「私はこうしたい」「こういうものが好き」と、それとなく伝えておいたら、「◯◯さん、こういうの好きだったよね」と情報をもらえるかもしれない。「人と仲良くできていれば」。
でも私はなんか、この世の当たり前の幸せ像みたいなものに疲れて、その逆を行きたかったのだ。みんながキャーキャー言うものに夢中になれず、もっと斬新な何かを求めていたから。
コミュニケーションも苦手で、仕事を頑張るだの、夢を語り合える仲間だの、幸せな家庭だの、そんな関係を築くことも無理そうだった。
みんなが美味しいと言うものを手に入れたって、自分にとって美味しくなきゃ意味がない。
私は私の幸せを追った。「弱肉強食のない世界」など、世界の根本を変える系は、どうも無理なんじゃないかと思い、とりあえず誰とも関わらずお金を得たくて、「ネットで、好きなこと(創作など)で稼ぎたい」と思った。
毎日、好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、遊び、気が向いたら小説を書き、写真を撮り、マンガやイラストを描く。その日何をするも自由。締め切りもなく、人から「ニート」と責められることもなく、たくさんのお金を稼ぐ、自由な生活。
アホなりにアフィリエイトとか、SEO対策など色々調べた。やってみた。けれど今でも、お小遣い稼ぎ程度だ。
そして私の思い描く、夢の生活を送っている人など、世界にいないんじゃないかと思い始めた。
ゲームの中では自由に生活できても、現実での生活は小難しくて厳しい。買った物も壊れるし、自分も老いて衰えるし、毎日食べなきゃいけない。変な生活をしていればまわりの人が怒る。
世界を変えるなんてのが難しいというのは分かった。けれど個人は自由だと思いたかった。
みんな懸命に働いている。働かなくても生きられるなら、過労死するはずがない。
私は金銭感覚がバカになっており、世間知らずで、貯蓄も何もしていないが、あとで困るのだろう。
マジックでよく、「あなたの持っているカード(など)を当てます」というのがある。
あれは、選んだカードを読まれているのか。それとも答えが最初から決められていて、そこへ誘導されているのか。
「引き寄せ」は、女性の間で話題の、キラキラした占いの延長線上みたいなヤツ……というイメージだったが(個人的に)、「引き寄せ」には、悪いものを自ら引き寄せるやり方もある。
お金が欲しいとき、ポジティブなイメージを持ち続けるのでなく、「お金が欲しいと言っているのに、全然来ないじゃないか。やっぱり引き寄せなんてインチキだ。クソッタレ」などと「夢が叶わない」恨み言を言い続けると、「夢が叶わない」パワーが増幅されて、叶わないままらしい。
また、本当は欲しくないもの、好きじゃないものなどを選び続けると(「友達に嫌われたくない」「これも付き合いだししょうがない」「みんな持っているから」などと、まわりに流されるような感じ?)、自分の望まない方へ向かうという。
あと、「あれが嫌いだ。大嫌いだ」などと、嫌いなもの・人・事象などに意識を向け続けると、そちらが巨大化するという話もあったはず。「お金が欲しいと言っているのに来ない」と「夢が叶わない」ことに意識を向け続けると「夢が叶わない」が巨大化する、というのと理屈は一緒か。
これを逆手に取ったのが「まんじゅう怖い」ではなかろうか。
「まんじゅう怖い」というのは、たしかまんじゅうが大好きな男が「まんじゅう怖い」とまわりに言って回り、「アイツまんじゅうが怖いんだって。変なの。よし、まんじゅうを大量に贈ってやれ」とまわりの人が嫌がらせで男にまんじゅうを与え、男は目論見通りまんじゅうを大量にゲットした、という話だったような。
そう、「恐れ」「怖い」も「嫌い」同様、負の引き寄せとして発動する。「あれが怖い、ああなるのは嫌だ」と言い続けると、自ら恐れる災厄を招いてしまうという。
なぜか、求めれば求めるほど必死になって遠ざかり、特に求めていない、それを得たいと思っていない人が簡単に得てしまう、そういうイメージもあるが……。
自分の意思や意図ってどこまでだろう。
私の場合、「好きなことで、人と関わらずに稼ぎたかった」「けれどまだ夢叶っていない」、前者が私の意思、後者が私の意図ではない。
けれど世の中大抵「思った通りにいかない」「望んだものを得られない」のは当たり前であり、「お前、漫画家になりたいと言っていたのに、言った通りになっていないじゃねーか」と責められることは滅多にないはずだが。
また、私の場合、そうこうしているうちにコミュニケーションが取れるようになりつつあり、仕事もお世辞にもできているとは言えないまでも、楽しくやっており、仕事の作業が好きだ。職場にいる人たちや、職場の雰囲気も好きだ。
これは私の意思ではなかったというか、「コミュニケーションが苦手」こそが「私」らしさだったはずで、それを克服できないからこそ、誰とも会わず関わらず、ネットで絵を投稿したりして稼ぎたいと願ったのだが。
苦手な仕事や人間関係がある程度、好きになっていく気がする。このまま良い方向へ行くかどうかも謎だが。
私が楽しく仕事できていても、みんなが尻拭いで疲弊しているならば、それは良くないかも。けれどなかなか上達せず、お邪魔虫を卒業したいとは思っても、創作でも小遣い稼ぎしかできない。どうしろというのか。
スピリチュアルに言わせれば、「手にした結果」こそが「自分が自ら選び、引き寄せたもの」であるということで。「夢を追ったのに叶わなかった」も、「こんなはずじゃなかったのに、なぜだかこうなった」も、それこそがその人の選択である、ということらしい。
「え、子どもの頃に虐待されていたんですけど? クソ親の元に生まれた、それも幼い私が選択した結果だと言うんかい!?」といった疑問に対しては、「それはあなたが前世で……」という答えになるらしい。前世だの因果だの宇宙だの好き放題言えるね、スピリチュアルは。
最初の話に戻るが、刀を集めていた人は、刀の美しさに見惚れたのかもしれないし、時代劇とか、戦国時代(?)とかに憧れたのかもしれない。しかし本物の日本刀には、人を殺す殺意とか、切られた人の怨念とか、色々なものが籠もっていたのかもしれない。
私はバトルものの映画や漫画を見るし、ゲームもする。が、自分自身がバトルをしようとは思っていない。思っていないけれど、自らバトルものを選ぶと、戦争を選んでいるという可能性もある。
このように、人は「思っているのと違った」ものを選び、引き寄せてしまうことがあると思う。
私のことを分かってくれる良い人だと思ったら詐欺師だった、とか。素晴らしい薬だと思ったら副作用があった、とか。エコだと思ったら環境に悪影響があった、とか。Aを選んだつもりが、そこにBも含まれることに気づいていない。目を背ける。
世界はグレーだ。だから選択が難しい。良かれと思ったことが悪かった、思い通りにいかなかった、知らなかった、その繰り返し。
薬がなんとなく怖いのは、数多の動物実験を繰り返した怨念が染み付いているからかも。でもそんなこと言い出したら、食べ物に含まれる物質だって動物実験されているかもしれないし、革製品にも、肉や魚にも、動物が轢かれた道路にも、全部怨念が入っているかもしれない。そんなこと言ったら、弱肉強食の地球自体が呪われている。
「世界から弱肉強食がなくなればいい」と思いつつ私はヴィーガンになれなかった。
もしヴィーガンになっていたら、有り得ない天変地異によって「弱肉強食がなくなる」未来を引き寄せた可能性も0ではないのか。
でもそんなこと有り得ないと思っている。「世界が変わるなど有り得ない」という私の思い込みが、世界を退屈なものに留めているのか。
けど実際、「植物だって命じゃん。もう何も食べない」「歩いたら生き物を踏むから、もう一歩も動かない」なんて極端なことを考え、実行に移せば、死んでしまうと思っている。死ぬのは嫌だし、社会不適合者だと罵られ続けるのも苦しい。窮屈な修行もしたくない。グレーな世に染まり、空気を読み、なぁなぁに過ごした方が生きやすい。そんな暮らしは悪なのか?
人は一人一人の世界を持っている。私たちはそれぞれ、「自分」が選んだ世界へ行く、というのがスピリチュアル系の持論(?)らしい。だから「アイツのせいでこうなった」というのは選択責任の放棄であるらしい。「アイツ」と別れるなり、反対するなり、本当に乗りたくないと思ったのなら、何かに乗せられそうになるシーンで選択をしなくてはならないらしい。でも「戦う」と戦いのループに入ってしまうので、良くないらしい。
さて、引き寄せの法則にはタイムラグというものもあるらしい。注文した願いが届くまでに、時間がかかるんだと。
私は小学生のとき、喉から手が出るほど友達が欲しかった。
けれどなぜだか、上手に話せなかった。人を見ると緊張し、避けてしまった。自分とみんなの興味は違うと感じた。
高校生になったくらいで、人間関係は面倒だ、友達はいらないと気づいた。
それまでの私は、友達をもっと都合のいい存在だと思っていたのだ。いつでも一緒にいてくれて、自分のすべてを受け入れ、許し、優しくしてくれるような。
でも人間関係なんてそんなものじゃない。意見を押し付けたくなくても、「その癖なんとかならないの?」「そういうの好きじゃない」と、持論や感覚を押し付け合ってしまう。
自分が密かに好きなものを、悪気なく否定される。自分の何気ない言動にも、相手はいつの間にかイラッときたり悲しくなったりと、ストレスを溜めているのだろう。
ならばできるだけ関わらなければいい。限られた時間内で、当たり障りのないことだけ言って、あとはキャパオーバーしないよう離れればいい。
人間関係など、お互いを否定し合うだけの、邪魔くさいものだと気づいたのだ。一人でいれば否定されない。否定してくるような人からは逃げればいい。自由だ。
……と思い始めた新入社員の頃、「同期はみんな仲間だよ!」みたいなノリのグループに入ってしまい、残業が多いのに、わずかな休日まで同期の集まりに呼ばれた。コミュニケーション下手な私は断れなかった。
しかも同じ配属先(?)の同期の一人と仲が悪く、他の人との人間関係も最悪にしてしまった。責められているように感じてイラついた。
結果、退職後、前職の人との繋がりはほぼ残らなかった。
小学生の頃の「友達が欲しい」という願いが、新入社員の頃に叶ったというのか。
でも私はもう人間関係がいらないと気づいていた。そんなふうに、昔欲しかったものを、あとで渡されても困る。
小さい頃に欲しくてたまらなかった流行りのおもちゃを、今渡されたら困るかも。
そんなふうに「前は欲しかったけど(やりたかったけど)もういらないかな……」という心境になった願いに限って、唐突に叶ったりする。もはや嫌がらせのような。
けど引き寄せとやらは、「欲しくてたまらない」と執着するとなかなか得られず、執着を手放すと叶うことがあるのだと。だから「昔欲しかったもの、思い描いていたこと、いつの間にか叶っていた」ということもあるらしい。
けれど人って足を知るのが難しいから、一つ叶っていても別のものを追ってしまったり、手に入れたものに既にあまり興味がなかったりして、なかなか難しい。
で、「本来の自分」に戻れば戻るほど、願いは叶いやすくなるんだと。
でも自分の「本当の願い」は、「煩悩まみれの自分」が思っていたこと(誰もが羨む彼氏を手に入れたいとか、何かで一番になってチヤホヤされたいとか?)とは違う可能性もある。というか、大抵違うらしい。
「本当の自分」とか言われたら、私の願い(ネットでゆるゆる稼ぎたい)が叶わないのも、それが本当の私の望みじゃなかったからだ、とか言える。スピリチュアルって本当に、言いたい放題だな。
本当の私などという大それたものは分からない。でも一年前に欲しかったものへの興味が一年後になくなっているのなら、確かに本心ではなく、気の迷いかも。
「持っていたら自慢できる」「話題になる」といった煩悩。環境が変わり、まわりの人のタイプが変われば無意味になるかも。趣味の集まりを抜けるとか。
そう思うとやはり、人間関係に惑わされず、本当に自分の好きなものを探し、浸り、やがて確信し、貫くというのが「本当の自分」っぽい気がする。自分は自分の好きにできるけど、人のことを好きになったって、その人はいつまでも、自分にとって好みの存在であり続けてくれるとは限らないから。
……なのに。カミサマだか運命だかが、私を人間関係に引きずり込もうとする。なんてこった。
というのも言い訳であり、私が人一倍、愛に飢えていて、人恋しいせいなのかもしれない。というかそうなのだろう。
乙女でもないのに、うわべだけではない「真実の愛」みたいな、この世にありもしないものを探し求めているのだ。
……いいや、自覚がなく言葉にできずとも、「真実の愛」なんてものは、道端にいくらでも転がっているのかもしれない。その原石を磨きもせず、「こんなもの真実の愛じゃねぇ」と蹴飛ばして回っているのかもしれない。
見た目が好み。顔が好き。若い。高学歴。ハイスペック。お金持ち。
この世に溢れる、くだらない価値観の数々。でもそんなものはシール一枚程度の皮であり、奥には未知の世界が広がっているかも。
人間は本心にまだ気づかず、言い表せないだけかもしれない。もうちょっとしたら「本当の自分」とやらになれるのかもしれない。
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【うだつの上がらないエッセイ集】
生き物の話や夢の日記、思い出や星占いの話など、思いついたことを色々詰め込んだ連載です。
【良くも悪くも、星の回転は止まらない】
詩集です。すぐ読める短いものが多いです。20編で完結しました。
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