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喜びと不安を繰り返しつつ、現状維持
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「これで良かった」と「こうしなきゃ良かった、したくなかった」がいつだって曖昧だ。矛盾している。
どっちだか分からないなら「これで良かった」と言えたらいいのに。本当にそうなのか、不安。
「こうしなきゃ良かった」と言ったって。それも分からない。
ニートメンタルの私は基本的に「働きたくない」。長時間の拘束が苦手、作業や責任やタイムアタックが苦手、そして人間関係が苦手。嫌われるのも怖いし、一旦仲良くなって嫌われるのはさらに怖い。
また、ずっと一緒にいる距離感が苦手なためか、基本的に人生で友達ができないか、できても関係終了するか、トラブルを起こするばかりだった。
ずっと「にこやかな自分」を演じることができないのだ。人と一緒にいると疲れてしまう。おとなしくしていられない。不機嫌になってしまう。
前の職場では人付き合いがあったが、残業が長く、その上、仕事外でまで仕事の人とのお付き合いがあり、しかも同じ職場の同期に嫌われている感じがしていたので(ポンコツなため)苦痛だった。
ところが近年は割とうまくいっていた。自分の短気も、情緒不安定も、表に出し過ぎずに働いてこられた。だから、目に見えて誰かを敵に回すことなくやってこられた。それは、職場内での昼食の時間がないとか、仕事が終了したらみんなサッサと帰るとか、プライベートに干渉されることがなく、労働時間も短いからやってこられたのだと思う。
ただ、ずっとこのままで良いとも思えなかった。もっと働かなければならないはずだ……。また、まわりの人の陰口にはずっと怯え続けてきた。私が「表」を保てたのは、ネットに色々書いてストレス発散してこられたおかげだ。
ネットに愚痴ばかり書いて、失礼だったと思う。
けれど「書く」しか自分を保てなかった。
人間関係も仕事も嫌。働きたくなかった。
でも、ポンコツなりに仕事や職場が好きになってきたし、職場には好きな人がいっぱいいる。「働きたくなかった」ことばかりではない。
他にも……。「良かった」と「怖い」が混在し、完全に「喜び」であるとも、「嫌」であるとも言いにくいことばかり。
正解か、不正解か。
成功か、失敗か。
ここで逃げたら分からない。明日は違うかもしれない。
私は逃げ続けてきたから、もうあまり逃げない。逃げたって人生からは逃げられない。積み重ねた方が良いのかもしれない。逃げても何も解決しなかった。
それでも何が良いのかは分からない。吉と出るか、凶と出るか。何か分かるまで、いや、分からなくても現状維持。
結局「納得できるか、できないか」だけかもしれない。
納得できない人は何を選んでも文句言う。
納得する人は、何を選んでも受け入れ、向き合い、感謝する。
どうせ私には「器」が足りないのだ。よく「釣り合わない」なんて言うけれど、釣り合わなさすぎて、もはや埋め合わせようとする気力もない。
しかし職場でみんなが愚痴を言っているとき、以前はビクビクオドオドしていたけれど、今はちょっぴり安心している。こんな私のことも好きでいてくれる人はいるのだと、本当に信じられるようになった。
それもこれも一時的なものかもしれない。関係良好も、関係悪化も。
「働きたくない」ならば、「働いている私」は、全部嘘で、偽物かもしれない。怠惰な私だけが本物かもしれない。
それでも、本当に好きになってもらえた時間はあったんだな。
私の勝手な想像からくる未来への「不安」と、楽しかった「思い出」が、交互に頭を支配する。
不安で泣いたり、思い出にクスリと笑ったり。
私の「人生」のイメージとして、本当に心に残っていくのは、どちらなのだろう。
こうしている間にも、すべての人は死に向かう。その前に病気があるかもしれない。
私は人生を味わえているか?
気持ちが晴れたとき、いつかまっすぐ、自分がいる場所の光景を見るんだ。
そのとき美しさにハッとするか。思い込んでいた景色と違って驚くか。
今は私の目が濁っていて、何を見ても濁っているようにしか見えないんだと思う。
愛に気づかない。
どっちだか分からないなら「これで良かった」と言えたらいいのに。本当にそうなのか、不安。
「こうしなきゃ良かった」と言ったって。それも分からない。
ニートメンタルの私は基本的に「働きたくない」。長時間の拘束が苦手、作業や責任やタイムアタックが苦手、そして人間関係が苦手。嫌われるのも怖いし、一旦仲良くなって嫌われるのはさらに怖い。
また、ずっと一緒にいる距離感が苦手なためか、基本的に人生で友達ができないか、できても関係終了するか、トラブルを起こするばかりだった。
ずっと「にこやかな自分」を演じることができないのだ。人と一緒にいると疲れてしまう。おとなしくしていられない。不機嫌になってしまう。
前の職場では人付き合いがあったが、残業が長く、その上、仕事外でまで仕事の人とのお付き合いがあり、しかも同じ職場の同期に嫌われている感じがしていたので(ポンコツなため)苦痛だった。
ところが近年は割とうまくいっていた。自分の短気も、情緒不安定も、表に出し過ぎずに働いてこられた。だから、目に見えて誰かを敵に回すことなくやってこられた。それは、職場内での昼食の時間がないとか、仕事が終了したらみんなサッサと帰るとか、プライベートに干渉されることがなく、労働時間も短いからやってこられたのだと思う。
ただ、ずっとこのままで良いとも思えなかった。もっと働かなければならないはずだ……。また、まわりの人の陰口にはずっと怯え続けてきた。私が「表」を保てたのは、ネットに色々書いてストレス発散してこられたおかげだ。
ネットに愚痴ばかり書いて、失礼だったと思う。
けれど「書く」しか自分を保てなかった。
人間関係も仕事も嫌。働きたくなかった。
でも、ポンコツなりに仕事や職場が好きになってきたし、職場には好きな人がいっぱいいる。「働きたくなかった」ことばかりではない。
他にも……。「良かった」と「怖い」が混在し、完全に「喜び」であるとも、「嫌」であるとも言いにくいことばかり。
正解か、不正解か。
成功か、失敗か。
ここで逃げたら分からない。明日は違うかもしれない。
私は逃げ続けてきたから、もうあまり逃げない。逃げたって人生からは逃げられない。積み重ねた方が良いのかもしれない。逃げても何も解決しなかった。
それでも何が良いのかは分からない。吉と出るか、凶と出るか。何か分かるまで、いや、分からなくても現状維持。
結局「納得できるか、できないか」だけかもしれない。
納得できない人は何を選んでも文句言う。
納得する人は、何を選んでも受け入れ、向き合い、感謝する。
どうせ私には「器」が足りないのだ。よく「釣り合わない」なんて言うけれど、釣り合わなさすぎて、もはや埋め合わせようとする気力もない。
しかし職場でみんなが愚痴を言っているとき、以前はビクビクオドオドしていたけれど、今はちょっぴり安心している。こんな私のことも好きでいてくれる人はいるのだと、本当に信じられるようになった。
それもこれも一時的なものかもしれない。関係良好も、関係悪化も。
「働きたくない」ならば、「働いている私」は、全部嘘で、偽物かもしれない。怠惰な私だけが本物かもしれない。
それでも、本当に好きになってもらえた時間はあったんだな。
私の勝手な想像からくる未来への「不安」と、楽しかった「思い出」が、交互に頭を支配する。
不安で泣いたり、思い出にクスリと笑ったり。
私の「人生」のイメージとして、本当に心に残っていくのは、どちらなのだろう。
こうしている間にも、すべての人は死に向かう。その前に病気があるかもしれない。
私は人生を味わえているか?
気持ちが晴れたとき、いつかまっすぐ、自分がいる場所の光景を見るんだ。
そのとき美しさにハッとするか。思い込んでいた景色と違って驚くか。
今は私の目が濁っていて、何を見ても濁っているようにしか見えないんだと思う。
愛に気づかない。
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