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あとちょっといけるかな? ツナヨシ症候群!
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身内が害のない虫を見つけたとき、虫を逃がしてくれたり、私を呼んでくれたりする。これは私が昔から、「虫を殺すな」「虫も命だぞ」とギャーギャー騒いで持論を展開してきたためにそうなっている。
既にこういう流れになっていることについては特に何とも思わなかったが、職場などで虫への対応を見ていると、みんなけっこう当たり前のように殺している。
身内が虫を逃がしてくれることは、当然のことではなかったんだ。私に気を使って? くれているんだなぁと、今更ながら気づき、心が温まった。分かり合えない部分もあるけど、合わせてくれているところもあるんだ。
ならば他の場でも、意見を押し通し、まわりの言動を変えることは一応「可能」かもしれない。
仕事なんかは効率重視だから、まだ難しいかもしれないけど。仕事が終わってからとか、友達同士だとか、そういうところで少しずつ、変えることはできるかも。
とはいえ人を自分に合わせようとするってことは、こっちも相手に合わせなければ。押し通すばっかりでは失礼だもんね。
「ああしてほしい」「こうしてほしい」要求ばっかりではウンザリする。折れていいと思えるところは折れまくり、譲れないところで頑とすべきかも。ワガママなもんでなかなか、だけど。
しかし虫を2~3匹逃がしたところで、もっと大きな、環境破壊による変化が地球を襲い、生き物たちが危機に晒されている。目の前のことだけ命だなんだと言っても偽善という気もする。もっと何か大きなことをすべきか。
けれど人間なんかが動いてもロクなことがない、という気もする。
特に大きなことは取り返しがつかない。民衆の気持ちも何も分かっていない暴君が政治をするように。逆効果じゃないのかと思う。
太陽光発電も風力発電も、ソーラーパネルや風車のために環境を破壊するようじゃあどうだか。
パーム油も「環境に優しい」と言っていたのに、実際は環境問題がいっぱいあるんだと。
これ以上何かしたところで、どうせ人間なんて浅はかかも。
人間が「環境のために何をすべきか」じゃなく、「もう何もするんじゃねぇ」というところかもしれない。
そうなると、人間が滅びることだけが理想という気もする。
人間が滅びれば、傷ついた自然も長い年月をかけて修復されるだろう。あとは何かが絶滅しても、大陸を渡って外来種になっても、自然の流れだし。
最初に地球に生命が誕生したところから、恐竜の時代を経て、ここまできたのだから、生き物たちが残ってさえいれば大丈夫なのでは。何かが失われた自然であっても、折り合いつけてやっていけるだろう。
人間は外来種のせいだ大量発生のせいだとなんだかんだ言うが、人間の無知な行動の方がよっぽど悪影響ありそう。害獣だのなんだの、責任転嫁じゃないか。
しかも人間は、掃き捨てた命をゴミ箱に捨ててしまうのだろう。自然界では犠牲も自然内で循環するのに。なんでもかんでもポイポイ捨てて循環を断ち切る人間のスタイルは、地球にとって致命的では。
……とか言っていても、ゴキブリがゴキブリであるように、人間が人間であることもしょうがないわけで。死にたくないなら生きるしかない。となると。
何が正解かは分からないけど、「虫はキモい」から、ほぼ無意識に「殺す」しか選択肢がない、ならば。
「虫を殺すことで悲しむ人間もいる」という事実を広げるべきか。目の前で虫を殺すのはハラスメントだ、と。概念と共に新しい言葉を作ればいい。賛同者を集めて騒ぎ立てれば案外、一石を投じることはできるかもしれないぞ。
けれどそうなると今度、自分の行いを省みなきゃいけないわけだ。
「虫を大切に」と言った私が、カメムシを投げ飛ばしたり、アシナガバチを叩き潰したり、ハエをはたき落としたりしていたらおかしいわけである。
そうなると私の偽善レベルの低さが足を引っ張る。
私など、耳元で羽音がしたので驚いてナミテントウをはたき落としたり、風呂場にアブがいたのでびっくりしてシャワーをかけたり、肌に虫が止まっているのに気づかず「かゆっ」と掻き潰したり、カタツムリを踏み潰したり。とても立派なツナヨシ症候群であるとは言えない(ツナヨシ症候群とはなんぞ)。
すると、もうちょい弱気に「私もまだまだだけど、みんなで考えようよ!」くらいしか言えない。でもそれを言う資格すらないかもしれないから、まず自分の偽善レベルを上げた方が良さそう。
けど小さい頃は、「私なんかがこんなこと言う資格ないな」と思わないから、疑うことなく意見の押し付けができたわけだ。そしてまわりの世界を変えることは一応本当に、できるんだなぁ。
とりあえず、できる範囲で。
私のnote記事、全387記事の中で、「【家に入ってきた虫の逃がし方!】(虫写真付き)」が5番目にビューが多い。ということはみんな、表立って昆虫保護だなんだと騒ぎはしないが、自分の意志で動けるとき、時間のあるときなどは虫を逃がしてあげたいと、方法を探ってくれているのだろう。
私の記事はちょっと読みづらい感じがあった。もう少し分かりやすく上手にお伝えできれば良いんだけど。
また、虫の種類によっては(ハネカクシやツチハンミョウ、サシガメなど)毒があったり刺してきたりして危ないらしいので、なんでも「逃がしましょう」と言うのも無責任かも。
となるとやはり、自分の偽善レベルを上げ、知識を増やすくらいしか責任持てないような。
虫を逃がした人が、野山に思いを馳せる時間が増え、やがて人類みんなで自然をそっとしておけるようになれば良いなぁ……。
あるいは未来ではもっとちゃんと生き物の気持ちが分かるようになって、自分勝手に余計なことをするのではなく、真に生き物と心を通い合わせ、積極的に関われるようになっているかも? 絵本の世界みたいに生き物たちと一緒に暮らせるようになっていたら、楽しそうだなぁ。
既にこういう流れになっていることについては特に何とも思わなかったが、職場などで虫への対応を見ていると、みんなけっこう当たり前のように殺している。
身内が虫を逃がしてくれることは、当然のことではなかったんだ。私に気を使って? くれているんだなぁと、今更ながら気づき、心が温まった。分かり合えない部分もあるけど、合わせてくれているところもあるんだ。
ならば他の場でも、意見を押し通し、まわりの言動を変えることは一応「可能」かもしれない。
仕事なんかは効率重視だから、まだ難しいかもしれないけど。仕事が終わってからとか、友達同士だとか、そういうところで少しずつ、変えることはできるかも。
とはいえ人を自分に合わせようとするってことは、こっちも相手に合わせなければ。押し通すばっかりでは失礼だもんね。
「ああしてほしい」「こうしてほしい」要求ばっかりではウンザリする。折れていいと思えるところは折れまくり、譲れないところで頑とすべきかも。ワガママなもんでなかなか、だけど。
しかし虫を2~3匹逃がしたところで、もっと大きな、環境破壊による変化が地球を襲い、生き物たちが危機に晒されている。目の前のことだけ命だなんだと言っても偽善という気もする。もっと何か大きなことをすべきか。
けれど人間なんかが動いてもロクなことがない、という気もする。
特に大きなことは取り返しがつかない。民衆の気持ちも何も分かっていない暴君が政治をするように。逆効果じゃないのかと思う。
太陽光発電も風力発電も、ソーラーパネルや風車のために環境を破壊するようじゃあどうだか。
パーム油も「環境に優しい」と言っていたのに、実際は環境問題がいっぱいあるんだと。
これ以上何かしたところで、どうせ人間なんて浅はかかも。
人間が「環境のために何をすべきか」じゃなく、「もう何もするんじゃねぇ」というところかもしれない。
そうなると、人間が滅びることだけが理想という気もする。
人間が滅びれば、傷ついた自然も長い年月をかけて修復されるだろう。あとは何かが絶滅しても、大陸を渡って外来種になっても、自然の流れだし。
最初に地球に生命が誕生したところから、恐竜の時代を経て、ここまできたのだから、生き物たちが残ってさえいれば大丈夫なのでは。何かが失われた自然であっても、折り合いつけてやっていけるだろう。
人間は外来種のせいだ大量発生のせいだとなんだかんだ言うが、人間の無知な行動の方がよっぽど悪影響ありそう。害獣だのなんだの、責任転嫁じゃないか。
しかも人間は、掃き捨てた命をゴミ箱に捨ててしまうのだろう。自然界では犠牲も自然内で循環するのに。なんでもかんでもポイポイ捨てて循環を断ち切る人間のスタイルは、地球にとって致命的では。
……とか言っていても、ゴキブリがゴキブリであるように、人間が人間であることもしょうがないわけで。死にたくないなら生きるしかない。となると。
何が正解かは分からないけど、「虫はキモい」から、ほぼ無意識に「殺す」しか選択肢がない、ならば。
「虫を殺すことで悲しむ人間もいる」という事実を広げるべきか。目の前で虫を殺すのはハラスメントだ、と。概念と共に新しい言葉を作ればいい。賛同者を集めて騒ぎ立てれば案外、一石を投じることはできるかもしれないぞ。
けれどそうなると今度、自分の行いを省みなきゃいけないわけだ。
「虫を大切に」と言った私が、カメムシを投げ飛ばしたり、アシナガバチを叩き潰したり、ハエをはたき落としたりしていたらおかしいわけである。
そうなると私の偽善レベルの低さが足を引っ張る。
私など、耳元で羽音がしたので驚いてナミテントウをはたき落としたり、風呂場にアブがいたのでびっくりしてシャワーをかけたり、肌に虫が止まっているのに気づかず「かゆっ」と掻き潰したり、カタツムリを踏み潰したり。とても立派なツナヨシ症候群であるとは言えない(ツナヨシ症候群とはなんぞ)。
すると、もうちょい弱気に「私もまだまだだけど、みんなで考えようよ!」くらいしか言えない。でもそれを言う資格すらないかもしれないから、まず自分の偽善レベルを上げた方が良さそう。
けど小さい頃は、「私なんかがこんなこと言う資格ないな」と思わないから、疑うことなく意見の押し付けができたわけだ。そしてまわりの世界を変えることは一応本当に、できるんだなぁ。
とりあえず、できる範囲で。
私のnote記事、全387記事の中で、「【家に入ってきた虫の逃がし方!】(虫写真付き)」が5番目にビューが多い。ということはみんな、表立って昆虫保護だなんだと騒ぎはしないが、自分の意志で動けるとき、時間のあるときなどは虫を逃がしてあげたいと、方法を探ってくれているのだろう。
私の記事はちょっと読みづらい感じがあった。もう少し分かりやすく上手にお伝えできれば良いんだけど。
また、虫の種類によっては(ハネカクシやツチハンミョウ、サシガメなど)毒があったり刺してきたりして危ないらしいので、なんでも「逃がしましょう」と言うのも無責任かも。
となるとやはり、自分の偽善レベルを上げ、知識を増やすくらいしか責任持てないような。
虫を逃がした人が、野山に思いを馳せる時間が増え、やがて人類みんなで自然をそっとしておけるようになれば良いなぁ……。
あるいは未来ではもっとちゃんと生き物の気持ちが分かるようになって、自分勝手に余計なことをするのではなく、真に生き物と心を通い合わせ、積極的に関われるようになっているかも? 絵本の世界みたいに生き物たちと一緒に暮らせるようになっていたら、楽しそうだなぁ。
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みんなの感想(1件)
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