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ネコは侵略的外来種ワースト100に入っているのに良いイメージで、他の外来種や害獣ばかり悪者・問題扱いされるのは何故?

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 今回は実態の話ではなく、世間一般の「イメージ」についてです。
 実態であれば、野良犬も野良猫も、他の害獣と同じように駆除されています。
 また、私は生き物たちの歴史について詳しく知りません。





 ネコは日本の侵略的外来種ワースト100に入っている。でも悪いイメージを抱かれてはいない。可愛くてナチュラルで、絵本とかマンガ、映画でも街中や野山を自由に歩く姿が描かれている。

 ネコが出てくる作品や番組の多いこと。ネコは野山や街にいていい動物、絵になる動物というイメージなのだ。


 一方、ブルーギルやブラックバスは外来種で悪役代表みたいな言われようだ。外来種たちの写真や映像が流れる度に、「この生き物は外来種で、生態系に悪影響を及ぼし……」と解説が入ることだろう。「可愛いね、素敵だね。仲間たちと共に、元気に大きく育ってね!」などというコメント付きで紹介されることはまずない。

 カラスや不快害虫なども嫌われ者だ。

 前から思っていたけれど、トラやパンダや象やワニなど外国の動物は人気で、外国の綺麗なお花も人気だけれど、日本の動物のイメージはさほど良くないし(やはり身近な分対立も多いから?)日本の在来植物は影が薄い。


 本来彼ら生き物に善悪の違いなどないはず。なぜネコは外来種なのに良いイメージで、外来種だ外来種だと騒がれないのだろう。映画でもアニメでもキャラクターでもネコは素敵な存在として描かれて大人気で、他の外来種は存在するだけで害を及ぼす者のように言われる。

「ネコは人間が連れてきたから」?

 ブルーギルやブラックバスもアメリカザリガニもウシガエルも人間が持ち込んだのだし、観賞用の花たちも野生化して外来種となっている。


 未来では命の重み、イメージが平等になってほしい。これは良い生き物でこれは悪い生き物とか、そんなものはないはずだ。いるだけで迷惑とか、生まれてきてはいけない命とかないはずなのに、一部の生き物が悪者のようなイメージを抱かれたり気持ち悪いと言われている。人間も生き物も使い捨てのようにぞんざいに扱われている。

 不快害虫って何だろう。実際害はないのに見た目が気持ち悪いなんて、そんな言葉おかしい。人間が外見で嫌われたり笑われたりするのも良くない。


 すべての生き物を駆除しなくていい方法はないんだろうか。犬や猫はもちろん、ブルーギルやブラックバスやオオキンケイギクのような外来種たちも。

 そしていつの日か、どの生き物にもみんな良いイメージが付いて、平等に愛せるようになればいい。今は問題があって素直に愛でる気持ちになりづらいけれど、きっとどの生き物もみんな個性豊かで魅力的なのだ。





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