やりたいこといっぱいあるけど、時間の使い方が下手で進まんなぁ
毎日眠い、ボーッとする。頭を使うようなことをする気力が無くて、あまり頭を使わなくて済むアクションばかりしてしまいます。こうやって堂々巡りなエッセイ(?)を投稿するとか。
マンガ投稿サイトでも収益化研究してみたいとか、アルファポリスでのマンガ連載とか、長編小説の連載とか、短編小説を完成させるとか、絵を描くとか、GIFアニメを作るとか、撮りためた写真や描きためたイラストをTwitterで再投稿しつつ関連記事へのリンクを貼るとか、できそうなことは色々あるんですが……。
マンガ投稿サイトでも収益化研究してみたいとか、アルファポリスでのマンガ連載とか、長編小説の連載とか、短編小説を完成させるとか、絵を描くとか、GIFアニメを作るとか、撮りためた写真や描きためたイラストをTwitterで再投稿しつつ関連記事へのリンクを貼るとか、できそうなことは色々あるんですが……。
【うだつの上がらないエッセイ集】
生き物の話や夢の日記、思い出や星占いの話など、思いついたことを色々詰め込んだ連載です。
【良くも悪くも、星の回転は止まらない】
詩集です。すぐ読める短いものが多いです。20編で完結しました。
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とある作品を好きになりかけていたが、作品のファンからの心ないコメントを見かけて、若干退いてしまった。
大勢に向けて表現・発信したい場合、創作をするというのは一つのコミュニティを作ることなのかもしれない。私たちも一人一人性格の違う投稿者であり、そのコメント欄には投稿者や、投稿に集まる読者の個性が表れる。
もしも作者としての私が「私の作品を全部見てもいないくせに、私の作品について発言しないでほしい」などと言ったら、私の作品はそういう雰囲気のコミュニティになってしまう。「気が向いたらほんの少し覗いてくださるだけでも、すごく嬉しいです!」と言えば、読者様の間でもそういう空気になるであろう。
できればどこも、大らかな空気であってほしい。ただ……自分自身、書き手の視点で語るか、読み手の視点で語るかによって、言うことが矛盾しそうな気がする。
読み手視点であれば、「それぞれ自由に楽しめば良いじゃん。好きなところだけかじって、あとは自分であれこれ想像するのもOK」「海賊版サイトは批判されがちだけど、お金を払えない人は芸術を楽しめないなんておかしくない?」「作品は読者のものだ」と思うが、書き手視点だと、「欲を言えば全話読んでほしい。できれば順番通りに。各作品に共通のテーマや流れがあるんだ。作品同士の繋がりに気づいてほしい」「良いなと思ったらお金をいただきたい。食べ物を売って生きる人がいるように、芸術家も芸術を売ってお金を得ないと生きていけないんだよ。そのシステムを軽視しないでほしい」「作品は作者のものだ」と思う。
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