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エンドレス・ループな「いいね」の件

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「興味もないのにいいねをされる」件で5年くらいギャンギャン吠えていましたが、ずっと同じ反応をしていても無意味だし、そもそもこちらもなかなか見て回れない、物事に興味を持てない性格なのだから、「お互い様だ」と思えるように考え方を変えようとしています。

 その結果、一応こういう結論(仮)にたどり着きました。「いいねというのは、『あなたの投稿内容は忙しくて見られません、動画も再生していないしリンク先も見ていません、けどとりあえずおはよう』みたいな挨拶なのだ」と。人からのいいねもそうだし、自分のもそれでいいのです。


 思えば以前はフォローに一喜一憂しました。でもフォローしてくるのは、詐欺師や、エロアカウントや、ちっとも私の投稿を見に来ない人、「フォロワー数増やすゲーム」が好きな人が多かった。
 そこから私は「いいね」に縋っていったのです。見てもくれない「フォロワー」なんて増えても嬉しくない、「フォロー」に意味なんかない、毎日「いいね」をくれる人の方が好きだ、と。

 けどいいねも同じでした。忙しいし、あんまり興味もない。お互いに。「フォロワー増やすゲーム」じゃなく「いいね交換ゲーム」だっただけです。毎日いいねをつけて回り、いいねを返してもらうだけ。

 投稿に、過去の似たような投稿への関連リンクを貼ったりするけれど、それにも興味を持たれていないのでしょう。関連投稿を探し出してリンクを貼っても、貼ったリンクに反応が来ることはあまりありません。興味があれば次々に読みたくなるでしょうが、興味を持てない……そういうもんです。

 私が図鑑を書く人だったり、写真家だったり、小説家だったり、音楽家だったり、マンガ家だったりすれば、もっとグイグイ引き込むものを書けるかもしれませんが、一目見たら「ああうん、もういいかな、君のレベルは分かった」となるのでしょう。面白みも知識も、意表を突く才能もないのです。

 もっと面白くて為になる、良質な作品は世にごまんとあるし、わざわざ私なんかをかまう人は、フォロワー稼ぎゲームやいいね集めゲームをしているだけなのでしょう。


 それか、私の投稿の中のどれかに興味があるのでしょうか(虫写真を待っている、絵が見たい、など)。だとするといつも期待を裏切って気まぐれな投稿ばかりして申し訳ないのですが。
 サイトには専門性があった方がアクセス数が上がると聞きました。料理ブログなら料理の記事を求める人がくる。テーマがはっきりしていると、それを求める人がくるし、逆に求めた内容からズレていくと興味を持てなくなる、と。

 私も、いろんな生き物が出てくる動物番組を以前見ていましたが、そのうち犬と猫しか出なくなったので見るのをやめました。方向性が変わる or 自分の求めるものとは違うと知ると去りますよね。

 読者というのも大抵、一時「これ私の好みかな?」と眺めている人が多いのかも。買い物するときにふと立ち止まり、買おうかどうしようか考える、ああいう感じ。

 大抵は縁がない、好みが合わないのでしょう。「今度こそファンか!?」なんて、来ないものを待ち続けるのはもうやめたい。リアルおままごとを強要するネネちゃんのように、優しいフォロワー様に、「あなたは私の読者でしょう!?」とファン役を求めるのもやめたい。

 ファンが現れることなんてこと、あるはずないのです。もう無駄です。何か起こる人にはとっくに起こっている。私はすぐ愚痴を吐くし態度も悪い、そういうところを含めて才能がなかったのです。


 私は今、枕元に積ん読があります。文章を読むのは苦手になりつつあるので、ほぼマンガです。
 で、私は人外萌えなので、買うのは大体ファンタジー。けどそれも読めていません。当然読みたくて買っている本ですから、興味があるに決まっているのですが。それすら読めない。ってことはネットにおいて、本気で誰かのものを読みに行ったりできないのもしょうがありません。時間と気力とタイミングが合わない、というか……。
 特に私はのろいので、大長編一本読もうとしたら、それだけに一生かかるかも。気に入ったページを何度も開いたりもする派なので。

 で、積ん読や巡回を放置して、生き物に見とれたり、面白いアニメを見たりしていますが、それも仕方ありません。
 生き物を見る時間を削ってまで人間を見るというのは、私にとってストレスです。人間の中には、生き物を見かけたり声を聞いたりするのがストレスになる人がいるようですが(多分)、私は人と関わる時間があったら生き物を見ていたい、という気持ちの時もあります。
 人間との時間は一生、避けられないわけですから、強制課題です。ちょっとでも目をそらしたい。癒やしが欲しい。生き物の世界も過酷だし、みんな私を見たら逃げるか攻撃するだろうけど。

 面白いアニメを見るのは勉強……のはず……。売れているものを見ることで、売れるものパワーが身に付くはず……。先生みたいなもんですよね。上手くなりたいなら売れている人を見た方が良いでしょう。ただ面白くて見ているだけで、勉強になるかどうかは謎ですが。


 そう、しょうがない。興味を持てないのも、持たれないのも。私の作品にはあまり興味を持たれないけど、収益化研究連載のブックマーク数はけっこう増えていくことも。もうしょうがないんです。お互い様です。
 誰も私の作品に興味はありません、が、挨拶してくれる。声をかけてくれる。そういうものです。いつか万が一有名になったら今度は、訳の分からない人に囲まれるかもしれませんが。そんなのは、そうなってから考えることです。

 みんな「売れるものパワー」を知りたいのでしょう。何が「上手い」と認識されるのか、どういうものが売れるのか、と。みんな売れたいですからね。
 正直、売れない人には売れないパワーがあるのかもしれないし、誰かが私の下手な作品を見て上手くなるとは思えません。ずっと下手なものにしか触れられなければ下手になりそうだし、子どもの頃から価値あるものに囲まれている環境であればレベルアップしそう。

 もし私に愛があるなら、大事なフォロワー様にはもっとクオリティが高くて健康にいいものをオススメするはずです。「私の作品よりこっちの方が上手いし感動するし勉強にもなるし癒されるよ、お金を出すだけの価値はある」「私の作品には正直、時間をかけて読んだり、お金を出すだけの価値はないよ。私が精一杯詰め込んでも、世の素晴らしい才能には勝てない。相対的に私の作品はスカスカなんだ」と。


 素人の発信はネガティブなのも多いですね。私の連載「せめく」も、どネガティブ沼です。
 市販のものであれば弾かれるネガティブも、素人は隠そうとしない。なんなら「これこそが芸術だ!」くらいに思っている。

 けどネガティブなんて、職場の着替え室のロッカーに隠れて陰口でも聞いていれば、いくらでも得られますからね……。町中でも聞けるし。私は小学生の頃空気だったので、女子の裏表は散々見たし。もうお腹いっぱい。

 仕事と人間社会に疲れて帰ってきてネットを開いて、「さぁ人間の心の闇を見るぜ!」とか、「考えさせられる作品を読もう!」とか、そういう気力は私にはないです。現実で十分、泣きそうなので。


 何よりもっとお互い自由になりたい。見たいものを見る、気が向いたときに。それで良いはずです。

 私は「人間模様を描いた超大作」に興味はありませんが(人間模様は現実で十分。人間しか映らない作品は基本的に見ない、でもめっちゃ面白いものは例外あり)、5分で描いたゴキブリの落書きは見たいかもです(心がこもっていない、ゴキブリ好きじゃない人が描いたゴキブリは、ただの典型的なゴキブリ叩きになると思うのでは面白くないでしょうが)。

 売れるとか売れないとか関係なく、ゴキブリは良いもの。そういう「好み」が誰もにあるはず。
 好みじゃないものは無理しても好きになれないし、好きになれないと、「もっとこうすれば良いのに」とか言ってしまうものです。無理に興味のないものを見なければいい。

 アメブロ時代もいいね欄を閉じて、同じような結論を出したのに、結局またループしてますがね……。


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