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見られたいものを書いているうちは本調子じゃないのかも

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 アクセスがないことに凹むのは、「見られたいこと」を書いているからかも。

 見られたい作品というのは、自分なりに、綺麗に整えた自信があるものです。「家を片付けたからお客さん来ていいよ、っていうか人を呼びたくて片付けたんだよ、ちょっと覗いていってよ」みたいな。

 けどひょっとすると、当たり障りなく整えた部屋より、「ちょっと待って、頼む、入らないで!」みたいなゴチャゴチャした部屋……みたいな作品の方が、魂をさらけ出したような表現になるのでは?

 ついでに、「見ないでほしい」みたいな作品ばかり書けば、アクセスがないことに嘆かなくなるかも。
「あー、新作のアレ? 別に見ても見なくても、っていうか見ないでください、なんか恥ずかしいから。へへ……」とか言いながら、書くことに没頭するかも。

 作品がつまらなくなるときって、言いたいこと言えないときじゃないかと、ふと思います。
 読む人を傷つけたくないから。怒られたくないから。悲しませたくないから。自分のキャラクターを苦しませるのが可哀想だから。誰かをバカにする笑い、差別は嫌だから。
 色々な配慮によってトゲが抜かれ、それが結果的に「何が言いたいのか分からない」薄まった作品になる、ことを「つまらない」と感じるのでは。

 という仮説を立てたので、すね毛ボーボーみたいな作品を考えるのもアリかと思いました。「誰にも見られていないから恥ずかしげもなく書ける、ラッキー」と思えるようなものを書く、と。

 自分をどこまで崩せるか、そういう練習をできれば、キャラバリエーションにも繋がるかもしれませんね。


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