生や社会への恐怖、老いや年齢に関する疑問。誰にも聞けないから自問自答する。

月澄狸

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生きながらにして死につつあるのか

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 人はよく「いつ死ぬか分からないのだから自由に生きたい」などと死を意識する。死というものの正確な意味は、自分が死ぬときまで分からないかもしれないが、死はアニメやドラマにも出てくる、幼い頃から身近なテーマでもある。死ぬことを分かりつつ、生きてゆく。

 しかしリアルな「老い」についてはあまり語られないような。どこか美化され、個人の意志でスッキリと死を迎えられるイメージになっているような。
 それは理想だけど、実際そんなスッキリと逝くものか疑問である。本物の死って大概、人の意思ではどうこうできない、得体が知れなくて後味悪い現象ではないのか。
 そしてそういう、死がもたらす不気味な印象が、ホラーなどで描かれる。

 生きているとも死んでいるとも言えないような期間が続くことは恐怖だし、現実には動けなくなるとお金がかかる。
 病気が怖い。意思通りに動けないことが怖い。

 老いというのは、若い頃はやろうと思えたことが今はそう思えない、疲れた、「あー動きたくない、よっこいせ」みたいな感じが増えていくことも含まれていると思う。若い頃は「今は調子悪いけど、いつか治る」と思えたのが、慢性的に不調を抱えるようになっていくとか。けどそんな、地味に夢も希望もない話を聞かされても気が滅入るので、あまり語られないというのも分かるような。

「よっこいせ」となるのは老いなのか、単純に人生に飽きているのか。若い頃は夢も希望もあり、ファンタジーを信じていて、いつか死ぬという時間感覚や金銭感覚も薄く、未来はどうとでもできると思えていたが。大人は同じことの繰り返しで、倫理が欠如していて、当たり前のことができなくて(戦争をしないとか差別をしないとか地球を破壊しないとか)、くだらないことを延々と繰り返していると分かってくる。すると意見を言うのも行動するのも億劫になってきて、世界がつまらなく感じるようになってゆく。打っても打っても響かねぇな、と。

 自分自身の考え、言葉も、言い尽くしたかも。「その話10回目だよ」と指摘されて自覚する。同じことの繰り返し。限界が分かってくる。変化がない。進展しない。遊び尽くしたゲームみたいな。
 若い頃は変化を選ぶ気力と体力と好奇心があるが、老いるとおそらく……。

「人は死に向かっている」と思っていたけれど、「いつか死ぬ」というよりは、生きながらにしてジワジワ死んでいっているのかもしれない。それが「老い」かもしれない。
 言葉が出てこなくなるとか、細かいことが分からなくなるとか、体力が持たなくなるとか。「彼の若い頃の作品は緻密かつパワフルだったけど、なんか変わったな……」とか。

 飽きなのか、諦めなのか、不安なのか、老いなのか。

 性格、不安、諦め、そしてそれを振り切っての楽観視。個性。生き様というのか、変化というのか、成長というのか。「老いは衰えでなく進化だ」という境地に、いつかたどり着くことは可能なのか。今はまだ得体が知れない。
 しかしよく言われるように「今日が一番若い」のであるし、心身の不調も案外そのうち治るかもしれない。未来は明るいかもしれない。

 予想したって備えたって分からない。「今100万円貯めたって、数十年後にはその価値は50万円に下がるかもよ」みたいな意見もあって、「たしかに」と思った。物価高とか、お金の価値の変化とか。一生懸命貯金したとしても、お金の価値が下がる可能性は大いにある。

 ならとりあえず遊ぼう。……というのを人に勧めると無責任だし、「アンタがこう言うから散財したのに、やっぱ貯蓄していた方が良かったじゃねーか」と責められそうなので、「私は出来損ないのキリギリスでーす」というスタイルで遊んでみるか。
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