最初に目にする表現は特別

月澄狸

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最初に目にする表現は特別

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 今は情報化社会だという。その「情報」が何を表すのかはよく知らないが、たしかに色々なものをよく目にする。日々多くのイメージに触れ、一つ一つの印象が薄まり、どれが何だったか分からなくなるほどだ。

 ドラマや映画などのストーリーでは、「よくある表現」というのがある。
 しかし「よくある表現」でも、小さい頃初めて見たシーンは衝撃で、しばらく頭にちらついていた。
 心電図を映すシーンとか。人が亡くなって、顔に布がかけられているシーンとか。氷の結晶ができていくシーンとか。

 いくつも作品を見ていると、「ああ、これはこういう感じね」となることが多く、意表を突かれる表現は減る。人は大体「共有するイメージ」があり、受け入れやすい表現を好み、美しいものをモチーフにしようとするので、綺麗な花や可愛い動物などはよく出てくるし、逆にリアルなゴキブリやシロアリをどアップで映したりとかはあまりしない。また、食事のシーンは多くあっても、トイレに行くシーンは少ない。創作では現実が切り取られ、好まれるシーンが使われる。

 子どもの頃の感性に戻れれば。何もかもが、鮮やかかもしれない。
 また、みんなが避けるものをあえて描かれれば、新鮮かもしれない。受け入れられるとは限らないけれど。
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