ハトにパンを

月澄狸

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喉からピジョンミルク

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 お爺さんが差し出してきたスマホ画面。恐る恐る、俺はそこに書いてある文章を読んだ。そこには「ハトに人間の食べ物をやってはいけない」という情報があった。

 俺は、人間の食べ物は味が濃く、動物の体に悪いと聞いていた。だからあえてなんの味もしない、一番安いパンをハトに与え続けてきた。ところがそれすら動物に与えるためのものではなく、添加物等が含まれているため鳥の体に悪いという。さらに栄養バランスも悪いというのだ。

「そんな……」
 俺は絶句した。俺の行動がハトを不健康にするというのか?

 お爺さんは静かに言った。
「自分を責めるな。行動は今からでも変えることができる」

「……」

 俺とお爺さんはしばらく並んで、ハトの群れを見ていた。

「どうして俺に教えてくれたんだ? お爺さん」
 どうしてもこうしても、ハトのためかもしれないが、俺は尋ねてみた。

「お前なら分かってくれる気がしたんじゃ。他の奴らにも言ってみたが、皆気分を害したという反応を見せるだけじゃった。ある者は舌打ちし、ある者は『私はここでずっと餌やりしていますけど、鳥が不健康な風には見えませんし、数が減ったようにも見えません』と言い、またある者は『楽しいんだから別に良くないですか?』と言い、中には『証拠はあるんですか? 調べたんですか?』などと突っかかってくる者もいた。……わしは鳥に害を及ぼす可能性があることはやめておけばいいんじゃないかと思ったのだが、彼らの答えは『大丈夫だろう』だった。……みんなハトで遊んでいるだけで、ハトを愛しているわけではなかった」

「なるほど……」

「しかしお前は純粋にハトを愛する目をしている。だから声を掛けたのだ」

「……」

 俺は本当にハトを愛しているのだろうか。

 俺は今後ハトにパンをまくべきではないのだろうか。ハトにパンをまけないようになるなど、俺にとっては死刑に等しい。これから一体何のために生きればいいというのか。

 だけど……。俺のせいでハトが死ぬのはもっと辛い。

「まぁ、そうは言っても考え方は自由じゃ。わしは専門家でも何でもないから、強制はできん。おぬしの好きにするがいい」

「……ありがとう、お爺さん。俺……俺、やめるよ」
 俺は意を決して言った。

「……何? 本当か?」

「うん」

「……そうか。……困難な道になるぞ。三日三晩禁断症状に苦しみ、それが終わってもハトにパンをやる人間を見る度に、自分もやりたくなって手が震えるだろう。なぜ自分だけ我慢しなくちゃならないのかと、唐突に怒りが湧く日もある。何度もハトにパンをやりたくなり、元の道に引き戻そうとする夢や幻覚を見るかもしれない。わしはもう何十年も前にやめたが、未だにハトにエサをやりたいのだよ」

 そうか、お爺さんもそうなのか……。

「それでも……やめます」
 俺の目は決意に満ちていた。
「ハトのために」

「偉い!」

 お爺さんは深く頷き、持っていた袋の中からあるものを取り出した。
 それはハトのぬいぐるみだった。

「これをお前にやろう。苦しくなったら、これを見て心を静めるといい」

 ハトのぬいぐるみは、リアルな色合いをしていた。一目見ればハトだと分かる。しかし全体の形はまん丸でハトらしくない。さらに目もまん丸で、少女マンガの主人公みたいにキラキラしていた。いわゆるつぶらな瞳というやつだ。

「あまりに本物そっくりだと……辛くなるじゃろう。だからこのくらいがちょうど良い」

 お爺さんの言葉に俺は納得した。

「でもお爺さん……これ、お爺さんの大切なものなんじゃ」

「わしはもう良いんだ。それは……お前に託すよ。その方がぬいぐるみもきっと喜ぶ」

「……お爺さん……!!」

 俺は今まで人間になど興味を示さなかった。ハトのことしか考えていなかった。でもハトのことしか考えていないようで、ハトのことも考えていなかった。
 今のこの、ほんの少しの会話で、俺の人生は根底から揺さぶられた。俺は一旦すべてを失ったかに思えた。
 しかしそれでもお爺さんは俺に優しさをくれた。

 俺は今……人間に対して初めて、得も言われぬ気持ちを抱いていた。
 これはなんだ。複雑な感情だ。俺の頬を涙がつたう。

「応援しているよ」
 お爺さんはぽんぽんと俺の頭をなで、にっこりと笑った。
 そしてゆっくり俺に背を向けた。

 静かに遠ざかっていく背中。俺はぽろぽろと涙を落としながら言葉を探した。この思いを……この思いを伝えねば。

「喉からピジョンミルク!!」

 俺は叫んだ。
 お爺さんが向こうで振り返って笑った。
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