うちのハエトリグモはたぶん神の使い。命について考えさせてくれる生き物。(今日は共食いをしていた……)

うちにはペットはいないけれどハエトリグモや紙魚、ヤモリ、ルリジガバチ、カツオブシムシ、ヒメマルカツオブシムシ、クサギカメムシ、ユスリカ、ゲジなどが入ってくる。そして大抵の生き物は迷子(外に逃がしてあげないと後日家の中で死んでいる)なのだけれど、ハエトリグモや紙魚やカツオブシムシたちはたぶん出入り自由の半住民だ。中でもハエトリグモは冬以外よく見かけるし、小さいけれど動きも活発で存在感がある。
24h.ポイント 0pt
10
小説 195,196 位 / 195,196件 エッセイ・ノンフィクション 8,292 位 / 8,292件
ツギクルバナー

あなたにおすすめの小説

ハエトリグモが部屋に3匹いる

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
眼福、眼福。 蜘蛛は苦手? 気のせいです。 写真はダイソーの接写レンズを使って撮影しました。

電気の傘とハエトリグモ

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ハエトリグモがよく電気の傘に乗っている。

(偽善者のつぶやき)「命の重み」を認められるのって一部の生き物だけだよね。「残酷」って何だろう。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
「命の大切さ」などと「命」という言葉自体は大切にされるけれど……。テレビや新聞で出てくる「命」というものは、人間やペットなど「殺さず守るべき生き物」のことだ。しかし命というのは蚊にもゴキブリにもカビにも、牛やニワトリにも、微生物にも植物にもある。「命を大切に」ということは殺菌も草むしりもしないのか? そんなことはないはず。「命」の格差というか差別というか……。同じ命なのに暗黙の了解で「大事にすべき命」と「殺されるべき命」がある。なぜ人は、限定的で差別的な概念に対して「命」という壮大な言葉を使いたがるのか。と言いつつ私も「命」という言葉を乱用している。

昆虫や小さな生き物の写真は、100均のスマホ用接写レンズを使って撮っています(虫写真50枚つき)

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ある日100均でスマホ用接写レンズというものを見つけ、「ふーん……」と思いながら素通りしたものの、その後昆虫撮影にハマり、スマホ用接写レンズが気になって買いに行きました。そして「こんなに撮れるの!?」とビックリ。写真上級者の方にとっては物足りないのかもしれませんが、私はこれでかなり楽しめています。ちなみに私が撮影に使っているのはスマホじゃなくタブレットです。

命のボタン

倉澤 環(タマッキン)
エッセイ・ノンフィクション
糖尿病、人工透析、脊柱管狭窄症など病のデパートの彼の介護記録です。

2021年頃の昆虫たち写真

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
以前撮った虫たちの写真です。

普通に生きられなかった私への鎮魂歌

植田伊織
エッセイ・ノンフィクション
統合失調症の母にアスペ父 そんな私はadhd 不登校、適応障害、癌化する腫瘍を摘出した先には障害児育児が待っていました。 人生、山少な目 谷多めの作者が、自己肯定感を取り戻すために文章を書くことにしました。 日常の事、乗り越えたい事、昔のことなどなど、雑多に書いてゆくことで、無念が昇華できたらいいなぁと思います。

良くも悪くも、星の回転は止まらない

月澄狸
現代文学
詩集です。各話がそれぞれ一つの作品となっております。 「小説家になろう」に投稿した詩をカクヨムとアルファポリスに重複投稿します。 気になったページをパラパラめくるとか、好きなところから好きなように読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...