人生がうまくいかないのは毎日命をいただいている罰だと思えば、ちょっとは気が楽になるかも。
食べることは特別に許されるけどその他の動物を苦しめる行為は許されない。けど魚釣りならしていいし、気持ち悪い虫は殺虫剤で殺していい。ハムスターや子猫をクレーンゲームの景品にするのは最低だけれど、金魚すくいならOK。なんて、何がよくて何が悪いのか。虫も魚も哺乳類も一緒じゃない? これは良いとかダメとかいう勝手な正義感は、人間による差別心なんじゃない?
あなたにおすすめの小説
荒くれ者
藤堂Máquina
エッセイ・ノンフィクション
コロンビアでの生活を文章にまとめた謂わば日記帳のようなものです。
あくまでも旅の記録であり、まとまった文章でないことをご理解ください。
また文章を見返す気がないのも本文の通りであり、おそらく誤字脱字が多いのもご容赦ください。
自由な考えに正しいも間違いもない、ってどういうことだろう
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
スズメを見て「これはきっとタカの子どもだ!」と言った人がいるとする。それを聞いて私は「この人間違っているな」と思ったとする。でもより自由な世界で生きている人はどっちなんだろう。私は鳥類学者でもないのに、タカはタカ、スズメはスズメという考え方を頑なに守って生きていくのだ。一体なんのために。……そういう思い込みというか、「知識を間違えたくない。私の方が正しい知識を持っている」なんてちっぽけなプライドを増やしていくことに何か意味はあるのだろうか? もしかして、そういうものから解き放たれれば人生面白くなる?
いじられキャラの本音
いつき
エッセイ・ノンフィクション
この作品は中学校生活3年間を題材にしたものです。
ある男子中学生のリアルな人間関係が描かれています。
「いじられキャラとはなんなのか」と悩んでいる主人公がある答えにたどり着きます。
この作品をきっかけに皆さんも人間関係をもう一度見つめ直してはいかがでしょうか?
カマキリは 共食いしても 当たり前
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
カマキリはカマキリを食べても罪にならない。というか野生の生物に罪があるとかないとかいう概念はないでしょう。罪とか善悪とかあるのは人間だけかな。