もう極悪人でいいや……意見合戦から抜け出そう。1440分の重みを考えよう。(私の世界は性善説じゃなく性悪説)

「やりたいことをやろう」と言われても自分のやりたいことが分からなくて困る、という方もいるそうだが、私は逆にやりたいことだらけで困っている。あれもこれもやりたくてエネルギーが分散している気がするし、やりたいことをお金にもできていないし。そんなわけで人それぞれ課題だか目的だかは違うのだろうから、人の幸福論や理想論に乗ったところで自分の幸せにはたどり着かないんだろうなぁ。
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世界は何もくれないから 好きに生きていい

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
不安のプレゼントなら溢れているけどね。

人気=幸せとは限らないか……。人気が出たり嫌われ者だったりマイナーだったりと、色んな存在に概念が付けられている不思議。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
すごく愛されてモチーフとしてもよく使われ、人間に親しまれている生き物と、知名度は高いが嫌われている生き物と、知名度のないマイナーな生き物。何が違うのだろう。人間に愛されているかどうかなんて多分、生き物にとっては関係ない。とはいえ、害があるからと駆除される生き物がいたり、盛んに植えられる植物があったり、不吉だとされる生き物が殺された歴史があったり、動物が密猟されたりと、人間の行動や生き物に対するイメージは時に生き物に影響を及ぼす。愛されてても嫌われててもマイナーでもそれぞれ受難はあるだろう。理不尽な世界だ。

未熟者の私には愛情とエゴの違いが分かりません……。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
誰かを特別に愛するということは、それ以外の者に対する差別ではないのか……。より多くの人から愛されている生き物と、みんなから嫌われている生き物と、マイナーで誰からも関心を寄せられない生き物と……。それらの生き物に対する人間の対応は全部同じでしょうか。

やっぱり批判を受け付けないと表現の幅が広がらないな……

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
批判するのは好きだけどされるのは苦手。こんなアピールを続けていたら、誰も何も指摘してくれなくなるかも。いけないとは思っているけれど「批判バシバシください!!」と言う勇気はなかなか……。

友達も恋人も子どももペットもいないから言えることもある。(みんな同じ命)

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
誰か一人を愛したことのない人間に、人類愛が分かるのだろうか? 一匹の猫を、犬を、小鳥を、ハムスターを愛したことのない人間に、生き物愛が分かるのだろうか? それでも、何も持っていないからこそ言えることもある。人に懐く生き物だけが尊い命なわけではない。ムカデもゴキブリも同じ命なのだと。

同じものを見て感想を言っているのになんかまわりの人と気が合わなかったな、ということだけうっすら記憶に残っている

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
えっ、みんなあの時嫌だと思っていたの!? 私は面白いと思っていた……。あー、あの時何も言わなくて良かった。黙っていたから運良く、自分だけ意見が違うってバレなかった。なんて思いつつなんとなくやり過ごす。そういうとき、まわりの人たちはみんな同調していたから、人間の集団とは全員同じ意見を持つものなんだなと思っていた。自分だけがその集合体から外れているんだと。けどもしかしたら中には、なんとなくその時その時の空気に合わせている人もいたのかな。違う意見だけど黙っている人もいたのかな。

恋愛や結婚や子育てを、してもしなくてもいい世界になってほしい。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
もっともっと、楽に自由に個性豊かに。そんな世界になってほしい!

ちゃんと気をつければ、オリジナル創作はリスク以上に自由があるかも

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
 主に著作権関連が怖くてしょうがないのだけれど……。