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「自分さえ良ければいい」がしっくりくる

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(偽善者のつぶやき)「命の重み」を認められるのって一部の生き物だけだよね。「残酷」って何だろう。

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月澄狸
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本格的な哲学は全然知らないけど、これも一種の哲学なのでしょうか。ああだったらこう、こうだったらこう、と、ずーっとシュミレーション、それもネガティブな方向にばかりやっています。で、しまいには勝手に八方塞がりという結論になってムカつくのです。まだ言うほど、誰とも出会ったり話したり関係を築いたりしていないのだから、何も分かっちゃいないだろうにね。

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月澄狸
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「美しい」かどうかで物事を判断する、そんな世界は嫌だと思いつつ、自分も同じ穴の狢です。美醜で物を見る自分が嫌だから、同族嫌悪でこのようなテーマばかり語るのかもしれません。 最終的には、「すべてが美しい」というところに行きたいです。美的感覚は、まわりの価値観に影響されるという集団洗脳みたいな部分もあるかもしれませんが、まぁまぁ自由に個人の好みで決められることであるのだから、結局自分で自分に刷り込んだ感覚だと思います。そしてその思い込みは、変えられる。なぜなら自分で体験したからです。ゾワゾワくる生き物を写真に収め、それを眺め続けていると、最初は写真が目に入る度、反射的にギョッとしていたのが、そのうち慣れてきます。さらには可愛く見えてきます。 思想ってセルフ催眠術かも。人は「性格」によって「考え方」を選ぶのでしょうが、先に目指したい「理想」の自分を思い描き、それに現実の自分を追い付かせようとしていく、そういう方法もあるのでしょうね。 よく「生理的に受け付けない」という言葉を耳にします。それが恐怖症並のレベルに達していたら変えるのは困難かもしれませんが、そうでなければ「理屈」で「感覚」を覆せることを知りました。私の場合、「すべての命は尊いはずだ」という「理屈」を以て、以前より様々な生き物に慣れつつあります。そして本当に、以前より多くの生き物が美しく、可愛く見えるようになったのです。 とはいえまだまだ途中段階であり、どうしてもコマユバチやマゴットセラピーの画像検索結果に慣れなかったり、耳元で虫の羽音が聞こえたら逃げ回ったりします。あと、人間の顔は何回見ても慣れないので、目を合わせ続けるのは苦手です。 https://note.com/mamimujina/n/nadde5dac8dd7 ▲ちなみにこちらはゴキブリの手乗り記事です。 https://note.com/mamimujina/n/n516ed9df62c2 ▲ハエの手乗り記事。 https://note.com/mamimujina/n/n946e1c44b8ab ▲オオゲジ手乗り。 https://note.com/mamimujina/m/m13133093d780 ▲その他、昆虫関連記事はこちら。

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月澄狸
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良いイメージの付いている生き物と悪いイメージの生き物。同じ侵略的外来種で、どちらも生態系へ影響を与える生き物であっても、なんとなくイメージに違いがある。みんな同じ命であり、自らの本能と役割にそって一生懸命生きているだけなのに、なぜ印象に違いが出てくるんだろう?

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月澄狸
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月澄狸
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月澄狸
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 不幸は気から。幸福も気から。  私のテーマは矛盾です。矛盾した意見を持ち、矛盾した人生を生きたい。  一応「うだつの上がらないエッセイ集(2)」の続きのようなものです。

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