上 下
1 / 1

自分にとって苦手な言葉を、人には普通に言おうとしていた……

しおりを挟む
 私は自分の作品が何かの「パクりだ」と言われることを恐れている。小学生の頃、パクりが悪いことだと知らなくてポケモンやディズニー映画を参考にオリジナルの絵を描いたところ、クラスメートから「パクりだ」と言われ怖くなったからだ。

 でもそれ以降に書いた自分の過去作品を読み返してみたらけっこうパロディとか、他作品っぽい話を作っていた。あまり多くの人に見せる予定ではなかったからそれはまぁいいかと思っていたのか、きわどいネタを頻繁に使うギャグ漫画に憧れたからか。「小学生のときの出来事によってパクるのが怖くなった」と記憶していたけれどそうでもなかったらしい。今の方がビクビクしている。

 とにかく最近は人から「パクりだ」と言われるのが怖く、たぶんその影響で「◯◯と似ている」「◯◯っぽい」という言葉が苦手だ。
 似ていることが何の罪にもならないなら別に良かったのだろう。でもパクり(をしてしまうこと)が怖いから、「この作品って◯◯っぽいよね~」という言葉を聞くとつい反論しそうになる。

 表現者は誰でもみんな「今流行っている感じのもの」「どこかで見たもの」を作りたいわけじゃないだろう。「◯◯が好きで好きで、それっぽいシーンを作りたかった」という状況なら「似てるね」と言われても本望かもしれないが、一生懸命自分の発想で作ったものを「あれに似ている、これに似ている」と言われると悲しいと思う。似ていると言われた「あれ」や「これ」が知らない作品だった場合はご縁を感じて調べたりするかもしれないが、誰もが知る作品……ジブリとかだった場合、「そうか、私は無意識にジブリのパクりをしていたのかも……」と自信がなくなる。

 ……と、まだ実際言われてもいないのに、自分が見聞きしたことを元に「もし今後こう言われたらどうしよう……」などと不安になる想像力はある。なのに自分の言葉についてはまったく客観的に見ていなかった。
 あるとき映画を見ていて自分が「このシーン◯◯っぽい」と言いかけてやめたことに気づいたのだ。

 そういえば私は漫画を読んで感想ブログを書くときなどは、今までに読んだ似た世界観の作品と比較して「この作品は◯◯に比べて××の要素が多く……」などと書いていた気がする。それは漫画家さん本人に送るわけじゃないからなんとも思っていなかったのだけれど、ブログに限らず私は「このシーンあれに似ているな」「この物語を見て◯◯を思い出した」と言っていたように思うのだ。

 もちろん悪気はなく、単純に比較しているだけだ。比較しないとその作品の特徴についてあまり言い表せないし、「こういったジャンルの中でこの作品は特に……」と持ち味を語るために他作品を出しているのだ。あとは思ったことを何気なくポロッと言っていたり。

 ……ってそれ、他の人も同じじゃないのか?

 以前私の絵を「◯◯に似ている」と言ってくださった方がいたが、全然悪い気はしなかった。売られているものに例えていただけるなんてありがたい。好印象を持っていただけたのだろうと感じた。

 つまり私はただ「悪意ある批判」を恐れているだけなのに「こういう言葉が嫌、言い回しが嫌、風潮が嫌」「何でもかんでも比較されたくない」と話を広げたからややこしかったのだ。

 私たちは人間だ。同じ生き物だ。発想が似通ってくるのはしょうがないし、人間の作品を見て育ち、人間の発想に憧れて創作しているのだから似通うのは当たり前なのだ。

 それに私は天才じゃないし。誰もがあっと驚くような独創的な作品は作れていない。批判されたくないから出る杭になる勇気もないのだ。飛び抜けた作品を描くと賛否両論あるだろうし、パクりだと言われない代わりに他に色々あるだろう。あまりに独創的だと世間に理解してもらえないかもしれない。あれが怖いこれが怖いと言ってちゃ、どの道創作は難しいのだ。言ってしまうけど。

 もう言葉に偏見を持つのはやめよう。別に勝負じゃないんだから「◯◯に似ている」と言っても言われてもいいし、比較したりされたりすれば良いじゃないか。作品をどう感じるは作者じゃなく読者が決めることだ。
 そして今後……。あんまり人のことや世間の風潮を悪く言わないようにしよう。自分が苦手だと感じたことは大抵、自分が人に対してやっていることかもしれない。視野の狭い私には見えていないのだ。

 ……うん、気をつけよう。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

エッセイに書いても大丈夫なことって何だろう、と意外と迷う

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
気づくと愚痴とか暗い話題っぽいことばかり書いている。これはマズい。何か楽しいことを書こう。 そうそう、最近、鬼を倒すアニメを偶然見てハマったんだけれどこれが面白くて……ってこの話題はダメだ。ネタバレになりそう。 以前聴いた歌の歌詞が良かった、って話もアレだ。歌詞は著作権があるから書いちゃダメだよなぁ。 じゃ、思い出のテレビゲームの話……も著作権があるし。うーん、どうしよう。

マンガを投稿しようとしているけど、気になる箇所がたくさん……!

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
画力のなさ……ネーミングセンスのなさ……知識のなさ……ギャグセンスのなさ……ファッションセンスのなさ……向上心のなさ……対応力のなさ……ボギャブラリーが貧困……背景描けない……影の付け方と遠近法分からない……言い出せばキリがない。好きで描いているのに詳しくないものや弱点も多い。動物を描いているのに動物の特徴が根本的に間違っているとか。おかしなところがないに越したことはないけれど、気を張って完璧にやるとか自分には無理っぽい……。完璧にと思うと、一生勉強とか練習で終わりそうだ。

批判されたい派なら自分もして良いだろういいけど……批判文をネットで見るのも苦手なくらいならしない方がいいよなぁ

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
撃っていいのは撃たれる覚悟があるヤツだけだ、みたいな。(←元ネタは知りませんごめんなさい。)

一人の時間が幸せ

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
 少し前に書いた文章。連載に入れようとしていた。  ボツにしようと思ったが、せっかく整えた文章だったので、とりあえず投稿。でも心苦しいというか何というか、迷い続けている。  一人がいいだの人と話すのが苦手だの言ってみても、私は結局、人一倍寂しがりなだけで、構ってもらいたいけれど自信がないから、創作で気を引こうとしているのかもしれない。そして寂しいと言っても、話さえできれば何でもいいわけではなく、「自分自身を見てもらいたい」というような恥ずかしい欲求が強いのかもしれない。  この世界の話題の多くは、自分たち以外から発せられたものだ。ゲームとか本とか仕事とか建造物とか芸能人とか政治とか。  私もそういう、どこかで話題になるような、世界の景色の一部でありたいのか。そもそも一部などでは満足できないのか。  本当にやりたいことは何か、どう時間を使いたいのか。優柔不断で決まらないままだ。いつまでそんなことを言っているのだろう。  何も成せないまま時間が過ぎてゆく……。それが私らしい人生ということなのかもしれない。残念ながら。

なんでこの世界には同じ種類の生き物がたくさんいるのか

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
「世界に一人しかいないあなた」とか言うけれど、結局すべての生物は同じ種類の個体がたくさんいるのであって、私はどうしたって人間であるし、世界に一匹しかいない生物ではないんだよね。

いずれにせよ才能……というか能力か、あるいは努力・実力か。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
 宣伝して、いいねが付いても、なかなか本編やリンク先まで見てもらえていません。でもそれは私も同じです。全部見て回っていたら、自分の創作時間なくなるし……。  いいねの押し合いって、宣伝効果あるのかなと思っていましたが、288いいね・44リツイートを得ても(自己リツイート含む)、リンククリック数10だったことで、やっぱり、いいね集めやフォロー集めに時間をかけてもしょうがないかなと思いました。毎日投稿の見合いっこをしても、興味を持ってくださっているお客様じゃないんだな、と。商品を買う気もない人に、試食を渡して回っても売れないなと。  ならばどうすれば良いのか。それが分からないのです。考えていくと結局、「チャンスを得るなら宣伝」となります。そしてその宣伝効果を得るには、実力……つまり「面白いか、面白くないか」。  シンプルに私の作品は、宣伝投稿を見て、「この先を読みたい!」って思っていただける才能がないということか……。

自分としては矛盾しているんじゃなくて視野を広げているつもりなんだけど。そもそも一貫した一つの人格を保ち続けるなんて至難の業なのでは。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
言うことがコロコロ変わっているらしい。言い分はあるんだけどどうも伝わらない。結局、正しいも間違いも善も悪もないんだから、右往左往していても良い気がするんだけど……そうもいかないのか。

個性って限られてるなー……

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
血液型占いなら4タイプ。星占いなら12タイプ。「個性がそんなに少ないわけがない」という意見も見かけますが、自分の個性を探していく中で、何を選んでも何かとイメージが被る気がして、個性って意外と少ないかもと感じ始めました。それとも人口が多すぎるのか……。

処理中です...