夢だけは大きく。どう見ても売れるレベルじゃないけど、自分の作品を100万円で売りたい(笑)

なんとなく買われてなんとなく捨てられる、そんな存在にはなりたくない。価値観は人それぞれだから、気軽に買ってはすぐ捨てる人もいるだろう。私のように整理が下手でなんでも溜め込む人間の方が良いわけでもないし、私が生み出す物もガラクタ同然だ。それでも、「大した物じゃない」という扱いを受けたくない。ボロボロになるまで使われ捨てられる、スポンジなどの消耗品には申し訳ないと思うけれど……。
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小説 194,356 位 / 194,356件 エッセイ・ノンフィクション 8,289 位 / 8,289件

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こちらは以前投稿した短編小説です。宜しければ覗いていってください。


↓人とロボットが共に暮らす世界を舞台にしたSF風ファンタジー
からくりの鼻唄

↓生き物たちが登場する童話風ファンタジー
月色の夏

↓夢の中をイメージした幻想系作品
ドッペルゲンガー



ツギクルバナー

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月澄狸
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月澄狸
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敬語キャラは好きだ。根っから丁寧な性格だったり、丁寧なフリしてそうでもなかったり。そういった場合、キャラクターは好きで敬語を使っているのであり、誰かから強制されているわけではない(ことが多い)だろう。敬語は方言とかと同じ個性だ。……でも現実の敬語はめんどくさいな!

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月澄狸
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 愛とは何か。私は知りません。知らない上で、書こうとしています。そして求めている。  人間と人間の愛はまぁ分かります。人間と動物の愛も分かります。もっと違う愛の形はあり得るでしょうか? 私はそれを待っているのかもしれません。

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人気=幸せとは限らないか……。人気が出たり嫌われ者だったりマイナーだったりと、色んな存在に概念が付けられている不思議。

月澄狸
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すごく愛されてモチーフとしてもよく使われ、人間に親しまれている生き物と、知名度は高いが嫌われている生き物と、知名度のないマイナーな生き物。何が違うのだろう。人間に愛されているかどうかなんて多分、生き物にとっては関係ない。とはいえ、害があるからと駆除される生き物がいたり、盛んに植えられる植物があったり、不吉だとされる生き物が殺された歴史があったり、動物が密猟されたりと、人間の行動や生き物に対するイメージは時に生き物に影響を及ぼす。愛されてても嫌われててもマイナーでもそれぞれ受難はあるだろう。理不尽な世界だ。