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恋愛や結婚や子育てを、してもしなくてもいい世界になってほしい。
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小さい頃から今まで、恋愛や結婚や子育てに興味を持ったことがない。
一応、「育てる」ということに興味を持って植物を買ってきたり、生き物を捕まえて虫かごに入れたりしたものの、飽きて放置して死なせてしまったりした。本当に申し訳ないことをしたと、今はできるだけ生き物を殺さないようにしている。
育成ゲームにもハマってあれこれやったが、今はもうやっていない。私の「お世話」「育てること」への熱意はその程度である。
早い人は高校生くらいから、自分の人生観を語っていた。
「彼氏は別にいらないけど子どもが欲しい」とか、「できるだけ早いうちに子どもを生んで若いママになりたい!」とか。
そういう話を盗み聞きしつつ、「みんなしっかりしているなぁ」と思っていた。
私は基本的に友達がおらずいつも一人で恋愛にも興味がなかったから、友達からそういった話を詳しく聞くという機会はなく、クラスの人たちの会話に耳を傾けたり通学路で盗み聞きしたり、あとは進研ゼミに付いてくる雑誌(?)の投稿欄とかを眺めつつ「ふーん、みんなの考えていることってこんな感じなのか」とぼんやり知ったりしていた。
もしかしたら早い子は幼稚園児や小学生の頃からお母さんになりたいと言っていたかもしれない。が、よく覚えていないし、今は小さい子と話す機会もないため、今時の小さい子や小学生が何を考えているかは知らない。
そんなこんなでまわりのことなど気にも留めず好きなことだけしていたが、そんな日々がずっと続くと思っていたし、自分が大人になる実感など沸かなかった。主人公が年をとらないアニメのように、日々何事かがあっても大体人と人との関係はいつまでも変わることがないような気がしていた。
そんな私も漠然と、「遠い遠い未来には考え方が変わっているかもなぁ」と思っていた。「結婚に興味がないという人ほど結婚が早かったりするものだ」なんて話を聞いて、「そうかもなー。私が一番早いかも?」なんて心の中で頷いていたものだ。
そんな私も高校生になる頃には人生というものに不安を覚え始めた。
時が過ぎるのはゆっくりではない。今こうしている間にも過ぎ去っている。
ぼーっとのんびりしてはいられないのだと気づいたのだ。
未来は確実に、すぐに来る。
そして今は……なんだか毎日居心地が悪い。
小さい頃は「すべてが自分のためにある」くらいの認識だった。自分は自分で良いし、みんな好きなように生きれば良いと思っていた。本気で綺麗事を信じていた。
私は恋愛に興味がなかったけれど、それを肯定してくれる作品もたくさんあった。友情メインの歌や物語、アニメ映画とか。
児童書で描かれる友情は、人間と人間だけのものではない。幽霊、妖怪、動物、神さま、ロボット……。ありとあらゆる存在との出会いや友情、ファンタジーがそこにあった。
私にとって「友愛」が一番ピュアな愛情のように思えた。何のためでもなく、ただお互いが好きだという関係。性別も年齢も種族も関係ない。そんなことを感じさせてくれるストーリーには「自由」があった。
だから私も安心していられた。みんなそれぞれで良いんだと。
みんながそれぞれを認め合って、世界が平和になれば良いなと。
……人はなぜ言い争ったり人を否定したり、真実を綺麗事だと言うのか。
その理由を段々と知り、そのうち頷く羽目になるとは思わなかった。
もし恋愛や結婚や子育てが「趣味」ならば、本当にやってもやらなくても良いのだろう。「結婚こそ幸せ」と言われても、「それがその人にとっての幸せなんだなぁ」で済む。
でもそのようには見えない。恋愛や子育てをしている人は偉いのだ。
親の話や、ネット上の話などを聞いているとそう思う。
恋をしている人は愛を学んでいる。人を大事にすることを学んでいる。自分以外の人間と分かり合い、愛し合おうとしている。
子育てをしている人は次の世代へのバトンを繋いでいる。
それも、そんな一言で言い表せるほど簡単なことじゃない。趣味なら苦労も好きのうちだろうが、そういう苦労とは根本的に違う気がするのだ。
……なんというか、使命? 社会貢献? 無償の愛? 情熱?
「へぇー、趣味で結婚や子育てをしているんですね!」と言って良い感じではない。
じゃあどう言えば良いのか。実はサッパリ分からない。
「子どもが欲しいんだ」と言っていたクラスメートの姿をぼんやりと思い出しつつ、彼女らが何を考えていたのかを探る。しかし見えてこない。
ネット上には、「性行為は好きじゃないけれど、子どもが欲しいから一生懸命我慢している」といった話もあった。
そこまで頑張って自分のお子さんが欲しいのか……。
不妊治療を頑張っている人もいるんだよな。
私は「お子さんが欲しいなら養子の方を迎えるとか……」と思うが、多分そういうことじゃないのだ。
親から虐待された過去があっても、「だからこそ幸せな家庭を築きたいんだ」と言っている人もいた。
私には愛というものがない。謙遜じゃなく本当だ。なぜ人が人を愛そうとするのか、なぜ自分たちの子孫を残そうとするのかが分からない。
枯れた植物や虫かごの中でひっくり返った虫を思い出しつつ、「育児放棄」という言葉が脳裏をよぎる。
……育児放棄……児童虐待……そんなことになるなら、「恋愛もしたことがないダメ人間」でいた方が楽だろう。
私は忙しいのが苦手だから。痛いのが苦手だから。ぼーっとのんびり、気の赴くままに遊んで過ごすのが好きだから。
でもみんなそれぞれで良いはずなのに、恋愛や子育てに興味がないのはダメ人間なんだろうかと辛くなる。
小中学生の頃、私を助けてくれた児童書たちももう私の味方ではない。
アニメ映画も、童謡も。
「こういう優しくて素敵なものは、お母さんが子どもに見せたいと思うんだろうな」と感じる。子どもたちを押しのけて、子どものいない人間が浸れるものではない。
美しいものも、カップルや親子のものだろう。
クリスマスのイルミネーションとか。
歌も映画も恋でいっぱい。
野生の生き物たちを見ていても、以前はファンタジーを感じていたのに、やがて「みんな一生懸命生きているんだな」と気づく。お友達とか自由とか魔法とか、そういう世界観ではない。
使命、社会貢献、無償の愛、情熱……
虫の卵を見て、動物の子育てを追ったドキュメンタリー番組を見ながら思う。「ああそうか、本能だ」と。
生き物は人間よりもっとしんどそうだ。
エアコンもない。病院もない。飢え、補食し合い、事故に遭い、寄生虫に蝕まれ、病気だって蔓延する。
テレビやマンガなどの娯楽もなければ、気を抜いて爆睡することもない、過酷な一生。種類によっては戦ったり、長距離の旅をしたりする。
それでもみんな我先にと、子孫を残そうとするのだ。
人間から駆除される生き物たちだって一生懸命子孫を増やす。
きっと生き物たちは、絶滅の時まで諦めない。
私は本能を避けてきた。弱肉強食が嫌だった。
生き物たちはメルヘンな存在であってほしかった。
限られた人と特別な関係になるのでなく、全員と友達になりたかった。
でもいつまでそんなことを言っているのか?
限りなく未来の可能性があって、どんな考えでも許された子ども時代は戻ってこない。子ども向けのものは、お子さんのいるファミリーのもの。子どものいない私には関係ない。卒業して入れなくなった学校みたいに。
……いつまで過去の脱け殻にしがみついているんだろう。
「そうだ、自分と同じ価値観の人の意見を見れば気が楽になるんじゃないか」
そう思い、「結婚 したくない」などで検索してみる。
でもなんだか「みんな違ってみんな良いんだ」という晴れやかな心持ちにはなれなかった。
人は年をとる。孤独になる。介護……お金……。
心配事で結婚するなんて愛じゃない。でも生まれてきてしまったのだから「お金じゃない」なんてことばかりも言っていられない。自分も現実的に、相手も現実的に。それが良いのだろう。
若者は悩むことも許されるかもしれないけれど、その先は……。
どうなるのか?
ますます気が重くなる。なんだか生きているのが楽しくない。
なんのために生まれてきたんだろう。
現実逃避をしている間は楽しいけれど、何かの根本解決にはなっていない。
何者でもない人間は価値がなくなっていくんだろうか?
そう感じざるを得ない。
誰かにとって特別な存在になれないと意味がないのか。
別に、私が子どもを育てなくたって日本は消えないだろう。
でも命のバトンを繋ぐ人のおかげで今がある。
みんなが子孫繁栄を放棄すれば世界は終わる。
戦争中も戦後も命は繋がれたのだ。だから今がある。
どんなに過酷でも子孫を残す、人間の強さ。
そして次の世代が世界を担う。
日本は税金を納める人がいるから回る。
「私は興味ないから子育てしないんです」
「私一人、結婚しなくたって別に」
そんなこと言っていて良いのだろうか?
とはいえ私が気にしているのは「一般の人に対する言い方、物の考え方」である。恋愛や結婚自体は本当に一生しないと思っている。とにかく痛いのが大の苦手で、飽き性で、対人恐怖症なもので……。
でも結婚しないための金銭感覚とか人生設計は全然……。
考えたこともない。
私はただぼんやり、自分にとっての「幸せ」を追い求めたいだけなのに、それじゃ生きづらい。なぜだろう。それじゃダメなんだろうか。本当は「やるべきこと」があって、多くの人はそれを「幸せ」と呼んでいるのだろうか。
「死にたい」と言っていた同学年の人を思い出す。若者の自殺のニュースを思い出す。そのときは「世界は広いんだから、今の苦しみで死を決めちゃいけないよ。この先きっと良いことあるよ」と思っていたけれど、確かに人間、死ぬまで人間関係やお金が付きまとう。いくら世界が広くても、自分が人間であるという事実は変わらない。
死にたい人がいて、生みたい人がいるって不思議だ。
行こうとする命を引き止めるより、新たな命が必要ってことかな。
なぜ生き物はどんなに過酷でも子孫を残そうとするんだろう。
なぜ命は、他の命をいただかなくてはならないんだろう。
なぜ生き物には、新たな命が必要なんだろう。
どうして世界はすべての命を平等に愛さないんだろう。
全部平等だったら良いのに。
何も壊れなければ良いのに。
本気で、人それぞれの幸せを求められたら良いのに。
それが人生の目的だと胸を張って言えたら良いのに。
ただ存在するだけですべてが喜ばれ、歓迎されたら良いのに。
人間の価値って何? 何も生まないまま生き続けると段々減っていくのだろうか。生んでも愛がなければあんまり変わらない……むしろ悪くなるんだろうか。人の価値って生きれば生きるほど減っていくのか……。
なんだかランキングみたいだ。こういう人間、これができる人間、これを持っている人間は上……って。
未来と可能性と才能や能力がある人間、社会に貢献できる人間、前向きなムードメーカー、子孫を残す人、愛を育める人が大事だとか。
理由なんかなくてもすべての人や考え方が認められていれば誰も居づらくなることはないのに。苦しむ人も自殺する人もいないだろうに。
生きているだけじゃ許されないのに、居心地が悪いのに、どうして生まれたんだろう。
……かと言って他にどう動く勇気もないし。
明日には世界が変わっていたら良いのになぁ。
変えるべきは自分の考え方かな?
「イマジン」みたいな感じで、安らぎと自由を……。
戦争時代と今では概念が違うように、何かをきっかけに数年で変わるかも。
それに期待したい。
みんな毎日自由に生きられて、遊びもいっぱいだと良いな。
お金になる・ならないじゃなく自由な夢を語りたいなぁ……。
恋愛や結婚や子育てを、してもしなくてもいい世界になってほしい。
すべての人間が無条件で愛される世界になってほしい。
一応、「育てる」ということに興味を持って植物を買ってきたり、生き物を捕まえて虫かごに入れたりしたものの、飽きて放置して死なせてしまったりした。本当に申し訳ないことをしたと、今はできるだけ生き物を殺さないようにしている。
育成ゲームにもハマってあれこれやったが、今はもうやっていない。私の「お世話」「育てること」への熱意はその程度である。
早い人は高校生くらいから、自分の人生観を語っていた。
「彼氏は別にいらないけど子どもが欲しい」とか、「できるだけ早いうちに子どもを生んで若いママになりたい!」とか。
そういう話を盗み聞きしつつ、「みんなしっかりしているなぁ」と思っていた。
私は基本的に友達がおらずいつも一人で恋愛にも興味がなかったから、友達からそういった話を詳しく聞くという機会はなく、クラスの人たちの会話に耳を傾けたり通学路で盗み聞きしたり、あとは進研ゼミに付いてくる雑誌(?)の投稿欄とかを眺めつつ「ふーん、みんなの考えていることってこんな感じなのか」とぼんやり知ったりしていた。
もしかしたら早い子は幼稚園児や小学生の頃からお母さんになりたいと言っていたかもしれない。が、よく覚えていないし、今は小さい子と話す機会もないため、今時の小さい子や小学生が何を考えているかは知らない。
そんなこんなでまわりのことなど気にも留めず好きなことだけしていたが、そんな日々がずっと続くと思っていたし、自分が大人になる実感など沸かなかった。主人公が年をとらないアニメのように、日々何事かがあっても大体人と人との関係はいつまでも変わることがないような気がしていた。
そんな私も漠然と、「遠い遠い未来には考え方が変わっているかもなぁ」と思っていた。「結婚に興味がないという人ほど結婚が早かったりするものだ」なんて話を聞いて、「そうかもなー。私が一番早いかも?」なんて心の中で頷いていたものだ。
そんな私も高校生になる頃には人生というものに不安を覚え始めた。
時が過ぎるのはゆっくりではない。今こうしている間にも過ぎ去っている。
ぼーっとのんびりしてはいられないのだと気づいたのだ。
未来は確実に、すぐに来る。
そして今は……なんだか毎日居心地が悪い。
小さい頃は「すべてが自分のためにある」くらいの認識だった。自分は自分で良いし、みんな好きなように生きれば良いと思っていた。本気で綺麗事を信じていた。
私は恋愛に興味がなかったけれど、それを肯定してくれる作品もたくさんあった。友情メインの歌や物語、アニメ映画とか。
児童書で描かれる友情は、人間と人間だけのものではない。幽霊、妖怪、動物、神さま、ロボット……。ありとあらゆる存在との出会いや友情、ファンタジーがそこにあった。
私にとって「友愛」が一番ピュアな愛情のように思えた。何のためでもなく、ただお互いが好きだという関係。性別も年齢も種族も関係ない。そんなことを感じさせてくれるストーリーには「自由」があった。
だから私も安心していられた。みんなそれぞれで良いんだと。
みんながそれぞれを認め合って、世界が平和になれば良いなと。
……人はなぜ言い争ったり人を否定したり、真実を綺麗事だと言うのか。
その理由を段々と知り、そのうち頷く羽目になるとは思わなかった。
もし恋愛や結婚や子育てが「趣味」ならば、本当にやってもやらなくても良いのだろう。「結婚こそ幸せ」と言われても、「それがその人にとっての幸せなんだなぁ」で済む。
でもそのようには見えない。恋愛や子育てをしている人は偉いのだ。
親の話や、ネット上の話などを聞いているとそう思う。
恋をしている人は愛を学んでいる。人を大事にすることを学んでいる。自分以外の人間と分かり合い、愛し合おうとしている。
子育てをしている人は次の世代へのバトンを繋いでいる。
それも、そんな一言で言い表せるほど簡単なことじゃない。趣味なら苦労も好きのうちだろうが、そういう苦労とは根本的に違う気がするのだ。
……なんというか、使命? 社会貢献? 無償の愛? 情熱?
「へぇー、趣味で結婚や子育てをしているんですね!」と言って良い感じではない。
じゃあどう言えば良いのか。実はサッパリ分からない。
「子どもが欲しいんだ」と言っていたクラスメートの姿をぼんやりと思い出しつつ、彼女らが何を考えていたのかを探る。しかし見えてこない。
ネット上には、「性行為は好きじゃないけれど、子どもが欲しいから一生懸命我慢している」といった話もあった。
そこまで頑張って自分のお子さんが欲しいのか……。
不妊治療を頑張っている人もいるんだよな。
私は「お子さんが欲しいなら養子の方を迎えるとか……」と思うが、多分そういうことじゃないのだ。
親から虐待された過去があっても、「だからこそ幸せな家庭を築きたいんだ」と言っている人もいた。
私には愛というものがない。謙遜じゃなく本当だ。なぜ人が人を愛そうとするのか、なぜ自分たちの子孫を残そうとするのかが分からない。
枯れた植物や虫かごの中でひっくり返った虫を思い出しつつ、「育児放棄」という言葉が脳裏をよぎる。
……育児放棄……児童虐待……そんなことになるなら、「恋愛もしたことがないダメ人間」でいた方が楽だろう。
私は忙しいのが苦手だから。痛いのが苦手だから。ぼーっとのんびり、気の赴くままに遊んで過ごすのが好きだから。
でもみんなそれぞれで良いはずなのに、恋愛や子育てに興味がないのはダメ人間なんだろうかと辛くなる。
小中学生の頃、私を助けてくれた児童書たちももう私の味方ではない。
アニメ映画も、童謡も。
「こういう優しくて素敵なものは、お母さんが子どもに見せたいと思うんだろうな」と感じる。子どもたちを押しのけて、子どものいない人間が浸れるものではない。
美しいものも、カップルや親子のものだろう。
クリスマスのイルミネーションとか。
歌も映画も恋でいっぱい。
野生の生き物たちを見ていても、以前はファンタジーを感じていたのに、やがて「みんな一生懸命生きているんだな」と気づく。お友達とか自由とか魔法とか、そういう世界観ではない。
使命、社会貢献、無償の愛、情熱……
虫の卵を見て、動物の子育てを追ったドキュメンタリー番組を見ながら思う。「ああそうか、本能だ」と。
生き物は人間よりもっとしんどそうだ。
エアコンもない。病院もない。飢え、補食し合い、事故に遭い、寄生虫に蝕まれ、病気だって蔓延する。
テレビやマンガなどの娯楽もなければ、気を抜いて爆睡することもない、過酷な一生。種類によっては戦ったり、長距離の旅をしたりする。
それでもみんな我先にと、子孫を残そうとするのだ。
人間から駆除される生き物たちだって一生懸命子孫を増やす。
きっと生き物たちは、絶滅の時まで諦めない。
私は本能を避けてきた。弱肉強食が嫌だった。
生き物たちはメルヘンな存在であってほしかった。
限られた人と特別な関係になるのでなく、全員と友達になりたかった。
でもいつまでそんなことを言っているのか?
限りなく未来の可能性があって、どんな考えでも許された子ども時代は戻ってこない。子ども向けのものは、お子さんのいるファミリーのもの。子どものいない私には関係ない。卒業して入れなくなった学校みたいに。
……いつまで過去の脱け殻にしがみついているんだろう。
「そうだ、自分と同じ価値観の人の意見を見れば気が楽になるんじゃないか」
そう思い、「結婚 したくない」などで検索してみる。
でもなんだか「みんな違ってみんな良いんだ」という晴れやかな心持ちにはなれなかった。
人は年をとる。孤独になる。介護……お金……。
心配事で結婚するなんて愛じゃない。でも生まれてきてしまったのだから「お金じゃない」なんてことばかりも言っていられない。自分も現実的に、相手も現実的に。それが良いのだろう。
若者は悩むことも許されるかもしれないけれど、その先は……。
どうなるのか?
ますます気が重くなる。なんだか生きているのが楽しくない。
なんのために生まれてきたんだろう。
現実逃避をしている間は楽しいけれど、何かの根本解決にはなっていない。
何者でもない人間は価値がなくなっていくんだろうか?
そう感じざるを得ない。
誰かにとって特別な存在になれないと意味がないのか。
別に、私が子どもを育てなくたって日本は消えないだろう。
でも命のバトンを繋ぐ人のおかげで今がある。
みんなが子孫繁栄を放棄すれば世界は終わる。
戦争中も戦後も命は繋がれたのだ。だから今がある。
どんなに過酷でも子孫を残す、人間の強さ。
そして次の世代が世界を担う。
日本は税金を納める人がいるから回る。
「私は興味ないから子育てしないんです」
「私一人、結婚しなくたって別に」
そんなこと言っていて良いのだろうか?
とはいえ私が気にしているのは「一般の人に対する言い方、物の考え方」である。恋愛や結婚自体は本当に一生しないと思っている。とにかく痛いのが大の苦手で、飽き性で、対人恐怖症なもので……。
でも結婚しないための金銭感覚とか人生設計は全然……。
考えたこともない。
私はただぼんやり、自分にとっての「幸せ」を追い求めたいだけなのに、それじゃ生きづらい。なぜだろう。それじゃダメなんだろうか。本当は「やるべきこと」があって、多くの人はそれを「幸せ」と呼んでいるのだろうか。
「死にたい」と言っていた同学年の人を思い出す。若者の自殺のニュースを思い出す。そのときは「世界は広いんだから、今の苦しみで死を決めちゃいけないよ。この先きっと良いことあるよ」と思っていたけれど、確かに人間、死ぬまで人間関係やお金が付きまとう。いくら世界が広くても、自分が人間であるという事実は変わらない。
死にたい人がいて、生みたい人がいるって不思議だ。
行こうとする命を引き止めるより、新たな命が必要ってことかな。
なぜ生き物はどんなに過酷でも子孫を残そうとするんだろう。
なぜ命は、他の命をいただかなくてはならないんだろう。
なぜ生き物には、新たな命が必要なんだろう。
どうして世界はすべての命を平等に愛さないんだろう。
全部平等だったら良いのに。
何も壊れなければ良いのに。
本気で、人それぞれの幸せを求められたら良いのに。
それが人生の目的だと胸を張って言えたら良いのに。
ただ存在するだけですべてが喜ばれ、歓迎されたら良いのに。
人間の価値って何? 何も生まないまま生き続けると段々減っていくのだろうか。生んでも愛がなければあんまり変わらない……むしろ悪くなるんだろうか。人の価値って生きれば生きるほど減っていくのか……。
なんだかランキングみたいだ。こういう人間、これができる人間、これを持っている人間は上……って。
未来と可能性と才能や能力がある人間、社会に貢献できる人間、前向きなムードメーカー、子孫を残す人、愛を育める人が大事だとか。
理由なんかなくてもすべての人や考え方が認められていれば誰も居づらくなることはないのに。苦しむ人も自殺する人もいないだろうに。
生きているだけじゃ許されないのに、居心地が悪いのに、どうして生まれたんだろう。
……かと言って他にどう動く勇気もないし。
明日には世界が変わっていたら良いのになぁ。
変えるべきは自分の考え方かな?
「イマジン」みたいな感じで、安らぎと自由を……。
戦争時代と今では概念が違うように、何かをきっかけに数年で変わるかも。
それに期待したい。
みんな毎日自由に生きられて、遊びもいっぱいだと良いな。
お金になる・ならないじゃなく自由な夢を語りたいなぁ……。
恋愛や結婚や子育てを、してもしなくてもいい世界になってほしい。
すべての人間が無条件で愛される世界になってほしい。
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